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第三百九話 統魔とルナ(七)

 本荘ほんじょうルナ。

 魔暦まれき二百六年四月二十日生まれの十六歳。

 本荘理助(りすけ)が二十八歳、本荘志乃が二十二歳のとき、その産声を上げた。

 両親は、初めて生まれた我が子をこの上なく大切にし、溺愛できあいしていたという。その愛情の深さは、本荘ルナが成長しても一切変わることはなかったし、むしろ、強く、深くなっていった。

 それは、彼女の記憶を覗き見たものの共通認識である。

 本荘ルナの記憶の中で、彼女の両親は、彼女に対する惜しみない愛情を常にさらけ出しているような人物であり、同時に優しく穏やかな人達だった。

 そんな両親の愛情に応えるようにしてすくすくと成長したのが、本荘ルナだ。子供のころから両親の愛を一切疑わず、故に純真無垢じゅんしんむく天真爛漫てんしんらんまんそのものとでもいうような性格に育ったようだが、それが美点になるような人物でもあったようだ。

 少なくとも、記憶の中の彼女が、なにかしら問題を起こしたような形跡はなかったし、周囲の人々との関係性も良好そのものに見えた。

 仲の良い友人知人がいて、誰も彼もが彼女に向ける笑顔に影はなかった。

 そう、彼女の周囲には、笑顔が絶えなかったのだ。

 誰もが、心の底から笑っていて、彼女自身も笑っている。

 そんな本荘ルナの記憶。

「なるほどねえ」

 香織かおりが、なんともいえないような顔でつぶやいたのは、携行食を口にしながらのことだ。

 廃墟はいきょ同然の光都こうとの北側、いまにも崩れ落ちそうな高層マンションの一角に身をひそめながら、彼女は、携帯端末を操作していた。今回の作戦参加者の携帯端末には、作戦内容とともに本荘ルナに関する様々な情報が送付されており、そこには彼女の記憶と記録が詳細に記されていた。

「ありえないわけだ」

「そう、ありえない」

 枝連しれんが栄養価たっぷりの携行食をかじり、幻板げんばんに映しだした光都タワーの真下の様子に注意しながら、断言する。超小型自動撮影機ヤタガラスが捉えた映像が各員の携帯端末に送信されているのだ。

 ヤタガラスは、戦団の技術局がその技術力の粋を結集して作り上げた最新の魔機である。超小型自動撮影機の名の通り、極めて小さく、自由自在に飛び回りながら、設定した対象を自動的に撮影し続けてくれる魔機であり、身を隠しながら現場の状況を確認することができるのだ。

 今や戦団のあらゆる任務に欠かせない存在といってよく、導士たちに重宝されていた。

 現在、複数台のヤタガラスが光都中を飛び回っている。

 統魔と本荘ルナの様子だけでなく、廃都の各地を巡回してもいるのだ。

 長らく放置された廃墟だ。幻魔が潜んでいる可能性も少なくはなく、警戒するに越したことはない。

「彼女が幻魔ならば、彼女から抽出された本荘ルナの記憶とは、なんだ?」

鬼級おにきゅう幻魔が人間に擬態ぎたいしていた事件もあるっていうけど……」

「だとしても、おかしいです。ルナさんの記憶は、幼少期から現在に至るまで確かに存在しているんですから」

 つるぎのいうことも、あざなのいうことももっともだ、と、香織は考える。

 幻魔と人間の間に連続性はない。

 つまり、幻魔が、その苗床なえどことした魔力の持ち主たる人間の記憶を持っていることなどありえないということだ。

 いや、そもそも、同じ姿形をしていることそのものが考えられない。

 人間に擬態し、人間社会に溶け込んでいたという鬼級幻魔の存在が、事態をややこしいものにしている。少なくとも、そんなものが存在しないのであれば、本荘ルナは例外として処理されたのではないか。

 特例でもって、管理下に置かれるだけで済んだのではないか、などと考えるのは、都合の良すぎる物の捉え方だろうか。

 だが、香織には、どうしても本荘ルナがたおすべき敵には思えないのだ。

 少なくとも、人類の天敵たる幻魔ではないのではないか。

「けど、まあ、それを判断するのはたいちょーの役目だし、あたしたちは、たいちょーが襲われた場合に備えておくだけっしょ」

「それが一番ですね」

 字は、香織の意見に賛同すると、全神経を集中させるようにして幻板に見入った。

 幻板の中では、統魔と本荘ルナの距離は開いたままだ。


 時間ばかりが、過ぎていく。

 本荘ルナは、あれ以来、一言も喋らなくなった。

 彼女が喋らないのであれば、統魔も言葉を発する必要がない

 統魔の目的は、本荘ルナの正体を暴くことであり、それは、時間が解決してくれるものだと考えている。

 彼女が幻魔であれば、直に空腹になり、飢餓きが状態に陥るはずだ。少なくとも彼女は、二日以上なにも食べていないのだ。

 両親を同時に失ってからというもの、彼女は、微動だにしていなかった。

 本荘ルナから連続する記憶。

 そんなものが幻魔にあるはずもなく、故にこそ、疑念が生じ、混乱へと変質するのだろう。

 幻魔への憎しみ、怒りだけでここまで駆け抜けてきたが、冷静になればなるほど、冷徹になればなるほど、おかしくなりそうだった。

 本荘ルナは、幻魔にあるはずのない人間としての記憶を持っている。

 では、人間なのか、といえば、そんなこともまた、ありえない。

 彼女の今の姿を見れば、一目瞭然だ。

 発見当初、彼女は、ごく普通の人間の少女の姿であり、黒のワンピースを身につけていた。それならば人間だと誤認したとしてもおかしくはなかっただろうし、記憶を探ったところで問題ないと判断されただろう。

 人間なら。

 人間のままなら。

 しかし、彼女は、人間ではなくなってしまった。姿形が変化し、肉体を構成する要素すらも人間とは異なる、幻魔に近しいものへと変わり果てた。

 であれば、徹底的に調査し、その正体を暴くべきだ――統魔は、そう結論する。

 幻魔である可能性がわずかでも残っている状況では、放置などできるわけもない。

 そして、幻魔ならば、全力で滅ぼすべきだ。

 人間に極めて近い姿をした幻魔といえば、鬼級幻魔なのだから。

 統魔は、携行食にかじりつき、飲み物で喉を潤す。すると、視線に気づいた。膝に埋めていた顔をわずかに上げ、本荘ルナがこちらを見ていたのだ。赤黒い瞳が、幻魔の眼を想起させる。

 だが、違う。

 幻魔の眼に宿るのは、大抵の場合、殺意であり、憎悪であり、憤怒であり、嘲笑であり、侮蔑である。

 本荘ルナの瞳には、そういった苛烈さに満ちた負の感情はなく、悲壮感や不安、失意が揺らめいていた。

 だから、統魔は思わず口を開いていた。

「なんだよ」

「お腹……空いた……」

「そりゃそうだろ。二日以上、なにも食べてないんだからな」

 統魔は、そういったものの、なぜだか腹立たしくなった。その怒りが彼女に対するものではなく、自分自身に対するものだという事実に愕然とする。なぜ、自分に怒っているのか、まるでわからない。

「それがわかってるならどうして……」

「食いたかったら食えばいいだろ。幻魔らしくな」

「わたしは……! 幻魔じゃないよ……」

 彼女は、反論する気力すらないのか、ただ、力なくうなだれるようにして膝の中に顔を埋めた。

「だから、食べない、と?」

「そんな言い方、しなくたっていいじゃない」

「幻魔に優しくする理由もない」

「酷いよ……本当に、酷い……」

「なんといわれようが、知ったことかよ」

 吐き捨てるようにいって、携行食に食らいつく。栄養価抜群の携行食には、しっかりと味も付いていて、本来ならばその味のおかげで満足感も得られるはずだった。しかし、なぜだか、今回は味らしい味を感じることができなかった。

 空腹感を満たすことしか出来そうにない。

(なんなんだ、一体)

 統魔は、ばつの悪さに苦い顔になった。

 本荘ルナの力のない言葉の数々が、胸に刺さるようだった。

 彼女が幻魔である可能性は極めて高い。幻魔に心を許す必要もなければ、分かり合う理由もない。幻魔は斃すべき敵であり、滅ぼすべき存在なのだ。でなければ、人類が生きていくことはできない。

 人類復興という大願を果たすことなど、夢のまた夢となる。

 本荘ルナの正体を暴き、滅ぼす。

 今回の作戦は、そのためのものであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 だから、一刻も早く、彼女がその本性を明かしてくれることを願うのだが、しかし、そう簡単にはいかないのかもしれない、とも思い始めていた。

 なにか、音が聞こえた。

「お腹……空いたな……」

 本荘ルナの腹が鳴ったらしい。

 統魔は、彼女をちらりと見たが、膝を抱えたまま身動きひとつ取ろうとしない少女の姿は、どうにもか弱すぎて、憮然ぶぜんとするほかなかった。

 それはまるで助けを求める弱者の姿にほかならなかったからだ。

(おれは……)

 ふと、脳裏のうりを過った考えを振り払うように、彼は頭を振った。

 相手は、幻魔だ。

 この地に混沌をもたらすために差し向けられた怪物なのだ。


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