第三百八話 統魔とルナ(六)
合宿二日目。
幸多たち七名の参加者は、本邸の一室に集められると、座学を行うこととなった。
星央魔導院出身者ならば知っていて当然の知識を一から叩き込む必要があるのは、七人中六人である。
義一は、星央魔導院の二十九期生であり、彼だけは、導士として必要な知識を星央魔導院で叩き込まれているということもあって、座学においては学ぶ側ではなく、教える側に回った。。
幸多たち対抗戦組は当然として、九十九兄弟も星央魔導院に通っておらず、今年入団したばかりの新人導士である。故に、一から学ぶ必要がある、と、美由理によって判断された。
戦団の導士として既に何度となく任務をこなしてきた六人だったが、確かに導士として必要な知識は、任務に応じて、その場その場で教わり、頭に入れているような状態だった。
一度、最初から全てを学び直すというのは、理に適っているような気がしないではなかった。
とはいえ、
「だりー」
「導士として一人前になるためだよ、兄さん」
「わーってるっての。でも、だりー」
座学の休憩中、真白が心底気怠そうにするのを黒乃がなんとかして宥め賺そうとしていた。そんな様子を横目に見ながら、幸多も、常ならざる疲労感を隠せなかった。
心配事もある。
統魔のことだ。
統魔は、昨夜のあの事件に深く関わっていて、本荘ルナの正体を暴こうと必死になっている。統魔が幻魔を許せないという気持ちは、幸多にも理解できるものだったし、彼がなんとしてでも本荘ルナに真実を曝け出させ、その上で討ち滅ぼしたいと考えるのも無理からぬことだとは思っている。
しかし、そのために統魔が無理をしないか、気になって仕方がなかった。
箍が外れたとき、もっとも恐ろしいのは統魔だ、と、幸多は認識している。
サタンを目の当たりにしたときの幸多以上に、暴走した統魔というのは、恐ろしく凶悪だ。
そのとき、幸多の脳裏を過るのは、雨雲を突き破るほどに聳え立った莫大な魔力の光の柱だった。
それは、いまから六年前、幸多が目の当たりにした光景であり、父・幸星の葬儀を終えた後、皆の前から姿を消した統魔が発したものだった。
彼の行き場のない怒りが、魔力の奔流となって爆発し、天を衝いたのだ。
それが戦団の目に止まり、勧誘される運びとなったのだが――。
「随分と難しい顔をしているね?」
などと、幸多に話しかけてきたのは、義一である。彼は、座学の休憩中ということもあってなのか、飲み物を載せたお盆を持っていて、室内の各所で寛いでいる生徒たち一人一人に手渡している最中だった。
最後に飲み物が回ってきたのが、幸多なのだ。合成樹脂製の容器に満たされた飲料が冷え切っているのは、容器に付いた水滴からも想像がつく。
「ありがとう、義一くん」
幸多は、義一から容器を受け取りながら、彼もまた寛ぐために目の前の席に腰を下ろすのを見ていた。
「悩んでいるのは、昨日のことかな」
「うん……統魔のことが気になって」
「そうか。きみと彼は兄弟だったっけ」
「血は繋がってないけどね」
「……兄弟や家族に血の繋がりは重要じゃないと想うな」
義一が、ちらりと、室内の一角を見遣った。
窓際の席に美由理が腰掛けていて、端末と睨み合っている。座学の授業内容を精査でもしているのかもしれない。
幸多は、彼と美由理の関係もまた、血の繋がらない兄弟なのだということを思い出す。義一にとっては、美由理だけではない。麒麟を筆頭とする伊佐那家の人々とも全く血の繋がりがないのだ。
だから、彼にとっては、血が繋がっていないことが問題にはならないし、どうでもいいことなのだろう。
そしてそれは、幸多にとっても大いに同感だった。
「そうだよね。うん、ぼくもそう想う」
幸多は、義一に微笑みかけ、義一もそんな幸多に笑いかけた。
そんな二人のやり取りを少しは慣れた場所から眺めていた美由理は、義一が同年代の導士たちと親睦を深めていく様に頬を綻ばせた。
義一を合宿に参加させた理由の一つが、そこにある。
義一は、その生まれの特殊性故、自分と他人の間に壁を作る傾向があった。自分のことを理解できるのは自分だけで、自分以外の他人は、決してわかり合えない無関係な存在に過ぎない、と、心の奥底で想っているのだ。
だから、彼には友人がいない。
それはとても寂しいことだ、と、美由理は想う。
美由理には、イリアと愛という掛け替えのない友がいて、多くの同僚たちがいる。
それは、美由理の心の支えとなり、命懸けで戦うための原動力となっていた。
美由理は、義一にもそういう対象が出来ることを願い、他者と触れ合うことのできる機会を少しでも増やしてやりたいと考えいるのだ。
そうはいっても、美由理は星将であり、軍団長だ。団員一人の面倒だけを見ていられるような立場ではない。故に、このような機会がなければ、義一のために時間を割くこともままならなかっただろう。
そういう意味でも、合宿という機会を得ることができたのは、幸運だった。
座学は、続く。
光都タワーの足下からは、廃墟と化した光都の様子を見回すことができる。
四方八方、何処を見ても廃墟そのものであり、この地が廃都と呼ばれる所以をはっきりと理解できるというものだった。
廃都。
かつて光の都と呼ばれ、人類の未来が全て集まっているなどと謳われていた都市の成れの果てであり、夢の骸とでもいうべき有り様だ。
この光都タワーですら、原型を失っている。地上一千メートルの超高層建造物を支える四本の足も、いまにも崩れ落ちそうなほどの劣化ぶりを見せつけているようだったし、ちょっとしたことで倒壊しかねない危うさがあった。
本荘ルナは、度々、そのことをいった。
「光都でもなんでもいいけど、なんでこんな場所なのよ……いまにも崩れそうだよ?」
彼女の不安とも不満ともつかない発言に対し、統魔は、冷ややかに告げるのだ。
「崩れたっていいだろ。どうせおまえは死なないんだ」
「なんでそんな風に言うの」
「おまえが幻魔だからだ」
統魔が凍てつくような眼差しを向ければ、本荘ルナは、びくりとした。塔の真下で抱えるようにした膝をさらに強く握り締め、体を硬直させる。
まるで天敵に睨み付けられた小動物のようだ、と、統魔は想う。だが、そんな外見に騙されてはならないのだ、とも、考えるのだ。
「わたしは、幻魔じゃない。幻魔じゃないよ……」
本荘ルナがそういったのは、何度目のことだろう。
既に日が昇りきり、中天に至っている。光都タワーの真下から太陽の姿は全く見えなくなっていて、巨大な塔の影が二人を包み込んでいた。
夏だというのに、不自然なまでの冷気がこの場を支配していた。異様なほどの気温の低さは、空白地帯特有の異常気象のせいに違いない。
光都が機能していた頃、この地の気候は安定していたはずだ。光都中を走る様々な魔機が、都市内の気温を安定させ、気候を掌握していたからだ。
しかし、光都が崩壊し、魔機が機能しなくなると、気候そのものが空白地帯と一体化した。
故に、この廃都には、夏らしからぬ冷気が吹き荒んでいる。
統魔は、冷えていく体に対応するかのように冴え渡っていく意識のままに、本荘ルナを見ていた。力なく塞ぎ込む少女の姿をした、怪物。
「……随分と、消極的になったな」
「え……?」
「最初は、自分は人間だと息巻いてたじゃないか。それがいまはなんだ? 幻魔じゃない? 人間じゃないことは認めるってことか?」
「違う……違うよ、そうじゃない、そうじゃなくて……」
本荘ルナは、しどろもどろになりながら、言葉を探した。なにをどういえばいいのか、わからない。どうすれば、皆代統魔は信用してくれるのだろう。彼はなにを求めているのか。なにを望んでいるのか。
その本当のところを知りたい、と、彼女は想う。
「わたしは、わたしはただ……」
「ただ……なんだよ?」
統魔は、ただ冷徹に、彼女を見据えていた。