第三百六話 統魔とルナ(四)
「本荘ルナは、幻魔だと思うか?」
神木神威は、戦団本部中枢深層区画に展開する無数の幻板、そのうちの一つに目を留めていた。そこには、廃都と化した光都、その夢の残骸としか言いようのない光景が映し出されている。
企業連の夢と希望、野心と欲望の極みと言っても過言ではない光都タワーは、その中程で折られ、いまやその欲深い野望の果てを見せつけるようだ。行き過ぎた野心は、結局、みずからの欲望の炎に焼き尽くされるようにして倒れ伏した。
その成れの果てが、光都跡地だ。
愚直にも夢の結実に向けて邁進した企業たちもまた、そのつけを払うような形で勢力を失い、天燎財団の台頭を許している。
五年前のことだ。
その廃墟が、五年前の名残を多分に残しているのは、戦団の管轄下に入ってからというもの、一切の手が入っておらず、放置されているからだ。
当然だろう。
光都は、人類生存圏の外に広がる空白地帯に作られた都市である。戦団は、人類生存圏の守護こそその使命としているものの、空白地帯に関しては、央都防衛構想の要である衛星拠点の維持にのみ注力している。そうでなければ、無限に人手が必要だからであり、人手不足極まりないからだ。
ただでさえ人類生存圏内にて幻魔災害が頻発しているというのに、空白地帯の廃墟に人手を回す余裕など、戦団にあろうはずもなかった。
故に、廃墟は廃墟のままで在り続け、時とともに風化し、朽ち果てていくだけなのだ。
空白地帯が空白地帯ではなくなった暁には、完全に撤去され、整理されるのだろうが、それも遠い未来の話である。
さて、そんな光都の中心部に聳え立つ光都タワーの足下を超小型自動撮影機ヤタガラスが捉えているのだが、そこには二人の人間が映り込んでいる。一人は、第九軍団所属の輝光級導士・皆代統魔である。
もう一人は、本荘ルナ。
ノルン・システムによる徹底的な生体解析によって、構成要素の九十五パーセントが幻魔に近似しており、残り五パーセントが人間に酷似していると断定された少女。しかし、その立ち居振る舞いや言動は、記録上に存在する本荘ルナそのものであり、また、彼女の記憶自体が本荘ルナのそれと一致した。
そのことが大いなる疑問となっている。
人間と幻魔の間に連続性はない。
人間は幻魔になり得ず、幻魔は人間たりえない。
それが絶対の原理であり、揺るぎようのない原則なのだ。
鬼級幻魔アスモデウスは、幻躰を用い、人間に擬態した。東雲貞子を名乗り、人間社会に紛れ込み、央都に暗躍した。しかし、それは擬態に過ぎず、人間と幻魔の断絶を埋め合わせるようなものではなかった。少なくとも、幻魔が人間に成り代われたわけではなかったし、その正体を隠し通せたわけでもないのだ。東雲貞子の正体は、ノルン・システムの解析によって幻魔であると暴かれ、そして、朱雀院火倶夜によって焼却された。
では、本荘ルナとは何者なのか。
「ノルン・システムの解析結果と義一くんの真眼の分析結果を鑑みても、本荘ルナを幻魔であると断定することはできません」
日岡イリアが幻板を睨みつつも、その指先ではノルン・システムの端末を操作していた。彼女が見つめている幻板には、本荘ルナの解析結果の詳細が表示されていて、彼女の体組成が人間とほとんど変わらないことが記されている。
幻魔の肉体たる魔晶体特有の結晶構造ではなく、人間と同じく水分、タンパク質、脂質、ミネラルという四つの主要成分で組成されているというのだ。
「これらの情報だけを見れば、人間としか言い様がないな」
イリアの背後から幻板を眺めていた妻鹿愛が、嘆息とともにつぶやく。
ノルンの女神たちは、しかし、その体組成の九十五パーセントに幻魔の成分が含まれていると断言しており、そちらの解析結果に重きを置くのであれば、幻魔であるとしか言い様がない、ともいえる。五パーセントの人間成分が、本荘ルナの肉体を構成しているとはとてもではないが考えにくいからだ。
そもそも、人間と幻魔の体組成が混じり合った存在など、そうそう考えられるものではない。
ノルン・システムがその情報処理能力を最大限に駆使し、何百万通りもの可能性を追求、演算したが、どう足掻いても人間と幻魔の成分が共存することなどあり得ないという結果が導き出されていた。
過去、そうした研究は何度となく行われ、そのたびに失敗に終わっている。
幻魔は、人知を越えた存在であり、万物の霊長と呼ぶに相応しい強靭な肉体、莫大な生命力、膨大な魔力を誇る生物である。妖級以上の幻魔は人間に匹敵する知性を持ち、鬼級以上ともなるとあらゆる面で人間を遥かに凌駕した。
人間が幻魔と同等の力を得られる方法はないものか、と、魔法学者、研究者らが頭を捻り、様々な実験を繰り返した。生命倫理に抵触する、いや、生命倫理を蹂躙するような非人道的な実験も無数に繰り返されたという。
しかし、いずれも実を結ばず、結局、人間と幻魔の融合による新たな生命の誕生は、ならなかった。
人間と幻魔は、根本的に相反する存在である――そんな考えが一般的なものとなり、原理原則となっていったのは、そうした研究や実験による数え切れない犠牲の果てのことだ。
そして、そのような研究の記録を元に膨大な数の検証を行ったのがノルン・システムであり、女神たちなのだ。
その女神たちが導き出した結論に嘘はあるまいが、例外が存在するということもまた、事実ではあった。
「でも、ただの人間でもあり得ない」
「そうさね」
イリアの意見には、愛も心底同意するほかなかった。
ただの人間ならば、幻魔の肉体を構成する要素が検出されるはずもなければ、あれだけの魔素質量が確認されるわけがないのだ。
彼女が星象現界を発動しているのであればいざ知らず、そうではない以上、本荘ルナが人間であるとは認められない。
一瞬、あるいはある程度の短時間ならばともかく、あれだけの長時間、星象現界を維持し続けられる人間など、この世に存在するはずもないのだから。
「そして、幻魔でもないかもしれない、か」
神威は、光都タワーの足下で所在なげに佇む皆代統魔と、途方に暮れている様子の本荘ルナを見つめながら、つぶやいた。
女神たちによる解析は、本荘ルナが人間ではないことを示した。幻魔ではないかもしれないが、断じて、人間ではない、と。
では、どう処遇するべきなのか、と、戦団上層部および護法院は、考える。幻魔ならば、即刻処分すればいい。幻魔は人類の敵であり、放っておくことは出来ない。しかも、本荘ルナを名乗り、そのように立ち居振る舞う彼女は、周囲の人間を無意識に、あるいは意識的に支配する能力を持っている。
野に放つなど、間違ってもあり得ない判断だ。
だが、と、神威は、思案した。
本荘ルナと名乗る正体不明の存在は、央都市民・本荘ルナそのもののように思えてならなかった。幻魔と人間の間に連続性はない。であれば、本荘ルナとの間に連続性のある彼女はなんなのか。
何者なのか。
その正体を暴かずして処分するのは、戦団にとって、いや、人類にとって大いなる損失なのではないか。
神威がそのように考え込んでいると、皆代統魔が本荘ルナが幻魔であると断定し、正体を暴いてみせると息巻き、ある提案をしてきた。
皆代統魔は、本荘ルナが幻魔ならば、必ずやその正体を明かすであろう方法を思いついたというのだ。。
それこそ、彼が今、本荘ルナと二人きりの状況を作った理由だ。
そして、その場所に光都跡地を選んだ理由でもある。
人間由来の魔力は、幻魔にとって最も栄養価の高い食料であり、好物であると考えられていた。事実、幻魔が人間を襲う最大の理由は、人間の死によって生じる魔力を取り込むためだった。
幻魔は、心臓たる魔晶核に蓄積された魔力を消耗しながら生きている。消耗した魔力を補給するには、体内に魔素を取り込み、魔晶核にて魔力を練成する必要があるのだが、純度の高い魔力を取り込めば、練成の過程を省略できるということからか、幻魔は人間を殺すことを躊躇わなかった。
そして、判明した事実がある。
幻魔がその生命活動によって魔力を消耗し、ある種の空腹感を覚え、飢餓状態に陥れば陥るほど、人間を襲う可能性は高くなる、ということだ。
この潤沢かつ濃密な魔素に満ちた世界であっても、幻魔による殺人衝動が収まらないのは、人間の生み出す魔力が幻魔にとってこの上なく美味だからなのだろう。
つまり、統魔は、本荘ルナを飢餓状態に陥らせることで、その正体がアバ絵kるのではないか、と考えたのだ。
本物の本荘ルナの両親は、二日前に死亡し、本荘ルナを名乗る何者かによって保存された状態で発見された。本荘理助、志乃がその死によって発生させた魔力は、本荘家に滞留し、魔素異常となって観測されるに至っている。
そのことから、本荘ルナを名乗る正体不明の存在が、その魔力を取り込んだわけではないことは明らかだった。
もし、本荘ルナが幻魔であり、人知を越えた高度な技術によって人間に擬態しているのであれば、魔力を消耗し続けているに違いなく、数日もすれば、飢餓状態に陥るのではないか、というのが統魔の見込みである。
そして、そうなったときには、必ずや自分を襲ってくるはずだ、と、彼は踏んでいた。
神威たちも、それには一理あると考えていたし、だからこそ彼の提案を受け入れたのだが。
現状、光都タワーの二人に変化は見受けられない。