第三百五話 統魔とルナ(三)
擬似霊場発生器イワクラ。
一目見ただけではどういう構造でどういう機能を有しているのかなど全く想像もつかないような、異質感と重量感に満ちた魔法金属の塊である。精密機械の塊でもあり、重量はおよそ二十キログラムもある。鍛え上げた魔法士にとっては簡単に持ち運び程度の重量ではあるが、わざわざ手で持ち上げる必要はないだろう。
統魔は、イワクラの無骨な本体を荷室から下ろす際に、魔法を使って持ち上げるほうが楽だということに気づいたのだが。
「最初からそうすれば良かったんじゃないの?」
「ああそうだよ!」
「なんで怒るのよ……」
本荘ルナは、想定外としか言いようのない統魔の剣幕にびくりとしながら、自分の腕を抱え込むようにした。
統魔は、魔力を編み上げることによって生み出した魔法の手でイワクラを掴み上げたまま、周囲を見回した。周囲には、昇りはじめたばかりの朝日と廃墟の建築物群が生み出す奇怪な影に彩られている。
懐から多目的携帯端末を取り出し、操作する。端末が出力した幻板には、光都跡地の地形が詳細に浮かび上がっていた。
この地は、廃都、とも呼ばれる。
もはや光の都などではなく、廃墟そのものだからだ。
実際、統魔たちの周辺に聳え立つあらゆる建物が廃墟であることを主張するかのような、残骸そのものの外観を見せつけている。
光都に到着して真っ先に目に付くのは、光都タワーだろう。
大和市の中心に聳え立つ央都一高い建造物である大和タワーをも越える、世界最大の超高層建造物を目指して作られたそれは、地上一千メートルもの高さを誇っていた。その全体がきらびやかに彩られ、夜間には莫大な光を放っていたという。それが光都という名称の由来になったわけではないにせよ、光都を象徴する建造物であったことに違いはない。
そして、その光都タワーは、光都事変の開幕を象徴する出来事が起きた建物でもある。光都タワーの中程に幻魔戦艦が激突したことによって、光都事変と呼ばれる大災害の幕が開いたのだ。
光都タワーは、幻魔戦艦との激突の際、その凄まじい衝撃と爆発によって真っ二つに折れ、倒壊した。光都タワーの崩壊による二次被害、三次被害が、光都事変を悪化させたのはいうまでもない。
現在の光都タワーは、最盛期の三分の一ほどの高さだが、それでも十分過ぎるほどに大きく、高い。
統魔は、その真下まで輸送車両で移動しており、イワクラを取り出したのもそこである。
光都タワーの脚は四本あり、その真下には広場といってもいいくらいに広大な空間があった。そして、頭上には光都タワーの残骸が屋根となっていて、もし雨が降り出してきたとしても問題がなさそうだった。
央都市内に関しては完璧に近いノルン・システムの天気予報だが、空白地帯の天候に関しては、不完全極まりないものとなる。
その上、だ。
(見晴らしがいい)
統魔は、光都タワーの真下にイワクラを設置しながら、周囲を見回した。魔法の手を離れ、地面に四本の脚を設置させた機械は、自動的に、そして完璧に近く周囲の地形を把握し、本体を安定させた。四つの足とずんぐりとした胴体、そして頭部のような五つの突起物を持っているのが、イワクラという魔機である。五つの突起は、一つは中心にあって天に向き、残りの四本が四方に伸びている。
統魔が見回す光都タワーの周囲には、当然のように廃墟同然の建物群が立ち並んでいる。どれもこれも倒壊寸前か、既に倒壊しているものばかりであり、生気もなにもあったものではなかった。が、それらの建物がはっきりと見えると言うことは、統魔たちの様子もしっかりと見えると言うことにほかならない。
それも、十二分に距離を取って、だ。
本荘ルナの支配の影響範囲は、彼女を中心とする半径五メートルほどだと推定されている。それは推定でしかなく、もっと広範囲に影響が及ぶ可能性を考慮すると、十メートル以上の距離が欲しいというのがノルン・システムや作戦司令部の考えだった。
統魔たちと、統魔たちを監視する導士たちの距離は、離れていれば離れているほどよかった。ただし、支配下に入らずに済み、いつでも瞬時に攻撃し、討滅できる距離でなければならない。そのさじ加減は難しいところだが、十メートル以上離れていれば大丈夫なのではないか、という結論に至った。
多少楽観的ではあったが、現状、監視班の誰一人として本荘ルナの支配下に入っていないことから、間違いではなかったと見ていい。
だから、統魔は、この場所にイワクラを設置することにしたのだ。
そして、設置したイワクラを起動させる。
イワクラの胴体が鳴動し、駆動音を発した。イワクラの中心の突起から青白い光が漏れ始めると、四つの突起が動き始めた。しばらくなにかを探るように動き回っていた機械は、唐突にその奇怪な動きを止める。そして、全ての突起の先端から、蒼白い光が照射された。
頭上と、四方へ。
「なに?」
「霊場だ」
「れいば?」
「すぐにわかる」
統魔は、イワクラの動作を見てたじろいでいるルナを尻目に、イワクラが正常に起動したことを認め、ほっとした。
イワクラが照射した蒼白い光は、本体を中心とする半径四十メートルほどの球体を形成した。その青白い光の球体は、完成するとともに虚空に溶け込むようにして消えてしまう。
イワクラがその役目を終えたからではない。イワクラの本体を見れば、その内部の機構が青白い輝きを発していることがよくわかる。作動中だということを証明するかのようだ。
「なんなのよ……? わけわかんないんだけど」
「擬似霊場発生器イワクラは、擬似霊石を燃焼させ霊場を構築する魔機だ。この霊場は、いわば結界なんだよ。幻魔を寄せ付けない、な」
「幻魔を寄せ付けない結界……」
「もっとも、絶対的なものじゃないからな。擬似霊場を展開しておけば安全ってわけでもない」
「じゃあ、わたし、幻魔じゃないってことじゃん!」
「だから、いっただろ。絶対的なものじゃないって」
短絡的にも程がある本荘ルナの発言を受けて、統魔は、冷ややかな眼差しを向けた。
「擬似霊場は、央都四市に敷かれている霊石結界を擬似的に再現したものだ。そして、霊石結界は、〈殻〉の結界を技術的に再現したものなんだよ。〈殻〉の結界がどういうものかは……知らないか」
「知ってるわけないでしょ……そんな専門的なこと」
「そりゃあそうだ」
統魔は、彼女の不服そうな顔から視線を逸らした。たとえ彼女が鬼級幻魔であっても、その理屈を説明できるとは限らない。
「〈殻〉は、鬼級幻魔の魔晶核を用いて生み出した殻石を中心に発生する、ある種の力場だ。その力場を便宜上、結界と呼んでいる。その結界は、主宰者にして王たる鬼級幻魔に承認された幻魔のみ自由に出入りできるもので、承認された幻魔には、その〈殻〉特有の印である殻印が刻まれるんだそうだ」
「殻印……? そんなの、わたしにはないけど」
「〈殻〉の結界にせよ、央都の霊石結界にせよ、必ずしも絶対的なものじゃあないんだよ。絶対的な結界だったら、幻魔同士の争いも起きるわけもないし、ましてや央都が攻め込まれることだってありえないだろう。そして、幻魔災害が発生することだって、ありえない」
統魔は、本荘ルナの訝しげな表情を見据えながら、いった。
霊石結界は、絶対的な安全と平穏を約束するものであってほしいという期待と希望を込められ、作られた。幻魔の世界たる地上で再び人類が立ち上がるためには、幻魔の脅威から隔絶された楽園が必要だと考えられたからだ。
だが、現実はそう甘くはなかった。
百年以上の昔から幻魔たちは領土を巡って相争っているし、央都が幻魔の軍勢に攻め込まれたこともあれば、幻魔災害は頻発している。最近になって明らかになったが、鬼級幻魔が暗躍し、跳梁しているという恐るべき現実もある。
「結界は、結局の所、一時凌ぎの時間稼ぎに過ぎない、というのが、大方の見方だ。人類復興を確実なものにするためには、どう足掻いたところで、幻魔を滅ぼすしかないのさ」
「わたし……幻魔じゃないよ」
本荘ルナは、統魔の目から逃れるように顔を背け、力なくつぶやくようにいった。
統魔は、そんな彼女の一挙手一投足を見逃すまいと見つめている。
「……人間でもない」
「わ、わたしは……」
「おれはおまえの正体を暴く。そのためにここに来たんだ」
「正体……」
茫然と、本荘ルナはいった。
彼女には、なにがなんだかわからなかった。
いま自分の身になにが起きていて、なぜこのような目に遭っているのか、遭わなければならないのか、全く以て説明がつかない。
助けを求めようにも、何処にも味方はいなかったし、誰も彼女の言葉に耳を傾けてくれようとはしない。
ましてや、目の前の少年は、彼女のことを蛇蝎の如く忌み嫌っているようなのだ。
これでは、どうしようもない。
「なーに話してるのかなー?」
香織が疑問符を浮かべたのは、携帯端末の幻板に表示された映像を見てのことだった。
そこには、統魔と本荘ルナの姿が映っている。
二人がいるのは、光都タワーの真下だ。すぐ近くに輸送車両があり、擬似霊場発生機イワクラが配置されている。擬似霊場の展開も確認済みだ。全ては、順調、といったところだろうか。
そして、光都タワーがあるのは光都跡地の廃墟群の中心であり、このいまにも崩れ落ちそうな廃墟群のどこからでも二人の様子が見て取れるような位置取りだった。
さすがは、我らが隊長といったところだろう、などと、香織は思っている。統魔は、幸多さえ絡まなければ、常に冷静で思慮深い、導士の中の導士のような人物なのだ。
「なんだっていいでしょう。隊長が見やすい場所に移動してくれて助かりました」
「あーれー? アザリン、どうしたのかなー?」
「どうもしていませんが」
普段以上に事務的な口調の字の様子に、香織は、にやりとした。字が、どうにも心ここにあらずといった様子なのは、きっと、統魔があの少女と一緒にいるからだろう。
あの少女。
本荘ルナと名乗る、人間ならざる幻魔めいた正体不明の存在。
その正体を暴くためにこそ、統魔は、光都跡地に彼女を連れてきたのだ。
それが、字にはどうにも気に食わない。自分たちのしでかした後始末を統魔だけにさせるような、そんな感覚があるだけでなく、あの少女に支配されていたという事実が不愉快極まりないのだ。統魔を無意識のうちに傷つけていたかもしれない。
「しかし、おれたち、本当に支配されていたのかね」
「覚えはないけど、でも、映像を見せられたら、ねえ」
枝連と剣が身を寄せ合いながら、幻板に映された統魔と本荘ルナの様子を見ている。
皆代小隊は、光都タワーの北側に聳える高層住宅、その廃墟に身を潜めている。
皆代小隊だけではない。
麒麟寺蒼秀率いる第九軍団の選りすぐりがこの光都跡地の各所に潜伏し、統魔と本荘ルナの様子を見守っているのだ。
全ては、本荘ルナの正体を暴き、央都守護の務めを果たすためだ。
それには、この打ち捨てられた廃都こそが相応しい。
ここでなら、どれだけ暴れ回っても問題がない。