第三百話 極一部の例外
「彼女が幻魔である可能性は、極めて高いのでしょうね。ノルンが九十五パーセントといい、義一くんの診断結果もそれを証明しているわ」
「義一は、人間だといっていたが」
「いったでしょう。彼女に近づいた人間は、ああなるのよ。その事実を理解し、認識し、警戒していても、そうなってしまう。彼女をあの部屋まで案内した導士たちだってそうだわ。彼女を絶対的に肯定する擁護者になってしまった」
「つまり、義一の発言は、嘘だ、と」
「疑ってかかるべきね。ただ、義一くんの言葉には、真実も含まれてはいた」
イリアは、もはや本荘ルナの擁護者と成り果ててしまった義一の様子を眺めながら、告げた。
先程、彼は、確かにいった。本荘ルナは、人間とは思えないほどの魔素質量を内包している、と。
それこそが、本荘ルナが幻魔である可能性を高めている。
人間に擬態した幻魔である可能性。
「しかし……どうするんだ?」
「彼女が幻魔ならば、即刻、滅ぼすべきだ。しかし、幻魔ではないのであれば……考える必要がある」
「幻魔ではない可能性……」
「通常、ありえないことばかりなのよ。彼女に関していえば」
イリアは、端末を操作し、過去の記録を幻板に出力して見せた。
それらは、過去、戦団が記録してきた幻魔の研究結果であり、また、人類が幻魔との遭遇以来、今日に至るまでに手に入れることの出来た数々の記録である。
数々の記録が示すのは、幻魔の肉体たる魔晶体を構成する要素が純度百パーセントの幻魔成分であるということだ。魔晶体を組成する結晶構造、その全てが幻魔に由来する成分なのだ。
「幻魔は、幻魔よ。ノルンが幻魔の死骸を徹底的に解析しても純度百パーセントの幻魔成分しか検出されないわ。どれだけ高位の幻魔であってもね。九十五パーセントなんていう解析結果が出るなんて言う事自体、ありえない。残り五パーセントの人間成分もそう」
イリアは、本荘ルナの解析結果を睨みつけながら、いった。
ノルン・システムによる生体解析の結果を疑う道理はない。
ノルン・システムが本荘ルナの能力の影響下にあり、支配され、擁護者となっているような様子はなかったし、もしそうなっているのであれば、純度百パーセントの人間であると女神たちが回答したに違いないからだ。
つまり、異様なのだ。
あり得ないことが、起きている。
「……そもそも、人間と幻魔の間に連続性はない。それが定説であり、道理だ。人間と幻魔は別の生き物だ。人間から幻魔に変わることなど、あり得ない。幻魔は、人間の死によって生じた魔力を苗床として誕生する、全く別種の生き物なのだ。その記憶の一部を得ることはあっても、それが幻魔が人間の生まれ変わりである、などという妄言に繋がるわけもない。だが、あの娘は、どうだ」
神木神威が、幻板に映し出された隔離室の様子を見据えながら、いった。本荘ルナと、彼女を擁護する導士たち、そしてただ一人その支配から逃れることの出来ている皆代統魔が、睨み合うようにして対峙している。
その光景もまた、異様としか言い様がない。
「……本荘ルナそのもののように見えますね」
イリアは、本荘ルナの記録映像を幻板に表示しながら、いった。幻板に映し出された映像は、本荘ルナという少女の日常風景であり、その立ち居振る舞いは、いま、戦団によって確保されている少女と全く同じものだった。
本荘ルナそのものなのだ。
それもまた、通常ならばあり得ないことだ。
彼女が人間に極めて近い姿をしているのは、鬼級幻魔か、あるいは鬼級に極めて近い上位妖級幻魔だから、という理由で説明がつく。しかし、その姿形が、本荘ルナと全く同じだということには、一切納得の行く説明ができなかった。
神威の言うとおりなのだ。
人間と幻魔の間には、連続性はない。
たとえば、ある人間が死に、その死によって生じた魔力から鬼級幻魔が発生したとして、その姿形は、苗床となった魔力の持ち主とは全く異なるものなのだ。過去、多数の鬼級幻魔が記録されているが、それら鬼級幻魔の容姿と合致する姿形をした人間は存在していなかった。
つまり、本荘ルナの姿をした鬼級幻魔が、本荘ルナの死とともに誕生することなど、あり得ないことなのだ。
それに、記憶だ。
本荘ルナと名乗る幻魔の記憶は、本荘ルナの記録と一致している。つまり、本荘ルナとの連続性があるということにほかならない。
幻魔ならばありえないことだ。
だが、女神たちの生体解析と義一の真眼は、彼女を幻魔である可能性を極めて高いものとしている。
「とはいえ、人間に擬態し、暗躍していた幻魔も存在するからね。幻魔が、本荘ルナに擬態しているだけかもしれない」
「その可能性もなくはないが……だとすれば、解析結果は純度百パーセントの幻魔になるはずだろう」
「そうなんだよ。だから、困ってるんだよ」
愛が、途方に暮れたように肩を竦めた。ノルン・システムによる解析結果は、魔法医療に精通した彼女にも全く理解できないものだったのだ。幻魔と人間の成分をこれほどまでの精度で併せ持つものなど、極一部の例外を除いて記録上には存在しなかったし、存在できるはずがない、と、愛は結論づけていた。
彼女が極一部の例外に類別される存在ならば、どうか。
それならば可能性はあるのだが、しかし、と、愛は胸中で頭を振る。
人間と幻魔は、相反する生物だ。
両方の特性を一つの肉体に内包し、共存させることなど不可能に近い。少なくとも、過去、人類が行った生命倫理を踏みにじる数多の研究の結果は、そう示している。
だが、一方で、本荘ルナの様子を見れば見るほどわからなくなってくる。
本荘ルナに擬態し、本荘ルナらしく振る舞う鬼級幻魔ならば、美由理の言うとおり、ノルン・システムが見逃すわけもなかった。
では、彼女は、なんだというのか。
難題極まりなかった。
深層区画の一室に集まった戦団上層部及び護法院の面々が、揃いも揃って頭を悩ませるのは当然の話だったし、幸多は、そんな大人たちの苦悩に満ちた表情と、隔離室の様子を見比べることしかできなかった。
幸多は、ただただ混乱している。
「なんであれ、九十五パーセントも幻魔ならば、滅ぼすべきでしょうな。それはもうほぼ幻魔だ。人類の敵であり、滅ぼすべき存在だ。そうでしょう」
「だが、幻魔でなければ、どうする」
「央都守護のためなれば、人類復興のためなれば、多少の犠牲には目を瞑ればいい」
「それは……そうだが」
「駄目だ」
戦団最高幹部の意見が一方に傾こうとした中、そう断じたのは、神威である。この場に集い、あるいは通信先からこの様子を見ている星将たちを見回す。
「それは、戦団の理念を根底から覆すやり方だ。あってはならない」
神威が断言すると、最高幹部たちも黙り込むしかなかった。
では、どうすればいいというのか、とは、誰もが思っただろうが。
そんな状況を知ってか知らずか、隔離室から通信が入った。
『誰がなんと言おうと、おれは幻魔だと思います』
「根拠はあるのか?」
『ありますよ』
統魔は、幻板越しに神威を見据えるようにして、告げた。
彼の真っ直ぐな眼差しには揺らぎようのない確信があり、幻魔への怒りと憎しみを越える冷静さがあった。
だから、というわけではないが、神威は、統魔の提案を聞き入れ、採用することにした。
それは一種の賭けであったが、しかし、ほかにやりようがないのもまた、どうしようもない事実だったからだ。
「本当に大丈夫かなあ」
幸多が思わずつぶやいたのは、夜空を翔る法機に跨がりながらのことだ。
美由理の飛行魔法によって真夜中の闇を切り裂くように飛翔する法機、その後部に跨がって、伊佐那家本邸へと向かっている。
頭上に煌めくのは満天の星々であり、宝石のように輝くそれらが夜の闇をわずかでも遠ざけようとするかのようだ。夜中だが、決して寒くはない。
夏だ。
「心配か?」
「当然じゃないですか。統魔ですよ、統魔。心配にならないわけないじゃないですか」
「しかし、彼だけが、どういうわけか本荘ルナの擁護者にならなかったのも事実だ。彼だけが、この状況を打開することが可能なのだ」
「自分としては、なにも間違ったことをいったつもりはなかったんですが……」
とは、義一。美由理に併走するように法機を駆る彼の表情からは、落胆が浮かび上がっていた。
それもそうだろう。
義一は、本荘ルナの能力を聞いていたのだ。本荘ルナに近づいた人間は、例外を除いて支配され、絶対的な擁護者になるのだ、と。
義一は、それはおそらく精神支配の一種であり、魔法に違いないと踏んだ。故に精神制御を試み、彼女に挑んだ。
精神制御は、魔法による精神支配に対抗する手段の一つである。高度な魔法技術であるそれは、導士ならば誰もが学ぶものではある。だが、魔法に得手不得手があるように、誰もが完璧に使えるものではなく、苦手とする導士も少なくなかった。
その点、義一は精神制御を得意とすることもあり、多少なりとも対抗できるのではないかと考えていたのだが、そうはならなかった。
義一が己の中の違和感に気づいたのは、本荘ルナと離れ離れになってからのことであり、自分の精神制御が全く通用しなかったことが判明したのもそのときだった。
それ故に落胆しているのだが、美由理は、それも仕方のないことだと考えていたし、落ち込む必要はないとも思っていた。
「本荘ルナに支配されると言うことは、そういうことなのだろう」
美由理は、眼下、戦団本部から発進した一台の輸送車両を見遣った。
遠く離れているからこそ影響下にはないが、近づけば、まず間違いなく美由理もその支配下に入ってしまうのだろうと考えられた。
その車両には、皆代統魔と本荘ルナが乗っているのだ。