第二十九話 天使の幻魔
「どうっていわれてもさ。これだけじゃあなんともいいようがないのよ」
戦務局作戦部情報官・計倉エリスは、眉根を寄せて、困惑を主張した。
卓上型万能演算機・天桜が空中に投影している幻板には、ある記録映像が映し出されていた。
英霊祭の夜、獣級幻魔リヴァイアサンが現れた際に確認された別種の幻魔である。天使のような姿をしたそれからは魔物的な印象は受けないが、人外の怪物であり、魔法を使ったという事実から幻魔であると断定されている。
人間以外の動植物が魔法を使うことは、ありえない。
記録映像を持ち込んできた当人であるところの皆代統魔はといえば、渋い顔で幻板を見据えていて、エリスの言い訳など聞きたくないとでもいわんばかりだ。
その記録映像は、統魔の視覚情報に基づく記憶を映像化したものであり、虚偽の記録などではなかった。だからこそ、拘りがあるのだろう。
作戦部は、戦務局において戦闘部と双璧をなす部署だ。作戦部と戦闘部の両輪がなければ、戦務局は成り立たない。作戦部だけでも駄目だし、当然、戦闘部だけでも機能しない。
だから、戦闘部と作戦部の間に隔たりを作らないように、風通しがよくなるように、最大限の配慮がなされていた。
例えば、戦闘部の導士に疑問があれば、即座に作戦部に問い質すことができたし、作戦部はその疑問に誠心誠意答えるように教育されていた。
もちろん、重要機密に関する質問には答える必要はないのだが。
そうした関係上、戦闘部の導士と作戦部の導士がなにかしらの話を持ち寄り、相談することは、ままあることだった。
戦闘部は、まさにその名の通り、幻魔や魔法犯罪者との戦いに全力を費やす部署である。戦うことだけに集中するため、情報収集など戦闘以外一切のことは他部署が支援することになっている。昔からそういう決まりであり、そのことに不満を漏らすものはいない。
戦闘部こそ、戦団の花形といっていい。
戦闘部の活躍があればこそ、他部署が活きるのだ。
裏を返せば、戦闘部の活躍は、他部署の全霊の支援があればこそ、ともいえるのであり、そのことを理解できていない戦闘部導士は、他部署導士に嫌われがちだ。
統魔は、そういう意味では、他部署や作戦部の導士に嫌われるほどのことはしていなかった。まず、他部署導士を見下すような発言は一切していないし、必要なとき以外に無茶な要求をするということがなかった。
「書庫を当たっても類似する幻魔が出てこなかったから、まず間違いなく新種の幻魔だろうけど、結局、わかったのはそれくらいなのよね」
計倉エリスが端末を操作しながら統魔に説明する。
統魔がその映像情報の解析及び情報収集を依頼してきたのは、英霊祭の翌日のことだった。
作戦部情報官の一人であるエリスとしては、戦闘部の超新星であり、戦団のみならず人類の希望といっても過言ではない統魔の依頼とあれば、すぐにでも対応したいところだった。
エリスは、橙色のショートヘアが特徴的な女性導士だ。戦団職員が身につける黒を基調とする制服を纏う長身は、同年代の男性にも引けを取らない。
そして彼女は、作戦部に所属する魔法不能者の一人である。
作戦部には、エリス以外にも多数の情報官がいて、戦団本部二階戦務局区にある作戦室内で、それぞれの仕事に当たっている。
戦闘部の各軍団や小隊と連絡を取ったり、他部局との交渉をしたり、各種情報の精査を行ったり、戦闘部導士の戦績を纏めたり、と、その業務は多岐に渡る。
幻魔に関する記録情報の更新も作戦部情報官の役割であり、そういう意味においては、統魔がエリスを頼ったのは正しい判断だった。
「そうですか。忙しい中、わざわざ手を貸して頂いたこと、感謝します」
統魔は、エリスに礼を述べると、未だ幻板に投影されたままの天使の姿を一瞥した。幻魔という禍々しい総称からは想像もつかないほどに美しい姿は、神々しくすらある。
「いいのよ、これくらい。またいつでも頼ってちょうだい。きみの頼みなら歓迎するわ」
エリスは安請け合いをするとともに片目を閉じて見せて、統魔の好感度を稼ごうとした。
統魔は愛想よく笑い返し、会釈をして、作戦室を後にした。
戦団本部本棟二階には、各部局が支配する区画が所狭しと並んでいる。互いの領有権を主張し合うようにしてぶつかり合っているのだ。
とはいえ、特段、険悪な関係性の部局というのは、戦団内には存在しないようだ。
部局同士、味方同士が足を引っ張り合うような組織では、央都は今日まで持たなかっただろうし、戦団も維持できなかったに違いない。
統魔が通路を歩いていると、正面の通路を上庄字が歩いてくる姿が見えた。彼女には情報局を当たってもらっていたのだ。
「こっちは駄目だったよ。まったく手がかりなしだと」
「そうでしたか。こちらも同じようなものです。天使の幻魔は、新種の幻魔である可能性が極めて高く、情報局も情報収集の必要性があると考えているようです」
「やはり、新種か」
統魔は、字の報告に呻いた。
なぜ、そのような判断が下されたのか、といえば、理由は簡単だ。
戦団は、莫大な量の過去の情報を記録として保管しており、そこにはいまや見る影もなくなった幻魔の情報の数々も克明に記されている。霊級から獣級、妖級幻魔は、確認されなくなった種を含め、膨大な数の記録があるのだ。
それら記録に合致しないということは、新種である可能性が極めて高い。
ただし、鬼級以上となれば話は別だ。
鬼級幻魔は、個体差が極めて大きく、外見がまったく同じ個体が存在しないという研究結果が出ている。
つまり、鬼級幻魔は、記録されていない全てが未知の新種といっても過言ではないのだ。
そして、戦団も、過去の人類も、全ての鬼級幻魔を把握しているわけではなかったし、把握できるはずもなかった。
あの天使の幻魔の等級も、現在は不明だ。リヴァイアサンを一蹴するだけの力を持っているということは、妖級上位に匹敵するかそれ以上の等級であることは間違いない。
ただし、竜級は、ありえない。
竜級は、その姿形そのものが等級の由来となっているからだ。
竜級幻魔は、竜の、ドラゴンの姿をしているのだ。
そして、存在するだけで周囲の環境に多大な影響を及ぼすほどの力を持っている。
よって、あの天使が竜級幻魔だということは万にひとつもなかった。
仮に竜級だったとすれば、万世橋周辺が、いや、葦原市自体にとてつもない被害が出ていただろうし、そもそも戦団は大巡邏など取りやめ、全現有戦力を投入したことだろう。
そこまでしても、撃退できるものかどうか。
竜級幻魔とは、それほどまでに絶対的な存在なのだ。
「天使のような鬼級幻魔の記録はありました。しかし、そうした鬼級幻魔とは明確に異なる点があります」
「人間を襲わなかったこと、だな」
「はい。鬼級幻魔は、幻魔の例に漏れず、人類の天敵であり、人間を殺すことに一切の躊躇がありません。文字通り殻に閉じ籠もっている間はなにもしてきませんが……」
「ここは、殻の外だ」
ここが人類にとっての殻の中である以上、鬼級幻魔にとっては殻の外になる。ならざるを得ない。であれば、鬼級幻魔が央都市民に手を出さない理由がない。
統魔が気になっていたのも、その一点だった。
天使のような外見などは、どうでもいいことだった。そんなことは、よくあることだ。幻魔の外見に整合性や理由を求めるのは間違いであり、考えるだけ無駄なのだ。
考えるべきは、どう倒し、どう滅ぼすかだ。
それだけでいい。
そしてそのためにこそ、天使の幻魔の行動規準を知っておく必要があるのではないかと思えたのだ。それが理解できれば、対処もしやすくなるのではないか。
あの夜、天使は、リヴァイアサンが滅びると、姿を消した。
地上の市民に一瞥をくれることもなく、統魔たち導士の存在を認識しながら黙殺し、あっという間に去ってしまった。
だから、統魔は、天使を攻撃することができなかった。
見逃してしまった。
そのことが、悔いとなって残っている。
もし、天使が幻魔災害となって央都市民に被害をもたらすようなことがあれば、その原因は、紛れもなく統魔になるのだ。
統魔は、幻魔災害の犠牲者を一人でも減らしたかったし、これ以上増やしたくはなかった。
「隊長、少し考えすぎではありませんか? 天使の幻魔が新種であれ、鬼級であれ、あのとき、わたしたちにはどうしようもなかったんですよ」
「……そうだな」
統魔は、字の気遣いに感謝しながら、彼女の言葉を肯定した。
だが、だからといって、それで犠牲者が増えるようなことがあってはならない。
天使を見逃した結果、多くの犠牲者が出るようなことがあれば、統魔は自分で自分を許せなくなる。
天使の幻魔に関して調べ回ったが、なんら為になるような情報はなかった、という話を統魔から聞かされて、幸多は困惑するほかなかった。
確かに幸多は、英霊祭の夜、天使の幻魔を見たという話を統魔にした。
リヴァイアサン討伐後、大巡邏は続行され、無事に終わった。
英霊祭は、ほぼ予定通りに終わり、大きな問題は起きなかった。
獣級幻魔リヴァイアサンの出現とそれに伴う多少の混乱は、問題として取り上げられることすらなかった。
実際、戦団導士たちによる討伐は速やかに行われ、リヴァイアサンの攻撃による負傷者は一人も出なかった。リヴァイアサンが大量の水を撒き散らしたせいでずぶ濡れになり、翌日風邪を引いた市民の一人や二人はいたかもしれないが、強いて言えば、それくらいのものだ。
むしろ、魔法犯罪による被害のほうが大きかった。
英霊祭ほど人が賑わえば、その浮かれ気分を隙と捉え、犯罪に手を染めるものも現れたとしてもおかしくはない。
魔法犯罪とは、魔法を用いた犯罪行為のことであり、そうした犯罪を犯したものは、魔法犯罪者として重罪に問われた。
魔法犯罪は、年々増えている――というのは、要するに央都の人口が増えているからにほかならなかったりする。
どれだけ魔法が法秩序によって規制され、制限され、管理されていようと、犯罪に用いるものは現れる。魔法犯罪を重罪とすることによって抑止効果を期待したが、それだけでなくせるものではなかったということだ。
とはいえ、央都の魔法犯罪率は、極めて低い部類といえるはずだった。
少なくとも、歴史上過去に存在した国々の魔法犯罪率とは比べものにならないくらいに低く、治安もよかった。
央都が過去の国々に比べて圧倒的に悪いといえるのは、今のこの時代だけだろう。
そんな最悪の時代にありながら最高に近い秩序の中に央都は存在し、幸多たち市民は生きている。それもこれも戦団が日夜幻魔や魔法犯罪者と戦ってくれているからだ。
だからこそ、幸多は、統魔の野放図さには少々心配になるのだ。
統魔は、幸多にならばどれだけ戦団内部の情報を漏らしても構わないと思っている節があった。
将来、幸多が戦団に入ることは確定事項であり、であれば問題ないだろう、とでも考えているのではないか。
そんな不安に駈られた幸多だったが、とはいえ、天使の幻魔に関する情報がなにひとつないことを知れたのは、悪いことばかりでもなかった。
天使の幻魔は、幸多と統魔以外に目撃者がいなかった。
誰もがリヴァイアサンに注目していたからであり、幻魔と戦団の戦いが激しかったからでもある。そして、天使の幻魔が遥か上空にいたからでもあった。
通常、地上から見えるものではない。
統魔はリヴァイアサンの頭上という高度にまで上昇したからこそ天使を捕捉できたのだし、幸多の場合は、超人的といってもいい視力があったからだ。
二人以外誰も知らない情報は、戦団内部では速やかに共有されたようだが、当然、外部には流されていない。
未確定情報を流し、市民を不安に陥れるほど、戦団も暇ではない。
だからこそ、情報の取り扱いには慎重になっているはずであり、そんなことを部外者に話していいものかと幸多がいえば、統魔は問題ないの一点張りだった。
「どした?」
幸多の嘆息が聞こえたのか、圭悟が話しかけてきた。
放課後、これからいままさに部活が始まるという時間だった。




