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第二百九十四話 大事件(四)

 一人膝を抱え、うずくっている少女。その外見的特徴は、この家の住人である本荘ほんじょうルナと一致した。

 腰まで伸びた長い黒髪に華奢な体つき、見に纏っているのは黒のワンピースで、すらりと伸びた手足が長身であることを示している。

「本荘ルナさん……だね?」

 問いながら、枝連しれんは、室内を見回した。広い室内には二人用の大きな寝台があり、寝室であることを伝えてくるのだが、その寝台に中年の男女が横たわっているという事実のほうがよほど衝撃的だった。意識が、そちらに集中する。

「どわっ!?」

 室内に飛び込んで来るなり大仰に驚き、引っ繰り返って尻餅しりもちをついたのは香織かおりだ。真っ先に寝台の上の異常事態に気づいたのだ。

「どうしたんです?」

「なにがあった?」

「隊長、あれを」

 枝連は、本荘ルナへの警戒を強めながら、統魔とうまに寝台の上に注目するよう促した。

 統魔は、誘導されるままに寝台に視線を移し、視界に飛び込んできた物体を理解して、動きを止めた。寝台の上に仰向けに横たわった中年の男女。その二人が本荘理助(りすけ)志乃しの夫妻であることは一目でわかった。確認した画像と一致しているからだ。

 二人は、微動だにしないどころか、呼吸もしていなかった。

 物体――そんな言葉が、統魔の脳裏のうりを過ぎった。

 もはや、ただの物体と成り果てた二人は、その顔に苦悶くもんの表情を浮かべていた。苦しかったのだろう。辛かったのだろう。凄まじい苦痛の末に死んでいったということがはっきりとわかるような、そんな表情。

「死んでるよ?」

「見りゃわかる」

「そうだけど、なんとも思わないわけ?」

「思わないわけないだろ」

 枝連と香織の言い合いを聞き流しながら、統魔は、本荘ルナに目を向けた。少女は、細い腕で抱え込んだ膝に顔を埋めたままだ。しかし、

「っちゃった……」

 本荘ルナのか細い声が統魔の耳に届いたものだから、彼は、思わず聞き返した。

「なんだって?」

「お父さんもお母さんも急に動かなくなっちゃったの……」

 本荘ルナが顔を上げた。情報局から送られてきた情報で確認した通り、整った顔立ちをした少女。翡翠色の瞳が濡れていて、まぶたが腫れ上がっているのは、ずっと泣いていたからだろうと想像させた。そこだけを素直に受け取れば、悲劇の少女なのだが。

 統魔は、警戒を怠らない。

「急に?」

「助けてよ……導士どうし様なんでしょ? 導士様なら、なんとかしてよ……」

 本荘ルナが統魔にすがるような目を向けてくるのだが、その真に迫った言動は全く演技に見えなかったし、彼女の本心そのもののように感じられた。統魔の心をえぐるような、そんな力がある。だが、統魔は、いうのだ。

「残念だが、導士といえども、死者を蘇らせることはできない」

「死者……!?」

 少女が目を見開き、絶句する。その反応からは、両親が死んだことをまるで認識していなかったように思えた。

「おれたちが出来るのは、精々、幻魔げんまを討ちほろぼすことくらいだ」

「幻魔? 幻魔なんてどこにいるのよ!? それよりもお父さんとお母さんをなんとかしてよ!?」

「きみが、幻魔なんだろう」

「はあ!?」

 本荘ルナは、統魔をにらえる。その目には怒りがにじんでいた。膝から手を放し、統魔に食ってかかる。

「いきなりなにを言い出すのよ!? わたしのどこが幻魔なの!? どこからどう見たって人間じゃない!」

「そうだな。だが、おれたちは知っているんだ。人間に擬態ぎたいし、央都おうとに暗躍する幻魔の存在を。人間の姿をして、人間のように振る舞い、悪意と混乱を撒き散らす幻魔がいることをな」

 統魔は、極めて冷ややかに告げた。

 戦団本部は、戦団に所属する全ての導士に〈七悪〉に関する情報を共有した。特別指定幻魔壱号ダークセラフこと鬼級幻魔サタンを首魁とする鬼級幻魔の勢力、それが〈七悪〉であり、虚空事変も天輪スキャンダルも〈七悪〉が引き起こしたことだということも、導士たちは知ることとなった。

 東雲貞子あずもていこという存在しない人間に擬態し、暗躍していた鬼級幻魔が存在するという驚くべき事実もだ。

 だからこそ、統魔は、本庄ルナに全力の警戒を向けるのだ。

「それがわたしだっていうの!?」

「ほかに考えようがない」

「なんで……!?」

「きみが殺したんじゃないのか」

「っ――!?」

 本荘ルナが声にならない声を上げたかと思うと、その全身から膨大な魔力が放出された。周囲の空間が歪むほどの魔力。並の人間のものではなかったし、瞬時に描き出される律像りつぞうも複雑極まりなく、幾重にも折り重なっていく有り様は、彼女がただの人間ではないことを周知させるかのようだった。

「おいおい……」

「まじで幻魔じゃん!」

「そんなこと、わかっていたでしょ!」

「そうですね。ほかに考えようがありませんし」

 皆代みなしろ小隊の面々は、極めて冷静に状況を見ていた。

 本荘ルナがゆらりと立ち上がれば、その膨大な魔力に押し上げられるようにして長い髪が舞い上がり、逆立っていく。ワンピースの裾がわずかに捲り上がり、細長い足の付け根まで見えそうになったが、そんなことは些細な問題だった。

 爆発的に膨れ上がる魔力が、統魔たちの警戒心を一瞬にして最大にまで振り切らせるとともに、少女の両目が翡翠色から赤黒く変色するのを見逃させなかった。紅く黒く輝く双眸そうぼうが、彼女が人外の怪物であることを宣言するかのようであったが、変化はそれだけでは留まらなかった。

 黒一色だった頭髪に朱が混じれば、身につけていた黒いワンピースが変形し、華奢な体と溶け合うようにして、艶やかな黒衣となった。胸元や腰回りが露わになった際どい衣。転身機の作動によって置き換わったわけではない。変化、返信である。

 さらに、頭上に黒い輪が出現するとともに、背後には巨大な花弁を集めたような黒い光背が生じていた。

 まさに幻魔だ。

 幻魔としか言いようのない変化だと統魔は認識し、同時に距離を取ろうとして、ここが屋内だと気づき、舌打ちした。

 幻魔との戦いは、動き回れる範囲が限定される屋内よりも、広大な屋外のほうがいい。

『現時刻を以て、魔素異常を幻魔災害と断定。皆代小隊は、即刻、当該幻魔の討伐任務に当たってください』

 通信機から聞こえてきた情報官からの指示とともに、けたたましく警報が鳴り響いた。そこかしこから鳴り響く警報の数々は、皆代小隊の携帯端末からではなく、この家に設置された警報器や端末などから発せられたものだった。幾重にも響き、静寂をかき乱し、破壊していく。

「うるさいっ!」

 本荘ルナが叫んだ瞬間、音が消えた。

(えっ?)

 四方八方から聞こえていた警報音が余韻もなく消え去っただけではなく、異様なほどの静寂が、統魔の意識を飲み込み、塗り潰していく。

「わたしは、幻魔なんかじゃない!」

 彼女は叫び、統魔たちを睨んだ。その双眸からは赤黒い光が漏れていて、それが幻魔であることを証明しているのだが、しかし、統魔は、妙な違和感を覚えずにはいられなかった。

(なんだ?)

 統魔は、違和感の正体を探らなければならないのではないか、と、考えてしまっている自分に気づき、苦い顔をした。目の前に幻魔がいて、それもかなり凶悪な力を持っていることは明白なのだ。

 幻魔は、その等級が上がるごとに人間に近づき、上がりきると人間から遠ざかるという性質がある、とされている。

 霊級に類別される幻魔は人間から最も遠い姿態をしているが、鬼級おにきゅうに類別されるほどの幻魔となれば極めて人間に近い姿態になる。だが、鬼級よりも遥かに強大な力を持つ竜級りゅうきゅう幻魔は、人間からかけ離れた姿態をしているのだ。

 では、彼女は、どうか。

 一見、本荘ルナと変わらぬ容姿の幻魔は、人間に酷似しているといっていい。彼女自身が発する圧倒的な魔力からも、並の幻魔ではないことは明らかだった。

「鬼級――」

「幻魔じゃないっていってるでしょ!」

 少女の姿をした幻魔の叫び声が、統魔の声を掻き消していく。

 統魔は、無論、そんなことで怖じ気づくわけもなければ、行動を取り止めるわけもなかった。幻魔との距離を測りながら、その行動を予測し、さらに魔法を想像する。幻魔を打ちのめすための最大威力の魔法。

(いや……)

 室内に本荘夫妻の亡骸なきがらがあることを思い出して、考え方を変える。この場で戦えば、遺体を損壊する恐れがあるからだ。

 本荘夫妻は、この本荘ルナの姿をした幻魔に命を奪われたか、なんらかの影響によって命を落としたに違いない。幻魔が発する魔力の影響、あるいは、幻魔の特異な能力の。

 たとえば、そう――。

「そうだよ、この子は幻魔じゃない」

「幻魔じゃないのに攻撃するのは、団則違反だよ、たいちょ!」

「そうだぜ、隊長。冷静になれ」

「隊長、ここは杖を収めて、話し合うべきです。なにか、大きな勘違いをしているんですよ、きっと」

 つるぎ、香織、枝連、あざなの四人が、統魔と幻魔の間に立ちはだかったかと思えば、予期せぬことをいってきたものだから、統魔は、わずかに混乱した。

「なにを……いっているんだ?」

 統魔は、はっとした。 

 四人が、一瞬にして精神支配されたのではないか。


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