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第二百九十二話 大事件(二)

「あれがくだん幻魔げんまか」

 美由理みゆり幻板げんばんに映し出された少女を見つめながら、イリアに聞いた。

 少女。

 一見すると人間そのものであり、十代半ばの少女がなんらかのキャラクターのコスチュームを身に着けているような、そんな印象すらあった。床に垂れるほどに長く艶やかな黒髪に朱が混じっているのも、そう感じさせる一因だろう。

 髪とは対照的に白く透き通るような肌に、困惑を隠せない表情を浮かべた容貌は可憐といっていいだろう。目は大きく、虹彩こうさいは幻魔のように赤く黒い。だが、その赤黒さは、幻魔のそれほど暗くはなく、むしろ明るいくらいだ。

 身長は座り込んでいるためよくわからないが、豊かな胸と細い腰を見せつけるかのような際どい黒衣を身につけている。黒い輪を頭上に浮かべていて、背後には漆黒の花弁が無数に集まって出来たような装飾品が浮かんでいる。もっとも、それが人間と幻魔を判別できるものなのかといえば、そういうわけでもない。浮遊装飾フロートレットなどと呼ばれる装飾品があり、それを用いれば、彼女のような格好をすることも不可能ではないからだ。

 それになにより、少女の態度からは、悪意や敵意、殺意のようなものを微塵も感じられないというのが、幸多こうたが感じた率直な第一印象だった。

 少女は、ただ縮こまり、助けを求めるように視線を巡らせている。まるで小動物だ。

 少女が幻魔ならば、おそらくは鬼級おにきゅうだろう、と、考えられる。

 人間に極めて酷似した姿である以上、そうとしか考えられない。

 であれば、彼女のように振る舞う理由がない。あの空間内にいる人間を瞬時に鏖殺おうさつできるし、しない理由がなかった。

 戦団に確保されている理由もだ。

「ええ。つい二時間ほど前、皆代みなしろ小隊が確保し、戦団本部へと移送してきたのよ」

統魔とうまが?」

「あそこにいるでしょう」

 幸多の疑問に答えるように、イリアが幻板を示す。

 幸多は少女に気を取られ、気づかなかったが、確かに、巨大幻板に映し出された空間には、少女以外にも複数の人影が有ったのだ。

 統魔以外には、麒麟寺蒼秀きりんじそうしゅうを始めとする第九軍団有数の導士たち、副長と六名の杖長が少女の周囲を取り囲んでいる。相当な戦力だが、相手が鬼級幻魔であることを踏まえた場合、少なすぎるのではないか、と、思わなくもない。

 鬼級幻魔には、星将三人以上をぶつけるのが戦団の戦い方だ。

「しかし……よくもまあ捕獲できたものだな」

「ものは言い様よね。捕獲もなにもあったものじゃなかったのよ」

「どういうことだ?」

 美由理は、イリアの含みの有る言い方に怪訝な顔になった。

 それは、幸多も義一ぎいちも同じだった。

「なにがあったのかな?」

「さあ……」

 義一が首を傾げながら、幻板を見遣みやる。

 おそらく、この場にいる全員が同じ感想を抱いているのではないか。

 そんな風に感じるのは、あまりにも現実味のない状況だからだ。

「鬼級幻魔相当……だな。現状、鬼級幻魔と断定できてはいない。なにせ、あれは己を幻魔と認めていないのだ」

 とは、神木神威こうぎかむいである。戦団総長は、難しい顔で幻板の向こう側の少女をにらみ据えていた。隻眼であり、眼帯をしていることもあって、より厳しい面構えに見える。

「幻魔と認めていない?」

「ええ、そうなのよ。困ったことにね」

『――だから何度もいっているでしょ! わたしは幻魔じゃないの! 人間なんだってば! それを調べるためにここに連れてきたんじゃないの!?』

 不意に室内に飛び込んできたのは、少女の叫び声のようだった。それは心からの嘆きのようであり、幸多の胸に突き刺さるように響く。

「と、いう感じでね。彼女は、人間を自称しているんだよ。だから皆代小隊との間でも戦闘は起きなかったんだろうね」

 妻鹿愛めがめぐみは、手元の端末を操作して、幻板を出力した。それを手で触れ、美由理たちに寄越す。空中を滑るように移動してきた幻板を受け取った美由理は、幸多と義一に目配せし、そこに映し出された記録映像に意識を向けた。

 記録映像は、当該幻魔の捕獲に関するものである。



 魔暦まれき二百二十二年七月二十八日。

 戦団本部に皆代小隊の五人が勢揃いしたのは、午後四時も大きく回った時刻のことだった。

 その日、皆代小隊は、夜間の巡回任務に当たることになっていた。

 夜間とは、午後五時から午前一時までの八時間のことを指す。巡回任務に限らず、央都おうと守護の通常任務は八時間ごとの三交代制なのだ。

「弟くん、復帰したばかりなのに任務についたって本当なんです?」

 合流するなり新野辺香織しのべかおりが呆れるような顔をしたのは、幸多に対してなのか、幸多に任務を与えた戦団に対してなのか。おそらくはその両方だろう。

 幸多は、一週間もの間、意識不明の重体だったのだ。目覚めたのはつい昨日のことであり、翌日には新たな任務を与えられるなど、普通、考えられないことだ。

 しかし、統魔には、理解も納得も出来たし、それくらいのことをしなければならないとも思っていた。

「あいつは頑丈だからな。問題ないさ」

 それに、と、統魔は、まだまだ明るい空を仰ぎ見ながら、いった。

「任務といっても、訓練みたいなものだからな」

「星将直々に指導してくれる合宿だってな」

うらやましいことこの上ないね」

「ほほう、あたしの直々の指導は良くない、と?」

「星将に比べれば、ね」

「星将とあたしが月とすっぽんだといいたいのかね、きみは!」

「そこまでいってない!」

 逃げ惑う高御座剣たかみくらつるぎと追い回す香織という、いつもの構図を眺めながら、六甲枝連ろっこうしれんが肩をすくめた。

「元気が有り余ってるな」

「いつものことですよ」

 上庄字かみしょうあざなが微笑し、視線を統魔に向けた。統魔の表情一つとっても、昨日までとは段違いだった。

 統魔は、空から落ちてきた幸多を抱き留めてからというもの、任務中であろうとも心ここに在らずといった様子だった。幸多は、彼にとって最愛の弟である。そんな弟が意識不明の重体だったのだから、統魔が不安定になるのも無理からぬことだったし、そんな統魔だからこそ、字はなんとしても支え続けようと想っていた。

 統魔の幸多への膨大な愛情は、統魔自身が内包する情の深さ、思い遣りの大きさに由来するものであり、それが自分たちにも向けられていることは、多々、実感するところでもあるからだ。

 だからだ。

 字だけでなく、皆代小隊の全員が彼が元気になったことを感じ取っていたし、喜んでもいた。

「さて、その有り余った元気がなくならない間に準備を済ませるとしようか」

 統魔は、香織の首根っこを捕まえると、剣と枝連に目配せをした。

 

 皆代小隊が巡回任務を行うことになっているのは、葦原市南海区河岸町あしはらしなんかいくかわぎしちょうである。

 河岸町という町名は、未来河みらいがわの岸辺に位置しているということに由来する。

 未来河は、葦原市を北東から南西へ、わずかに蛇行しながら流れている大河であり、その岸辺といえば、葦原市内各所に点在するのだが。

 とはいえ、ほかに良い町名が思い浮かばなかったという事情もあり、河岸町に決まったという経緯がある。

 そんな河岸町は、南海区の北西部に位置している。

 南海区には、河岸町を含め、三つの町がある。南海区北東に位置する大国おおぐに町、南海区南部一帯の海辺うみのべ町である。そして、海辺町の南の海上には、人工島があり、そこに葦原市海上総合運動競技場があることは有名だろう。

 そんな南海区の一角、河岸町の隅々まで巡回するのが皆代小隊の今日の任務だ。

 午後六時、法機ほうきに跨がって空を飛び、現地に到着した五人は、それぞれに法機を転送することで手ぶらになると、普段通りの隊形を取った。

 最前列を行くのは、いつだって、香織である。彼女は剣を連れ立って小隊の先鋒を務めようとする。剣は香織に振り回されているだけで、そんな剣を不憫に思ってか、枝連が後に続く。

 最後尾を行くのが、統魔と字だ。

 夕焼けが、空を赤々と燃え上がらせていた。風は熱を帯び、気温もまだまだ高かった。

 夏休みを目前に控えているからなのか、道行く人々、中でも学生たちの活気たるや強烈なものがあった。央都市民の大半は、巡回任務の邪魔にならないように配慮しつつも声援を送ってきたりするものだが、元気の有り余った学生たちは、統魔を発見するなり大声を上げて人を呼び集めたりした。

 戦団の超新星、皆代統魔がここにいるぞ、と、いわんばかりの大声には、さすがの統魔も辟易へきえきしないではないが、もはや慣れたことでもあった。

 統魔が人目を引くようになって久しい。

 導士どうしは、人気商売でもある。

 声援には出来る限り笑顔で応えるべきだ、というのが、戦団総務局広報部からの通達であり、戦団の方針でもある。

 戦団は、央都の実質的な支配者である。傲然ごうぜんと振る舞うことも不可能ではないはずだが、戦団上層部はそのような態度を取ることを望まず、市民と分かり合い、手を取り合うことこそが央都の将来にとって重要であると見ていた。

 そのような戦団上層部の方針に基づく広報活動が功を奏したのだろう。

 央都市民は、戦団の導士に尊崇そんすうと敬愛、親しみを込めた眼差しを向け、声援を送ってくれている。

 戦団があればこその央都なのだから、ある意味では当然なのだろうが。

 そんな人々の様々な応援を受けながら、河岸町の町中を歩いて行く。

 巡回任務は、幻魔災害の発生が確認された場合、速やかに対応するためであるのと同時に、魔法犯罪に対する抑止効果を期待されてもいた。

 かつて、誰もが当然のように魔法を使えるようなると、魔法を用いた犯罪行為も増大した。魔法犯罪と一括りにされるそれらの犯罪行為には、魔法を用いない犯罪よりも極めて厳しい罰が下されるようになったが、それだけでは魔法犯罪を根絶することはできなかった。

 どれだけ罰則を重くしようとも、人が罪を犯さなくなるようなことはない。

 だからこそ、戦団も央都政庁も、魔法犯罪対策にも力を入れなければならなかったし、導士も、魔法犯罪者を相手に戦うことを想定した訓練を行っているのだが。

「最近、めっきり減ったよねえ、魔法犯罪」

「そういえば、あまり聞かないかも」

「一時期、大量の指輪が消失した事件があったが、あれもいつの間にか解決していたな」

「あれ、魔法犯罪だったの?」

「どうかな? 被害者たちが気がついたときには、本来在るべき場所にあったという話だが……」

 などと、他愛のない日常会話が繰り広げられているときだった。

『皆代小隊に通達。現在の進行方向、左手の住宅街に魔素異常を検知しました。現地に急行し、速やかに対応してください』

 作戦部情報官の事務的とも言えるほどに冷静な声が、統魔の通信機越しに聞こえた。



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