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第二十八話 総長と副総長

 神木神威こうぎかむいは、獣級幻魔じゅうきゅうげんまリヴァイアサンがすみやかに討伐されていく様子を見届けると、杯に酒を注いだ。

 もはや酒精分も意味を為さない体ではあるが、しかし、飲まずにはいられない夜というものもある。

 人間とは難儀な生き物だ、と、彼は思う。

 思うのだが、だからどうしよう、などとは考えない。

 人間である以上、人間の性分に従うほかなかった。

 人間で在り続けるために。

 神木神威は、戦団総長せんだんそうちょうである。

 戦団の頂点に君臨し、戦団に所属するすべての人間を、すべての導士どうしを支配する存在、それが総長だ。大星将だいせいしょうとも呼ばれるが、正式なものではない。正式には、彼も星将の一人に過ぎない。

 彼は、漆黒の導衣どういを身につけたまま、一人、英霊祭えいれいさいの空気に酔っていた。酒には酔えなくとも、この空気に酔うことならばできようというものだ。

 央都おうと葦原市あしはらし中津区なかつく旭町あさひちょう桜台さくらだい

 桜台には、万年桜という年中咲き誇る桜の木が植えられており、その桜の木の下に彼はいる。

 桜台は、例年通り、英霊祭に巻き込まれておらず、故に人気がなかった。彼以外だれもいないといっても過言ではない。屋台もなければ、大巡邏だいじゅんらの順路にもはいっていないのだから、当然だろう。

 まさか桜台で待っていれば神威と逢えるかもしれない、などと考えるものがいるわけもなかった。

 そして、人っ子一人いないからこそ、彼は、万年桜の根元でたった一人の宴を開くことが出来るのだ。

 もし他人の目があれば、このような真似はしなかっただろう。

「まったく心配する必要はなかった、とでもいうような様子ですね」

「それはそうだろう」

 どこからともなく話しかけてきた相手に対し、神威はにべもなくいった。

「あの程度の幻魔相手に苦戦するようでは、央都の未来は不安だらけだぞ」

「ええ、そうですね。その通りです」

 穏やかに肯定したのは、伊佐那麒麟いざなきりんである。彼女も導衣を身につけたまま、たった一人で桜台を訪れていた。

 神威の晩酌を邪魔させたくないという意図があったのかどうか。

「閣下がお酒を飲むなんて、めずらしいこともあるもの」

「こういうときにその呼び方は止めろ。おれも伊佐那麒麟と呼ぶぞ」

「結構ですよ、どうぞ、お呼びください。伊佐那麒麟と」

「むう……」

 神威は、麒麟の気の強さに舌を巻く思いがした。いつものことだ。いつもそうだった。彼女は昔から気が強かった。強すぎるほどの気の強さは、親譲りなどではあるまい。彼女の親がどのような人物なのかは知らないし、興味もないが、少なくとも彼女とはまったく乖離かいりした性格の持ち主であることは疑いようがなかった。

 伊佐那麒麟は、戦団で最も気が強い人物なのだから。

「強すぎる」

「なにがでしょう」

「きみがだよ」

「そうですか」

 伊佐那麒麟は、微笑しながら神威に歩み寄り、万年桜を見上げた。膨大な桜の花が咲き誇り、月の光に照らされ、輝いているようにすら見えた。

 季節など、忘れ去ったかのようだ。

 魔法の発明は、様々な分野に多大な影響を及ぼしだ。あらゆる技術が魔法との融合によって進歩し発展していった。植物もそうして誕生した魔法技術の毒牙にかかり、度重なる品種改良によって、様々に新たな種が誕生したという。

 万年桜は、そうした品種改良の末の新種であり、十年前に誕生したばかりだった。

 それまで桜台は、春に桜が咲き乱れる公園でしかなかったのだ。

 とはいえ、それでも神威や麒麟にとって、特別な意味のある場所だという事実に変わりはない。

「きみは強い人間だ。おれもきみのようになりたいとなんど思ったことか。きみがいればこそ、おれたちは諦めず、前を進んでこられた」

「なにをおっしゃいますか。あなたこそ、強い人でしょうに」

「おれは、強くないよ。酒に溺れたくなるときがあるほどだ」

「でも、どうせ酔えない」

「それに困っている」

 心底困り果てているといった様子の神威の言葉には、麒麟も口に手を当てて笑った。

 神威は、体質的に酔えないのだ。どれだけ酒精分の濃い酒を飲んでも、瞬時に、完璧に分解してしまう。そういう体質だった。だから、普段は酒を飲まない。飲んでも酔えないのならば意味がないと考えているからだ。

 いま彼が酒を飲んでいるのは、雰囲気に酔っているだけであり、そのための一要素として、酒と杯が必要だったのだろう。

 彼の周囲には、酒瓶が何本も空になって横たわっている。それだけ飲んでも一切酔っていないのだから、彼の特異体質は筋金入りといっていい。

「サードファクターにでも認定してもらいましょうか」

「それはいい」

 朗らかに笑う神威だったが、その笑顔は、遠い過去のもののように現実感がなかった。

「それはいいな」

「本当に良いと思っていらっしゃいます?」

「思っているさ。思っているとも。きみのいうことはなんだって素晴らしい」

「まさか、本当に酔ってる?」

「だとしたら最高なんだがな」

 彼は、興醒めしたようにいった。遠い過去の笑顔も消えている。

「酔えない」

「それは……可哀想」

「だが、それでいい」

 神威は、杯を足下に置くと、立ち上がった。ゆるりとその場から離れ、麒麟に並ぶ。

「五十年だ。五十年」

「五十年……」

 麒麟は、神威の言葉を反芻するようにつぶやき、その言葉に込められた感情に想いを馳せる。

 戦団と央都が誕生して、およそ五十年。

 この五十年、様々な、それこそ数え切れないほどの困難があり、苦悩があった。そのことを想えば、彼が英霊祭に浸り、酔いたがるのわからないことではなかった。

「なあ、リンよ」

 神威が麒麟をそう呼ぶと、彼女はなんだかこの上なく若返った気分になった。

「おれたちは、良くやった……よな?」

「ええ、もちろん。良くやったわ、あなたもわたしたちも、皆、良くやってきたのよ。それだけはだれにも否定できないわ」

 力強く、断言する。

 誰にも否定させないし、反論一つ許さないという決然たる意志が、彼女の言葉には込められていた。

 多くの犠牲を払い、手に入れた大地。そこは夢にまで見た楽園とはかけ離れた地獄のような世界だったが、しかし、その地獄を切り開いてきたからこそ、今があるのだ。

 もしあのとき諦めていれば、こうはなっていなかっただろう。少なくとも数十年の後退は余儀なくされたはずだ。

さくら凌吾りょうご瑠璃香るりか天治てんじ魁斗かいと雪広ゆきひろ……皆、死んだ。死んでしまった。失ってしまった。なのにおれは生きている。今日も、明日も、生きていく」

 悔恨かいこんとともに彼が上げた名前は、戦団創設以前の、地上奪還部隊だったときの主要人員だ。

 あさひ桜、大国おおぐに凌吾、かなえ瑠璃香、篠原しのはら天治、中津なかつ魁斗、一色いっしき雪広。

 彼らの名前は、葦原市の地名となって残されている。

 それらは忘れてはならないものだからだ。

 地上奪還のために払った大いなる犠牲であり、この央都の平穏の礎となったものたち。

 英霊、と、戦団はいう。

 そう呼ぶように仕向けたのは、神威でも麒麟でもない。

「そうよ、あなたは生きていかなければならないわ。それがあなたの約束なんだから」

「……手厳しいな」

「もしかして甘えたいの?」

「まさか」

 神威は、麒麟の冗談を一笑に付した。

「おれの戦いは終わってはいない。おれは死ねない。死ぬわけにはいかない。だから、甘えるわけにはいかない」

 神威のその決意表明は、いまこのときに行われたものではない。

 ずっと昔、それこそ五十年近くも前に行われたものであり、それは麒麟の記憶にもしっかりと刻まれていた。

 忘れられることのない、魂の絶叫。

 慟哭どうこくといってもいい。

 彼の嘆きが、今も心の奥深くに渦巻いている。

 この五十年、衰えるどころか、勢いを増し続けている。

 それは、この地に大いなる安寧が訪れるまで絶えることはないのだろう。

「それまで、桜たちには待っていてもらうさ」

「桜さんも、皆も、わかってくれるよ、きっと」

 麒麟の脳裏には、桜の最期が過った。旭桜は、今際の際、断末魔の言葉すら残すことが許されず、死んでいったのだ。

 そして、その死がもたらしたものは、今も絶えず、神威を苦しめている。

 その圧倒的な事実が、麒麟に言葉をなくさせた。

「だと、いいな」

 神威は、そういうと、ふっと笑って指を鳴らした。

 すると、一陣の風が吹いて、彼が散らかしていた酒瓶や杯の類をかっ攫っていった。

「まったく、首輪ちゃんたちったら」

 麒麟も、彼らの気遣いに苦笑するほかなかった。

 総長特務親衛隊は、神威と麒麟の逢瀬おうせを邪魔しないよう、聞き耳すら立てないようにしていたに違いなかった。




「お帰り、ドミニオン。何事もなかったようだね」

 ロストエデンに辿り着けば、限りない光が彼を待ち受けていた。

 遙か高空の浮島は、夜の闇を吹き飛ばすほどの光に満ちている。頭上の満天の星々、月の光すらも、彼の光の前には無力ならざるを得ない。

 しかし、それほどの光も、地上には届かなかった。

 そんなことになれば、ロストエデンの存在が露見ろけんするのだから当然だろう。

 ここは、秘されていなければならない。

 この天使たちの楽園は、その役目の時まで現れてはならないのだ。

「しかし、こんなことになんの意味が?」

「さて。あるのか、ないのか」

 ドミニオンの疑問に対し、ルシフェルは視線を移す。ロストエデンの、崩壊した神殿のような有り様の一角を見遣れば、そこにもう一人の天使がいることがわかる。

 無数の指輪を山のように積み上げ、それをじっと眺める男性形の天使。翼は三対六枚あり、その時点でドミニオンとの力量差は明らかだ。そして、天使の象徴たる光輪はといえば、その右手薬指にある。極めて特異に思えるが、天使とは得てしてそういうものだ。

 白銀の天使。

 ルシフェルを黄金に例えれば、彼はそうなるだろう。

 まるでルシフェルの対を成すようにして、彼はこのロストエデンに存在している。

 彼は、薬指の光輪と、積み上げた指輪を一つずつ見比べているようだった。その虚ろなまなざしは、なにもかもを遠い過去に置き忘れてきたような、そんな印象すらあった。

「どうなんだい、メタトロン」

「なかった……」

「ん?」

「どこにもなかった」

 メタトロンと呼ばれた大天使は、両手で大量の指輪を掬い上げ、頭上に放り投げた。ばらばらに散らばった指輪が、光になって弾けて消える。

「そうか……」

 ルシフェルは、メタトロンの要領を得ない言動に対し、すべてを諦めたような顔をドミニオン向けた。

「だそうだ」

「わかった」

 ドミニオンには、そういうほかない。

 結局、なにもわからないことがわかったのだ。

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