第二百八十六話 合宿(五)
武器を投擲することによる牽制は、一先ず、成功したと考えて良さそうだった。
二十二式両刃剣・斬魔は、幸多の目論見通りに美由理の行動を妨害し、幸多に意識を割かせることができている。
少なくとも、幸多にはそう見えた。
美由理は、六人との距離を突き放すように移動しつつ、律像を形成している。見るも鮮やかな魔法の設計図は、さすが星将としかいいようのないものだが、それで怯む幸多たちではない。
「双閃」
幸多は、白式武器を召喚するとともに両手で掴み取った短刀を立て続けに投げつけた。美由理の移動先を予測しての投擲。一投目は外れ、二投目は簡易魔法によって防がれる。
その瞬間、隆司の真言が響き渡った。
「紅飛光!」
紅い光の塊が数多と降り注ぎ、着弾と同時に炸裂して眩むばかりの閃光を撒き散らした。直撃は、していない。頭上に展開した魔法の盾が美由理を護ったからだ。だが、散乱する光の中から美由理が飛び出せば、待ってましたといわんばかりに朝子の魔法が炸裂する。
「影達の響宴!」
数多の光が生み出した美由理の影、その無数の影から出現したいくつもの闇の手が美由理へと殺到し、絡みつこうとする。闇の手は、まるでそれぞれが異なる意思を持つかのように動き回り、多彩な軌道を描いた。
美由理は、それら闇の手に対し、簡易魔法の大盾を発動することで凌ごうとした。が、魔法の盾そのものが闇の手に絡みつかれ、奪い取られてしまったものだから、わずかな隙が出来た。
その隙を見逃す幸多ではない。
立て続けに召喚しておいた双閃を連続的に投げつけることで美由理の注意をさらに分散させ、美由理がその場から超高速で飛び離れるのを見た。
美由理の跳躍は、一瞬で地上十メートル超の高度へと至り、そして、その場で身動きひとつ取れなくなった。
「星将美由理、捉えたり!」
上空に設置していた拘束魔法の成果を目の当たりにした友美が、嬉しさの余りに叫んでいた。全ては、幸多の想定通りの状況である。
「こんなもの――」
美由理は、簡易魔法でもって拘束を打開しようとしたが、眼下から飛来した短刀を肩や右足に喰らい、阻止された。そして、
「崩轟撃!」
黒乃の真言がその破壊的な魔法の発動を宣言し、膨大な魔力がその全身から解き放たれた。魔法は、美由理の現在地点に発動する。破壊的な魔力の奔流が渦を巻き、爆発的に膨れ上がって全てを飲み込んでいく――はずだった。
しかし、幸多は、その瞬間を目の当たりにしていた。
「千六百壱式・月黄泉」
美由理が破壊の渦に飲まれる寸前、幸多の聴覚は、確かにその真言の発声を捉えていた。
それは、美由理の星象現界が発動することを意味する。
そして、その直後、美由理の背後に莫大な光が生じ、円環を成した。円環の中に白銀の光が満ちると、それはまるで満月のそのものとなり、さらに煌めきを増した。
幻想的かつ神秘的な白銀の満月。
その光が照らし出すのは、この幻想空間上に存在する魔素であり、魔力であり、魔法である。そして、照らし出されたものは全て、静止した。
対象外となるのは、月黄泉の発動者たる美由理と、完全無能者の幸多だけだ。
ただし、幸多はいま、完全無能者でありながら、魔素をその身に宿しているという極めて半端な状態だった。
だからだろう。
月黄泉の発動とともに幸多の視界が大きく欠け、左腕が全く動かなくなってしまった。義眼と義肢には、魔素が満ちている。それだけで、全身がまともに機能しなくなるというのは、想定外も想定外だった。
いや、そもそも、美由理が星象現界を使ってきたことそれ自体が想定外なのだが。
幸多は、美由理が悠然とした様子で魔法の拘束から解き放たれていく様を見届けるしかなかった。
時間が静止した空間。
魔素も、魔力も、魔法も、全てがその動きを止め、力を失っている世界。
白銀の満月を背負う美由理だけが、この時間の止まった世界を自由自在に動き回ることが出来るのだ。
氷の女帝。
幸多は、美由理の二つ名を思い浮かべるのとともに、その脳裏にいくつかの光景を過らせていた。
美由理の背後に輝く白銀の満月。
虚空事変の時に限らず、何度か見た記憶があった。
一度目は、そう、美由理と初めて出逢ったときのことだ。
天燎高校の入学式当日、登校中に幻魔災害に遭遇した幸多は、獣級幻魔ガルムと格闘した。危うくガルムの炎に灼き尽くされようとしたとき、幸運にも美由理が助けてくれたのだが、その直前、白銀の月を確かに見たのだ。
さらに対抗戦決勝大会閉会式において、大量の幻魔が現出するという事件があった。そのときも、美由理によって数多くの幻魔が氷漬けにされたのだが、その直前、幸多は白銀の月が煌めくのを目の当たりにしている。
そして、幸多が戦団に入った直後、美由理直々に実力を測るため、導士たちと訓練を行った。その最後、幸多は、美由理と直接対決を行い、力の差を見せつけられたのが、その際にも美由理は月黄泉を使っていたようだった。
幸多の脳内を駆け巡るいくつもの映像に現在の光景が重なっていく。
拘束を脱した美由理は、瞬時に地上に降り立つと、月黄泉の影響下にある導士たちを見回した。
菖蒲坂隆司は次の手を打つべく律像を形成しており、その精度の高さは優れた才能を窺わせるものだ。
金田朝子は、美由理の影から生み出した闇の手を制御するために意識を集中しているようであり、隙だらけの彼女を護るために九十九真白が魔法の防壁を構築していた。幾重にも積み重ねられた魔法の壁は、簡単には突き崩せまい。
金田友美は、先程美由理を拘束した補型魔法の制御に全力を尽くしており、こちらにも真白の防型魔法が強力な魔法壁となって包み込んでいる。
九十九黒乃は、いままさに大威力の魔法を解き放ったところ、といった様子だ。当然、隙だらけだった。が、彼も真白の魔法に護られている。
九十九真白は、広範囲に分散した仲間たちに対し、それぞれに強力な魔法の防壁を構築し、維持しており、自分自身は大きく後方に下がっていた。美由理の攻撃の対象とならないように、だろう。
そして、皆代幸多。
本来ならば月黄泉の対象にならず、ある程度自由に動き回れるはずの彼は、義肢と義眼に含まれる魔素の影響で行動不能に陥っているようだった。
だから、だろう。
幸多は、右手の短刀で左前腕を切り落とすと、右眼を抉り取り、地を蹴った。一瞬にして、美由理の眼前へと迫る。
(まったく――)
美由理は、我が身を省みないことに定評のある弟子の果断さには、内心、呆れるよりほかなかった。左腕と右眼の傷口から血を噴き出しながら肉迫する幸多の姿は、まるで鬼のようだった。
だが、いや、だからこそ、美由理は、相手にしない。
左に大きく飛んで距離を離し、同時に月黄泉を解除する。
制止した時間が動き出した瞬間、美由理は、一言、告げた。
「真絶零」
瞬間、九十九兄弟、金田姉妹、菖蒲坂隆司の五人が巨大な氷の檻に閉じ込められるとともに、莫大な冷気が幻想空間を満たした。そして、無数の氷塊が氷の檻に殺到し、閉じ込めた対象ごと木っ端微塵に破壊し尽くしていく。
あっという間に、戦況は変わった。
後は、重傷極まりない幸多ただ一人であり、美由理は、遠慮なく距離を引き離しながら、魔法弾を連射した。
幸多は、時間静止中には感じなかった激痛に襲われたがためにまともに戦うこともできなくなり、最初は躱せていた魔法弾を徐々に喰らうようになっていった。ついには直撃を受け、幻想体が崩壊する憂き目に遭ったのだった。
かくして、四戦目もまた、美由理の勝利で終わった。




