第二百八十話 天燎の後先
「まだ黙秘を続けているようだな」
上庄諱は、幻板に流れる情報を目で追いながら、執務室に足を踏み入れてきた男に対して、いった。
「ええ。全く、態度を変えませんな。知らぬ存ぜぬといった有り様で」
「実際、ほとんど知らないのかもしれないが」
「だとしても、事実無根などではないから困ったものです」
「全くだ」
城ノ宮明臣がお手上げの仕草をするのを一瞥して、再び目の前の幻板へと視線を戻す。諱の執務机の上に置かれた万能演算機は、三枚の幻板を空中に投影している。一枚は、情報局長たる彼女が扱っている事案に関する書類であり、もう一枚には他部署からの様々な情報が流れ込んできている。
三枚目の幻板には、各種報道機関が今現在取り上げている様々な事件事故に関する情報が羅列されているのだが、中でも大きく取り扱われているのは、天輪スキャンダルに関するものだ。
天輪スキャンダルは、発生以来、その報道が加熱する一方だった。
いまや天燎財団関連企業筆頭ともいえる業績を上げていたのが、天輪技研だ。天燎財団の未来を担うとされ、新戦略発表会に期待する人も多かった。
そうした人々の期待を裏切り、踏みにじったのが天輪スキャンダルと呼ばれるようになった大事件であり、この一件によって天輪技研のみならず、天燎財団の評価も大きく下がった。
天燎財団は、天輪技研の一連の事件は、天燎鏡磨が主導となり、天輪技研が独自に行ったものであると発表、天燎財団及び他の財団関連企業は一切関わっていないとしているが、それで納得するような市民ばかりではなかった。
徹底的に追求するべきだと声を上げるものもいれば、いまこそ天燎財団の権勢を削ぐ機会であるとして画策する企業も少なくなかった。
報道合戦の加熱には、様々な思惑が入り乱れているのだ。
「こちらとしては、天燎鏡磨だけに構っている暇はないのだがな」
幻板には、天燎鏡磨が地上へと搬送されていく映像が流れている。
天輪技研ネノクニ工場で起こった大事件、その首謀者として拘束されたのが、天燎鏡磨だ。
人型魔動戦術機イクサ。
天輪技研所長・神吉道宏によって研究開発が推し進められたそれは、無人の戦闘兵器である。幻魔をも打倒しうる機械兵器。故に、人命を損なうことなく、人類復興を成し遂げることができる、人類にとっての希望の象徴である、などと考えられていた。
その発想自体は素晴らしいものだ。
実現できるのであれば、戦団でも採用したいくらいだった。
事実、第四開発室にはイクサの実現に向けた研究をするようにと護法院から指示が下っており、天輪技研から押収された資料の検証が始まっている。
もっとも、それらの情報はノルン・システムが事前に入手していたものがほとんどであり、それらの情報だけではイクサを起動することすら難しいというのが、日岡イリアの結論だった。
故に、イリアは、天輪技研に疑念を持ったのだ。
天輪技研内部の極秘資料を元に検証に検証を重ねた上で実現不可能と断定された機械兵器である。それが大々的な発表会でお披露目されるというのだ。疑わない方がどうかしている。
なにか技術的な見落としがあるのではないか、と、イリアたち第四開発室は考え、ノルン・システムを駆使し、情報局を動員したが、なにもわからなかった。
だからこそ、イリアは、自ら発表会に乗り込むことで、イクサの謎に迫ろうとしたのだ。そしてその結果が、天輪スキャンダルといわれるほどの大事件へと発展したわけだ。
当然ながら、イリアも情報局も、あそこまでの大事件になるなどとは想定していなかった。
最初から裏に特定参号がいることがわかっていたのであれば、星将を護衛につけただろうし、大量の導士を動員したはずだ。
イクサの裏には、なにかがある。
それだけはわかっていたが、それがなんであるか、イリアにも情報局にも全く掴めなかった。
現場がネノクニの此岸区だというのも大きい。此岸区は、ここ数年のネノクニ再開発事業によって開拓された地区であり、ノルン・システムの掌握下になかったからだ。
新規の、それもネノクニのレイラインネットワークをノルン・システムによって完全に掌握するには、多少なりとも時間がかかった。ネノクニの支配者は戦団ではなく、統治機構だからだ。統治機構の監視の目を擦り抜けながらネットワークを掌握するには、ノルン・システムであっても簡単なことではない。
だから、対応が遅れた、ともいえる。
ノルンたちによる掌握が完璧であり、ネノクニ工場の情報も全て筒抜けであったならば、最初から星将たちを差し向けることだってできたかもしれない。そして、鬼級幻魔が現れたとしても、より良い対応が出来たはずだった。
だが、それは叶わなかった。
天輪スキャンダルは起き、その首謀者として天燎鏡磨が、関係者として神吉道宏ら多数の研究者、技術者らが拘束された。
彼らの取り調べは、情報局が主となって行っており、天燎鏡磨を除く全員、自分の知っていることを洗いざらい話してくれている。
そして、それによってわかるのは、魔法による精神支配の強烈さだ。
虚空事変でもそうであったように、東雲貞子と名乗った鬼級幻魔アスモデウスの支配下にあったものたちは、そのときの記憶が朧気であり、東雲貞子という名前くらいしか思い出せなかったのだ。
天燎鏡磨も、そうだろう。
自分がなぜ拘束されたのか、なぜ、事情聴取を受けているのか、理解できないのだ。
天燎鏡磨は、無罪であると主張したが、当然、戦団は聞き入れなかった。
天燎財団はといえば、天燎鏡磨と天輪技研を真っ先に切り離した。天燎鏡磨らを生け贄として戦団に差し出すことで、財団そのものを護ろうとしているのだ。
天燎鏡磨の暴走に関する報道が様々な報道機関から出ていて、天輪技研の責任を彼一人に負わせようという意図が誰の目にも明らかだった。それらの情報は、財団内部から流出したものであるとされているのだが、間違いなく意図的なものであり、情報操作を行うべく漏洩させたものばかりだった。
天輪技研の全精力を傾けて作り上げたのが、イクサだ。その開発計画を推し進めたのは間違いなく天燎鏡磨だろうが、計画そのものの可否を出すのは、彼ではあるまい。
財団総帥・天燎鏡史郎が知らないわけはないのだが、どのような報道も、鏡史郎の責任を問う声はなかった。
そして、鏡磨から剥奪された天燎財団理事長の座には、鏡史郎の次子、天燎十四郎が座っている。
財団における鏡磨の時代は終わったのだ。
財団は、もはや鏡磨や天輪技研の存在そのものをなかったことにしようとしているようですらあった。
実際、天輪スキャンダルに関わったものたちは、天燎財団の歴史から抹消されるのだろう。
もちろん、央都の歴史から、人類の歴史からは消えない。消えるわけもない。
だが、と、諱は思うのだ。
「哀れなものだな。時代の寵児と持て囃された天燎鏡磨も、いまや時代の忌み子だ」
「そうでしょうか。一番可哀想なのは、学生たちでしょう」
「……ふむ。それもそうか」
明臣の意見に、諱は前言を撤回した。いわれてみれば、そうかもしれない。
当然だが、明臣が指摘したのは、天燎財団が運営する天燎高校の学生たちのことだ。天燎高校の学生たちは、発表会の場に居合わせただけでなく、天輪スキャンダルの煽りを受け、登下校の際、白い目で見られることが多くなったという。
天燎高校が天輪財団を母体とし、生徒の大半が財団関連企業に就職するという事実も、そうした世間の反応を呼ぶ一因ではあるのだが、だからといって容認できることではあるまい。
少なくとも、学生たちは全くの無関係であり、むしろ被害者といっていいのだ。
「対抗戦で一躍脚光を浴びたかと思えば、その一月後には、母体たる財団がとんでもないことをしでかしてしまったのですから。じきに夏休みなのが、救いといえば救いでしょうか」
央都の学校教育では、八月中が夏休みと制定されている。
天輪スキャンダルが起きたのは七月二十日で、今日は七月二十七日。夏休みまで後少しといったところだった。
夏休みに入れば、天燎高校の生徒であるとして注目を浴びることは少なくなるだろう。
「夏休み……か」
「懐かしいですか?」
「わたしの子供のころには、そんなものはなかったよ」
「そうでしたか」
「きみにはあったのかね」
「はい」
「そうか。それは羨ましい限りだ」
などと、諱がどうでもよさそうにいってきたものだから、明臣は肩を竦めた。
夏休み。
諱の子供のころにもあったはずだ。が、諱には、なかったというのであれば、確かにそうだったのだろう。
上庄諱の上庄家は、ネノクニの一級市民の中でも統治機構の評議員を排出する家柄だったはずだ。諱は、そんな家系に生まれながら、異界環境適応処置の実験体に選ばれた人間であり、だからこそ、同じく実験動物扱いされていた地上奪還部隊に同情し、協力したのだろうが。
五十年以上昔の話だ。
「そういえば……字も夏休みを楽しみにしていたものだな」
ふと思い出したかのような諱の眼差しは、最愛の孫娘に対する愛情に満ち溢れていた。
そんな顔を見れば、明臣も娘のことを思わずにはいられなかったが、いまはそんな場合ではないと胸中で頭を振った。