第二百七十四話 違和感(二)
五十戦、幸多と真は、戦った。
幸多も真も全力でぶつかり合い、全試合を終える頃には、互いに力を出し切ったという満足感があった。手練手管の限りを尽くし、出し抜き、出し抜かれ、欺き欺かれながら、精も根も尽き果てるくらいには戦った。
現実空間に回帰した瞬間、幸多は、とてつもない疲労感に襲われたが、それは心地の良い疲れであり、なんともいえない爽やかさがあった。
真も、晴れやかな気分の中にいた。天輪スキャンダルから今日に至るまでの間、何処かどうしようもない陰鬱な気分が続いていたのだが、幸多と全力で激突することが出来たからなのか、そういう嫌な感情は全部吹き飛んでしまった。
総合訓練所の玄関広間、その一角の休憩所に二人はいる。
「三十勝!」
幸多は、自動販売機で購入した缶飲料を真に向かって掲げるようにした。
真は、アイスコーヒーを口に含みながら、そんな幸多の清々しいまでの様子を見ていた。
「さすがは閃光級三位殿」
「そういう真くんだって、もう目前じゃないか」
幸多の目は、真の制服の胸元に輝く星印を見ている。彼の星印は、三重の一つ星である。つまり、灯光級一位だということだ。
どうやら、幸多が意識を失っている間に昇級したらしい。
つい一月前に導士になったばかりだというのに、灯光級一位に昇級しているというのは、とんでもない昇級速度である。
幸多は、護法院の思惑を含む特例のおかげでもって閃光級三位に上がれたようなものであって、故にそのことを自慢できるとは思ってもいなかった。
真は、そうではあるまい。
「上層部が昇級規準を変えようとしている最中だからだよ」
真が、休憩所の長椅子に腰を下ろしながら、いった。幸多もその隣に腰掛ける。
「そうなんだ?」
「以前は、どれだけ実力があっても、ある程度の実績が伴わなければ昇級査定の対象にもならなかった。あの皆代統魔でさえ、輝光級に上がるのに八ヶ月もかかったんだ。が、央都を取り巻く状況が大きく変わった今、そんなことをしている場合ではない、と、上層部は考えを改めたらしい」
「へえ……」
幸多にとっては初めて聞く話だった。
戦団の昇級規準は、厳しい。余程実績を積み上げなければ、灯光級三位から二位に上がることもできない。階級とは、導士の実績そのものであり、階級の高い導士ほど戦功を積み重ね、戦団にとっても央都市民にとっても多大な利益をもたらしているといっても過言ではないのだ。
そして、高位の導士ほど、厳しい任務を宛がわれるのだ。
だからこそ、昇級規準も厳しくならざるを得ない。
「師匠の受け売りだがな」
「師匠……って火倶夜様だったね」
「ああ」
「かっこよかったなあ、火倶夜様」
幸多の脳裏に浮かんだのは、実際に目の当たりにした朱雀院火倶夜の戦いぶりだ。異形化したイクサを圧倒し、瞬く間に破壊し尽くして見せたその姿は、絢爛豪華としか言いようのない眩さと美しさがあった。
戦団最高火力といわれるほどの魔法士である。その攻撃力も、華々しさも、戦団一といっていいだろう。
真は、なにやら遠い目をしている幸多に対し、ちくりと、いった。
「師匠は、きみに怒っていたぞ」
「……だろうね。ぼく自身、師匠に怒られたよ」
「当たり前だ。おれだって、怒っている」
「……うん」
真の真っ直ぐな眼差しを受け止めて、幸多は、頷くしかなかった。
真の怒りも、美由理の怒りも、火倶夜の怒りも、全て正当なものだ。幸多の身勝手極まりない振る舞いが、幸多以外の人々を巻き込む可能性だってあったのだ。
当然、幸多自身が命を落とす可能性が限りなく高かったこともまた、皆が怒っている理由の一つだということも、理解している。
「きみ自身の事情はともかく、常に冷静でいられなければ、導士の資格はない――これも師匠の受け売りだが……おれもそう想う」
「そうだね。本当に、その通りだと想うよ」
幸多は、真の思いを受け止めて、いった。
導士の資格。
導士とは、導くもの、という意味だ。
人類復興の導き手であり、人々に平穏と安寧に満ちた未来を導くものであり、幻魔との戦いを勝利へと導くものである。
そのためには、どうあるべきか。
幸多は、いままさにそうした問題に直面している。
総合訓練所を出た幸多は、その場で真と分かれた。
本当は、訓練が終わり次第、家に帰るつもりだったのだが、幸多に急用が出来てしまった。
頭上には、満天の星空が広がっていて、夜の闇が星々の輝きを引き立たせるようだった。夏の夜。風は生温く、気温も低くはない。
戦団本部の敷地内は、無数の照明灯によって明るさが維持されていて、夜であることを忘れさせるくらいだった。
そんな中で幸多が向かったのは、技術局棟第四開発室である。
幻想空間から現実世界に戻ったときには、義眼や義肢の違和感というものはほとんど感じなくなっていた。間違いなく、五十戦もの試合を経験したからに違いなく、その点でも幸多は真に感謝していた。
幻想空間で主に動かすのは、脳である。そして、義肢、義眼の神経接続もまた、脳と行うものである。幻想空間上で義肢、義眼に慣れ親しむということは、即ち、現実世界でも同じだということだ。
義眼や義肢に満ちた魔素の違和感にも慣れてきていて、そういう点ではなんの問題もなくなっていた。
しかし、二点だけ、気になることがあり、故に幸多は第四開発室に向かっていた。
この義肢、義眼は第四開発室の謹製だという話だった。
第四開発室に足を踏み入れると、技師たちが幸多を迎え入れてくれた。窮極幻想計画の一員となって以来、幸多はもはや顔馴染みなのだ。
「局長なら執務室だよ」
「ありがとうございます」
技師の一人が、幸多の目的を看破したのは、ほかに考えられないからだ。
第四開発室は、皆代幸多への支援体制を完成させているのだが、とはいえ、幸多がこんな時間に訪れるとなると、考えられるのは一つしかなかった。
なにか、イリアに用事があるのだろう。
実際、幸多の目的はイリアだった。
第四開発室の最奥部、室長執務室に到着すると、イリアが扉を開けてくれた。
「来ると思ったけど、まさかこんな時間とはね」
イリアは、幸多を室内に迎え入れるなり、いった。
「すみません。つい、気になったもので」
「いいのよ。説明していなかったわたしが悪いもの」
「やっぱり、ただの義眼じゃないんですね。この義肢も」
幸多は、イリアに促されるまま、室内の片隅に置かれた応接用の椅子に腰を下ろした。ふと見ると、隣の椅子には、黒猫が丸くなっている。イリアの愛猫のソフィアだ。
「半分正解で、半分不正解」
「え?」
幸多が思わずイリアに目を向けると、彼女は小型の端末を左腕で抱えるようにしていた。端末を操作しながら、幸多に向かって歩いてくる。
「義眼は特別製だけと、義肢はごくごく普通のものよ。もちろん、第四開発室謹製の最新鋭の特注品だけど、なにか特別な機能が備わっているとか、そういうことはないわ。残念ながらね」
「はあ……」
別段、義手に特別な機能を欲していたわけではないし、残念でもなんでもないのだが、と、幸多は思ったが、いわなかった。
イリアが、幸多の対面の席に腰を下ろす。すると、さっきまで丸くなっていた黒猫がむくりと起き上がり、素早い動作でイリアの膝上に飛び乗った。そして、丸くなる。自分の寝床であると主張しているような、そんな態度だ。
イリアには慣れたことなのだろう、まったく気にした様子もない。
「きみの疑問は二つ。一つは、なぜ、白式武器が上手く使えないのか。一つは、なぜ、律像が視えるのか」
「はい」
イリアに完全に見透かされるのは、当然のことだろう、と、幸多は思った。
第四開発室謹製の義肢、義眼ならば、全て理解しているはずであり、幸多が疑問に思うこともまた、把握しているはずだったからだ。