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第二百七十話 師匠と弟子

「きみは、また無茶をしたな」

「はい」

 美由理みゆりの深いため息とともに紡がれた言葉には、幸多こうたもただただうなずくしかなかった。

 戦団最高会議は、終わった。

 サタンを首領とする〈七悪しちあく〉の存在、その行動原理のようなものが垣間見れたこともあり、急遽執り行われることになった大会議は、幸多にも発言の機会が度々あった。質問攻めにもった。

 幸多は、ただ一人、サタン率いる七悪と直接対面し、言葉を交わした人間だ。総長を始めとする戦団最高幹部たち、会議の列席者からしてみれば、聞きたいことは山のようにあっただろう。

 とはいえ、幸多に答えられることなど限られていて、大抵の質問には、わからないの一点張りにならざるを得なかったのだが。

 幸多は、結局、なにも知らなかった。

 サタンの空間転移に巻き込まれ、闇の世界に入り込んだはいいものの、そこでは〈七悪〉と遭遇しただけであり、〈七悪〉となにか重大なやり取りをしたわけでもなかった。〈七悪〉個々になにか特徴的な能力があったのだとしても、幸多には知りようもない。

 会議の場において、なんの力にもなれなかったことが、多少、心残りだった。

 そして、会議が終わると、幸多は、美由理とともに退出した。

 いま二人は、地上に向かって移動している最中だった。狭い昇降機の中、二人だけで乗り込んでいる。

護法院ごほういんも上層部も、あのときのきみの行動を勇気あるものとして賞賛し、褒め称えている。輝光きこう級への昇級に値する行いだとな。一理はある。これまで全容のわからなかった敵の全体像を掴むことができた。敵の当面の目的もわかった。戦団がなにと戦うべきなのか、その指針が見つかったのだ。これは極めて重大な出来事だ。この十数年、戦団が躍起になって探し求めていたものが、きみの行動一つで手に入ったのだからな。護法院、上層部がきみを評価するのも理屈としては納得できる」

 美由理は、またしても嘆息して見せた。

 脳裏のうりには、幸多がサタンとともに姿を消したという報告を受けた瞬間のことが浮かんでいたし、血まみれの幸多が医療棟に運び込まれていく光景も、彼女の意識を席巻するかのようだった。

 心臓が悲鳴を上げるのではないか、と、思うほどの事態だった。

 今も、思い出すだけで美由理の心臓が張り裂けそうになった。

 幸多は、ちらりと、美由理を見た。美由理は、真っ直ぐ、昇降機の扉を見ている。地上に向かって音もなく昇っていく昇降機の頑丈かつ厳重に閉じられた扉。その無機的な質感は、いまの美由理の表情と似ている。

 彼女の表情の変化の無さは、氷の女帝と呼ばれるだけのことはあった。

「だが、わたしは、賞賛しない。きみが持ち帰ってきた情報そのものは有用だし、その点に関しては、わたしもなにもいうことはない。が、あのときのきみの行動は、勇気でもなんでもない。ただの無謀むぼうな行いだ。自殺行為にほかならない」

 美由理は、厳しい口調で、いった。それは正論そのものであり、幸多には返す言葉もない。

「今回は、運良く助かっただけだ。理由はわからないし、あのあと、きみの身になにが起きたのかもわからない。サタンたちが解放してくれたのかどうかすらもだ」

 そうなのだ。

 なぜ、幸多が助かったのか、その詳細は不明のままなのだ。

 幸多が闇の世界に転移して一時間半余りの間になにがあったのか、全くわからない。

 統魔とうまがいうには、光る雲から放り出されたように見えたという話だが、それもよくわかっていない。統魔が見たという光る雲については、皆代みなしろ小隊の全員が証言しているから、見間違いなどではないのだろうが、それが一体なんだったのか、不明なままだ。

 戦団も、それについては目下全力を上げて調査中だった。

 光る雲とサタンの関連性についても、だ。

 闇の世界が光る雲と繋がっていた、という可能性も皆無とは言い切れないが、考えにくいのではないか、とも思う。

 光と闇は、相反する属性だ。

 幻魔は、純魔素生命体といっても過言ではない存在だ。人間やその他の動植物のような魔素以外の要素を内包していない、魔素だけの生物。だからこそ、魔素の特性である属性の影響を強く受けるのであり、闇の属性を持つのだろう闇の世界の住人たちが、光る雲と関連しているというのは、少々考えにくい。

 それも、戦団最高会議で出された疑問である。

 美由理は、幸多を見た。幸多の褐色の瞳と目が合うが、気にせず、見据みすえる。

「きみは、あのとき、殺されていた可能性だってあるのだぞ」

「……はい」

 それも、その通りだ。

 殺されても、文句はいえない。

 相手は、鬼級幻魔なのだ。

 いくらF型兵装(エフがたへいそう)に身を包んでいるとはいえ、ネノクニの魔素が薄く、魔法が本来の力を発揮できないからとはいえ、それでもサタンの力は圧倒的だっただろう。

 幸多には、対処しようがなかったはずだ。

 それでも、止められなかった。止まらなかった。感情が激発して、頭の中が真っ白になってしまった。冷静さを欠いていた。激情だけが、怒りだけが、幸多の全てを支配していた。

 そうなったら、どうしようもない。

 幸多は、美由理の蒼い瞳を見つめながら、その湖面のように美しい目に映り込んでいるのであろう自分の姿を想像した。その想像図の不甲斐なさには、怒りすら覚える。己の無力さへの怒りだ。

「覚悟の上、だったのだろう。きみがサタンに対し、強烈なまでの復讐心を持っていることは理解していたつもりだ」

 美由理は、いった。

 皆代幸多と皆代統魔。

 目の前でサタンに父親を殺されて、そのときの怒りと憎悪が、彼ら兄弟を戦団へと駆り立てた。

 そうした出来事は、往々にしてあることだ。

 幻魔災害が頻発するようになる以前から、幻魔への怒り、復讐心を原動力として戦団に参加し、戦闘部の導士となったものは少なくなかった。ありふれた動機といっていい。

「だが、仇敵を目の当たりにして冷静さを欠くなど、導士としてあるまじきことだ。そんなものは勇気でもなんでもない。ただの愚行だ。きみが一人死ににいくというのなら勝手にすれば良い。そのときは、わたしがきみを弟子にしたことの愚かしさを嘆けばいいだけだからな」

 美由理は、務めて、冷静にいった。彼にどのようにいえば伝わるものかと言葉を選びながら、慎重に、続けていく。

「しかし、あのときのあの行いは、きみ一人だけでなく、あの場にいた全ての人達――義一ぎいちやイリアだけでなく、きみの家族、友人を含めた全員を巻き添えにする可能性もあったのだぞ。きみひとりの暴走が、大勢の命を奪うかもしれなかったのだ」

「それは――」

 幸多は、美由理が突きつけてきた事実に愕然として、なにも言い返せなかった。一瞬、頭の中が真っ白になる。やがてその空白に生じたのは、叔母おばの顔であり、友人たちの顔であり、あの場にいた数多くの人達の顔だ。

 冷静に考えてみれば、確かにそうだった。

 美由理の言うとおりなのだ。

 幸多の手が震えた。背筋が凍るような感覚があった。

「あのとき、サタンはきみを巻き込み、転移した。だからなにも起きなかったが、サタンがきみに反撃をすることだって考えられたのだ。その余波が、導士たちだけでなく、あの場にいた多くの人々を傷つけた可能性もあった」

 確かに、あの場ではなにも起こらなかった。

 しかし、サタンが幸多を迎え撃つ、ただそれだけの行動が、幸多のみならず、多くの人間を巻き添えにしていた可能性があったのだ。

 それは、幸多が如何いかに周囲が見えていなかったか、冷静さを欠いていたか、ということだ。状況判断が出来ておらず、なにも把握していなかったのだ。

 ただただ、感情に身を任せた挙げ句、だ。

 幸多は、今更のように己の愚かしさを呪った。呪うよりほかなかった。こんなにも迂闊うかつで、愚かで、馬鹿げたことばかりをしていては、いつか取り返しのつかないことをしてしまうのではないか。

 美由理は、そんな幸多の気持ちを察した。幸多は、愚かではない。常に様々に考え、自分が行うべき最善を考えられる人間だ。無謀な部分もあるが、仲間想いの、善性の塊のような人間でもある。

 今回は、目の前にサタンが現れたがために感情を激発させてしまった、ただそれだけのことだ。

 それだけのことが取り返しのつかない事態に発展することだってあるのだが、だからこそ、と美由理は思うのだ。

「……そんなきみの迂闊さは、結局の所、わたしの指導不足に原因があるのだろう。きみを買い被り過ぎていた。過信していたのだ。入団したばかりだというのに、きみならばやれる、と、勝手に思い込んでしまっていた。だが、違った。きみには、導士としての覚悟が足りない。決意が足りない。判断力も注意力も冷静さも柔軟性も、なにもかもが、足りていない」

 美由理は、幸多の目を見つめながら、彼の欠点をあげつらうようにしていった。彼に足りないものは、全て。なにもかもが足りないから、あのような事態へと至った。

 彼に全てが足りていれば、あのとき、我慢出来ていただろう。少なくとも、火倶夜かぐやの指示を待つことができたはずだ。

 あの場の最高責任者は、星将にして軍団長たる火倶夜だ。所属する軍団こそ違えど、火倶夜以上の立場の導士がいないのであれば、火倶夜の指示を待って、行動するべきだった。

 それが出来なかったのは、単純に、美由理の指導力不足、教育不足に過ぎない。

 幸多だけが悪いわけではないのだ。

 いや、よくよく考えれば、美由理のほうが、もっと悪い。

「だから、わたしは、きみが輝光級に昇級するのを差し止めたのだ。いまきみが輝光級に上がり、小隊を率いることになったとしても、無駄死にするだけだ。サタンを目撃した瞬間、きみはまた冷静さを失うだろう。今度は、小隊を全滅させかねない。師として、そのような真似をさせるわけにはいかない」

 美由理は、きっぱりと言いきった。

 そして、幸多は、美由理の想像した未来を否定する言葉を持っていなかった。

 幸多の輝光級への昇級は、戦団最高会議の場で、護法院によって提案された。

 サタンを首領とする幻魔集団〈七悪〉の存在が明らかになったことは、戦団にとって大きすぎる一歩であり、その一歩を踏み出せたのは、幸多の勇気ある行動のおかげである、と、護法院の老人たちはいった。

 確かに、幸多の暴走によって得られた情報は、戦団にとってとてつもなく大きなものだ。得難い情報であり、知り得なかったものばかりだ。サタン、バアル・ゼブル、東雲貞子あずもていこことアスモデウスの三体のみを特別指定幻魔としていた戦団が、〈七悪〉という集団の存在を知ったのだ。

 それは、戦団の活動方針を大きく変えるものであり、央都防衛構想そのものの在り様を根底から覆すほどの新事実だった。

 もし、幸多が〈七悪〉の存在を明らかにしなければ、央都の防衛は現状のままか、多少強化した程度だったに違いなく、〈七悪〉の跋扈ばっこによる事態の悪化を許すことになっていた可能性も大いにあった。

 だからこそ、護法院は、幸多を輝光級に昇級させ、小隊長として活動させようというのだ。

 特異点。

 アザゼルは、幸多を指して、そう呼んだ。

 それがなにを意味するのかは、わからない。

 しかし、幸多が〈七悪〉にとって、なにかしら特異な存在であることは間違いなく、故に、戦団にとっても彼を特別に扱おうという動きが生まれるのも当然だった。

 だが、美由理は、幸多の師匠として、彼の昇級を拒み、取り下げさせた。幸多はまだ、輝光級に、そして小隊長に相応しくないと断言し、火倶夜とイリア、数名の軍団長の支持を得、議決されたのだ。

 幸多の暴走を目の当たりにした火倶夜、イリアにしてみれば、小隊長として小隊を率いさせるのは、あまりにも無謀に思えたに違いなかった。

 その点では、美由理も心底ほっとしたものだ。

 もし、幸多があのまま輝光級に昇級するようなことになれば、どうなっていたことか。幸多は当然小隊を率いることになるだろうし、小隊として任務を行うことになっただろう。

 それでは、駄目だ。

 また同じ過ちを犯しかねない。

「これから、きみを徹底的に鍛え直す。導士とはどうあるべきか。きみが導士として前に進むためにどうしていくべきか。わたしが全生命を賭して、きみに伝えよう」

 幸多は、美由理の真っ直ぐ過ぎるほどの眼差しと、そこに込められた想いの強さ、重さ、深さに感じ入った。美由理の言葉もまた、真っ直ぐだ。尖すぎるほどに真っ直ぐで、烈しい。だが、それもこれも、幸多を想ってのことだということは疑いようがなかった。

 感無量だった。

 これほど自分のことを考えてくれているのだ。想ってくれているのだ。

 感動しない方が嘘だ、と、幸多は想う。

「そしてこれは、わたしからのきみへの謝罪だ。済まなかった」

「そんなこと……」

 幸多が衝撃のあまり反応できなかったのは、美由理が深々と頭を下げてきたからだ。そうするべきなのは、自分のほうではないのか。

 しかし、美由理は、幸多に頭を下げさせない。

「師弟とは本来、そうあるべきだったのだ。しかし、忙しさにかまけ、きみと向き合う時間を設けてこなかった。自ら師匠を買って出て置いて、このていたらくだ。まったく、情けないことこの上ないな」

「……そんなこと、ありませんよ。師匠は、いつだって、ぼくのために時間を割いてくれたじゃないですか。武器の使い方を教えてくれました。戦い方だって、学びました。今回の件は、全部、ぼくの責任なんです。師匠は、なにも悪くありません」

「弟子の罪は、師匠の罪だ。立派に育ち、巣立ったのならばともかく、師匠離れできない弟子の行動、その責任を負うのもまた、師匠の役目だよ。わたしは、わたしの師匠からそう教わった」

 美由理は、幸多を見つめながら、いった。

「きみがわたしをまだ師と認めてくれるのなら、師匠として慕ってくれるのならば、わたしはわたしの全てをきみに叩き込もう」

「もちろんです、師匠。こんなぼくを弟子と認めてくださるのなら、どこまでだってついていきます!」

「まずは、卑下するのを止めたまえ。きみは確かに間違えたが、間違いは誰にだってあることだ。二度と同じ間違いを犯さないこと、これこそが重要なのだからな」

「はい!」

 幸多は力強く頷くのと同時に、昇降機が止まった。

 扉が開くと、昇降機の前に待ち構えていた導士たちが、二人の様子を見て、戸惑った。

 狭い昇降機の中で向かい合い、溌剌とした眼差しを注ぎ合う二人は、第三者の目線で見れば、眩しいくらいの熱量があったからだ。

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