第二十六話 英霊祭(七)
「すっげー熱気だったな、いまの」
「見たわよ、あれが生統魔様なのね、素敵過ぎてどうにかなりそうだったわよ」
「真弥ちゃん……」
「いやー、相変わらず凜として素敵だったなあ、鏡子さん、いや鏡子様!」
幸多たちは、興奮冷めやらぬ中、万世橋の袂から移動し、土手沿いを歩いていた。
興奮が収まらないのはなにも幸多たちだけではない。万世橋の上では、未だに感情を抑えきれない観衆が様々に騒いでいた。まさに祭りの賑わいであり、これが英霊祭のよくある光景だった。
ちなみに、蘭が携帯端末の幻板に映しだし、一人熱中している鏡子とは、第九軍団副長八咫鏡子のことだ。大行列の中央、軍団長の斜め後ろに控えるようにして歩くその姿には、確かに威厳があった。
移動中、様々な話題が出たが、やはり話の中心となったのは統魔率いる皆代小隊になった。関わりの深い幸多がいるからというのもあるだろうが、統魔の人気も大きいはずだ。
「次はどっちにしようか?」
蘭が携帯端末を操作しながら聞いてきたので、幸多たちは意見を出し合った。もちろん、大巡邏のことであり、第七軍団と第八軍団、どちらの大行進を見に行くか、という話だ。
「ってことで、だ。美由理様は大トリにして、次は明日良様だ」
「了解」
話し合った結論を圭悟が述べると、蘭が第八軍団の順路を調べる。
そのとき、幸多の懐に入れていた携帯端末が鳴動した。なんらかの通知だ。
携帯端末を見ると、コミュニケーションアプリ・ヒトコトへの伝言であり、それは統魔からだった。
幸多は、友人たちの後を歩きながら、伝言内容に目を通した。そして、友人たちを呼び止める。
「ちょっと待って欲しいんだけど」
圭悟たちが、一斉に幸多を振り返る。
「どうしたんだ?」
「なにかあったの?」
「統魔から連絡があったんだ。待ってろってさ」
「ん?」
「もしかして逢えるの? 生統魔様に!」
興奮気味に詰め寄ってきた真弥の勢いには、さすがの幸多も苦笑せざるを得なかった。統魔という声に周囲の観衆の耳目が集まるのを認識する。
「ちょ、声が大きいよ」
「あっ、ごめん!」
真弥が平謝りに謝ってくるのを見れば、周囲の目線も離れていく。学生たちが統魔のことで口論になったとでも思ってくれたのかもしれない。
「……場所を指定してるってことは、そういうことだと思うよ」
「でも、どうやって?」
「大巡邏は交代制だし、休憩中の隙を縫って会いに来るつもりなんじゃないかな」
蘭が説明した通りなのだろう。
大巡邏は、央都各市内を一晩かけて巡回するというものだ。当然、時間をかけるということは、体力を消耗するということでもある。特に飛行隊は、常に空を飛んでいるということもあり、精神的な疲労がとんでもないことになる。
よって、各軍団総勢一千名の軍団員を五百名ずつの二部隊に編成し、交代することによって休憩時間を確保するという段取りになっているのだ。
統魔は、間違いなく、その休憩時間を当て込んでいる。
「で、いつどこで待ってればいいんだ?」
「万世橋の北側、橋の下で待ってろってさ」
「北側ってすぐそこじゃないですか」
「そうよ、すぐそこよ! 行きましょういますぐに! 統魔様を待たせてはいけないわ」
「まだついてないと思うけど……」
明らかに気合いの入った様子の真弥と、彼女の勢いに引き摺られるようにしてついていく紗江子の様子を見ながら、幸多は、圭悟たちと顔を見合わせた。
「現金なもんだぜ」
「そういう圭悟くんだって嬉しそうじゃん」
「嬉しいに決まってんだろ、生統魔だぜ、生統魔」
「さっき見たばっかりだけど」
「遠目に見るのと、直に逢えるかもってのは、まったく違うもんだろ」
「……そうだね、その通りだよ」
幸多は、圭悟の熱弁を否定しなかった。否定できるわけもなかったのだ。
幸多にとって実感のあることだ。伊佐那美由理と直接対面した瞬間の昂奮、感動は、いまも忘れられない。一勝に残る想い出となるだろうし、だからこそ、圭悟たちの昂奮振りもわかろうというものだった。
戦団の導士たちは、央都市民にとっての英雄なのだ。央都の守護者にして、幻魔を討ち滅ぼす勇者たち。
それが戦団に所属する魔法士たち、導士だ。
そんな勇者の中でも特に最近人気の高い皆代統魔と直接逢える機会など、そうそうあろうはずもない。
圭悟たちは、大巡邏を見ているとき以上の昂奮に包まれながら、統魔の指定した場所へと向かった。
万世橋の橋の下は、現在、立ち入り禁止区域に指定されていた。
英霊祭中だけの特別措置であり、普段ならば自由に立ち入ることが許可されている。河川敷に作られたマラソンコース、サイクリングコースの通過点でもあるのだから、当然だ。
そんな場所がなぜ立ち入り禁止になっているかといえば、大巡邏のためだった。
大巡邏は交代制であり、導士たちの休憩場所、待機場所が必要だった。そうした場所は、市内各所に設けられており、万世橋の下もその一つだ。よって、戦団の管理下に置かれていたのだ。
一般市民が入り込んでこないように展開式簡易防壁が幾重にも張り巡らされており、橋の下がどのようになっているのか、外部からは覗き見ることが出来なかった。
「これじゃあ入れないねえ」
「さすがになあ」
真弥と圭悟の落胆振りは凄まじかったが、致し方のないことだった。
「統魔の指定した時間にはまだあるし、ここらへんで待っていようか」
「そだな」
「そうしましょう」
河川敷は、どこもかしこも賑わっているのだが、橋の真下およびその周辺だけは嘘みたいな静寂に包まれていた。
橋の上は騒々しいというのに、だ。
それもこれも戦団の簡易的な拠点となっているからだろうし、待機中の導士たちの邪魔をしてはいけないという市民の配慮もあるだろう。
幸多たちは、圭悟が持ち運んでいたブルーシートの上で座ったり寝転んだりしながら、統魔が示した時間まで待っていた。
時間が来ると、頭上からわっと声が上がった。橋の上や袂、近辺にたむろしていた市民が、なにかが近づいてくるのを察知したのだ。
それが統魔たちだということがわかったのは、市民たちが掲げた携帯端末が発する無数の閃光のおかげだったかもしれない。
星々が瞬く夜空の中を、流星のように突っ切ってくる五人の導士たち。
皆代小隊だということは、すぐにわかった。
皆代小隊の五人は、速度を落として降下してくると、河川敷の幸多たちには目もくれずに休憩所に向かっていった。
簡易防壁を開き、五人中四人が休憩所内に姿を消す。そうすると、統魔だけが残り、こちらを振り返った。
彼は携帯端末を手にしており、幸多の携帯端末が鳴動した。通話だった。出ると、統魔の苦笑が聞こえてくる。
「さっさと来いよ。そんなところじゃ目立ってしょうがないんだ」
「みんなで?」
「ああ、いいぜ。おまえの友人だからな。特別にご招待だ」
「気前がいいなあ。さすがは愛しの弟」
「気持ち悪いからやめろ。そして弟はおまえだ」
普段通りのやり取りをしてから、幸多は、通話を切った。
「どうしたの?」
「行こっか」
「へ?」
「統魔が中に招待してくれるってさ」
幸多が告げると、圭悟たちは顔を見合わせた。一瞬、なにが起こったのかわからないといったような様子だったが、理解すると、さらに混乱したような素振りを見せた。
一般人の立ち入りが禁止されている戦団の領域に足を踏み入れることができるなど、考えられることではない。
それも、いま注目の超新星に招待されて、だ。
幸多は、圭悟たちの喜びように自分のことのように嬉しくなった。もちろん、幸多も昂奮を隠せない。ただの休憩所であり、簡易的な拠点に過ぎないとはいえ、そこは戦団の領分なのだから。
幸多は、統魔が早くしろといっているのをその表情から読み取り、友人たちを急がせた。橋の上や土手、そして河川敷を取り巻く一般市民が、休憩所前に佇む統魔を激写している。
統魔がなにをしているのか、彼らには想像もつかなかっただろうが。
幸多たちが広げていたものを片付けて統魔の元へ向かおうとすると、彼は、右手を頭上に掲げた。手の先から光の球が撃ち出されたかと思うと、それは上空で七色の閃光となって拡散していく。
まばゆく美しい光の散乱が、それまで統魔に集中していた観衆の目を集めた。統魔の放った魔法だ。見ないわけにはいかなかったし、撮影しないわけにもいかなかった。
そして、幸多たちは、その間に統魔に招かれ、休憩所の中に潜り込むことに成功したのだ。
やがて夜空を飾る虹色の光が消え去ったときには、待機所前にいたはずの統魔の姿は消えており、市民たちは声を上げて落胆した。
展開式簡易防壁と呼ばれる魔機の内側には、いくつもの天幕が並んでおり、数十名の導士がそこかしこで休憩していた。
天幕は、簡易天幕展開機構・岩屋戸だろう。設置し起動するだけで、自動的に周囲の地形に適した形で天幕を張ってくれる優れた魔機だ。
魔機に囲われ、魔機に満たされた待機所内の一角に、統魔は幸多たちを案内した。
その周囲には、統魔と幸多たち以外だれもいない。
「ようこそ、皆さん。といっても、こんなところに招待されても、なにひとつ嬉しくないだろうけど」
「そんなことないです! ものっすごく、感動しています! この感動を表す言葉は、この天地の狭間のどこを探しても見つからないでしょう!」
「あ、ああ、そ、そう、それなら、いいんだが……」
興奮の余り普段の彼女からは想像もつかないような言動をする真弥の有り様には、統魔もどう対応すればいいのかわからないといった表情で、目だけで幸多に助けを求めてきた。
幸多は、友人たちが半分惚けているような有り様を見つつ、仕方なく口を開く。
「え、ええと、まず、紹介するね、こいつは統魔。ぼくの弟だけど、まあ、知ってるよね」
「いっておくが、おれが兄です。いつも弟の面倒を見てくれている皆さんには、本当に頭が下がる思いでして」
「なにそれ、それじゃあまるでぼくが生粋の問題児みたいじゃないか」
「そうだろうが、生まれながらの問題児が」
「それ、超問題児のきみにいわれる筋合いはないんだけど」
「ああん?」
「んん?」
いつものように睨み合い、取っ組み合いの喧嘩になりそうになったが、はたと気づき、ふたりは口を閉じた。
見回せば、周囲の視線が自分たちに集中していた。だれもが唖然としている。
圭悟たちだけではない。
遠目にこちらの様子を窺っていたらしい皆代小隊の面々も、ほかの導士たちも、普段とは異なる統魔の言動に驚いているようだった。
「……まあ、こんな感じなんだよ、皆代統魔ってのはさ。皆が言うほど素晴らしい人間じゃないし、出来ている人間でもない。どこにでもいるような普通の人間なんだよ、こいつはさ」
「おまえは本当に口が減らないな」
「それだけで生きています」
「はあ……ともかく、こんな箸にも棒にもかからない様な奴の相手をしてくれているだけでも、皆さんがとんでもない聖人聖者であることに疑いは持っていないんだ」
統魔が幸多に呆れ果てながら、そんな風に圭悟たちを賞賛した。それには、幸多自身も実感として理解できていることではあり、口を挟む余地はない。
「聖人だなんて……そんなこともあるが」
「ないでしょ」
「そうだよ、なにいってんの、米田くん」
「なんだよ、こういうときくらい格好つけさせろよ」
「格好ついていませんよ、米田くん」
「うぐぐ……」
圭悟たち四人の掛け合いは、統魔の前でも変わらなかった。
「いい友達に巡り会えたなあ、おまえ」
「うん、本当に」
「一時はどうなるかと心配してたんだが……杞憂に終わって良かったよ」
「そうだね。それはぼくの台詞でもあるんだけどね」
「だろうな」
統魔が自嘲するようにして、笑う。
統魔も、自分の性格に難があるということを自覚していた。だからこそ、小隊を組むに当たって、星央魔導院の先輩で指導役を務めた上庄字や、彼女と仲の良かった新野辺香織を誘ったのだし、同級生だった高御座剣を招いたのだ。
自分のことをよくわかってくれている人達で固めなければ上手く立ち行かないことくらい、統魔にもわかっていた。
そして、その判断は正しかった、と、いまならばはっきりと断言できる。
統魔にとってのそんな仲間が、いま、幸多の周囲にいる友人たちだろう。
だからこそ、統魔は、幸多だけでなく彼らをここに招き入れた。無論、許可は取っている。
いくら人気があるとはいえ、たかが輝光級導士一人の一存で、待機所に一般市民を招き入れることはできない。
それから幸多たちは、統魔と他愛のない話をした。
あの皆代統魔と何気なく言葉を交わすことができるということに圭悟たちのだれもが感動しているようだった。
統魔は、圭悟たちにとって同年代のトップスターとでもいうべき存在なのだ。
統魔の前では、圭悟ですら子供じみた昂奮を隠せない様子だったし、そんな友人たちを見ているのは、幸多としては面白かった。
圭悟たちは統魔と一緒に写真を撮り、さらにサインをもらっていた。
「ファンサービスも手慣れたもんだね」
「この数ヶ月でな」
「さすがは人気者」
「もっと崇め称えてもいいんだぞ」
「それはないよ」
「おい」
幸多は、兄弟だからこその気の置けないやり取りをしながら、統魔が皆に人気があるという事実を喜んでいた。
統魔が好かれることがなによりも嬉しいのだ。
幸多にとっても圭悟たちにとってもただひたすらに幸福な時間は、あっという間に過ぎていった。
「隊長、そろそろ」
上庄字が統魔を呼びに来たのは、幸多たちの会話が盛り上がっていたところだった。
「ああ、すぐに行く。ということで、皆代幸多後援会の初会合はこの辺でお開きにしようか」
「なにそれ」
「だから皆代幸多くんを応援しようの会だよ」
「はあ?」
「おまえも尊敬する兄に応援されて嬉しかろう」
「尊敬はしてるし、嬉しいけど、さあ」
幸多は、統魔に対し、言い返す言葉も思いつかずに口の先を尖らせた。統魔が笑い、皆が笑う。
そうして、幸多たちは待機所を後にしたのだが、待機所を出るときも、統魔が魔法を使ってくれた。一般市民に過ぎない幸多たちが待機所に紛れ込んでいたという事実は、あまり知れ渡っていいことではない。
頭上に七色の光が輝く中、幸多たちは懸命に駆け抜け、河川敷から土手へと昇った。そして雑踏に紛れ込み、息を吐く。
「ふー……ばれなかったかな」
「たぶん、だけど、だいじょうぶじゃないかしら」
「そうですね、だれもこちらを見ていませんし……」
紗江子のいうとおりだ。
土手や河川敷、橋の上の市民は、統魔の魔法に見取れていた。
「しっかし、今日ほどおまえの友人で良かったと思ったことはなかったぜ」
「へえ」
「いや、冗談に決まってんだろ、冗談だよ、冗談」
圭悟の極端に少なくなる語彙に対し、幸多は半眼にならざるを得なかったが、追求したところで意味はない。
圭悟たち四人は、統魔と直接会い、会話すらすることのできた昂奮でのぼせ上がっている様子であり、ただただ微笑ましいと感じるのが幸多だった。
幸多は、といえば、戦団の待機所に入り込めたことのほうが昂奮していたし、そのことで統魔に感謝したいくらいだった。
一般市民が入り込める場所ではなかったし、導士たちの普段の雰囲気や空気感をわずかでも味わえるようなことは、そうあることではなかった。
「……もうこんな時間か」
圭悟が携帯端末の時刻表示を見て、つぶやいた。午後八時を大きく過ぎている。
頭上には夜の闇があり、満天の星々が瞬いていた。そして、巨大な月が穏やかな光を地上に降り注がせている。
幸多は、月を見ていた。なにか月が陰っているように見えたからだ。実際にはそんなことないのだが、どうにも気になった。
違和感がある。
「あっという間だったな」
「楽しかったねえ」
「ええ、本当に」
「一生の想い出になるかも」
「うん」
幸多は、圭悟たちの会話に上の空で頷いた。月の影が気になっていた。
すると、橋の方から大声が上がった。
突如、未来河の水面が膨れ上がったかと思うと、それはとてつもなく巨大な水柱となった。そして、天を衝くほどの水柱が割れて、大量の川水を豪雨の如く撒き散らしながら、それが姿を表す。満天の星々をも覆い隠すほどの巨躯が、天高く舞い上がったのだ。
さながら天地をも食らうほどに巨大な、蛇のような異形の怪物。
「リヴァイアサンッ!?」
誰かが叫び、一斉に携帯端末が鳴り響いた。
遥か上空、月光を反射して輝く幻魔の巨躯が、禍々しくうねっていた。




