第二百六十五話 戦団の女神様(四)
そして、バビロンが崩壊する。
幻板に映し出された異形の都市バビロンが、跡形もなく崩れ去り、幻魔造りの建物が撤去されていく中、黒々とした死の大地に命の芽吹きが見え始める。
央都の開発が始まったのだ。
「我々地上奪還部隊は、バビロンにてリリスを討った。そして、ここに央都の基礎を築き上げようとした。そのとき発見したのが、リリスによって丁重に隔離されていた三基の魔機だ」
『わたしたちのことよ!』
ヴェルザンディが胸を張り、幻想体を輝かせてまで強く激しく主張してきたが、幸多にとってもいわれるまでもないことだった。
「我々は、それら魔機の解析を行い、使えるかどうかを徹底的に調査した。幻魔が確保し、隔離していた魔機だ。どのようなものなのかわかったものではないからな。慎重に慎重を重ね、ついにノルン・ユニットの詳細を知ることが出来たのは……もう随分昔の話だな」
『あの頃、神威ちゃんも若かったよねー』
『いまは素敵な殿方に成られて』
『成長を感じる……』
三女神が神威を取り巻くようにすると、神威が小さく咳払いをした。
導士にとっては威厳の塊そのものであり、近寄りがたい存在であるはずの戦団総長だが、女神たちにとってはそうではないらしい。気安く話しかけるだけでなく、からかったり軽口を飛ばし合う様子から、付き合いの長さ、関係の深さを感じさせた。
「……我々は、ノルン・ネットワークをノルン・システムとして再構築し、戦団の根幹と位置づけた。ノルン・ユニットに蓄えられた莫大な情報量も、その圧倒的な分析力も、未来予測も、全て、戦団にとって、いや、人類復興にとって大きな力になると考えられたからだ。実際、この上なく役立ってくれている。彼女たちがいなければ、我々は、これほどまでの速度で人類生存圏を拡大できなかっただろうし、そもそも、央都を維持し続けることができたかも怪しいところだ。央都の開発も維持も、我々の力だけでは成し遂げられなかった。彼女たちがあればこそ、戦団は存在しているといっても過言ではない」
『ちょっとちょっとー、いくらなんでも褒めすぎー』
『照れますわね』
『もっと褒めて良いよ』
三女神の反応は、それぞれだ。大袈裟に照れてみせるヴェルザンディに、微笑するウルズ、物足りないといわんばかりのスクルド。三者三様の言動は、彼女たちの性格の違いそのものなのだろう。つまり、女神たちには異なる性格があるということだ。
「戦団がネノクニに対し優位に立てたのも、現在もなおその立場を維持できているのも、彼女たちの存在が大きい。彼女たちは、レイラインネットワークを掌握しているからな」
「はあ……はあ!?」
幸多が素っ頓狂な声を上げるのは、至極当然のことだった。
レイラインネットワークといえば、世界中を結ぶ情報通信網だ。
魔法の発明と普及によって誕生した情報通信網の一つであり、エーテリアルネットワークと双璧を成したが、エーテリアルネットワークの不安定さに比べると、極めて安定的なレイラインネットワークは、次第にその勢力を増し、魔法時代末期には、レイラインネットワークこそが最大の情報通信網として多くの人々に利用されていた。
それは、現在も変わっていない。
レイラインネットワークに変わる情報通信網が誕生しなかったからだし、極めて安定的かつ、有用だからだ。
いまや、誰もが手にしている携帯型多目的情報端末――いわゆる携帯端末は、常にレイラインネットワークと繋がっている。そして、ほとんどの機能がレイラインネットワークを必要とし、通話も文字のやり取りも、全てレイラインネットワークを介在しなければならない。
レイラインネットワークを掌握すると言うことはつまり、どういうことか。
神威が、静かに続ける。
「ネットワーク上に存在する全ての情報は、彼女たちの元へと流れ着く。無論、莫大な情報だ。その中から必要な情報だけを抜き出すというのは、簡単なことではないが、しかし、情報とは極めて偉大な力だ。情報の力があればこそ我々は統治機構を出し抜き、優位に立ち続けることができているのだ。今日の関係性もな」
「そんなことまで教えて良いのかねえ」
「良い。おれが承認する。おれは総長だぞ。戦団で一番偉い」
「あ、めずらしくふんぞり返った」
「たまにはいいだろう」
「いつでも構いませんが」
「ふむ……」
幸多は、神威と星将三人のやり取りを目の当たりにして、しばし茫然とした。女神たちとの軽妙なやり取り同様、どうにも気安さを感じるものであり、距離感の近さを窺い知れるものだったし、なんだか美由理たちが神威のことを心底慕っているのが見て取れるようだった。
「ちなみに、だが。彼女たちがこのような姿をしているのは、彼女たち本人の趣味だ。元々、ノルン・ユニットは、ただの機械だったのだ。人工知能こそ与えられていたが、世界中から情報を集積し、分析し、演算するためだけの機構だった。それがユグドラシル・システムであり、ネノクニの管理運営にはそれで良かった。それだけで十分だったのだ。だが、ノルン・システムは、ユグドラシル・システムほどの完全性はない。ユグドラシル・ユニットが足りないからだ」
「ユグドラシルユニットの所在は不明なのよ。魔天創世で分断された後、何者かによってどこかに持ち去られた、と考えられているわ」
「何者かって?」
「幻魔よ。鬼級幻魔。リリスのように機械に興味を持った幻魔が持ち去ったのでしょう」
「壊されてしまった可能性は?」
「それもあるけど、どうかしらね。そもそも幻魔は機械に興味を持たないものよ。機械が存在していたとしても、黙殺し、無視を決め込む。バビロンの機械が入り交じった建物を見たでしょう? 幻魔たちは、機械を嫌っているというより、機械を機械と認識していないようなのよ。だから、壊すことも考えにくい。だから、本来在るべき場所になかったのなら、運び出されたと考えるべきでしょうね」
「なるほど……」
幸多は、イリアの説明に唸るほかなかった。そういわれれば納得するしかない。
イリアのいう通り、先程まで映し出されていたバビロンの全景には、幻魔造りの建物が無数に映っていたのだが、その中には機械の残骸などがそのまま取り込まれているような建物が散見されていた。大半は、幻魔素材と呼ばれる合成物を用いた異形の建物だが、その中に機械と思しき部品が紛れ込んでいるのが、幻魔都市の異形さ、異質さを現している。
「完全なユグドラシル・システムになり得ない、不完全なノルン・システム。故にこそ、相互に補完し合うような仕組みとして、仮想人格を与え、望むままに幻想体を構築させた。それがこの姿だ。そして、彼女たちは我々戦団の女神となった――というわけだ」
神威の発言に合わせるようにして、女神たちが彼の周囲に舞い踊る。光が乱舞し、女神たちを彩り、鮮やかに輝かせた。神秘的で、幻想的な光景。まるで神話の中に足を踏み入れたかのような、そんな感覚が幸多の中に生まれた。
レイラインネットワークを掌握し、全ての情報を司る三女神。
その圧倒的な存在感は、幻想体とも思えないほどのものだ。
「皆代幸多閃士。きみを彼女たちと対面させた理由は、わかるかね」
神威が、そんな女神たちの舞踏の真っ只中で、幸多を見つめた。左目だけだが、その願力は凶悪といっていいほどに鋭く、強い。
「……ええと……あの、この間のことが原因、ですか」
「そうだ。きみが特別指定幻魔壱号に飛びかかり、ともに姿を消した件こそ、きみをこの場に迎え入れることにした理由の最たるものだ」
「……最たるもの」
「ほかにもあるということよ」
イリアが、そっと囁くように言ってきた。それによって、彼女がいつの間にか幸多の側に立っていたことに気づく。
まるで三女神に囲まれた神威と、三人の女傑に囲まれた幸多が対峙しているようだった。
実際には、決してそんなことはないのだが。
「きみがサタンとともに姿を消し、その後なにがあったのか、当然だが、我々には知る義務が在り、権利がある。戦団の今後の方針にも大きく関係することだからだ」
「はい」
「きみがどういうわけか空から落下してきたことは、聞いているな?」
「はい」
幸多はうなずいた。統魔から、聞かされている。
統魔は、任務の最中、光る雲の群れを発見し、その中から幸多が落ちてくるという異常事態に遭遇したのだ、という。ネノクニにいるのはずの幸多が突然空から落ちてきたのだ。統魔は大いに驚いたことだろう。
その後、統魔は、幸多がサタンとともに姿を消したということを知ったようなのだが、とはいえ、謎は多い。
なぜ、サタンと一緒に姿を消した幸多が、空から降ってきたのか。
その点に関しては、幸多も知らないことだった。




