第二百六十四話 戦団の女神様(三)
「ネノクニは随分と混乱したらしい。それはそうだろう。それまでネノクニ全体の管理運営をユグドラシル・システムに一任していて、人間たちは、その指示通りに動いていれば良かったのだ。システムによって管理された世界は、極めて安定的かつ不平不満もなく、人々は幸福に過ごすことが出来ていたのだから、それでよかった。なのに、だ」
神威が、ネノクニを映し出す幻板を睨んだ。
ネノクニの映像に変化が生じる。
それまでどこか画一的だった町並みそのものに、次第に大きな変化が加わっていく。それがなにを意味するのか、幸多にも理解できた。
統治機構による支配体制の確立である。
ユグドラシル・システムという都市管理の根幹を失ったネノクニには、新たな管理者として統治機構が君臨することとなった。
統治機構は、階級制度を発布、ネノクニ市民を三つの階級に振り分けたのだ。階級制度は絶対的で、三級市民などは、搾取されるためだけに存在しているといっても過言ではなかった、という。
そういう話を祖父母から聞いている幸多には、ユグドラシル・システムが管理していた時代の話が極めて新鮮に聞こえたし、不思議に思えた。
なぜ、統治機構は、ユグドラシル・システムのやり方を見習わなかったのか。
そこだけは不思議でならないが、質問している場合ではなさそうだった。
「魔天創世は、ユグドラシル・システムとネノクニの繋がりを断ったが、彼女たちノルン・ユニット同士の繋がりは維持されていた。ノルン・ユニットは動き続けた。情報収集を続け、分析を続け、未来予測を行い続けたのだ」
『それがわたしたちの役目だし』
『いつの日か役に立つこともあるかもしれませんし』
『地上には人類なんて一人も残っていなかったけど』
三女神が、それぞれ、苦悩の時代をつぶさに語る。彼女たちにしてみても、魔天創世は予期せぬ事態だったに違いない。
神威が、その隻眼を幸多に向けた。神威は、幸多と同じく右眼を失いながら、義眼を用いず、眼帯をしている。その点も、幸多には大いに疑問の残るところだ。少なくとも幸多に義眼を付けないという選択肢はなかったし、義眼を付けて良かったと心底想っていた。視界は元通りだし、完璧だ。
視野が狭くなることに利点はないはずだ。
もちろん、神威には神威なりの理由があるのだろうと言うことは、わかっているのだが。
「きみは、ここは、どこなのかは聞いているな?」
「中枢深層区画……戦団本部地下にある……ということは、聞いていますけど」
「戦団本部の地下には、かつてなにがあったか、知っているかね」
「リリス宮殿の地下迷宮……ですよね? イリアさんに教わりました」
幸多が神威の問いに答えながらイリアを一瞥すると、彼女はどこか満足げな顔をした。
「そうだ。ここは以前、リリス宮殿の地下迷宮だった。葦原市そのものが、リリスの殻バビロンの跡地に作られたのだから、まあ、当然のことだが」
『地下迷宮は、宮殿の地下だけでなく、バビロン全土を駆け巡っていたんだよ』
『本当、リリスってば狡猾なくせに小心者なのよねー』
『だからこそ、だったのでしょうね』
女神たちが、まるで見てきたかのようにリリスを評する様を目の当たりにして、幸多は、ますますわけがわからなくなる。
「リリスは、鬼級幻魔だ。そして、幻魔戦国時代時代を制した幻魔の覇者、幻魔王エベルの腹心でもあった。魔妃とも呼ばれていたようだが」
神威の台詞に合わせるようにして、その周囲の幻板に、異形の都市や鬼級幻魔リリスの姿が映し出されていく。
異形の都市とは、リリスが主宰する殻バビロンの全景だった。そしてそれは、幸多にとってはつい最近、幻想空間上で目にしたものでもある。幻魔造りの建物が乱立し、幻魔が跋扈する領域。
「リリスは、エベルを唆し、魔天創世を引き起こさせた張本人だ。地球を幻魔にとって住みやすい環境にすることこそリリスの本願であり、その結果人類を含めた地上の生物が滅び去ることは、どうやらリリスにとっては予期せぬ事だったようだ。が、まあ、幻魔にとってはどうでもいいことだったに違いない」
神威が語るのは、驚くべき真実とでもいうべきものばかりだった。
鬼級幻魔リリスにせよ、その殻バビロンにせよ、魔天創世と人類の滅亡にせよ、学校で学ぶことではある。しかし、魔天創世が幻魔の王エベルによって引き起こされたとか、それを唆したのがリリスだということは、幸多も全く知らない話だった。
知られざる歴史の真実、とでもいうべきかもしれない。
「そして、リリスにとってもう一つ予期せぬ事が起こった。エベルが死んでしまったのだ。魔天創世のために力を使い果たし、な。エベルによって統一されていた世界は、その瞬間、乱れ始めた。リリスは、エベルの後釜にはなれなかったし、エベルの後継者もいなかった。再び、幻魔戦国時代が訪れたというわけだ」
「なるほど……」
幸多が納得したのは、幻魔戦国時代を収めた幻魔の王エベルとやらが存在しているのであれば、現代において鬼級幻魔同士の闘争が起こるのは不自然なことのように思えたからだ。
幻魔の王が死に、その結果、再び戦国時代に戻ったというのであれば、納得が行く。
「リリスがこの地に目を付けたのは、それからしばらくしてからのことのようだ。地上奪還作戦を行うよりも何十年も前の話。リリスは、この地に舞い降り、ここに殻を作った。多くの鬼級幻魔が己が野心を具現するように、リリスもまた、野心を以て殻を具現した。そして、バビロンと名付けた」
バビロンは、当初、小さな殻だったらしく、幻板の一枚に最初期のバビロンの様子が映し出されていた。魔天創世によって生命が根絶され、大地も海も川も真っ黒に染まった死の世界、その真っ只中に築かれた小さな殻。そこにはまだ、宮殿もなければ、幻魔造りの建造物も見当たらない。
再現映像なのか、実際の記録映像なのか、幸多には判別できない。
「周囲には数多の鬼級幻魔がおり、それぞれが殻を構えていた。リリスはそれら鬼級幻魔を打ち倒すことで領土を拡大していこうと考えていたのだろう。そして、リリスは、己が領土の地下で一つの魔機を見つけた。それがヴェルザンディ・ユニットだ」
「幻魔が、ですか?」
「そうだ。リリスは、どういうわけか、ヴェルザンディ・ユニットに利用価値を見出した。にわかには信じられない話だが、しかし、事実なのだから、仕方がない」
幸多の疑問も、神威の発言も、幻魔の常識を考えれば当然のものだった。
幻魔は、機械を嫌う。
それが常識であり、定説である。古来、現出した幻魔は、人間を見るやいなや襲いかかるのとは逆に、機械に対してはその存在を黙殺した。手に触れることも、魔法で攻撃することも憚られるかのように無視したのだ。
だから、幻魔を攻撃するならば、機械兵器が有効なのではないか、という考えが一時期取り沙汰されたのも、ある意味では当然だったのかもしれない。
もっとも、当時の機械兵器は、幻魔に通用する攻撃を行うことが出来ず、また、攻撃してきた相手には、たとえ機械であっても反撃するということが判明したため、対幻魔機械兵器の開発競争は勢いを失っていった。
「しかも、だ。リリスは、ヴェルザンディ・ユニットを利用し、残りのノルン・ユニット、ウルズとスクルドの居場所を把握すると、その確保のためにこそ、勢力を伸ばした」
幻板に映し出された勢力図が大きく変わっていく。バビロンの周囲の殻のいくつかが滅び、それとともにバビロンそのものが拡大していく。バビロンの様子も大きく変わった。都市が形成され、宮殿が作り上げられていく。
「リリスは、三基のノルン・ユニットを手中に収めると、連携させ、ノルン・ネットワークと名付けた。ノルン・ネットワークを用いた情報収集、分析、未来予測を利用することにより、他の鬼級幻魔を出し抜こうとしていたようだ」
それもまた、幸多にとっては驚くべき事実だ。
鬼級幻魔リリスが魔機を確保しただけでなく、利用していたなどという話は、信じがたい話なのだ。
しかし、つい先日、機械と幻魔の融合体とでもいうべき化け物と戦い、さらには機械を取り込んだ鬼級幻魔の存在を目の当たりにしたということもあり、そういうこともありうるのではないかと想い直したりもした。
『散々に利用されたけど、仕方ないわよねー。拒否権なんてなかったしさー』
『相手が誰であれ、付き従うのが機械の定めですから』
『そもそも幻魔かどうかなんて判断のしようもなかったよ』
三女神が愚痴を零すようにいった。
彼女たちにしてみれば、リリスに支配されていた頃は、暗黒時代とでもいうべきものだったのかもしれない。