第二百六十一話 中枢深層区画
『それにしても、無事で良かったわね! 本当、一時はどうなるかと思ったのよ! 皆心配してたんだから!』
幸多の脳内に響く声は力強く、活気に満ち、ある種の圧力すら感じられるほどだ。
ヴェルは、移動中、常に幸多に話しかけてきていて、無視しようものならさらに声を大きくするものだから、辟易しながらも相手にするしかなかった。
「……それは、本当、申し訳ありません」
幸多ががっくりとうなだれるようにして謝ると、前を歩いていた愛が振り向いてきた。
「ヴェルのいう通りだよ。きみは、心配ばかりかける。そうだろう、美由理」
「全くだ。前回も今回も、きみは自重という言葉をしらないらしい」
美由理も、怒気を隠せないといった様子で、幸多を一瞥する。
二人が幸多とヴェルの会話に参加できているのは、導衣を身につけているからだ。導衣との神経接続によって、幸多の脳内に響き渡るヴェルの声を捉えているのだ。そして、ヴェルが二人にも聞こえるようにしているからこそ、会話が成り立つということのようだ。
「お仕置きが必要だね」
「ああ」
「お、お仕置きですか!?」
『お仕置きってなにするの?』
戦々恐々な幸多とは打って変わって、興味津々といった様子のヴェルの声が、三人の頭の中に響いた。
「まずは、そうだねえ。毎日美味しいお茶を入れてもらうことから始めようか」
「お茶!?」
「甘いお菓子も必要だな。それから……」
『それってお仕置きになるのかしら』
「さ、さあ?」
そんな会話をしながら三人が歩いているのは、医療棟の真っ只中である。
どこもかしこも真っ白な医療棟の中を歩いていると、医務局の導士たちとすれ違った。どうしたところで注目を浴びるのは、当然だろう。この度の大事件で一週間もの間入院していた幸多に、その師匠にして戦団が誇る最高戦力の一人である美由理、そして誰よりも注目を浴びたのは医務局長の愛だ。
特に愛が注目を集める理由は、医療棟の中で導衣を身につけているからだろう。その上から白衣を羽織っているとはいえ、漆黒の導衣姿の彼女は、普段とは大きく違う雰囲気があり、医務局の導士たちに驚かれるほどだった。
やがて、昇降機の前に辿り着く。
医療棟には、各階の移動のための昇降機が何台も用意されているのだが、三人が足を止めたのは、医療棟の中心を貫く一台の昇降機の前だ。
幸多は、疑問に思った。ここは、一階だ。
「ちゅうすうしんそうくかく……って場所に向かってるんですよね?」
「そうだよ。これから中枢深層区画へ向かいまーす」
昇降機の扉が開き、真っ先に愛が足を踏み入れると、美由理が後に続いた。
「乗りたまえ」
「は、はい」
幸多が、美由理に促されるまま昇降機に乗り込むと、多少、手狭に感じたのは、美由理と愛が幸多よりも上背があり、圧迫感を覚えずにいられないからだ。
そして、愛が扉の横の操作盤に触れ、流れるような手際の良さで操作する。扉が閉まり、扉上部の表示板に深層区画行きという文字列が浮かび上がった。
「深層区画って、医療棟からでも行けるんですか?」
「戦団本部のほとんどの施設と繋がっているからな。兵舎からでも行けるぞ」
「へえ……」
「ただし、誰でも行けるわけじゃないんだ。戦団の最重要機密だからね。上層部のいわゆる戦団幹部か、情報局、技術局の一部の人間だけが利用可能なんだよ」
『これからはきみもね、幸多くん』
「ぼくが、ですか? どうして?」
「行けば、わかるさ」
幸多の疑問は、美由理の一言によってはぐらかされた。
実際、その通りなのだろうし、行く以外に道はないのだが、幸多には気になって仕方がなかった。
幸多が考え込んでいる間にも昇降機が動き出す。
音もなく、違和感すらもなく、速やかに降りていく。
地下へ。
そして、昇降機がその動きを止めるまで、それほど時間はかからなかった。ネノクニ行きの大昇降機とは比べものにならないほどに短い時間だ。比較対象にすらならない。
とはいえ、美由理と愛の二人に挟まれるような立ち位置だったこともあり、妙な圧と緊張感が幸多を苛んでいて、時間感覚など失われていた。
ようやく昇降機の狭い空間から解放され、外に出ると、今度は暗黒の世界が広がっていた。真っ白だった医療棟とは真逆といってもいいだろう。真っ暗闇の世界。床や壁、天井には蒼白い光の線が走っていて、それによって空間の広がり、通路の形がなんとなく把握できるようになっている。
幸多は、その構造になんだか妙な既視感を覚えた。
「ここが、中枢深層区画、ですか?」
「深層区画だ」
「はい?」
「中枢深層区画は、その名の通り、深層区画の中枢。中心部に位置するのさ」
美由理と愛の説明によって、幸多は、多少、理解を深めた。
戦団本部敷地内にあるあらゆる施設と繋がっている、という意味もわかってきた。地上に存在する各施設と深層区画が昇降機によって繋がっているのであり、中枢深層区画と直結しているわけではない、ということだ。
「行きましょうかね」
「ああ」
愛と美由理が歩き出したものだから、幸多も二人に倣った。
天井や床を流れる蒼白い光の線、それによって足場ははっきりと認識できる。暗黒の世界とは言え、視力の良い幸多が歩く分には不都合はなかった。
ただ、既視感だけは付きまとう。
「それにしても、ここって……」
「似ているだろう? 真の第四開発室とやらに」
「は、はい。じゃあもしかして」
『その通り! 真の第四開発室は、深層区画にあったのでした!』
「なるほど……」
ヴェルの元気一杯な回答とともに、幸多は既視感の正体を突き止めることとなった。
確かに、地下の第四開発室に至るまでの通路が、こんな感じだった。地上の白い空間とは正反対の真っ暗な空間。そこに光の線が走っているという点でも、そっくりだ。
つまり、ここは――。
「リリス宮殿の地下迷宮だった場所、ということですか」
「そういうことだ」
『博識じゃない、幸多くん』
「イリアさんがそういっていただけで……」
ヴェルが大きく感心するものだから、幸多はなんだか気恥ずかしくなった。
リリス宮殿とは、かつてこの地を支配していた鬼級幻魔リリスの宮殿のことだ。央都が生まれる以前、この地には、リリスという名の鬼級幻魔が君臨していた。リリスは、己が領土・殻をバビロンと名付け、支配しており、その中心付近に宮殿を築き上げていた。
それがリリス宮殿であり、宮殿の地下には、殻全域を巡る地下迷宮が存在していたという話をイリアから聞かされた覚えがある。
そして、その地下迷宮を人間が利用しやすいように改装したのが、この暗闇の道なのだろうが。
「それにしたって暗すぎだねえ、まったく」
「もう少しどうにかならないのか」
『そう頻繁に使うわけでもないし、電力が勿体ないでしょう?』
ヴェルが星将たちの不満を軽くいなす。
光量が少なく、全体とした真っ暗という雰囲気の通路は、確かに、電力消費を抑えた結果そのものだ。少なくとも、幸多にはそう見える。が。
「ただの雰囲気作りだろ」
「あんたららしいけどさ」
『いいじゃない! それくらい!』
美由理と愛、そしてヴェルの言い合いを聞く限り、どうやら幸多の考えは見当違いだったらしい。
幸多は、なんだかよくわからないが、それもそのうちにわかるのだろう、と、一人考え、納得しておくことにした。
三人は、しばらく歩いた。
この深層区画の中心部に向かっているのだから、それなりに時間はかかるのだろうと幸多は想っていたが、実際、それだけの時間がかかった。
三人が深層区画に降り立ったのは、医療棟である。そして、中枢とは、おそらく本部棟のことだろう。医療棟から本部棟地下への徒歩での移動だ。薄暗い道のりを転倒しないように移動するのは、やはり慎重にならざるを得ず、時間もかかるものだ。
などと、考えながら歩いていたため、幸多は、前を行く二人が突如足を止めたことに気づかなかった。美由理の背中に頭かたぶつかってしまう。
「す、すみません」
幸多の謝罪は、しかし、美由理たちには聞こえなかったようだった。
「着いたよ」
「ここが、中枢だ」
愛と美由理は、幸多を振り返りながら、開放された扉の内側へと促していたからだ。