第二百六十話 進むべき道(三)
「うーん……」
幸多が唸ったのは、医療棟の一室でのことだった。
広い室内は、医療棟全体と同じく、ほとんどが白で塗り潰されている。潔癖なまでの白さは、しかし、完全なものではなく、ところどころ別の色が混じっているのだが、それにしたって白い。白すぎるきらいがある。
そんな真っ白の室内には、様々な医療器具があり、機材があり、端末があり、いくつもの幻板が空中に浮かんでいる。
「しっくりこないか?」
「そりゃあそうだろうねえ。なんたってきみの体は特別製だ。最新型の生体部品を使っているとはいえ、違和感は消えないだろうさ」
美由理が心配そうに幸多を見つめる横で、愛は、彼が左腕を自在に動かしている様を確認し、記録していた。
幸多の右眼が、彼の意図通りに動いていることも、だ。
幸多の左前腕と右眼。
それは、失われたものだ。
永久に失われ、絶対に回帰しない。
が、医療技術の発達した今となっては、極めて人体に近い材質の義肢や義眼もお手の物だった。そしてそれら義肢、義眼は、神経接続により、脳との完璧に近い連動を可能とした。つまり、思った通りに動くだけでなく、無意識に反応することさえできるようになったのだ。
幸多は、左腕の肘から先にまで神経が行き渡っているような感覚と、欠けていた視界が補われ、視野が確保されたことに感動しつつも、どうしようもなく違和感を覚えていた。
前腕から手、指先に至るまで、思い通りに動く。考えるまでもなく、反応する。たとえば、なにかを放り投げて掴むという動作をする。それは、意識して行うものではなく、無意識的に、脳が反応し、体が動くものだが、この義肢は、見事なまでの反応を見せた。幸多の反応速度に対応しているのだから、十分すぎるくらいの出来だ。
「とはいえ、技術局の特別製だから、きみの身体能力を損なうことはないはずだよ」
「イリアに感謝しないとな」
「むしろイリアは謝っていたけどね」
「なぜ?」
美由理は、愛を横目に見た。白金色の髪の美女は、流し目でこちらを見て、苦笑する。
「巻き込んでしまった、からだとさ。いつもの考えすぎ、ってやつだね」
「なるほど。確かに考えすぎだな。そうだろう、幸多」
「そうですよ。イリアさんはなにも悪くないです」
幸多は、左手だけを使っての球遊びを止めて、美由理たちを見た。義眼は、以前の右眼と遜色なく機能している。その眼でも、美由理と愛の美貌は、何一つ欠けることなく捉えられている。
「悪いのは、ぼく自身ですから」
「それがわかっているのならば、いい」
「いいのかい?」
「いい」
「そうかい。なら、なにもいうことはないけどねぇ……」
愛は、美由理の強い口調に負けた。
このように、体の一部を失うなどの重傷を負った導士は、医務局によって最新型の義肢、義眼などを与えられる。
それによって戦線に復帰するも良し、戦団を辞めるのも良し、選択肢は、本人にある。
義肢を必要とするほどの重傷を負えば、考え方も変わるかもしれないし、変わったとしてもなんら不思議ではない。だから、戦団は選択を迫る。確認する。
導士として戦い続けるのか、市民としての日常に戻るのか。
二つに一つ。
幸多は、前者を選んだ。
当然だった。
他の選択肢など、幸多にはあろうはずもないのだから。
義肢にせよ、義眼にせよ、移植には手術が必要であり、先程までその手術をしていた。大して時間はかからなかったし、問題もなかった。
ただし、違和感は拭いきれない。
見た目には、幸多の左腕を完全に再現していて、動かす分にも十分すぎるくらいだった。その点では、大いに満足している。けれども、どうしようもない違和感が付きまとっている。それを言葉で言い表すのは、幸多には難しかった。
右眼もだ。
視界は良好。視力も、幸多の左目と合わせられていて、変な部分はない。
なのに、違和感を覚える。
理屈ではないのかもしれない――などと、幸多は、再び手にした球を軽く放り投げながら、考える。左手で球を掴み取り、感覚を確かめた。指の一本一本に至るまで、完璧に機能している。
なんの問題もなさそうだ。
これでまた、戦える。
幸多がそう確信したときだった。
『はぁい、聞こえる? 聞こえるわよね? 聞こえて当然だものね? イリアもいってたし』
「うえ!?」
突然、幸多の脳内に聞き知った声が氾濫したものだから、椅子から転げ落ちた。
「幸多!?」
「どうしたんだい!?」
美由理も愛も予想だにしない事態に目を丸くしながら、幸多に駆け寄る。
幸多は、わけがわからないといった表情をして、目をぱちくりとさせていた。
「いま、突然、ヴェルさ――ヴェルちゃんの声がして」
幸多の発言を受けて、美由理は愛を見た。
「ヴェルちゃん?」
「もしかして、ヴェルのことかい?」
「御存知、ですよね? 特別情報官のヴェルちゃん」
幸多は、ほっとした。美由理も愛も当たり前のように彼女の名を呼んだからだ。知っている、ということにほかならない。だが、二人は顔を見合わせ、怪訝な顔をする。
「特別……情報官?」
「なんだいそりゃ?」
「ええ!?」
幸多は、美由理と愛の反応に吃驚するほかない。すると、脳内に声が閃く。
『はいはーい、特別情報官のヴェルちゃんだよー!』
「また!?」
幸多は、頭の中に強く響く声に顔をしかめた。病み上がりだからなのか、やけにきつく聞こえた。
「そういうことかい」
「どういうことだ?」
「いっただろう。義肢も義眼も、イリアの特別製だとね」
「……なるほど」
愛の返答には美由理も大きく頷くしかない。それならば納得だ、といわんばかりだった。
そんな二人の言動を見ても、幸多には全く理解しがたいものがあった。なぜ、ヴェルの声が聞こえるのか。幻聴なのではないか、とすら思える。
「なに二人だけで理解してるんですか!? 説明してくださいよ!?」
『なに驚いてるのよ-? また会えたんだから、嬉しくしなさいよねー』
「また会えたって……いわれても……」
脳内に響く声に茫然とする幸多に対し、美由理と愛はまたしても顔を見合わせ、今度は肩を竦め合った。
「イリアが義眼と義肢になにかを仕込んだんだろう」
「神経接続技術の塊だからね、義眼も義肢も。でなけりゃ、自由自在に動かす事なんてできるわけもないし」
「なるほど……?」
なんとはなしに理屈を理解する。
闘衣を身につけた際、脳内にヴェルの声が響いたのは、闘衣が神経接続を行っていたからだ。闘衣と幸多の脳神経が密接な繋がりを持ち、故に、脳内にヴェルの声が直接届けられていた。
幸多は今、神経接続技術の塊である義眼、義肢を装着している。そして、義眼か義肢のどちらか、あるいは両方に通信機能が備わっているのではないか。最新技術を用いれば、それくらいのことはできそうだった。
『まあ、ちょっと違うけど』
「はい?」
『とにかく、急ぎなさいな。神威ちゃんがお呼びだよ』
「神威……ちゃん?」
思わず口にしてしまった言葉に、幸多はバツの悪い顔になった。が、美由理も愛も気にした様子がない。
「総長閣下が、どうした?」
「ええと……」
『中枢深層区画に急ぐの!』
「中枢深層区画に急げって……」
「……なるほどねえ。それじゃあ、あたしたちも行くとしようか」
愛は、幸多の反応から事情を察すると、美由理に話しかけた。
「わたしもか?」
「ついてこなくても、すぐに呼び出されるよ」
「ふむ……理解した」
美由理もついに状況を把握して、頷いた。
この場にいる幸多だけが、状況に取り残されていたが、しかし、どうすることもできない。
ヴェルにいわれるまま、中枢深層区画とやらに行くしかなさそうだった。




