第二百五十九話 進むべき道(二)
「天輪スキャンダル……」
幸多は、統魔と奏恵から聞かされた話を思い起こしながら、つぶやいた。
天輪技研の新戦略発表会で起きた一連の事件を総称して、そのように呼ばれるようになったのだ、という。
「天燎を無視して天輪と名付けるところが浅ましいというか、卑しいというか」
とは、統魔の意見である。
おそらく、天燎財団への忖度、配慮が大きく働いた結果だろう、とも、統魔は考えているようだった。実際、その通りなのだろう。
央都において現在最も影響力を持つ企業といえば、天燎財団だ。天燎魔具という小さな魔具販売業をたった一代で財団を形成するほどに成長させた天燎鏡史郎率いる勢力は、央都企業連合の中においていまや最大の権勢を誇っているという。
天燎財団の権勢に屈し、忖度するものたちがいたとしてもなんらおかしなことではない。
とはいえ、央都のみならずネノクニを巻き込み、双界を揺るがしかねないほどの大事件である。
天輪技研だけの問題にするには、無理がありすぎた。
あれから一週間。
ネノクニで起きた大事件の舞台は、現在、この地上――央都へと移っている。
企業連が、天燎財団の責任を追求し始めたというのだ。
なぜ、同じ企業連に属し、企業連の勢力を高めているはずの天燎財団を庇うのではなく、攻撃するのかといえば、企業連内部の対立構造が大きく影響しているからなのだろうが、そんなことは幸多にはどうでもいいことだった。
天燎財団がどうなろうと、知ったことではない。
幸多にとって重要なのは、天燎高校に通う学生たちであり、中でも親友たちのことだ。
統魔と奏恵の話によれば、天燎高校の存続が危ぶまれることはなさそうだ、という話だが、学生たちに向けられる部外者からの眼差しは大きく変わるだろう、という報道もあるらしい。
それはそうだろう。
今回の大事件を経たことによって、天燎財団に関連する全てが色眼鏡で見られるようになるのは、致し方のないことだ。
天燎鏡磨は、それだけのことをしてしまった。
そして、天燎鏡磨本人は、といえば、戦団に拘束されたようだ。
当初、天燎鏡磨を拘束したのは、ネノクニ統治機構だが、統治機構は、すみやかに戦団に引き渡した。天燎鏡磨の目的が戦団の、央都秩序の転覆であるということは明白であり、ネノクニはその立地を利用されていたに過ぎないからだ。
ネノクニにとっては、爆弾を抱えるようなものだ。だからこそ、すぐさま戦団に身柄を引き渡し、ネノクニに存在する天輪技研を始めとする天燎財団関係の施設の調査を戦団に任せたのだ。
戦団は、天輪技研のネノクニ工場のみならず、ネノクニに存在する天燎財団系列の全施設を徹底的に調査すると発表、そのための人員がネノクニに送られている。
現在、ネノクニも天燎財団周りも大わらわとなっているのだという
そして、戦団も――。
「うわ」
幸多が思わず唸ったのは、携帯端末を起動した直後、怒濤のような通知があったからだ。ほとんどが学校関連の友人知人ばかりであり、唯一、学校と関係がないのは砂部愛理からの通知だった。
通知の大半は、コミュニケーションアプリ・ヒトコトへの伝言である。
幸多が重態であることを知った友人たちは、どうやら、幸多の回復を祈り、また応援するための言葉を書き連ねることにしたようだった。
米田圭悟、中島蘭、阿弥陀真弥、百合丘紗江子、北浜怜治、魚住亨梧、黒木法子、我孫子雷智――特に幸多と縁が深いのは、彼ら対抗戦部の部員たちだろう。皆、幸多の一刻も早い回復を祈り、願い、様々な言葉を書き込んでくれていた。
特に親しいわけではないが、ヒトコトの天燎高校生徒会というグループにも、幸多宛ての伝言が無数に届いている。
そうした伝言に目を通していると、なんだか目頭が熱くなってきた。誰もが幸多の回復を祈り、願い、望んでくれていた。その言葉の一つ一つがまっすぐに伝わってくる。
たっぷりと時間を掛けて読み終えると、幸多は、一先ず、圭悟たちに伝言を返すことにした。
時間は、夜の八時を過ぎていたが、問題はあるまい。実際、幸多の伝言には、すぐに返事があった。それも一斉に、怒濤のように、だ。
幸多は、頬を綻ばせながら、友人たちに無事であることを告げた。
「友達?」
「うん」
「良かったな」
「うん」
奏恵と統魔は、ただ、幸多の様子を見守っていた。幸多が無事に意識を取り戻したことは、既に医務局に伝えてあったし、医務局からも返事があった。
とはいえ、医務局としては、幸多に出来る処置は全て済ませていて、後は目覚めを待つだけだったということもあり、それほど急いではいないようだった。
幸多の外傷は、大きく二つ。左腕の肘から先が綺麗さっぱり切り取られたものと、右目がえぐり出されたもの。いずれもとんでもない大怪我だが、ほかに目立った外傷はなく、手術もすぐに済んでしまった。
後は幸多の意識が戻るのを待つばかりであり、それもすぐに目覚めるだろうと誰もが思っていた。
だというのに、幸多は、一週間もの間、眠り続けてしまったものだから、統魔も奏恵も心配で仕方がなかったのだ。
医療局の医師たちの診断でも、なぜ目覚めないのかがわからないという話だった。
幸多が魔法士ならば、ただの魔法不能者ならば、覚醒魔法で強引に目覚めさせることも可能なのだが、残念なことに、幸多にはその手の魔法が一切効かなかった。
完全無能者だからだ。
幸多の意識が戻るのを待つしかなかったのは、そのためだった。
そして、目覚めた彼は、一週間分の情報を統魔と奏恵から取り込み、いまや携帯端末を触っている。友人たちと伝言を交わす表情一つ取っても、あれほどの凄惨な状態になったとは思えないほどにあどけなく、幼い。
病室の扉が叩かれ、奏恵が対応すると、星将が二人、室内に入ってきた。
医務局長・妻鹿愛と第七軍団長・伊佐那美由理だ。
どうして、などとは、統魔も思わなかった。妻鹿愛は当然のことだろうし、伊佐那美由理も幸多の直属の上司であり、師匠だ。しかもたった一人の弟子とあらば、その容態が気にかかるのも当然だと思えた。
「目覚めの気分はどうだい、幸多くん」
「意識は……しっかりしているようだな」
妻鹿愛と伊佐那美由理は、幸多の目の前で足を止めると、それぞれに口を開いた。愛は幸多の容態を気にし、美由理は、幸多が携帯端末と睨み合っている様を見て、なんだか気が抜けるような気分だった。
同時に、心底安堵もする。
幸多がサタンとともに姿を消したという報せを聞いたとき、美由理は、ただただ衝撃を受けたものだった。サタンは、自在に空間を転移する鬼級幻魔だ。どこからともなく現れ、どこへともなく消え失せる。そんな鬼級幻魔の空間転移に巻き込まれたのであれば、助ける手立てなどあるわけもなかった。
空間転移魔法は、通常、行った場所にしか、記憶に刻まれている場所にしか行けないものだ。
つまり、サタンの転移先を知っていなければ、追いかけようがないのだ。
実際、あの場に居合わせたイリアは、瞬時に空間魔法を使ったが、どうにもならなかった。
魔法は、想像の産物だ。
サタンの行き先を想像できなければ、どれだけ優秀な空間魔法の使い手であっても、為す術もない。
そして、幸多が、深手を負いながらも、その日のうちに戻ってくるなど、想像できることではなかった。
還ってこられたのだ。
左腕と右目を失い、痛々しいことこの上ない姿だが、生きている。生きて、還ってきているのだ。そして、幸多は、元気そのものだ。
それだけで十分ではないか、と、美由理は思うのだ。
命を落とす可能性は、極めて高かった。
だからこそ、こうしていつものような表情で携帯端末と向き合っている幸多の姿を見ることができるだけで、なんともいえない安心感を得られるのだ。
とはいえ。
「愛さんに、師匠……どうされたんです?」
携帯端末から二人に視線を向けた幸多の第一声には、愛も美由理も顔を見合わせる以外にはなかった。
「あのねぇ」
「きみの意識が戻ったなら、様子を見に来るのは当然だろう」
苦笑する恵みに対し、美由理は力強く断言した。それから思い出したように付け足す。
「師匠としてな」
「……師匠として、ね」
「なんだ?」
「なーんにもいってないけどねぇ」
美由理に睨み付けられ、愛は、やれやれと手を挙げ、首を横に振った。
なんともいえない空気が、病室に満ちている。
愛は、小さく咳払いをした。
「……話を戻すとして、さ。きみは、どうしたい?」
「はい?」
「戦団を辞めるか、続けるか。決めるのは、きみだ」
愛と美由理は、二人して、幸多を真っ直ぐに見つめた。二人の目には、満身創痍の少年が映っている。満身創痍。それこそ、体中ぼろぼろだ。右目と左腕だけではない。
目には見えない傷が、全身を苛んでいる。
幸多本人も知らない、傷。
だが、幸多は、
「そんなこと――」
いわれるまでもないことだ、と、思わずにはいられなかった。