第二十五話 英霊祭(六)
やがて、日が暮れ始めた。
正午過ぎには中天にあった太陽が、ゆっくりと傾き始め、いまでは西の彼方に沈みかけている。
空は、まだ青みがかっているものの、紅く燃え始めていた。
夕焼けの輝きは、なによりも強烈だ。
あの後、幸多は、皆代統魔の等身大パネルと一緒に写真を撮る羽目になった。圭悟が皆で一緒に撮ろうと言い出せば、反対する理由がなかったからだ。写真は、圭悟の端末で店の人に撮ってもらった。
多目的携帯端末には、写真や動画の撮影機能が標準で搭載されている。幻魔災害発生時等には、自動的に周囲の状況を記録してくれる優れものだ。そうでもしなければならないほど央都の状況は切迫しているということでもあるのだが。
それはそれとして。
幸多は、統魔の右横に並び、あまつさえ肩を組んだ。圭悟はそれを見て大笑いしたものだった。
撮った写真は、圭悟の端末から皆の端末に送信されており、幸多にとっては宝物になること間違いなかった。
屋台を歩き回って空腹を満たしていると、あろうことか北浜怜治と魚住亨梧に遭遇した。
二人は、幸多たちを発見して、バツの悪そうな顔をした。なぜならば、二人は、圭悟に英霊祭を一緒に行かないかと誘われたのを丁重に断ったからだ。それも家族と一緒に行くから、という理由でだ。
それなのに二人で一緒に並び歩いているところに遭遇したものだから、彼らが気まずくなるのは当然だった。
が、圭悟も幸多たちもなにもいわなかったし、軽く挨拶を交わした程度で離れた。
人には色々ある。
対抗戦部などといってこの一ヶ月ともに汗を流しているからといって、常に一緒にいられるほど、いたいと思えるほど仲良くなれるかといえば、そんなことはないのだ。無論、当初よりはずっと距離が近づき、軽口さえ叩き合えるほどにはなったのだが。
そういう意味でも、幸多は、圭悟たちと一緒にいられることの幸福を感じずにはいられなかった。この居心地の良さは、彼らの人の良さや優しさもあるのだろうが、波長が合うというのもあるに違いない。
怜治と亨梧は、圭悟によって強引に対抗戦に参加させられているのであって、本意ではないのだ。波長が合わなくても仕方がない。
それでも曽根伸也に付き従っている頃よりはマシだという本音を零していたあたり、曽根の支配は相当強烈だったに違いない。
それから河川敷を歩き回った。
河川敷では、様々な催し物があった。
中でも目を引いたのは、川辺に設営された舞台で行われた、戦団の戦いを元にしたヒーローショーだ。子供に人気らしく、無数の声援が飛び交っていた。ヒーローショーは殺傷能力のない派手な魔法が飛び交うため、子供に人気なのも頷けるというものだ。
河川敷を歩き回るのも疲れて、川縁で休憩したのも少し前のことだった。
そうするうちに日が傾き、午後五時を迎えた。
央都各地で大巡邏が始まろうという頃合いだった。
大巡邏は、英霊祭の目玉ともいうべき催しである。
英霊祭は、讃武の儀と大巡邏によって成り立っているといっても過言ではない。
無論、その他諸々の付属物があってこその英霊祭ではあるものの、二大行事といえば、それになる。
幸多たちは、大巡邏を見るために河川敷から土手に上がり、中央通りのほうに向かった。
大巡邏は、央都四市――葦原市、出雲市、大和市、水穂市で同時に行われる、戦団による大規模な巡回といって差し支えない。
毎年、讃武の儀に参加した軍団長とその軍団が、大行列を作り、それぞれ担当する市内をたっぷりと時間をかけて練り歩くのだ。
それは、戦団に所属する導士たちのお披露目と戦団が保有する戦力を誇示するためであるといわれており、また、英霊祭で浮かれている市民を守護し、央都全土を全力で警戒していることを主張していた。
今年は、八幡瑞葉率いる第四軍団が出雲市を、城ノ宮日流子の第五軍団や大和市を、新野辺九乃一の第六軍団が水穂市を担当している。
葦原市は、他の三市よりも明確に面積が広く、そのため複数の軍団で担当することになっている。伊佐那美由理の第七軍団、天空地明日良の第八軍団、麒麟寺蒼秀の第九軍団である。
幸多たちが大通りに出ると、戦団本部方面で歓声が上がっていた。川を越えて聞こえるほどのどよめき、反応は、それだけで凄まじい人気を感じることが出来る。
戦団は、ただの戦闘集団ではない。
央都になくてはならない存在であり、央都市民にとって掛け替えのないものなのだ。戦団こそが日常といってもいい、というものもいるほどだった。生活に密接に関わり、あらゆる場所、あらゆる場面に戦団の存在を感じることができる。
そして、戦団があればこそ、戦う力を持たない一般市民は、日常を謳歌することができる。
だれもがその事実を認識しているからこそ、命を懸けて戦ってくれる戦団の導士たちに日々感謝しているのであり、導士の中から人気者が誕生するのは、自然の成り行きといってもいいだろう。
「あの悲鳴ってさ、統魔様かな?」
「どうだろう。いくらなんでも悲鳴があがるほどかな」
「ほどだよー、知らないの? 統魔様の人気っぷり」
「家族だからな、こいつ。よくわかんねえのも無理ねえよ」
「うーん……」
幸多は、友人たちの統魔評を聞きながら、多少、納得しがたいものを感じる。統魔が人気者だということは重々承知だし、テレビ番組などで歓声や嬌声に反応する統魔の姿には笑いを堪えきれなかったものだが、それにしたって、反応が凄まじすぎやしないか。
どれだけ人気があろうと、弟は弟だ、と、幸多は想うのだ。
「葦原市担当の軍団が全部本部から出てきてるからだと思うよ」
「ああ、そういうこと」
蘭の解説には得心がいく。
第七、第八、第九軍団が順番に戦団本部を出発したというのであれば、あれだけの歓声が連続し、未来河を越えてこちらにまで響くというのもわからなくはなかった。
三人の星将や、それに次ぐ副長たち、そして合計三十名の杖長たちが列をなして市民の前に姿を見せたのだ。
観衆が悲鳴にも似た歓声や嬌声を上げたとして、なんら不思議ではなかった。
各軍団の軍団長、副長、杖長が勢揃いし、それらが隊伍をなしている光景を見られることは、通常、ありえないことだ。
まず、軍団単位で行動することが考えにくい。
それほどの軍事行動となると、外征か、人類生存圏が危機に瀕した際の防衛以外にはあり得なかった。それ以外の任務では、大抵が小隊単位で活動する。多くとも中隊までだろう。
大隊以上での任務となると限られてくるし、そんな光景を一般市民が見られるはずもなかった。
大巡邏が市民の注目を集めるのも、軍団の導士が勢揃いしている様を見ることができるからだ。
年に一度の大巡邏だが、お目当ての軍団が見られるかどうかはわからない。毎年、どの軍団がどの市を担当するのか、直前まで発表されないからだ。
幸多は、統魔の伝言の意図がここにあるのだろうと考えていた。英霊祭で会おう、というのは、大巡邏中の統魔を探してみろ、という挑戦状に違いない。
統魔は、第九軍団に所属している。皆代小隊として、第九軍団の大行列に組み込まれているはずだ。
「さーて、どうすっかなー」
「第九軍団が目当てなら、ここで待っていればいいよ」
「その心は」
「大巡邏の順路は戦団公式に載ってるんだってば」
「あー、だからかー」
真弥が大声を上げて納得した。
「だから、ここに人集りができてるわけね」
彼女のいうとおり、幸多たちは、人集りの真っ只中に足を踏み入れていた。
河川敷から土手に上がり、歩いて大通りに出たのだが、そこが大勢の観衆によって埋め尽くされていたのだ。
万世橋の袂だ。
万世橋は、未来河に架かる橋の中でももっとも大きな橋である。
未来へと至る河、そこに架かる橋を万世橋と名付けたのは、未来万世の平穏を祈り、願ったからだといわれている。
そのこの上なく立派な橋の北側に幸多たちはいて、数多くの観衆が道路沿いに人集りを作っている。
大巡邏の到着をいまかいまかを待ち構えているのだ。
「ここで待つか」
圭悟がたこ焼きを頬張りながら、いった。彼は、屋台を歩き回っている間に腹が減ったらしい。
「そうね、それがいいわ。どうせなら生の統魔様みたいし」
「わたくしも真弥ちゃんに賛成です」
「じゃあ、ぼくも」
「生統魔なんて見慣れてるんだけど」
「自慢かよ」
「自慢にならないけど」
「自慢だわ」
「無自覚自慢野郎ですね、皆代くん」
「ひどくない?」
「酷いのは、皆代くんじゃないかな」
「まったくだぜ」
第九軍団の大行列を待つ間、幸多たちは他愛のない会話を交わし、今日これまでに撮った写真や動画を見直したりして暇を潰した。
そして、橋の南側で物凄い歓声が起きたのは、大巡邏が始まって一時間ほどが経過した後のことだった。
橋が揺れるのではないかと思うほどの大歓声だった。
「凄いね」
幸多は、戦団の導士たちの人気振りを実感として理解したのは、これが初めてだった。
いや、水穂市に住んでいたころも大巡邏を見ていなかったわけではないし、現地に見に行ったことも何度もあった。そのときも観衆が騒いでいるの様を目の辺りにしている。
しかし、これほどではなかったような記憶があった。
「これが央都の中心ってわけよ」
圭悟が自慢するでもなく、ただありふれた事実を述べるように告げた。
葦原市。央都の中心であり、人類生存圏の中心ともいえるこの市は、当初、ただ央都と呼ばれていた。出雲市が生まれ、大和市が出来て、央都は葦原市へと名を改めた。
そして央都は、人類生存圏を象徴する言葉へとその立場を変えたのだ。
もっとも、葦原市が最大の賑わいを見せているのは、それだけが理由ではない。
単純に央都四市の中でもっとも面積が広く、人口が多いからだ。
幸多は、いままさにそんな人口の多さを実感している。
第九軍団が、万世橋を渡る。
第九軍団に所属する総勢一千名の導士、その半数となる五百名が、隊伍をなし、大行列となって進んでいく。
魔法によって生み出されたまばゆい光が、その隊列を夕闇の中に浮かび上がらせていた。どこからでも見えるように、だれにでもわかるように、その存在を明らかにしているのだ。
大行列の中をいくつもの団旗が翻っており、第九軍団であることを主張している。団旗は、白地に麒麟を象った杖が描かれたものであり、麒麟寺蒼秀が軍団長に就任した後に作られたものだ。
各軍団は、軍団長を務める星将の色に染められる。兵舎がそうであるように、団旗も、軍団の気風も、大きく変わるという。
団章と呼ばれる団員たちが身につける軍団の証も、団旗と同じものだ。
麒麟寺蒼秀は、みずからの名から団旗の意匠を考え出したのだろう。
その団旗は、空中にも掲げられている。
大巡邏の行列は、地上と空中を進む。
魔法士ならば自由自在に空を飛べるのだし、上空を警戒する上でも重要なことだった。
第九軍団の先頭を任されているのが、だれあろう皆代小隊だった。
「統魔様が先頭よ!」
「きゃー!」
「素敵-!
「かわいー!」
「こっち向いてー!」
様々な歓声、嬌声が橋の上から聞こえてくる。
万世橋は、央都の道路同様、道幅の広い橋だ。両側に歩道があり、その歩道の道幅も十分すぎるほどに広く作られている。その歩道を埋め尽くすほどの市民が押し寄せており、それら観衆の悲鳴にも似た声がどこかしこにも飛んでいた。
無論、統魔に対する歓声だけではない。
麒麟寺蒼秀を始めとする第九軍団に所属する導士たちへの惜しみない歓声が、夕闇が迫る葦原市に響き渡っていた。
大行列が万世橋を渡りきり、幸多たちの待つ橋の袂に辿り着くまでにそれなりの時間がかかった。
大巡邏は、時間をかけて行うものだ。ゆっくりと進む地上部隊に対し、飛行隊は空中を飛び回って、第九軍団を大いに主張していた。
そして、橋の袂に辿り着けば、幸多の周囲の人達が様々に声を上げ、歓喜し、昂奮し、暴走すらしそうなほどの反応を示す。
統魔を呼ぶもの、麒麟寺蒼秀を見たいと騒ぐもの、副長・八咫鏡子への声援、杖長たちへの歓声などが無数に飛び交い、入り乱れ、混沌とした状況が生まれていた。
「あれが生統魔様か……」
「かっこよくない? 本物、めっちゃ良くない?」
「え、ええ、まあ、そうですね」
「字さんも香織さんも素敵だなあ! 鏡子副長はどこかなあ!」
興奮しているのは、幸多の友人たちも同じだった。
幸多は、そんな興奮の坩堝の中でも冷静だったし、統魔を見ていた。
統魔は、大巡邏の先頭を任されたからか、いつになく引き締まった表情で歩いていた。
漆黒の導衣を身に纏い、法機と呼ばれる戦団専用の杖を持つその姿は、導士と呼ぶに相応しい威容がある。
導士。
導くもの、という意味である。
戦団に所属するすべての人間が、そう呼ばれる。
魔法使いを意味する魔法士という言葉は、もはや一般的なものであり、それをもって戦団員を呼び表すのは難しいと判断された末に生み出されたのが、導士という呼称だった。
幸多は、統魔の導士らしい姿を見るのはこれが初めてではないにせよ、彼がこの上なく輝いているように見えたのは、このときが初めてだったかもしれない。




