第二百五十七話 天輪スキャンダル(四)
「しかし、そんな危険なものをここ置いておいて大丈夫なのか?」
美由理は、第四開発室技術試験場――通称・工房の奥まった場所に鎮座するイクサの成れの果てを見つめながら、イリアに尋ねた。
イリアの話を聞く限り、危険性の高さを感じずにはいられない。
DEMシステム、DEMリアクター、DEMコアのみならず、イクサを構成する生体部品には幻魔の細胞が練り込まれているというのだ。もし動き出したら最後、この場にいる技術局の導士たちがどのような目に遭うものか、わかったものではない。
「コアが死んでいるもの、動くことはないわ」
「ふむ……」
イリアが一枚の幻板を美由理の目の前に移動させ、そこにイクサの内部構造を映しだし、拡大した。そこにはDEMリアクター内部の様子が映し出されているのだが、DEMコアと思しき結晶体は、確かに破損していた。
幻魔は、魔晶核と呼ばれる心臓を持つ。魔晶核がある限り、膨大な魔力を全身に流し続け、活動を続けるのだ。どれだけ魔晶体を損傷しようとも、どれだけ窮地に追い込まれようとも、魔晶核が在る限り動き続けるのが幻魔だ。
そして、魔晶核が大きく破損すると、どれほど強大な力を持った高位幻魔であっても、活動を停止し、やがて死に絶える。
そして、DEMコアは魔晶核だ。
DEMコアが健在ならば、いまもなお動き続けることができた、ということなのだろうが。
「だとしても、不気味だな」
「そうね。全身に幻魔の細胞が使われていて、ハルモニウム、オリハルコンが魔晶体同様の結晶構造だったなんて、想定もしていなかったわ。イクサは、妖級幻魔程度ならば容易く蹴散らすことのできる兵器だった。そこには確かな利用価値があり、だから参考に出来る部分はないかと期待したのだけど」
「なかったか」
「残念ながらね。幻魔の細胞を利用していいのなら、いくらでも作れるけど」
「笑えない冗談だ」
「本当、笑えないわ」
唾棄するような美由理の一言に、イリアも同意する。幻魔の細胞を利用するということは、極めて高い危険性を受け入れるということでもある。そしてそれは、戦団の理念を否定するということにほかならない。
イリアが端末を操作しながら、様々な情報を幻板に表示し、美由理に見せていく。美由理は、それら情報を閲覧しつつ、一つの幻板に目を留めた。見覚えのある装置だったからだ。
「これは……」
「DEMユニット。イクサを遠隔操縦するための機構よ。イクサの操者は、この機械の中に乗り込むことにより、幻想空間で体を動かすような感覚で、イクサを操縦できるのよ。自分の手足のように、ね」
「自分の手足のように、か」
「天燎鏡磨は言っていたわ。戦団は人命を無駄にしすぎている、と。だから、人命を損なうことのない、無人の戦闘兵器を開発しようとしたのでしょうね。でも、完全な無人機には至らなかった。遠隔とは言え、操縦者が必要だった。それがこのDEMユニットの操者。それはいいのよ。それで現実にイクサが動き、幻魔を斃す事が出来るのであれば、確かに人命を尊重する兵器と言って良かったわ。けれど、そうはならなかった。結局、DEMユニットは、幻魔を生み出すための餌に過ぎなかった」
イリアがDEMユニットの残骸を見遣りながら、淡々と述べていく。
DEMユニットは、天輪技研ネノクニ工場の地下研究所から発見されたものだ。天燎財団ネノクニ支部総合管理官・米田圭助や、天輪技研所長・神吉道宏すら知らなかった地下研究所。
そこには、未完成のイクサが数機、半壊状態で散乱している他、数十基のDEMユニットが、これまた半壊状態で存在していた。そのうち、二十基のDEMユニットには、天輪技研の研究員たちの亡骸が乗り込んでいた。誰もが絶望的な表情をしたまま死んでおり、その死に様の壮絶さが窺い知れたものだ。
「イクサは、機械仕掛けの悪魔だったし、実際、幻魔そのものといっても良かったわ。でも、おそらく、東雲貞子と名乗ったあの幻魔の真の目的は、あの新たに誕生した鬼級幻魔だったのよ」
美由理の左前方の幻板に表示された映像には、鬼級幻魔が誕生する直前から直後に至るまでの動画が繰り返し再生されていた。工場の地下から聳え立つ巨大な光の柱。その赤黒い光の柱が収斂し、鬼級幻魔の魔晶体が生成されていく、その瞬間。
DEMユニットに操者として乗り込んでいた二十名の研究員たちは、その全生命力を魔力として燃焼され尽くし、絶命したのだ。そして、その絶望と慟哭が、新たな鬼級幻魔を生み出すに至った。
幻魔は、人間の死によって生じる莫大な魔力を苗床とする。操者たちは、苗床を作るためにその命を奪われていったのだ。
鬼級幻魔をこそ、誕生させるために。
その結果、多くの人命が失われようと、幻魔たちには関係がないのだ。
幻魔にとって人間は、邪魔で不要な存在に過ぎない。滅ぼしこそすれ、丁重に扱うなど、万が一にもあり得ないことだった。
だから、人類は、幻魔を滅ぼさなければならない。人間社会に紛れ込んでくるなど想定外だったが、そうでなかったとしても、人類の天敵を放置しておく理由はないのだ。
滅ぼさなければ、人類のほうが滅ぼされる。
実際、一度、滅亡していると言っても過言ではなかった。
少なくとも、地上の人類は滅ぼされ尽くしたのだから。
「……しかし、よく感づいたものだな」
「天燎は、元より、戦団に敵対的だったわ。天燎だけじゃない。多くの企業は、自分たちの利益を優先するあまり、央都に君臨する戦団を目の敵にしがちなのよ。でもまあ、そういうものよね」
「だとしても、そういうのは人類復興を成し遂げてからで良いだろう」
「全人類があなたのように賢かったら良かったのにね」
「……なんだか馬鹿にされている気分だな」
「馬鹿になんてしていないわよ。だれもがあなたのような考えを持つことが出来れば、きっと人類復興は加速するわ。央都市民全員が、遥か将来の大目標に向かって一丸となることができたのなら、ね」
「……できるわけもない、か」
「そりゃそうよ。皆、今を生きるのに必死だわ。自分たちが死んだ後のことなんて、考えていられない。そんな将来よりも、今日明日のことで手一杯なのよ。企業だって、そう。目先の利益、目前の繁栄のためにこそ、企業は動く。だから、戦団が邪魔で仕方がない」
イリアの達観した考えは、美由理には到底納得のできないものだったが、しかし、それが現実なのだろうと飲み下すしかない。
「特に天燎は、いまや央都最大の企業といっても過言ではないわ。その勢いは、光都事変で失速した多くの企業とは真逆を行った。光都計画には反対していたものね。市民が、天燎系の企業を応援するのも当然の話だった。でも、その結果、財団を調子に乗らせてしまったのは、まあ……仕方のないことだったのかな」
「それが新戦略発表会、か」
「もちろん、その裏に東雲貞子――鬼級幻魔がいたことは否定しないし、天燎鏡磨も神吉道宏も被害者といっていいわ。でも、東雲貞子がいなかったとしても、彼らは同じようなことをしたでしょうね」
イリアは、嘆息とともに告げた。
さすがに、あのような暴挙には出なかっただろうが。
少なくとも、イクサに似た兵器を開発し、人命を尊重する新兵器として大々的に発表したことは疑いようがなかった。そして、戦団に喧嘩を売るようにして、戦果を挙げるべく暴走したに違いない。その結果がどうなったのかは、想像も出来ないが。
ふと、イリアは、思い出した。
「そうそう、義一くん。彼には助けられたわ。さすがは将来の伊佐那家当主ね」
「そうか」
「そうか、ってあなた」
「なんだ?」
美由理は、イリアがこちらに目を向けてきたものだから、思わず聞き返した。
「義一くんも愛してあげなさいよ。最近、幸多くんばっかり構ってるんだから」
「はあ?」
美由理は、きょとんとした。
イリアの言いたいことが全く理解できなかったし、突然、何を言い出すのかと思ったからだ。
美由理にとって義一は大切な家族であり、最愛の弟だ。義一が伊佐那家に来てからというもの、美由理が彼のことを蔑ろにしたことは一度だってなかった。
なんといっても、美由理にとって初めての弟なのだ。伊佐那家には、美由理の兄や姉は多いが、自分より年下の兄弟は一人としていなかった。
そんな中、麒麟によって迎え入れられた義一のことを美由理が可愛がらないはずがなかったし、今もその気持ちに変わりはない。
一方で、幸多を特別扱いしているのもまた、事実だ。
だが、それは幸多が弟子だからである。
「幸多くんが大切な弟子なのはわかるけど、だとしても、義一くんだって大切なんでしょ。たまには、その労をねぎらうくらいのことはしてあげてもいいんじゃない?」
「しているが」
「そうかしら」
「そうだぞ」
「なら、いいけど」
イリアは、それ以上突っ込んだことをいおうとはしなかったし、聞き出そうともしなかった。
イリアが気になったのは、ネノクニ行きの任務の最中、義一がずっとつまらなそうにしていたからだ。どうにも不機嫌そうで、不服そうな態度からは、美由理との関係が悪化しているのではないか、と危惧された。
それがイリアの思い過ごしならば、なんの問題もない。
勝手な心配、余計な口出し、お節介――そんな言葉がイリアの脳裏に浮かび、端末を操作する内に消えて失せた。
調べなければならないことは、まだ、山ほどある。