第二百五十六話 天輪スキャンダル(三)
戦団本部技術局棟第四開発室。
そこには、第四開発室に所属する何十名という技術者たちがいて、日夜、様々な作業に従事している。
技術局には、第一から第四までの開発室があるのだが、それぞれ異なる役割を持つ。
第一開発室は、統合情報管理機構の点検、調整、管理を行っており、その特性上、情報局と密接な繋がりを持つ。
第二開発室は、主に導衣の研究開発、調整を行っており、その性質上、戦闘部との関わりは極めて深い。導士の個性、能力に合わせた導衣の調整、設定を行うには、第二開発室の協力が必要不可欠だ。
第三開発室は、主に法機の研究開発、調整を行っている。やはり、戦闘部との関わりが強く、導士たちも頼りにしている。法機を自分専用に調整するには、第三開発室の助力がなければならない。
そして、第四開発室だ。
技術局が誇る天才、日岡イリアを中心とする開発室は、当初、他の開発室の補助を行うためだとされた。しかし、実際には、窮極幻想計画を推し進めるために設立された部署であり、イリアの強い希望によって誕生している。
そんな部署の真っ只中にいて、伊佐那美由理は、苛立ちを隠せないと言った様子で、日岡イリアの様子を見ていた。そして、イリアは、そんな彼女の苛立ちを感じ取っている。
「なんだか最近、苛々しっぱなしね」
「苛々? 誰がだ」
「あなたがよ」
「わたしの何処が――」
「そういうところ」
イリアは、即座に言い返そうとしてきた美由理を見つめ、告げた。美由理が鼻白む様を見届けるでもなく、巨大な構造物と向き合う。
第四開発室内の工房に運び込まれたそれは、当初、ばらばらの状態だった。それをなんとか復元し、復旧した結果、形になっている。だが、使い物になるわけもなかったし、使うつもりもなかった。
人型魔動戦術機イクサである。
ただし、実際に戦闘で使用されたものではない。
天輪技研ネノクニ工場の調査で見つかったそれは、天輪技研が完成を目前にしていた機体であり、二十一機目のイクサとでもいうべき代物だった。
しかし、工場そのものが壊滅的な被害を受けた際、その真っ只中にあったこともあり、発見されたときには半壊状態だったのだ。
そして、それをここまで運び込んでくるのに時間がかかったのは、イクサの仕様上、致し方のない話だった。
「……それで、なにかわかったのか?」
「ええ。ある程度はね」
イリアは、手元の端末を操作して、幻板を出力した。無数の幻板がイリアたちの周囲に浮かび、舞い踊るように展開する。
「イクサをここに運び込むのに苦労をしたのは、聞いてるわよね?」
「ああ。転送網が使えなかったそうだな。生体部品を使っているとか、なんとか」
「そこまで知っているのなら、話が早いわね」
イリアは、さらに端末を操作し、幻板に様々な情報を映しだしていく。
央都転送網などに使われている物質転送機は、空間転移魔法を機械的、技術的に再現したものだ。物質転送機が発明されたのは今よりずっと昔のことだが、それによって物流革命が起きた。
物質転送機は、物を運ぶのに手間がかからないからだ。
荷物等を、一瞬にして、遠く離れた場所まで転送することができるのだから。
まさに世紀の大発明だったし、実際、世界中が大騒ぎになったという。
ただし、物質転送は送る側と受け取る側、二つの転送機の間で行えることであり、また、ある程度距離が離れると中継機が必要だった。もっとも、転送中継機が世界中に作られ、物質転送網が世界を巡るまで時間はかからなかったが。
まさに物流革命である。
とはいえ、物質転送機だけで全てが解決したわけではなかった。
物質転送機で送り届けられるのは、物質転送機の大きさに見合ったものだけであり、大型の荷物を転送するには、それ相応の転送機が必要だった。送る側も、受け取る側も、だ。
また、物質転送機は、非生物にしか対応していないという問題もあった。生物には、物質転送機が使えないのだ。
もし、生物に物質転送機が使えたのであれば、物流のみならず、人の移動にも革命が起きていたことだろう。
飛行魔法以上の革命が、だ。
しかし、そうはならなかった。
物質転送技術が発明され、何度となく改良を加えられていったというのにだ。
つまり、イクサに物質転送機が使えなかったということは、様々な部分に生体部品が組み込まれているということにほかならない。
その解明にこそ、第四開発室は全力を挙げた。
イクサは、天輪スキャンダルの中心である。
まさに災禍の中心とでもいうべき存在が組み上げられ、美由理たちの眼前にその威容を見せつけているのだ。
黒く禍々しい鉄の巨人。
「イクサは、天輪技研製の魔法金属ハルモニウムとオリハルコンで作られているわ。どちらも技術局が発明したどの魔法金属とも性質の異なる物質で……そうね、生物の特性が組み込まれていたのよ」
「生物の特性?」
「魔素は、二つの性質に分類されることは知っているわよね」
「ああ」
美由理は、小さくうなずくと、鉄の巨人を取り囲むように展開した幻板に目を向けた。無数の幻板は、イクサのそれぞれの部位を注目させるかのようだった。
「静態魔素と動態魔素だな」
静態魔素は、非生物に宿る魔素のことであり、動態魔素は生物に宿る魔素のことである。静態魔素は受動的であり、みずから動くことはないとされ、動態魔素は能動的であるとされており、常に動き回っているとされている。
だから、物質転送機は、動態魔素を宿した生物を転送することが出来ないのだ、という研究結果が遙か昔に発表されている。
「そして、オリハルコンには動態魔素が組み込まれていた。通常、あり得ない事よ。金属には、動態魔素は含まれていないもの。それがこの異界で採掘された鉱物であっても、ね」
「つまり、どういうことだ?」
「こういうことよ」
イリアは、一枚の幻板を美由理に提示した。そこには、いくつかの写真が映し出されているのだが、それは天輪技研の工場内の惨状を示すものだった。壊滅的な被害を受けた工場内の一角、そこに立ち並ぶのは筒状の機材であり、いずれもが崩壊寸前といった有様だ。
さらに別の写真には、イクサの内部構造が映し出されていて、動力部のようなものが覗いていた。
「これは?」
「DEMリアクター。イクサの動力機関よ。天輪技研が魔力炉を元に開発した、最新型の魔力炉、とでもいうべき代物ね。魔力炉は、魔力結晶を燃焼させる機関だけれど、DEMリアクターはDEMコアを燃焼させる機関なのよ」
「DEMコア? それがイクサの動力源か」
美由理は、幻板に表示されたDEMリアクターの内部構造を凝視した。そこには、複雑な機構に収められた、魔力結晶にも似た結晶体が映されている。
「……魔晶核よ」
「なんだと?」
「イクサに用いられている生体部品は、全て、幻魔に由来するものだった。天輪技研が発明した二種類の魔法金属ハルモニウムとオリハルコンは、幻魔の魔晶体に近い結晶構造だったし、人工筋肉にも幻魔の細胞が使われていた。そして、DEMリアクターも、DEMコアも、全てに幻魔の肉体を構成する物質が使われていたのよ」
「馬鹿なことを」
美由理は、憤然といい、組み上げられたイクサの残骸を睨み付けた。
イリアも彼女の怒りは最もだと想ったし、沸き上がってくる激情は、同様のものだった。しかし、努めて冷静に続ける。
「あのとき、わたしは確かに見たのよ。イクサの残骸をも取り込んで、一体の鬼級幻魔が誕生する瞬間をね。それは火倶夜様に斃されかけ、サタンとともに姿を消した……」
イリアの脳裏に浮かぶのは、翡翠色の髪の幻魔だ。イクサの部品を取り込んだからか、何処か機械的な姿をしていた。
「東雲貞子と名乗り、人間社会に潜んでいた特定参号は、人工的に幻魔を製造する方法を模索していたのでしょうね。それなら、東雲貞子の無軌道とも言える行動にも辻褄が合うわ」
「その結果が、イクサか」
「イクサに搭載された対鬼級幻魔殲滅機構《DEMシステム》は、デビルエクスマキナの頭文字から取られたそうよ」
イリアは、嘆息とともに告げた。その事実が明らかになったのは、神吉道宏ら天輪技研関係者の事情聴取の過程で、である。それは、あの場に現れ、朱雀院火倶夜によって焼き払われた東雲貞子によって明かされたのだという。
東雲貞子は、死んだ。
しかし、それが幻躰だということもすぐに判明しており、本体の鬼級幻魔が生きていることは間違いなかった。
「デビルエクスマキナ?」
「機械仕掛けの悪魔、という意味になるのかしらね」
「……なるほど」
美由理が納得したのは、記録映像を思い出したからだ。
天輪スキャンダルに関する記録映像には、一通り目を通している。
発表会の最中、イリアたちが壇上に上がり、イクサが会場に突入してくるという衝撃的な映像も、イクサが異形化する瞬間の映像も、鬼級幻魔が誕生した際の映像も、幸多がサタンとともに姿を消したときの映像も、全て。
「確かにあれは、機械仕掛けの悪魔だったな」
異形の姿へと変貌したイクサは、まさに幻魔そのものであり、機械仕掛けの悪魔と呼ぶに相応しい怪物だった。
だからこそ、東雲貞子は、そのような名をつけたのであり、その真意を隠すため、デウスエクスマキナシステムであると嘯いたのだろうが。
東雲貞子に精神支配されていた人々は、戦団による事情聴取に対し、東雲貞子に関する記憶をほとんど有していなかった。
虚空事変と同じだ。
魔法による精神支配の副作用であり、後遺症が、被害者たちの記憶を不確かなものにしているのだ。
被害者。
そう、彼らは被害者だった。
東雲貞子という存在しない人間に擬態した鬼級幻魔の被害者。
イクサ計画を主導した天燎鏡磨ですら、被害者の一人といっていい。