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第二百五十話 暗転(三)

 どれくらいの時間が経過したのだろう。

 幸多こうたが目を覚ますと、そこは暗澹あんたんたる闇の真っ只中だった。

 どこまでも暗く、どこまでも深い、まるで地の底の底に落とされたのではないかと錯覚するようなほどの暗黒が、幸多の全周囲を覆っていた。

 どこにも光はなく、どこもかしこも闇だらけだ。

 生きている。

 呼吸が出来ているのだから、意識が正常に働き、思考を巡らせることが出来ているのだから、そういうほかないだろう。

 死んでいれば、意識は存在しないはずだ。

 そんなことを考えてしまうほど、状況は最悪だった。

 生きている。

 だが、ここはどこなのかまったくわからない。

 体は、動く。痛みもなく、疲れもなく、なんの問題もなさそうだった。足の爪先から頭の天辺まで、不調な部分が全く見当たらないほどだ。

 ただし、精神的には、そういうわけにもいかなかった。

(なにをしたんだ、ぼくは)

 急激に冷えていく頭の中で、幸多は、ただ己の愚かしさを呪った。

 愚行だ。

 馬鹿げたことをした、というほかない。

 サタンを目の当たりにして、なにも考えられなくなった。全身が沸騰ふっとうしたように熱くなって、気がつくと、飛び出していた。そして、斬りかかり、この有り様だ。

 サタンは、仇敵だ。父のかたきなのだ。だから、だろう。目にした瞬間、冷静さを失ってしまった。怒りが、全身を突き動かしてしまった。

 我を忘れ、道理を忘れ、全てを忘れた。

 自分が何故、戦団に入ったのか。それも戦闘部に入ったのか、その理由の全てがそこにあるのだから、仕方のないことだ、などとはいうまい。

 愚かだというほかない。

 そして、今更反省しても遅いのだろう、とも思う。

(ここは……一体……)

 どこなのか。

 幸多は、立ち上がると、周囲を見回した。どこもかしこも重苦しい闇ばかりであり、光は一切見当たらなかった。

 立つことが出来るということは、地面か、足場のようなものがあるのは間違いない。が、身動きは取れない。

 闇なのだ。

 迂闊に歩き回って足場を踏み外し、落下した挙げ句大怪我をすることになれば、目も当てられない。

 これは、夢でも悪夢でもない。

 現実なのだ。

 助けを求める事が出来るのであれば、と、そこまで考えて、幸多は、自分の体を探った。手触りによって闘衣とういを身につけたままだ、ということがわかる。闘衣には、通信機が仕込まれていて、それを使えばこの闇の外と連絡が取れるのではないか、と思い至ったのだ。しかし。

「……駄目か」

 幸多は、通信機が無反応なことを確認して、憮然ぶぜんとした。

 ここは、何処か隔絶された空間のようだ。通信機の届かない場所。つまり、レイラインネットワークが通っていない場所ということになる。それは央都おうとではないし、ネノクニでもない。

 何処か全く別の空間。

「そりゃあそうだろう。ここは闇の世界。我らがアーリマンが主宰するクリファなのだから、機械が動くはずもない」

 不意に、陰鬱いんうつな闇の中、軽薄な男の声が響いた。侮蔑ぶべつ的でもあった。

「だから思うんだ。サタン様はどうして、機械なんて連れてきたんだろう、ってね」

 闇の中、どういうわけか、その声の主の姿だけがはっきりと浮かび上がった。

 一目見て、鬼級幻魔とわかったのは、幸多の全身が総毛立ったのもあれば、極めて人間に酷似し、また、とてつもなく高度な知性と人語を解する能力を持っているからだ。

 暗紅色あんこうしょくの皮膚を持つ男だった。その時点で人間に似ているのは姿形だけだ、ということがわかるだろう。長身痩躯ちょうしんそうく。全身を黒いスーツで覆っている。髪は真っ白で、背中には三対六枚の翼があった。闇のように黒い翼だ。

 特徴的なのは、その頭部だろう。頭が、黒い環の中にあり、その環が目元を隠していた。表情がよくわからないが、口元に刻まれた笑みの酷薄こくはくさは、幸多にもはっきりとわかる。

「おれはアザゼル。きみら人間がいう、鬼級幻魔だ」

 飄々《ひょうひょう》とした態度で告げてきた男に対し、幸多は、警戒心を隠さなかったし、敵意すら剥き出しにした。

「アザゼル……鬼級幻魔……!」

「そういきり立つなよ。ここでやり合っても、きみに勝ち目はないぜ?」

「だとしても」

 幸多は、歯噛はがみする。確かに、アザゼルのいうとおりだ。幸多はいま、たった一人だった。幸多一人で鬼級幻魔に太刀打ちできるとは、とてもではないが考えられることではない。

 武器はないが、転身機てんしんきはある。レイラインネットワークから隔絶された領域で、転身機が機能するものかはわからないが。

「だとしても、なんだ?」

 聞き覚えのある声に、思わずぞくりとする。声は、アザゼルとは全く別の方向から聞こえた。振り向けば、そこにはやはり、バアル・ゼブルの姿が浮かび上がっていた。

 鬼級幻魔バアル・ゼブル。特別指定幻魔弐号である。最初に遭遇したとき、野外音楽堂で戦ったとき、そして統魔が対峙したときと、三度に渡って確認されているが、その姿は、毎回変化していた。いずれも微々たる変化といえばそうなのだが、最初のときから比べれば大きな変化といえるかもしれない。

 長身痩躯の男。全身が灰色で、ぼさぼさの頭髪も灰色だ。身につけている衣服には大きな髑髏の模様が入っているし、腕は微妙に変化し、硬質化しているように見える。背からは透明な翅が生えていて、頭に乗せていた紅い眼鏡はなくなり、二つの赤黒い亀裂が、さながら眼孔がんこうのように存在していた。

 赤黒い両目と合わせ、四つの目を持っているように見える。

 そして、黒い環。それは相変わらず欠けたままだが、以前とは多少、形が変わっているような、そんな感じがあった。気のせいかもしれない。

 この暗澹たる闇の中、どういうわけなのか、彼らの姿だけははっきりと視認できるようになっている。幻魔たちの魔法の力なのか、この闇の世界と呼ばれる空間の力なのか。

 幸多には、なにもわからない。

「おまえは、おれ様たちの情けで生かされているんだということを知っておくべきだぜ」

「情けだって!?」

 幸多は、バアル・ゼブルを睨み付けながら、叫ぶようにいった。いったものの、疑いようのない事実でもあった。幸多がこうして生きているのは、鬼級幻魔たちが手を下さずにいるからだ。

 生殺与奪の権を握られている。

「そうさ。悪魔の深情けと、よく言うだろ」

「それは悪女、でしょう」

 今度は、妖艶な女の声が、闇の世界に響く。

 そして、そちらを見れば、やはり女の姿をした鬼級幻魔が、その姿を幸多に見せつけていた。声音から想像できるような艶やかさそのもののような美女。そう、美女としかいいようのない、完璧な美しさと肢体を持っていた。容貌も、体つきも、どこにも欠点が見当たらなかった。

 人間であれば老若男女の誰もが見惚みとれるような顔立ちに、女であることを全身全霊で体現しているかのような肢体。豊かな胸、しなやかな腰つき、透き通るような白い素肌を余さず見せつけるかのような、あられもない格好は、それこそ、華やか極まりない真紅のドレスによって完成している。

 さらに長く膨大な紅い髪は美しく、睫も深い双眸には、赤黒い瞳が濡れているような光を帯びていた。黒い環が額を隠すようであり、髪留めのようでもあった。

 一言で言えば、美女。だが、その一言で表すには、勿体ないほどだ。

 ただし、人間ならば、の話だが。

 その背中から生えた蝙蝠のような翼が、人間ではないことを証明するかのようだが、そこまで見ずとも人外の存在であることは明白だ。

 そして、幻魔の美貌に惑わされるほど、幸多も愚かではない。三体の鬼級幻魔の存在を前にして、全身が緊張し、神経が研ぎ澄まされていく。

「そのことわざ、わたしにも似合わないのよね。だってわたし、悪女じゃないし、その上で情け深いもの。ねえ、そう思わない、幸多くん」

 その女幻魔は、当然のように幸多の名を呼び、さらに警戒させた。

「どうして、ぼくの名前を……」

「わたしは、アスモデウス。知らないことなんて、ないのよ」

 アスモデウスと名乗った鬼級幻魔は、艶然えんぜんたる笑みを浮かべた。


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