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第二百四十九話 暗転(二)

 ヴェルの報告は、極めて冷静だった。ただ観測した事象を伝えるだけの、情報官としての正しい対応だった。 

 だからこそ、だろう。

 イリアは己が耳を疑い、火倶夜かぐやはヴェルの声を疑い、幸多こうたはわずかばかりに混乱した。

 鬼級幻魔おにきゅうげんまを相手にしている最中のことだ。

 そんな真っ只中、特別指定幻魔壱号の固有波形を観測したというのだ。

 固有波形は、生物の内包する魔素まそが発する波動を形にしたものである。それは、生物に限り固有であり、全ての生物の波形には、微々たる、しかし絶対的な違いがあった。

 それを固有波形と呼ぶ。

 固有波形に同じものはなく、固有波形を欺瞞ぎまんするすべは、今のところ存在しない。

 つまり、特定壱号の固有波形が観測されたということは、特定壱号が出現したということにほかならなかった。

「何処に!?」

『先程新たに現出した鬼級幻魔、その固有波形付近の座標よ』

 ヴェルの言葉が示す座標とは、魔法によって巻き起こる破壊の嵐の中心にほかならかった。

 幸多は、思わず、両目を見開いた。様々な属性の魔法が入り乱れ、ひたすらに破壊を繰り広げる光景、その真っ只中には新たな鬼級幻魔の上半身がある。導士たちの苛烈なまでの猛攻に対抗するべく魔法の防壁を構築し、その中で復元を試みようとしているのだが、防壁は、張り巡らされるたびに破壊され、破壊されるたびに形成されるという、まさにイタチごっこの状態だった。だからこそ、鬼級幻魔は復元に力を割くことが出来ないでいた。

 そして、その破壊と創造の中心に、確かに暗い影が立ち上がろうとしていたのだ。

 イリアの目も、それを見ている。

 義一ぎいちは、頭がおかしくなりそうだと、思った。義一を含むこの場にいる全ての導士たちには、ヴェル以外の情報官からの報告が入っている。

 特定壱号の固有波形を観測したという報せは、その場にいる全導士に緊張を走らせたが、特に義一は、その特異そのものの視覚でもって、報告よりも早く異変を察知していた。しかし、それが特定壱号の出現によるものだとはとても思えなかったために、対応が遅れてしまったのだ。

 そして、遅れたことで、視界一杯に莫大な魔素が満ち溢れる様を目の当たりにしなければならなかった。どす黒く禍々しい、破壊的な魔力の現出。目が潰れるのではないかと思えるほどの凶悪さだったし、これほどの魔素質量を直接見たことはなかった。

 それもこれも第三因子サードファクター真眼しんがんを発動させているせいであり、義一は、すぐさま通常の視覚に切り替えたものの、網膜は未だ特定壱号と新種の鬼級幻魔の魔素にかれていた。

 鬼級幻魔の内包する魔素は、膨大極まりない。

 それが二体も一カ所に集まれば、義一の目が潰れそうな錯覚を抱くのも当然だったのかもしれない。

 直後、突如として爆音が止んだ。魔法の嵐による破壊音が消えて失せ、静寂が訪れた。

 無論、導士達による魔法攻撃が止まったわけではない。

 特定壱号が現れたからといって、攻撃の手を緩めるわけにはいかなかったし、新種幻魔ごと特定壱号をたおせるのならばそれに越したことはなかった。緊張や恐怖が導士たちの背筋に寒気を走らせたが、それで手を止めるものなどいなかった。

 無理難題極まりないが、これ以上の好機もない。

 特定壱号ダークセラフことサタンは、央都おうとが抱える大いなる病だ。その存在そのものが病巣といって過言ではなく、わざわいの種にほかならない。

 一刻も早く、討ち滅ぼすべきだった。

 そのためならば、命を惜しむことはない――導士たちは、皆、そう思っている。

 故に魔法攻撃は、むしろ苛烈さを増した。

 しかし、サタンと新種幻魔に直撃するはずの魔法の数々は、サタンへと到達する直前にどういうわけか立ち消えてしまい、炸裂することもなければ、破壊音を撒き散らすこともなかった。通常、ありえないことだったし、考えられないことだった。

 その場にいた全ての導士が、何が起こっているのかを理解していなかった。

 その結果、サタンの姿が誰の眼にもはっきりと見えるようになった。

「サタン……」

 幸多は、思わず、その名を口にした。

 当初、特別指定幻魔壱号につけられていたダークセラフという名は、戦団が考えた呼称であり、仮の名前である。

 妖級以下の幻魔には、人類がその姿形、能力に見合った名前をつけるが、鬼級幻魔の大半はそうではなかった。鬼級幻魔は、人間並み、いや、それ以上の知性を持ち、頭脳を持つ。人語を解するだけでなく、生まれながらにして豊富な知識を持ち、強烈な自我を併せ持っていた。その知識の中から自分に相応しい名前を選び出し、名乗るのだ。

 サタンとは、ダークセラフの本当の名前である、らしい。

 鬼級幻魔バアル・ゼブルがそう呼んだことを統魔とうまが聞き、また、それによってバアル・ゼブルとサタンに深い関係性があるということが判明した。

 バアル・ゼブルは、サタンの腹心だということがだ。

 サタン。

 幸多は、その姿をはっきりとみた。幸多の並外れた視力は、遠く離れているはずのその鬼級幻魔の全身を正確に捉えている。

 闇だ。

 闇そのものとでもいうべきそれは、確かに人間によく似ている姿形をしているのかもしれない。闇とは、その全身を覆う黒い衣である。闇の衣を纏い、頭部はフードに隠れている。背中からは六枚の黒い翼が生えていて、さらに黒い輪が浮かんでいる。黒い輪が発するのは、黒い光だ。その光が、フードの中の顔を影に隠している。

 サタンの全身の闇も、輪が放つ黒い光によって生じているようだった。

 それが、サタンの全身像である。

 幸多の記憶が喚起され、全身が粟立ち、熱を帯びていく。網膜に焼き付いた光景が、何度となく、閃光のように脳裏のうりを巡る。誕生日。草原。家族。統魔。奏恵かなえ幸星こうせい。幻魔。死。死。死――。

「幸多くん?」

 珠恵たまえは、すぐ側でがたがたと震え始めた幸多のことが心配になった。なぜ幸多がそのような反応をするのか、わからないわけがない。

 あの鬼級幻魔――どうやら戦団が特別指定幻魔壱号と呼んでいるらしい――が、幸多の父であり奏恵の夫である皆代みなしろ幸星の命を奪った相手だからだ。

 それも、幸多の目の前で、だ。

 塞がっていたはずの幸多の心の傷口が開き、痛みが膨れ上がったのだとしても、なんら不思議ではない。だからこそ、心配でならなかったし、珠恵は、攻撃の手を止め、幸多を抱きしめた。

 そして、驚く。

 幸多の全身が震えていることはわかっていたが、異様なほどの熱を帯びていて、大量の汗が噴き出していた。目は血走り、特定壱号だけを見ている。睨み据えている。

 凄まじい形相だった。

「幸多くん」

 珠恵が呼んでも、一切反応を示さない。

 幸多は、サタンだけを凝視しているのだ。

 サタンは、といえば、上半身だけの鬼級幻魔を慈しむように抱え上げたかと思うと、自らの衣の影の中に取り込んでしまった。鬼級幻魔は、抵抗を試みたようだったが、それも虚しく、伸びた指先も完全に影に埋没してしまう。

「サタンはなにを――」

 したのか。

 その義一の問いに答えられるものはいなかったし、答えてくれるものもいなかった。

 その間も、魔法攻撃が絶えたことはない。

 頭上から、あるいは、幸多たちの居場所から、様々な属性の攻型こうけい魔法が、吹き遊ぶ嵐の如くサタンを襲う。しかし、全ての魔法は、サタンに触れることも出来ず、消えてしまうのだ。星将の魔法ですら、だ。

 まるで、サタンには魔法が通用しないとでもいうようだった。

 やがてサタンが立ち上がり、頭上を仰ぎ見た。そして、地上の導士たちを見回すような仕草をした。魔法など無意味で、無駄だといわんばかりだった。

 そして、サタンの影が巨大化する。

 それがサタンが姿を消す前触れだということは、導士ならば周知の事実だった。サタンは、影を移動する。

 だから、だ。

「幸多くん!?」

「えっ!?」

 幸多は、珠恵の腕を振り解き、飛び出していた。地を蹴り、一瞬にしてサタンとの距離を詰める。魔法攻撃の嵐の真っ只中へと、その消滅の中心へと、跳躍する。低空を滑るような高速移動。導士たちは、思わず魔法攻撃の手を緩めた。幸多を巻き込む恐れがあったからだ。

『幸多くん、止まりなさい! 止まって――』

 ヴェルの声は、幸多の脳内に響くだけで、全く聞こえてはいなかった。

 幸多は、サタンだけを見据えていて、ほかのなにも見えていなかったし、聞こえてもいなかった。

 だからなのか。

 サタンの声が聞こえた気がした。

《早い……》

 幸多の頭の中に直接響くように聞こえたのは、幾重にも折り重なった声であり、重く深く沈み込むような絶望そのものといってもいい旋律だった。

 幸多は、大太刀を振りかぶっている。そして、サタンを眼前に捉えると、全力で振り下ろした。

 斬撃がはしるよりはやく、影が、闇が、幸多の網膜を塗り潰す。


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