第二百四十八話 暗転(一)
どくん。
そんな音が、遥か上空、光の柱の真っ只中から響き渡り、天井を叩き、大地に押し寄せた。
狭く広いネノクニの空間全体に波紋のように広がり、なにかに接触しては、強烈な衝撃を叩きつける。
誰もが、その場に打ちつけられるようだった。
それが凶悪な魔力の波動であることは、魔法士ならば誰もが理解できたし、幸多だって直感でわかった。そして、避けようもなく、防御のしようもないということも、だ。
衝撃波のように襲来したそれは、幸多たちを地面に叩きつけたのだ。
その場にいた全員が、である。
工場付近から離れていた避難者たちも、同様の被害に遭っていた。誰もが地面に叩きつけられ、痛みに打ちのめされていた。
すると、光の柱は、柱ではなくなっていた。
地の底から天の頂きへと至っていた莫大な魔力、その赤黒い光が、空中の一点へと収束していく。膨大極まりない魔力だ。空間をねじ曲げ、風景を歪め、全てを狂わせるようにして、球状に変化していく。
そして、光の柱を見ていたイクサたちがふわりと浮き上がったかと思うと、物凄まじい勢いで吸い寄せられていった。
「な、なんだよ!? おいっ!?」
「おれが知るかよ!」
「イクサを吸い寄せてる?」
「だとしても、なんのために?」
「これほどの魔素密度……」
その場にいる誰もが騒然とする中で、ただ一人、冷静に状況を見定めているものがいた。
朱雀院火倶夜である。
幾多の死線を潜り抜けてきた歴戦の猛者である彼女は、このような事態の急変に何度となく直面していた。経験があるのだ。
だから、というわけではないが、火倶夜は、魔力を練り上げ、想像を巡らせていた。
遥か上空、莫大な魔力が収束する一点、イクサを吸い寄せ、飲み込んでいく赤黒い光球、その中心へと至る破壊のイメージ。
火具夜の凜然たる全身を包み込むように浮かび上がった律像の複雑さ、精緻さは、それを目の当たりにしたものの度肝を抜くほどだったが、しかし、相手が星将ならば当然だろうという考え方も出来た。導士の中では、星将とそれ以外での力量差は歴然としたものである。
そして、星将たる火倶夜の魔法、その設計図たる律像は、絶大な破壊を想起させるには十分すぎるほどだった。
上空、魔力の光球は、全てのイクサを飲み込むと、さらに一段と大きくなった。かと思えば、どくん、という心音のような波動が再び虚空を駆け抜け、ネノクニの天地を叩いた。
二度目の衝撃波。
今度は、導士たちが打ちのめされることはなかった。導士たちが張り巡らせた魔法防壁が、その場にいた全員を護ったからだ。
そして、光球がさらに収縮し、形を変えていく。光の球から、人の形へ。
「鬼級幻魔……!」
伊佐那義一が叫ぶように告げたとき、火倶夜の魔法は完成した。地を蹴り、重力の軛を切り離すようにして、告げる。
「捌式紅翼天翔!」
火倶夜の全身を包み込んでいた複雑な紋様が光を放ち、魔力が解き放たれて世界に干渉し、魔法の発動へと至る。元より炎の衣を纏っていた火倶夜だが、さらに膨大にして強烈な輝きを放つ紅蓮の炎に包まれた。爆発的に膨張するそれは、さながら燃え盛る大鳥を形作り、巨大な翼を広げた。力強く羽撃いたかと思えば、凄まじい熱波を撒き散らしながら空高く飛翔する。その様は優美にして勇猛、強烈にして破壊的だった。
そしてそれは、莫大な魔力の塊そのものだ。虚空を引き裂き、大気中の魔素を灼き尽くしながら、一瞬にして上空へと至り、光球の中から出現した人間の形をした怪物へと突っ込んでいく。
幻魔なのは、疑いようがない。それを眼前に捉えた火倶夜の全身が総毛立っている。人類の遺伝子に刻みつけられた恐怖の記憶が疼き、悲鳴を上げているようだった。並の幻魔ではない。
義一の叫んだ通り、鬼級幻魔だ。
その姿は、確かに人間そっくりだった。翡翠色の髪を持つ、若い男のような姿をした幻魔。端正な顔立ちに赤黒い瞳が輝いていた。怪物の、幻魔の眼だ。その全身は、機械を取り込んだからなのか、ところどころが金属質だった。金属の装甲と一体化しているような、そんな印象すら受ける。
が、それも一瞬のことに過ぎない。
火倶夜は、鬼級幻魔の全身を認識したときには、相手を眼前に捉えていた。そして、その赤黒い双眸が見開かれるのを目の当たりにした瞬間、幻魔が対応するより早く、その胴体を貫いている。
激突の瞬間、魔力の爆発が起きた。
凄まじい魔力の奔流が、爆光となってネノクニ上空を紅く染め上げる。爆発は連続的に起こり、閃光が無数に散った。大気が震撼し、爆煙が空を覆う。破壊の嵐が巻き起こっていた。
「まじかよ……」
「すげえ……」
「あれが星将……」
「というより、あれが火倶夜様よ」
イリアは、感嘆の声を上げる導士たちに対して、訂正するように告げた。
鬼級幻魔の現出と同時に超威力の魔法を叩き込むことが出来るのは、火倶夜の判断力の速さ、決断力の高さがあればこそだ。
他の星将も、火具夜と同程度の破壊力をもたらすことはできるだろう。が、しかし、誰もがあの状況、あの瞬間に対処できるとは限らない。
火倶夜は、果断の人だ。
状況判断能力が極めて高く、そして、決断までの速度が異様に早い。その結果、大問題を起こすことも少なからずあるのが困りものだが、それを補って余り在る戦果を挙げているのだから、誰も文句はいえなかった。
いまも、そうだ。
爆発は終わったが、黒煙が上空を覆っているのは変わらなかった。
そして、炎に包まれたなにかが地上に落ちてくる。
それは、現出した鬼級幻魔、その上半身だった。イクサをもその魔晶体の結晶構造に取り込んだからだろう。機械的な構造が見え隠れしていたが、そんなことはどうでもよかった。
火倶夜の攻撃は、鬼級幻魔の下半身を消し飛ばすことには成功したが、魔晶核の破壊には至らなかったようだ。結果、復元が始まろうとしていた。
「一斉攻撃!」
声が、天から響いた。
火倶夜の号令が、その場にいた全ての導士を突き動かし、瞬時にその意識を攻撃へと移らせる。
戦場において、星将の命令は、絶対だ。
そう教え込まれ、叩き込まれた導士たちの反応は、無意識的なものに等しく、故にわずかばかりの誤差もなく、ほとんど全員が攻型魔法を撃ち放った。
火、氷、風、雷、光――様々な属性の光景魔法が一斉に放たれ、鬼級幻魔へと殺到する。
上空の火倶夜も、鬼級幻魔へと強力な魔法を放っていた。
集中砲火としかいいようのない魔法の嵐が、凄まじい破壊を生む。破壊に次ぐ破壊が、鬼級幻魔の上半身を徹底的に傷つけ、打ち砕き、崩壊させていく。
「おおおおおおお!」
鬼級幻魔の咆哮が響き渡ったが、それ以上に強烈な爆撃の数々が打ち消していく。
「凄い……」
幸多は、当然ながら攻撃に参加できなかった。白式武器は、近接戦闘用の武器だ。この状況で鬼級幻魔に飛びかかるなど、魔法に巻き込まれに行くようなものである。自殺しに行くのと変わらない。
だから見守るしかないのだが、それが悔しいとは思わなかった。
適材適所。
人には得手不得手があり、幸多は、遠距離戦闘を不得手とする、それだけのことだ。
実際、魔法攻撃に参加していない導士もいる。攻型魔法を得手とせず、万が一に備え、防型魔法の構築と維持に注力していたり、補型魔法を使っているのだ。
幸多は、そのような万が一の事態に備えておけばいい。
万が一、鬼級幻魔が立ち直り、飛びかかってきたときに対応する。
そのためには、ただ、魔法の嵐に見惚れ、導士たちを賞賛しているだけでは駄目だ。
幸多は、使い勝手の悪い衝魔から二十二式大太刀・裂魔に持ち替え、柄を握り締めた。
爆撃の嵐は、まだ止まない。
鬼級幻魔の魔晶体は、とにかく堅牢で頑強だ。さらに再生速度も並の幻魔の比ではない。急速に復元していく魔晶体を完全に破壊し尽くすのは、簡単なことではないのだ。
これほどの魔法の乱打を浴びながらも、鬼級幻魔の上半身は未だ健在だった。
ならばどうすればいいのかといえば、魔晶核を破壊することだ。幻魔の心臓たる魔晶核を破壊すれば、それで全てが終わる。
そして、そのためにこそ、火倶夜は現出した瞬間に超火力の魔法を叩き込んだのだろうが、魔晶核は破壊し損ねてしまっている。
その結果がこの現状なのだが、優勢であることに変わりはない。
鬼級幻魔は、咆哮し、立ち上がろうとしているが、上半身だけでは上手く体勢を立て直すこともできないようだった。そこへ、魔法の嵐が叩き込まれ、復元しようとする魔晶体が損壊していくものだから、幻魔がわめき散らすのも至極当然のように思えた。
だからといって攻撃の手を緩める導士たちではない。むしろ、さらに苛烈に、強力な魔法を次々と叩き込んでいく。
相手は、鬼級幻魔だ。
放っておけばどれだけの被害が出るかわかったものではない。
このネノクニが崩壊したとしてもおかしくはなかった。
だからこそ、導士たちが全身全霊の魔法を叩き込んでいる。
義一も、イリアも、その場にいる導士たちの誰もが、懸命に魔法を発動させていた。
そのときだ。
『特別指定幻魔壱号の固有波形を観測』
ヴェルの声が、幸多とイリア、そして火倶夜の脳内に響き渡った。