第二百四十五話 機械仕掛けの悪魔(三)
イクサ開発計画の裏には、東雲貞子がいた。
東雲貞子。
正体不明の人物の足取りは、特別指定幻魔参号の固有波形と一致していた。央都の様々な企業、組織、人物に接触し、魔法による精神支配を施し、長期間にわたって操っていたことが判明している。
支配された人々は、自分たちがなんのためになにをしていたのかすらあやふやであり、自分の記憶の曖昧さに茫然とする人達ばかりだった。
精神に作用する魔法、中でも強烈な精神支配は、副作用として記憶障害を起こすことがある。
もっとも、この場合は、意図的に記憶障害を引き起こしたのだと推測されている。
東雲貞子は、幻魔だ。
そうとしか考えられなかった。
あれだけの大量の人間に対し精神支配の魔法を同時に仕掛け、長期間に渡って操り続けるなど、とても人間業ではない。どれだけ優れた魔法士であっても、不可能だ。
故に、幻魔と断定され、特定参号に認定された。
それは恐るべき事であると同時にあり得ないことだった。
幻魔が人間に擬態し、人間社会に潜り込み、暗躍していたのだ。
到底考えられないし、想定すら出来ないことだった。幻魔が現れるようになって二百年近くが経過して、そのような出来事は一度だって観測されていないし、記録されてもいない。
だが、現実問題として直視しなければならなかった。現実に起こっているのだから。
その目的は、不明だった。
しかし、このイクサの変貌ぶりを見て、イクサの内部に蠢く膨大な魔力を感じ取って、イリアは、一つの確信に至る。
幻魔だ。
人工的な幻魔の製造。
それが、東雲貞子と名乗る鬼級幻魔の目的ではないか。
東雲貞子は、アルカナプリズムと昂霊丹にも関わっていた。
昂霊丹は、後天的魔法不能障害の治療薬として売り出され、使用されていたが、実際には、魔力を暴走させることを目的としたものではなかったか。アルカナプリズムのボーカル、天野光は、昂霊丹の多量摂取により、魔力の暴走を引き起こした挙げ句、死亡した。
それは、過去の昂霊丹服用者の死亡例と同じだった。昂霊丹には、強い依存性があることが後に判明した。昂霊丹を一度服用したら最後、手放せなくなり、次第に用量も増大していくのだ、と。
その結果、体内の魔素の生産量が増大し、魔力の暴走を引き起こすのだという研究結果が、虚空事変の後、情報局に上がってきている。
そして、その結果が、幻魔の誕生である。
幻魔は、死者の魔力を苗床とする。
莫大な魔力こそが、幻魔の命の素となるのだ。
実際、天野光の死によって妖級幻魔サイレンが誕生した。
昂霊丹の目的が、同じように昂霊丹服用者の死による幻魔の誕生なのだとすれば、辻褄は合う。
そして、イクサ。
異形化したイクサは、まさに幻魔そのものだ。
「幻魔って機械が嫌いなんじゃないんですか?」
「定説よね」
「殻には機械一つ残されていないって話しじゃないですか」
「それも事実ね」
義一の疑問に一々頷きながら、イリアは、イクサの熾烈極まりない攻撃に対し、魔法防壁を強化した。舞台の跡地に密集しているのは、七人。
そこに火線が集中しているのは、当然の結果だ。イクサにとっては、イリアたちも斃すべき敵であり、排除すべき存在なのだ。空中の導士たちも邪魔だろうが、イリアたちもまた、攻撃しなければならない。
イクサの銃撃は、もはや砲撃といっても過言ではなく、その砲火が嵐のように降り注ぎ、爆発が次々と起こっては、イリアと龍野霞が構築する結界の外へ出ることを阻むようだった。
「だったらイクサはなんなんです?」
「特定参号の目的は、おそらく、幻魔を生み出すこと。その方法はなんだっていいのよ。たとえば、人間の死から確実に幻魔を生み出すことができるのならそれでいいのだろうし、機械から幻魔を生み出すことができるのなら、それでいいんでしょう」
「機械から幻魔を生み出す……」
「DEMリアクターがただの魔力炉じゃなくて、なにか、こう、幻魔を生み出すための機構だったのだとすれば、そして、イクサの全てがそのためのお膳立てだったのだとすれば、辻褄が合うわ」
イリアは一人納得しながら、頭上を仰いだ。降り注ぐ砲火の向こう側、上空では、ネノクニ支部の導士たちが防戦一方になっている。イクサの圧倒的な火力を前にすれば防御を固めるしかないし、凄まじい機動性を目の当たりにすれば、対応しようがない。
かといって、地上と合流するには、砲火がきつすぎる。
先程までとは大きく異なる戦況だった。
押されている。
そんな中、ただ一人、防御結界の外でイクサと激闘を繰り広げているものがいた。
幸多だ。
幸多は、イクサが完全に再起動する前から防御結界の外にいたこともあり、合流できずにいるようだった。防御結界には、前後左右、そして上空から無数の砲火が浴びせられ、常に爆発が起こっている有り様なのだ。そんな中に合流するには、多少なりとも負傷を覚悟しなければならない。
それならばいっそのこと、外で一体でもイクサを引きつけておこう、というのが、幸多の考えであり、いまのところ、その点では上手く行っていた。
一機だけ、幸多に引きつけられている。
最初は三機同時に相手にしていたのだが、砲撃の雨霰を躱し続けるのがやっとの事であり、攻撃を加えることも出来なかった。そのうち、二機がイリアたちへの攻撃に向かったため、幸多の相手は、一機だけとなった。
その一機との相手も、とても正面からぶつかり合えるようなものではなかった。
まず、イクサの機動性が飛躍的に向上しているというのが一点。この一点だけでもとてつもないものであり、幸多の体感では、先程まで獣級上位から妖級下位の間といった動きが、妖級上位以上にまで引き上げられたようなものだった。
幸多が九十九兄弟との協力の末に斃したサイレンは、妖級下位である。
妖級上位以上ともなれば、下位のサイレンとも比較してはならないほどの力があり、凶悪極まりなかった。
それも、砲撃してくるだけならば、まだ対処のしようがあった。砲撃は強力かつ着弾と同時に爆発し、広範囲に破壊を撒き散らすが、直線的で、弾速も躱しきれないものではない。
しかし、イクサは、砲撃と同時に接近してきて、幸多が飛び退いた先に腕を伸ばしてくるのだ。イクサには四本の腕があるが、そのうち武器を持たない腕は、ある程度伸縮可能であるらしく、その不意打ちに等しい攻撃には、幸多も一溜まりもなかった。
二度三度と直撃を喰らっている。闘衣の装甲が痛みを軽減してくれたものの、吹き飛ばされ、危うく砲撃を浴びかけた。
なんとか立ち直っても不意打ちを警戒しながら砲撃を回避し続けると、今度は、攻撃に出ることができなかった。隙がない。
イクサは、自由自在に動き回る。地上では滑走による高速移動を行い、空中に飛び上がれば、重力を無視して飛び回った。まるで魔法士のようにだ。
そして、砲撃を雨のように浴びせてくるものだから、幸多は、回避に専念するしかない。
隙を見て突魔を投げつけてみたが、複腕に受け止められ、相手の武器になってしまった。
「払魔」
幸多は、透かさず二十二式連機刀・払魔を召喚すると、砲撃とともに殺到してきたイクサの巨躯を大きく飛んで躱しながら、翻り、払魔を振り抜いた。払魔の刀身が瞬時に分解し、鞭のようにしなりながらイクサの巨躯に絡みつく。そして、そのまま幸多を引っ張るように加速した。
思わず手を離し、飛び退く。
『手も足も出ないって感じね』
「そうだけど!」
唐突に脳内に響いたヴェルの声に、幸多は、苦い顔をした。
まさに彼女のいうとおりだ。
手も足も出ていない。
イクサのほうが圧倒的に力があり、技量があり、速度があり、反射も上だ。なにもかもが上だった。
では、イクサが、幸多の攻撃を浴びたバアル・ゼブルよりも強いかといえば、そんなことはありえなそうに思えた。
バアル・ゼブルは、油断していた。幸多を甘く見ていた。だから、虚を突くことができたのだ。
対するイクサは、最初から油断というものがない。
いうなれば、殺意の塊だ。
ただただ、敵を殺すため、葬り去るためだけの動きしか見せていない。
いまもそうだ。
幸多の攻撃を振り切ったイクサは、こちらに急速旋回し、砲撃を行うと同時に加速した。砲弾を飛んで躱した幸多の移動先に先回りして、大刀と振り翳し、突魔を突き出してきたのだ。
(避けきれない)
幸多は、覚悟を決めつつも、叫んでいた。
「衝魔!」
転身機の閃光が振り上げた右手に収斂し、一瞬にして巨大な槍が出現する。そして、幸多は、槍を振り下ろすことで突魔を弾くことには成功したが、大刀による斬撃は甘んじて受け入れた。
胸から胴へ至る斬撃。しかし、浅い。装甲をぶった切られた程度で済んだのは、衝魔が突魔と弾いた衝撃が幸多の体を引き離そうとしたからに違いない。
が、窮地に変わりはなかった。
幸多が地面に落ちたとき、イクサの巨躯が眼前に迫っていたからだ。
突魔と大刀、そして砲口、全てが幸多に向けられていた。
イクサの四つの眼が禍々しく輝き、そして、紅蓮の炎に包まれた。