第二百四十二話 DEM(十)
ネノクニ支部の導士たちが駆けつけたおかげもあり、イクサとの戦いは、最終的に圧倒的な勝利で終えることができた。
合計、三十六名の魔法士と、たった一人の魔法不能者。
魔法士たちの攻撃魔法が乱舞する中、幸多は、ただ一人、イクサとの激しい接近戦を繰り広げたなければならなかったが、それそものは大きな問題ではなかった。幸多の戦闘速度は、イクサの高速機動にも対応可能だったからだ。
イクサは、数が減るにつれて、行動方針が変化していった。
最初、イクサ側が数の上で圧倒していたこともあって、遠距離からの銃撃ばかりしていたのだが、魔法士側が有利になると、超高速滑走移動による攪乱戦法に切り替えたのだ。
地面を滑走する移動方法は、廃墟同然の会場跡地を蹂躙するかのようであり、でこぼこになった地形もお構いなしに自由自在に動き回った。そして、縦横無尽に滑走しながら銃弾をばら撒くことで魔法士たちの行動を牽制し、さらに近接攻撃も織り交ぜてくるようになったものだから、戦いは激しさを増した。
そんなときに、援軍が到着した。
援軍は、上空からの爆撃によってイクサの動きを封じ、そこへ地上の魔法士たちが一斉攻撃を叩き込んで、残る全てのイクサを沈黙させることに成功したのだ。
「……なんとか、なりましたね」
「一先ずは、ね」
龍野霞が誰よりも大きな息を吐いたのは、強力な防型魔法を発動させ、維持していたからだ。しかも、度々、イクサの攻撃によって破壊されたものだから、何度となく発動しなおさなければならず、彼女の負担は相当なものだっただろう。
イリアは、といえば、もはや動かなくなったイクサたちを見遣り、疑問を感じていた。イクサには、先程の発表会の中で見せた異形の形態がある。
鬼級幻魔殲滅機構ことDEMシステムだ。
DEMシステムの起動時にのみ、異形の姿へと変形し、それによって真価を発揮するのがイクサだ。故に、解せない。
「ヒヤヒヤしたぜ」
「まあ、想定していたよりは楽だったが」
「それもこれも援軍在ればこそ、でしょう」
「だな」
「うむ」
伊佐那義一が海運晃や七番冬樹と話し合っていると、戦場の中心から最も離れていた幸多が戻ってきた。彼は、遠方からの銃撃に終始する一機のイクサを追いかけ、弾幕の中へと勇躍していたのだ。
そして、イリアたちの元へと駆け寄ってきたのだが。
「終わりまし――」
「幸多くうううん!」
「ちょっ、たま姉!?」
幸多は、イリアたちに報告しようとした瞬間、珠恵に抱きつかれてしまったため、そちらに意識を持って行かれた。
「大丈夫だった!? 怪我はない!? 銃弾を喰らったりしていないでしょうね!?」
「だ、大丈夫、大丈夫だから、そんな抱きつかないでよ」
「抱きつくわよ!」
「なんでそこは強情なのさ!?」
「愛よ、愛、愛なのよ!」
「愛!?」
幸多が頬ずりすらしてくる珠恵に悲鳴のような声を上げる様を見遣りながら、伊佐那義一が、ぼそりとつぶやく。
「あれが重圧の魔女……」
「なんだかとっても賑やかな人ね」
イリアが珠恵の溺愛ぶりを眺めていると、
「日岡博士! 皆さんも! 御無事ですか!」
「ええ、わたしたちは平気。援軍感謝するわ。おかげで助かったわ」
「皆さんが無事ならば、なによりです」
戦団ネノクニ支部の導士が、イリアたちの様子を見て、一安心したとでもいうような顔を見せた。
ネノクニ支部からの援軍は、戦団本部からの指示でもなければ、イリアが応援を頼んだからきたものではない。
ネノクニにおける戦団導士の戦闘行動は、基本的に許可されていないのだ。
ネノクニは、央都ではない。
央都とネノクニは別の都市というよりは、別の国といったほうが正しい。地上と地底、異なる組織によって管理運営される二つの世界。
故に双界と呼ぶ。
央都を支配する戦団の導士は、央都でこそ我が物顔で歩き回れるが、ネノクニではそういうわけにはいかないのだ。
だから、今回の援軍も、戦団本部やネノクニ支部の独自行動などではなく、ネノクニの支配者たる統治機構からの要請に基づくものである。
なぜ、独自の戦力を持つ統治機構が、戦団にこの非常事態への対応の協力を要請したのかといえば、極めて単純な理屈だった。
戦闘集団、組織としての練度が、統治機構と戦団では大きく違うからだ。
結成から五十年以上に渡って幻魔と戦い続け、また、厳しい訓練を欠かさない戦団の導士たちと、幻魔災害が発生することすら極めて稀なネノクニの魔法士たちとでは、その技量に大きな差が生じるのは当然の結果だ。
ネノクニは、幻魔災害が頻発する央都とは比較にならないほど平穏であり、故に、その戦力たる魔法士たちの練度、技量もある程度のところで止まってしまう、と、いう。
平和ボケしているのだ、とは、神木神威の言葉だが、実際、その通りではあるのだろう。
そして、だからこそ、こうした事態に直面した場合、真っ先に頼られるのが戦団であり、ネノクニ支部なのだ。
もっとも、ネノクニがこれほどの非常事態に直面したのは、戦団ネノクニ支部が組織されてから初めてのことであり、ネノクニ支部の導士たちが動員されるのもこれが最初だった。
だから、というわけではないが、ネノクニ支部の導士たちは、ようやく役目を果たすことができた、などと言い合っているようだった。
そんな折、イリアの脳内にヴェルの声が響いた。
『特定参号の固有波形を観測!』
「なんですって?」
『イリアから見て、ずっと右側、そう、その方向!』
ヴェルの指示通りにイリアが目を向けたのは、大会議場跡地からずっと遠方、天輪技研ネノクニ工場の敷地外である。避難者たちが集まっているはずの場所だ。
そこは小高い丘になっていて、工場の敷地内を見渡すにはちょうどいい。
そこに、特定参号が出現した、とでもというのか。
「義一くん、あっちを視て頂戴」
「はい」
義一は、イリアに言われるまま、彼女が指差した方角、小高い丘の方角を見遣った。イリアがなぜ自分を連れてきたのか、その理由がわかっている以上、疑問はない。それはつまり、その方角に視なければならないなにかがあるということだ。
そして、それは、義一の視覚情報として形を成し、網膜に焼き付けられるように鮮明だった。
丘の上に、どす黒い魔素の塊が存在していた。
「な、なんなんです!? あの魔素の塊!?」
「特定参号の固有波形、その源よ」
「それってつまり……鬼級幻魔ってことですか!?」
義一が大声を出すものだから、その場にいた全員の視線が彼とイリアに集中した。鬼級幻魔という発言にぎょっとするものも無理はない。
そんなものが現れれば、この戦力ではどうにもならないからだ。
『あ、でも、大丈夫そう!』
「どういうこと?」
『こっちは任せて!』
「……そうね、あなたたちに任せるわ」
「ど、どうするんです?」
「問題ないらしいわ」
「鬼級幻魔が、ですか?」
「ええ」
義一たちが状況を理解できないというのも当然だったし、それはイリアも同じなのだが、しかし、ヴェルが確信を持っていってきた以上、イリアには異論を挟み込む余地はなかった。少なくとも、彼女たちには、イリアの頭脳以上の情報があり、分析力があり、判断力があるのだから、なんの心配も要らないはずだ。
「でも、あれは……」
「あれ?」
イリアが目を向けると、義一は、丘とは全く別の方向を視ていた。そちらには、工場があったはずだ。天輪技研の工場である。もっとも、その工場は、いまやほぼほぼ壊滅状態であり、それは、イクサの攻撃の流れ弾が工場内のなにかに直撃した結果、大規模な爆発が起きた結果だ。兵器工場である。爆発物を扱っていたとしても、何ら不思議ではない。そしてそれら爆発物が誘爆に次ぐ誘爆を起こしたのだ。
そのため、工場は、廃墟のようになっていた。
工場では、イクサに関連する様々なものの開発が行われていたはずだが、この非常事態に際し、従業員は退避し、工場の機能も停止しているに違いなかった。
義一は、そんな工場の、地下に目を向けている。
「魔素密度の急激な増幅を確認……これは……」
義一の目は、分厚い地面を貫通するほどの高密度の魔素を認識しており、それがさらに凝縮され、爆発的に増幅する様が視えていた。
そしてそれは、工場跡地を貫き、真紅の光となって地上へと噴出する。
「な、なんだありゃあ!?」
「光……?」
「綺麗ねえ」
「そんな暢気なこといってる場合じゃないよ、たま姉」
幸多は、珠恵の腕を振り解きながら、工場の地下から噴出した莫大な光を見ていた。
真っ赤な光の柱が聳え立ち、それは瞬く間にネノクニの天井へと至った。
さらに。
「ああ!?」
「イクサが動いた!?」
導士たちの悲鳴にも似た叫び声によって、イリアは、状況を把握した。
「……DEMシステムが起動したようね」
イリアは、周囲を一瞥し、もはや動かなくなっていたはずの鉄の巨人たちが、再起動する様を認めた。
漆黒の装甲の表面に赤い光の線が無数に走り、装甲部が展開した。
異形化が始まる。