第二十三話 英霊祭(四)
讃武の儀が終わると、総長を始めとする壇上の星将たちは去って行った。
それぞれの役目を果たすためだ。
伊佐那美由理も、みずからの務めを果たすべく、つぎの目的地に向かおうとしていた。
その道中、彼女の脳裏に浮かぶのは、一人の少年の顔だ。
(皆代幸多か)
その名は、ハイパーソニック小隊や幻魔災害特別対応部隊からの報告に克明に記されていた。
魔法不能者でありながら、逃げ遅れた一般市民を助けるため、幻魔に立ち向かった勇敢な少年。
それは同時に無謀極まりないことであり、決して手放しに褒められることではなかった。
とはいえ、美由理の記憶に残るだけのものはあったのだ。
決して褒められないが、しかし、皆代幸多の判断が、恐怖のあまり逃げることすらできなくなっていた女性を救ったのは、紛れもない事実だ。
魔炎狼こそ美由理が倒したものの、美由理では女性の救助に間に合わなかった可能性が高い。ましてやハイパーソニック小隊が間に合っていた可能性は、皆無に等しい。
そのため、彼をただ否定するというのも、難しい判断といえた。
なぜいまになって皆代幸多のことを考えたのかといえば、舞台上から彼の姿を見つけてしまったからにほかならない。
彼は、友人たちと讃武の儀を見に来ていたらしく、最前列に陣取っていた。
皆代幸多の舞台上を見るまなざしは、強い憧れと尊敬の念が込められたものであり、気が引き締まる想いがしたのだった。
「ねえ、美由理ちゃん」
「はい?」
「どうしたの?」
伊佐那麒麟が、話しかけた側なのにむしろ驚いたような反応を見せたのは、美由理の声が上擦っていたからだろう。
麒麟は、美由理より余程背が低い。というより、美由理が女性としては高めなのだが。結果、美由理はいつも麒麟を見下ろす羽目になるのが、なんとなく心苦しかった。
美由理にとって麒麟は、心から敬愛する母であるとともに戦団が誇る英雄なのだ。戦団の女神と呼ばれることも少なくない。
「い、いえ、少しばかり考え事をしていたもので」
「そう、それならいいのだけれど。歩きながら考え事しすぎるあまり転倒したら格好悪いわよ」
麒麟が冗談めかしく忠告してくる。
「はい。肝に銘じておきます」
「そんなに畏まらなくてもいいのに。二人だけなんだから」
「はい。お母様」
いわれてみれば、確かに周囲にはだれもいなかった。中央公園を出てすぐのところに戦団が用意した待機所があり、そこに入ったのだ。
少しの休憩の後、出発する予定になっている。
待機所には、美由理と麒麟以外にはだれもいなかった。ほかの星将たちは、別の待機所なりなんなりで休憩しているか、既に移動しているかのどちらかだろう。
「まあ、美由理ちゃんらしくていいけど。それで、聞きたいのはあの人の行方なのだけれど」
「あの人……?」
反芻して、すぐに思い当たる。
麒麟が気兼ねなしにそう呼ぶに値する人物は、そうはいないことを美由理はよく知っている。そして、この場でそれに該当する人物といえば、一人しかいなかった。
「ああ、総長閣下ですか」
「そう、大総長閣下様。あの人ったら讃武の儀が終わったからといってすぐに姿を消しちゃって、首輪ちゃんたちも知らないっていうし」
「ちゃんと番犬の役割してるんですか、彼ら」
「してるわよ。してるから、放ってるんでしょう」
「なるほど?」
麒麟の結論は、美由理には理解しがたいものだったが、納得するよりほかなかった。
麒麟のいう首輪ちゃんとは、通称である。
正式名称は、総長特務親衛隊。
その名の通り戦団総長の親衛隊であり、同時に神木神威の首輪であった。だから、首輪部隊の通称で呼ばれることも、ないではない。
麒麟からは、首輪ちゃん呼ばわりである。
首輪部隊の役目は、総長神木神威の身辺警護と、動向の監視である。神木神威が余計なことをしないように見守り、場合によっては身を挺して総長の暴走を食い止める重要な立場にあった。
もっとも、その理由と意味を知っているものは、戦団上層部の限られた人間だけだったし、首輪部隊の通称も上層部の間で囁かれていることに過ぎない。
美由理は、それらの事情を詳しく知っている側の人間である。
「あの子たちも知らないならどうしようもないのよねえ」
「転身機なり携帯端末なりを追えばいいのでは?」
「それ、不粋よ」
「はい?」
「美由理ちゃん、生真面目なのは美徳だと思うし、それがあなたにとってとても重要な要素なのだけれど、人の機微に疎すぎるのも良くないとお母さん思うわよ」
「はあ……?」
なぜか説教されることになり、美由理は当惑せざるを得なかった。総長の居場所を聞いてきたのは麒麟である。となれば、探し方、見つけ方を提案するのが筋というものではないのか、と彼女は思うのだ。しかし、どうやらそうでもないらしい。
麒麟は、少し困ったようなそれでいてすべてを包み込んでくれる、まさに女神そのものの微笑を浮かべていた。
「でもまあ、そういうところが可愛いから、いいんだけどね」
「はあ……」
「ま、あの人のことはわたしが探すことにしましょう。あなたには大事な役目があるし、しっかり休んでおきなさい。疲れたでしょう」
「多少、ですが」
「ふふ。本当に生真面目ね。そういうところ、大好きよ」
「わたしも、お母様のことが大好きです」
「ありがと」
互いに敬意を伝え合うのは、伊佐那家では当たり前のことだった。ときに奇異に見られることもないではないが、それが悪いことだとは、美由理は微塵も思っていない。
麒麟が待機所の外に出ると、周囲にいたのだろう親衛隊員たちに何事かを指示する声がかすかに聞こえた。総長を探すため、市内中を探し回る羽目になるのかもしれない。
美由理は、ただひとりになった待機所内の片隅に腰を落ち着けると、ゆっくりと一息ついた。
英霊祭における最大の役割は、終えた。大役を終え、緊張から解放される感覚があった。いかに星将とはいえ、あれほどの舞台で緊張しないわけがなかった。
だが、これで終わりではない。
これからが本番といってもよく、そのためにもしっかりと休息しておく必要があった。
そのためにもと、冷蔵箱から飲み物を手に取ろうとしたときだった。
携帯端末に着信があった。美由理は、手に取った端末の画面に表示された名前を見るなり、即座に通話を繋いだ。
「はあい、あなたの大親友よ」
「はあ……」
「どうしたの? ため息なんてついたりして。調子でも悪いのかしら。活躍、見てたわよぉ、すっごかったわねえ、讃武の儀。できるなら会場で生で見たかったわ」
「……この上なく元気そうじゃないか、イリア」
多少、気後れするのは、端末の向こう側から聞こえてくる声がやけに活気に満ちていたからだし、こちらの反応などおかまいなしに捲し立ててきたからだ。こちらの疲労感をまったく無視した力強い声には、閉口すらする。
声の主は、日岡イリアといった。戦団技術局第四開発室長であり、星将の称号を持つ技術者である。美由理とは星央魔導院の同期であり、医務局長の妻鹿愛とともに魔の十八期生などと呼ばれることもあった。
「その声の様子からして、あなたもじゃない?」
「多少は疲れたよ、さすがにな」
「ふうん。あなたが疲れるなんてよっぽどね。戦団至上最高の才能と謳われていたのに」
「それはいまや皆代統魔の代名詞だよ」
静かに、訂正する。
かつて星央魔導院史に残る俊英と呼ばれ、戦団始まって以来の天才などと持て囃されたのは、もはや遠い過去のものとなった。
皆代統魔が、彗星の如く現れたからだ。
彼は、美由理を凌ぐ才能を持っていた。星央魔導院では美由理以上の才能を発揮し、通常三年の規定を二年に短縮、十五歳の若さで戦団に入ることが特例で認められたほどの人物なのだ。そして、その評価のままに、一年足らずで輝光級にまで昇格している。
美由理は、その事実を喜ばしいこととして見ていた。
星央魔導院時代ならばいざ知らず、いまとなっては、天才や俊英などと持て囃されることになんの興味もなかったし、そのような自惚れもなかった。
この世には、才能が溢れている。
通話相手のイリアも、そうした才能の持ち主の一人であり、彼女が得意とする分野においては、美由理を遥かに凌駕している。
「そうそう、それで思い出したんだけど、っていうかだから通話したんだけど」
「なんだ?」
まったく想定外のところから殴りつけられるような感覚を抱いて、美由理は、通話相手のろくでもないことを企んでいるのであろう顔を思い描いた。
いつだって、そうだ。
イリアは、悪巧みが思いつくと、即座に行動に移した。その行動に巻き込まれるのが美由理であり、妻鹿愛なのだ。
「例の問題児、観覧席にいたわね。最前列に陣取ってたじゃない。中継にもバッチリ映ってたわ」
「それがどうした」
「あなたが気にしてたから話を振って上げたんでしょうに」
「気にしてなどいないが」
「嘘。あなたがどうでもいいことを話題にしないことくらい、長年の大親友であるわたしが知らないわけないでしょう、ミューミュー」
「その不気味な呼び名を使うなと何度言ったらわかるんだ」
「うふふ。学生時代を思い出させて上げたんじゃない」
「いらん」
「んー」
「なにが、んー、だ。それで、彼がどうかしたのか」
話が横道に逸れ、余計なことばかりいってきそうになったのをなんとかして修正する。
「聞いたのはわたしのほうだけど。まあ、いいわ。わたしとしては、彼が戦団に入ってくれないかなあって思ってるだけ」
「またその話か」
「だって、魔法不能者にも関わらず、果敢にも幻魔に立ち向かう少年だなんて、まさしくわたしの理想とする実験材料じゃない。戦団に入ってくれたら、この上なく丁重に扱うことを約束するんだけどなあ」
「そんなことをわたしにいわれてもだな」
どうしようもない、というのが、美由理の本音だ。
そしてそれを理解していない日岡イリアではなかった。それでもいわずにはいられないのが、イリアという人間なのだ。
「……そうよね。あなたにいってもなんの解決にもならないわよね。まったく、役に立つんだか立たないんだか、よくわからないわよね、あなたって」
「酷い言い様だな」
「事実じゃない」
「……切るぞ」
「どうぞー。じゃあ、英霊祭本番、頑張ってねー」
「……はあ」
通話を切って、彼女は大きくため息をついた。
イリアと話すと途方もなく疲れるのは、どういうことなのか。
学生時代からの親友であり、気の置けない関係なのだが、時折、イリアの勢いについていけないときがある。
美由理が真面目すぎるせいだ、というのは、もう一人の親友、妻鹿愛の弁だが。
(そんなつもりはないんだがな)
自分が真面目すぎるほどに真面目といわれるような人間ではないことくらい、よく知っているつもりだった。
だからこそ、自戒しなければならない。
でなければ、いまにも星将伊佐那美由理という仮面が崩壊しかねない。
それくらいの危うさを常に感じていた。
待機所内には、だれかが点けたままの端末があり、浮かび上がった幻板が、英霊祭の様子を映し出していた。
英霊祭の人集りは、夜に向かってさらに増していく。
美由理は、そんな葦原市の様子を見遣りながら、冷えた飲み物で喉を潤した。




