第二百三十三話 DEM(一)
会場は、騒然となっていた。
地上奪還作戦を模した演習は、佳境を迎えようとしていた頃合いであり、三十機のイクサに起きた変化が観衆を驚かせ、どよめかせたのも束の間、さらなる異変が会場そのものに起きたからだ。
戦団技術局第四開発室長・日岡イリアが、突如として席を立ったかと思えば、壇上に上がったのだ。護衛と思しき四人の導士を引き連れて、である。
舞台上の天燎鏡磨が彼女を指名し、登壇させたというのであれば話は別だが、そんな様子はなかったし、警備員や魔法士たちが動き出そうとしていた事からも予期せぬ事態であることは明らかだった。
「おいおい、どうなってんだよ?」
「ぼくに聞かれてもわかんないよ」
「日岡博士って、日岡博士よね?」
「そうですけれど……」
圭悟も蘭も真弥も混乱気味であり、紗江子も状況に困惑を隠せなかった。
彼らだけではない。
学生たちの誰もが混乱していたし、いや、観客席にいる誰一人としてこの状況を理解していなかった。
「戦団が動いたということは、なにか問題あるということうよ。いい? 万が一の場合に備えおきなさい。もちろん、あなたたちの無事は、あたしたちが保証するけれど」
珠恵は、圭悟たちに務めて冷静に告げると、魔力の練成を始めた。
央魔連は、戦団とは全く別の勢力だが、戦団と対立しているわけでもなければ、敵対心などあろうはずもない。壇上に起きた異変に反応しようとした央魔連の魔法士たちも、戦団の導士たちが舞台に乱入したから動いたのではなく、事件が起きたからこそ動いたのだ。
壇上に乱入したのが、たとえ天燎財団の関係者であったとしても、同じ反応をしたに違いない。そういう契約、そういう指示なのだから。
珠恵は、同じく天燎財団と央魔連の契約によってここにいるのだが、会場の警備についている連盟員たちとは違い、天燎高校の学生たちの身の安全を護ることがその役割の全てだ。
だからこそ、いざというときのために備えなければならないのだが、これからなにが起こるのかわからない以上、どのような想像を巡らせるべきなのかもわからない。
(一先ず、防御魔法よね)
珠恵は、生徒たちを護るための魔法を想像しながら、壇上の異変を見守ることにした。
日岡イリア率いる戦団の導士たちが、天燎鏡磨と対峙する後方では、いまや二十機となったイクサがリリスの魔晶体を徹底的に破壊している最中だった。
「ご覧の通り、人型魔動戦術機イクサは、鬼級幻魔リリスを撃滅し得る力を持っている。わかるかね、日岡博士」
天燎鏡磨が、舞台後方に出力された特大の幻板を指し示した。
幻想空間上で行われていた演習は、イクサの勝利で幕を閉じようとしていた。イクサの数は既に半分以下になっていたが、リリスを撃破したのだからなんの問題もないだろう、とでもいわんばかりの表情で、鏡磨はいう。
「もはや、人類復興は、戦団に拠る必要がなくなったのだ。いや、人類復興だけではない。央都守護も、法秩序の維持も、我々に任せてくれればいい。そうすれば、きみらのように無駄に人死にを出さなくて済む。そうだろう。イクサは、機械なのだから」
「……夢のようね」
イリアは、幻板から鏡磨に目を移し、告げた。
「そうとも。夢だよ。これは、夢だ。人類がかつて見た夢を実現したのだ。幻魔を撃滅する無人の戦闘兵器。人類は常にその実現を夢見てきた。だが、夢を叶えるものはついぞ現れなかった」
「幻魔には通常兵器は通用しない」
「しかし、その定説は、あなたが否定して見せたな、日岡博士。そして、我々も、否定して見せた。通常兵器が、幻魔に通用するのだと証明したのだ」
「ええ。そうね」
イリアは、鏡磨の発言を否定しなかった。むしろ、肯定して、告げる。
「超周波振動による構造崩壊。それが現状唯一、通常兵器で魔晶体を破壊する方法」
「なに?」
鏡磨が、悠然と構えていた表情を一変させたのは、イリアの言葉を聞いたからだった。
義一たちには、それがなにを意味するのか、全くわからない。
「その方法は、わたしが発明したのよ。そして、あなたたちに、天輪技研に提供した。影ながら、誰にもわからないように」
「なんだと?」
「わたしも馬鹿じゃないわ。自分たちだけでなにもかもを上手くやれるだなんて、微塵も思っていない。そんなに傲慢じゃないのよ。だから、あなたたちにも協力してもらおうと思ったのよね」
「協力だと……馬鹿な!?」
予期せぬ事態に鏡磨が声を荒げる中、イリアは、淡々と続ける。
「そして、実際、それは上手く行っていたわ。わたしが提供した技術を応用した新兵器が誕生したんだもの。それ自体は喜ばしいことだった。本当に、惜しい」
イリアの衝撃的な告白の数々を聞いて、義一は、ただただ驚く一方で、会場の反応の薄さに気づいてもいた。そして、すぐさま理解する。
会場と舞台の間に音を遮る魔法の壁が展開されていて、だから、イリアの言葉が会場に響いていないのだ。観客の誰一人として二人の会話の内容を把握できていないのは、そのためだった。
まず間違いなく、イリアが魔法を使い、張り巡らせたのだ。
イリアは、空間魔法の使い手として最上級の魔法士である。空間を歪ませ、遮音壁を生み出すなど、造作もないことだろう。
鏡磨が凄まじい形相で、イリアを睨んだ。予期せぬところから突きつけられた真実に動揺し、怒りさえ覚えているのだ。
「それがイクサだと……いうのか?」
「そう、それがイクサ。でも、それだけならば、なんの問題もなかった。イクサが、ただ、超周波振動技術を利用した新兵器というだけなら、それでよかった。でも、あれは駄目」
イリアは、幻板に表示されたイクサを見遣り、いった。
異形化したイクサは、荒ぶる魔神のように禍々しく、破壊的だ。黒く巨大化した全身に赤い光線が無数に走り、その異様さを強く主張している。
まるで幻魔のようだ、と、思わないではない。
幻魔のような結晶構造が全身を覆っているのだから、あながち間違いではないのかもしれず、イリアは、なんともいえない気分になった。そして、鏡磨に問う。
「あなたは、あれの正体を知っているのかしらね?」
「どういう……ことだ」
「DEMシステムとは、なに?」
イリアが問えば、鏡磨は取り乱したように叫んだ。
「そんなもの、部外者に話せるわけがないだろう!」
「そうね。でも、もう部外者じゃなくなってしまったのよ」
「なんだと!? どういう意味だ!? さっきからなにをいっている!?」
鏡磨が錯乱したようにわめき散らすのを見て、イリアの思考は、さらに冷静さを増していく。氷のように凍てつき、研ぎ澄まされていくのだ。
「DEMシステムの起動と同時に、ある固有波形を観測したのよ。それは通常、あり得ないことよ。幻想空間上での演習だもの。でも、イクサが幻創機を用いた遠隔操作で動くというのなら、考えられないことではないわ。むしろ、もっとも考えられることだった」
イリアは、鏡磨のいまにも爆発しそうなまでに真っ赤になった顔を見つめながら、通告した。
「いますぐ演習を中止し、発表会も取り止めなさい。これは命令よ」
「命令? 命令だと!? なぜ、我々が戦団の命令に従わなければならない? ここはネノクニだぞ! 戦団が支配する央都ではない!」
いきり立った鏡磨が叫べば、天輪技研の警備員たちが舞台上に飛び出してきた。今度は、鏡磨も制さなかった。
ということはつまり、イリアたちをどうにかしろ、と警備員たちに暗に言っているのだ。警備員にせよ、央魔連の魔法士たちにせよ、戦団の導士たちを前にして迂闊に手が出せないといった様子だったが、とはいえ、雇い主の指示には従わざるを得ず、イリアたちを包囲した。
そんな涙ぐましい警備員たちの対応を見守りながら、イリアが嘆息した。
「……まったくその通りだから困ったものね」
「困らないでくださいよ、非常事態なんでしょう?」
義一は、イリアの反応にこそ、ため息をつきたくなった。イリアを護るため、その周囲に展開する護衛小隊が、警備員や連盟員といった魔法士たちに取り囲まれたのだ。
鏡磨は、この状況になって、少しは冷静さを取り戻しつつあるようで、なにやら様々に指示を飛ばしているようなのだが、内容はわからない。
「そうよ、たぶんね」
「たぶんって」
「たぶんで動かないで欲しいぜ」
「これでなにもなかったら大恥だな」
「そのときは、わたしが責任を負うから安心なさい」
「そりゃあそうだ」
「当たり前ですよ、博士」
「あら、随分と辛辣ね、最近の導士様は」
などと、イリアはいってきたが、義一たちからしてみればたまったものではなかった。幻魔や魔法犯罪者と戦うならばともかく、なんの罪もない一般市民と戦闘することになる可能性に直面すれば、頭を抱えたくなるのも当然だったし、このような事態に至った原因であるイリアに一言二言ぶつけずにはいられなかった。
会場は、といえば、混乱に陥っている。
舞台上でイリアと鏡磨がなにやら口論していたかと思えば、戦団の導士たちが警備員らに包囲されたのだ。異常事態だったし、大事件といっても過言ではなかった。
そして、激しい振動が会場を揺らした。轟音が、天を割るように響き渡る。
「な、なんだ!?」
「なにが起きたんです?」
「……こうなると思ったから、中止しろっていったのよ、わたしは」
「一体、どういう……?」
義一は、寄りかかってきたイリアの体を支えながら、彼女の顔を仰ぎ見た。
「いったでしょう。固有波形を観測したのよ。虚空事変後に観測された、特別指定幻魔参号の、ね」
イリアの目は、幻板に映し出されていた幻想空間が突如として消滅する瞬間を見ていた。
それはつまり、イクサの制御を担う幻創機になにかが起きたことを示している。