第二百三十二話 人型魔動戦術機イクサ(八)
リリスの魔法防壁を突破するのは、至難の業だ。
少なくとも、幸多は、そう教わっている。
地上奪還作戦は、英雄たちの物語である。央都を作り上げ、地上に人類復興の兆しをもたらした英雄たちの物語。それは現存する伝説であり、生きる神話であるといっても過言ではない。
英雄の中の英雄、神木神威率いる地上奪還部隊のうち、戦闘要員はたった五百人程度に過ぎなかったという。
そのたった五百人で、リリスの殻バビロンに挑み、何万もの幻魔を相手に戦い抜き、ついにはリリスを戦場に呼び込むことに成功したのだ。そして、多くの血を流した死闘の末に撃破した、というのが、英雄物語の大筋である。
幸多は、その当時の魔法士たちよりも、少なくとも身体能力だけは突出しているはずだった。現代の魔法士たちと比べても、幸多の身体能力は圧倒的なのだ。
それでも、リリスには敵わなかった。
一撃を浴びせることすら出来ないほどの力の差があった。
それほどの怪物を相手に、人型魔動戦術機イクサはどう立ち向かっていくのか、幸多も注目していた。
イクサは、無人の戦闘機である。
天燎鏡磨は、演説において、戦団が無為に人命を損なっているというようなことをいっていたが、それに対する答えがイクサなのだから、当然、人が乗って操縦することなどあり得ない。
イクサは、遠隔操作で動くのだ。
そして、イクサを操縦しているのは、室内の片隅に立ち並ぶ円筒状の機械の中に入った人達であり、幸多は、その機械を最初見たとき、とてつもない既視感を覚えたものだった。
既視感の正体、それは、サークルドリーム社で見たドリームステーションである。
外観や色など、多少、違う部分があるのだが、概ねドリームステーションそのものといっていい。それほどまでに酷似していて、だからこそ幸多も既視感を覚えるのだ。
ドリームステーションは、開発中のゲームのため、完璧で完全な生体情報を取得するのに必要な機材である、という説明を受けたことを思い出す。
それがイクサの操縦とどのような関係があるのかはわからないし、そもそもドリームステーションはサークルドリーム社が独自に開発したものではなかったのか、などという疑問が湧いてきたが、すぐに消えた。
戦況が動いたからだ。
全部で四十機のイクサが、一機、また一機と、リリスの攻撃によって撃墜されていく。リリスの圧倒的な魔力が生み出す魔法の奔流には、さすがのオリハルコンの装甲も耐えられないようだった。飲み込まれれば、圧潰し、爆散するしかないといった有様だった。
イクサは、重装甲だ。全身が魔法金属の塊といってもいいくらいであり、妖級幻魔の打撃程度ではびくともしなければ、リリスの牽制攻撃くらいならばなんの問題もなさそうだった。
その上、リリスの魔法攻撃を喰らって装甲がひしゃげたところで、問題なく戦闘を続行することができた。人間ではないのだ。動くことさえ出来れば、戦い続けられる。そして、それこそ、イクサ最大の利点だろう。
人間は、重傷を負えばそれまでだが、イクサは、左半身が消し飛ばされても動き続けた。射撃の手を止めず、弾幕を張り続けるイクサの姿は、惚れ惚れするくらいに格好良い。
だが、リリスはそんな銃撃などものともしない。腕を振り下ろし、魔力の圧力だけでイクサの左半身を打ち砕く。
戦況は、徐々に悪化している。
イクサは、リリスに接近戦を仕掛けられない。距離を詰めれば最後、リリスの圧倒的な魔力の前に押し潰されるのが目に見えているからだ。
距離を取り、弾幕を張り続けているのが精一杯なのだ。リリスが迫ってくれば大きく回避し、距離を引き離し、また十字砲火を続ける。しかし、それでは、イクサが各個撃破されていくだけではないのか。
幸多は、要らぬ心配をしてしまう。
このままでは、発表会の会場が冷え込むのではないか、と。
すると、神吉道宏が静かにうなずく様子が見えた。誰かからの指示を受けたような、そんな印象だった。
「コード666! DEMシステム、フルドライブ!」
神吉道宏が告げると、天輪技研の技師たちが次々と復唱した。
「了解、コード666。DEMシステム、フルドライブ!」
技師たちが端末を操作することによって変化が起きたのは、室内に立ち並ぶ筒状の機材だ。ドリームステーションに酷似した機材である。
全四十基の機材のうち、三十基の機材の表面に光の線が走った。
それは、生き残っているイクサの数と同じだった。
赤い光が、黒塗りの筒の上に複雑な軌跡を描いていく。
その不思議な光景を見遣りながら、幸多は、圭助に尋ねた。
「でぃーいーえむシステム?」
「イクサに搭載された対鬼級幻魔殲滅機構で、DEMとは|DeusExMachinaの略称だそうだよ。詳しいことは知らんがね」
「デウスエクスマキナ……」
幸多は、圭助からの説明を受けて、ただその言葉を反芻した。鬼級幻魔殲滅機構。なんだか物凄いことが起こるような気がして、どきどきした。
そうこうしている間に、幻想空間上にも変化が生じていた。
リリスの猛攻を回避し続けることに専念していた三十機のイクサ、その全ての機体の表面に赤い光線が走ったのだ。それは、現在、筒状の機材に生じているものと同様の変化であり、無数の赤い光線が複雑な軌跡を描きながら、イクサの漆黒の機体を染め上げていく。
黒に赤といえば、天燎財団の基調色とでもいうべきものだが、イクサのDEMシステムはそれに倣ったかのようだった。
そして、機体の表面のみならず、機体そのものにも変化が生じようとしていた。
「ご覧ください! これが、我が天輪技研が開発した人型魔動戦術機イクサの実力です!」
天燎鏡磨の声が一段と強く、高くなって、会場全体に響き渡ったのは、幻想空間上の三十機のイクサに変化が起きたときだった。
投入された四十機のうち、既に十機がリリスによって撃破されていたが、しかし、鏡磨の様子には変化はなく、むしろ得意げだったということからもわかるとおり、そこまでは想定の範囲内、予定通りの戦況だったのだ。
さすがのイクサも、通常状態では鬼級幻魔に太刀打ちできないということを説明するための、必要な演出。
イリアは、そう理解した。そして、つぶやく。
「あれがDEMシステム……」
三十機のイクサが赤い光に包まれ、変形を始めていた。
それがDEMシステムとやらが起動した証なのだろうということは、イリアにはすぐにわかった。しかし、DEMシステムの詳細については調べようがなかったものだから、これから先、なにが起こるのかはわからない。
つぎに、イクサの各部を覆う装甲が展開され、内部の構造が明らかになった。腕部や脚部、頭部や胸部など、あらゆる部位の装甲に隠されていた部分から人工筋肉が露出する。赤く輝く擬似生体部品の数々。赤い光は、それら人工筋肉から発せられていたようだった。
かと思うと、それら人工筋肉が爆発するかのようにして増殖し、イクサの全身を包み込んでいった。それは見るからに異様な光景であり、異常事態としか思えないほどの変化がった。
会場がどよめくのも当然だったし、導士たちも驚きを隠せなかった。
「なんじゃありゃあ」
「まるで怪物じゃない」
「うげえ」
海運たちがそんな反応をするのも無理からぬことだと、義一は思った。義一自身、嫌悪感を覚えずにはいられなかったし、吐き気さえ覚えるほどの異様さがあった。
イクサの全身を覆った人工筋肉は、変質し、硬化し、さながら結晶のような輝きを帯びた。
イクサは、分厚い装甲の上から、異形の黒い結晶の鎧を纏ったのだ。
その姿は、禍々しい怪物そのものであり、イクサたちは、大地を蹴り、空高く飛び上がった。かと思えば、背が割れ、肉の翼が生える。それもすぐに結晶化し、赤黒い光を噴出することでイクサを加速させる。
会場は、動揺と興奮と混乱と、様々な反応に満ちていた。
「……そう、わかったわ。ありがとう、ヴェル。幸多くんにもよろしく」
「どうしたんです?」
義一は、イリアが誰とはなしに言葉を発する認めて、思わず聞いてしまった。イリアは、おそらく通信機でもって誰かと会話していたのだろうし、であれば義一が口を差し挟むことではないはずなのだが。
「わざわざここまで降りてきたのは無駄じゃなかったってことよ」
「はい?」
義一には、イリアのいっていることがまったく理解できなかったし、彼女がなにを考えているのか、想像もつかなかった。
そして、イリアが立ち上がったものだから、周囲の視線が彼女に集中した。
龍野霞も透かさず立ち上がったのは、イリアが歩き出したからだ。周囲の注目を浴びる中、毅然とした態度で客席の中を歩いて行く。当然、護衛小隊も動かなければならない。
「なんなんだよ?」
「おれに聞くなよ」
「いまは博士の身を守ることに集中しましょう」
龍野霞は、イリアがなぜ動き出したのかまったく知らなかったが、聞いている暇もなさそうだということは、その決然とした表情から察することができた。
幻板に映し出された幻想空間では、怪物と化したイクサたちがリリスと死闘を繰り広げている。超高速で空中を飛び回りながら魔法弾を乱射するリリスに対し、三十機のイクサが次々と撃ち落とされていくのだが、イクサの攻撃もリリスに届いていた。銃撃ではなく、異形化した巨大な銃から放出された光線が、リリスの肩を射貫き、魔力を飛散させた。
そんな光景を遠く前方に見遣りながら、イリアは進む。
観客席は、さながら映画館のように階段状になっている。イリアたちの席は、千人収容可能な観客席の中でも前の方であり、演壇はすぐ目の前だった。
だから、イリアが演壇に飛び上がるのも簡単だったし、護衛小隊の四人も彼女に倣って演壇に上がった。
当然だが、壇上に乱入したということもあって、舞台袖に控えていた天輪技研の警備員や、天燎財団が手配したのであろう央魔連の魔法士たちがイリアたちを取り囲もうとした――のだが、天燎鏡磨が、そうした動きを手で制した。
「これはこれは、戦団技術局第四開発室長日岡イリア博士ではないですか。我が天輪技研が誇る新戦略、人型魔動戦術機イクサを見て、黙ってはいられなくなったようですね?」
天燎鏡磨の浅葱色の瞳が、イリアの灰色の瞳を射貫くように見つめた。