第二百三十話 人型魔動戦術機イクサ(六)
鬼級幻魔リリス。
地上奪還部隊が最初に打倒した鬼級幻魔であり、現在葦原市が存在する場所に築き上げていた殻バビロンの主宰者である。
他の鬼級幻魔同様、圧倒的な魔力と強靭な生命力、頑強極まる魔晶体を誇り、地上奪還部隊を壊滅寸前まで追い詰めた。
しかし、死兵と化した地上奪還部隊の魔法士たちの前に敗れ去ったことで知られる。
その戦いは、英雄譚として語り継がれているだけでなく、膨大な数の記録映像も残されている。そうした映像を見ることは、央都に生まれたものならば当然といえることかもしれない。
そういう意味でも、リリスは、央都市民の中でもっとも有名な鬼級幻魔だろう。
その姿形も記録映像として残されており、鬼級幻魔との戦いを想定した幻想訓練には、リリスの再現体が活用されることも少なくない。
鬼級幻魔は、極めて人間に酷似した姿で現れる。
リリスもそうだ。
一見すると、妖艶な美女とでもいうべき姿であり、その美貌は、幻魔に対し本能的に嫌悪感や恐怖心を抱く人間であっても、思わず息を呑んでしまうほどだった。赤黒く輝く瞳も、リリスの美貌を際立たせる一要素に過ぎない。透けるような白い肌に、艶やかな黒髪は腰まで伸びている。しなやかな肢体は理想的とすらいえるほどであり、その上に血のように真っ赤なドレスを纏っていた。
背には一対の翼があり、蝙蝠のような飛膜があった。
リリスの出現とともに、その臣下の幻魔たちは、畏れ多いとでもいわんばかりに距離を取る。
鬼級幻魔と妖級以下の幻魔の力の差は、とにかく圧倒的だ。
リリスが出張ってきた以上、妖級以下の幻魔たちに出番はないのだ。
「これは……」
幸多は、大量の幻魔との激戦の最中に起きた変化に直面し、渋い顔をした。ここが地上奪還作戦の戦場を模した幻想空間であり、リリスの殻であることは理解していたし、であれば最終的にはリリスが出てくる可能性を考慮していないわけもなかったが、それにしたって唐突だった。
幸多の戦いは、死闘を極めた。
獣級以下ならば、どれほどの大集団であっても後れを取ることはない。余程綿密な連携が取れているというのであればまだしも、獣級以下の幻魔にそのような戦い方をしろというのは、酷な話だ。故に、幸多が超高速で動き回り、幻魔たちを攪乱するようにして戦えば、圧倒的優位を維持したまま戦い続けることも不可能ではなかった。
しかし、そこに多数の妖級幻魔が混じると、状況は全く変わる。
妖級幻魔の力が強大だということもあれば、霊級、獣級の幻魔たちが妖級幻魔の指揮下に入ったことで、統率が取られ、連携して攻撃してくるようになったのだ。
イフリートやジンといった巨人型とも呼ばれる妖級幻魔もいれば、ヴァンパイアやサキュバスといった人間に近しい大きさ、姿の妖級幻魔もいる。
幻魔は、等級が上がるほど、その姿形を人間に近づいていくといわれる。まさにドラゴンそのものの竜級ともなればかけ離れるが、鬼級へと至るまでの等級は、徐々に人間に近づいているといってよかった。
妖級幻魔は、人間に近い姿形をしているが、鬼級よりも余程異形感があり、怪物的だ。
ヴァンパイア、サキュバスと呼ばれる妖級幻魔は、その名の通りの怪物を想起させる姿形であり、人間よりも高身長で、翼を持つ。肌の色は蒼白いが、顔立ちは整っている。他の幻魔同様、赤黒い眼を持つ。そして、強力な魔法を自在に操った。
そんな妖級幻魔たちが、獣級、霊級の幻魔たちを従えるようになり、この地獄のような戦場を展開していたのが、つい先程までだ。
幸多は、さすがに苦戦を強いられた。
F型兵装を用いても、多数の妖級幻魔を相手にするというのは、容易いことではないのだ。
それは当たり前の、ありふれた事実に過ぎないのだが。
そして、リリスの出現とともに、戦場は崩壊した。
幸多は、数多くの獣級幻魔、霊級幻魔を打ち倒したが、妖級幻魔に限っていえば、二、三体しか斃せていなかった。
妖級幻魔は、強敵だ。
強大な魔力を誇る怪物たちは、幸多を翻弄し、距離を取って一方的な攻撃を仕掛けてきたものだった。
それでもなんとかイフリート、ジンを斃したのも束の間だった。
リリスが現れたのだ。
幸多は、右手に大太刀、左手に長槍を手にした状態で、リリスの降臨を目の当たりにした。妖艶な魔女の現出は、凄まじいまでの威圧感を伴うものであり、幸多も思わず後ずさりしてしまったほどだ。
それは、幻想空間上に再現された幻想体に過ぎない。
しかし、戦団が完璧に再現したのであろうそれは、現実の幻魔以上の凶悪さ、禍々しさを放ちながら、幸多を見下ろしていた。
「あれを斃せって?」
幸多は、思わず苦笑して、両手の武器を構えた。
リリスの細くしなやかな右腕が悠然と掲げられ、手のひらがこちらに向いた。細長い五本の指が開く。
幸多は、咄嗟に右に飛んだ。爆音がした。リリスの魔法に違いない。さらに爆音。幸多は、リリスとの距離を詰めるべく、左右に飛び回りながらも前進を試みる。
リリスと目が合った。赤黒くも鮮やかに輝く双眸が、膨大な魔力を感じさせるようだった。
そして、幸多の意識はそこで途切れた。
気がつくと、白い天井を見ていた。汚れひとつ見当たらない天井は、真新しくさえ思える。手入れが行き届いていることを証明しているのだろうが。
「……ううん」
幸多は、自分が生きていることを実感しつつも、リリスの幻想体に一撃も食らわせられなかった事実を痛感していた。
鬼級幻魔は、妖級以下の幻魔と、隔絶した力を持っている。リリスも、そうだ。地上奪還部隊が死力を尽くして斃す事が出来たのは、幸運以外のなにものでもないと断言しているほどの力を持っているのだ。
幸多が一瞬にして絶命するのも無理からぬことだ。
「本当に申し訳ありません、皆代導士」
幸多にそんな言葉を投げかけてきたのは、米田圭助だ。
幸多が、きょとんと、そちらを見た。圭悟の父、圭助は、天輪技研の関係者とともにこの室内で発表会の様子を見守っていたのだろう。
新戦略発表会の会場である大会議場の一室。
幸多が寝かされているのは、幻創機・神影の子機が置かれた寝台の上であり、彼は神経接続のための機械を頭に被っていた。それを外し、上体を起こす。
役目は、終わったはずだ。
圭助は、そんな幸多の様子を見ながら、話を続けた。
「理事長の指示とはいえ、導士をこのような目に遭わせるのはいかがなものかと思ったのですが、わたしにはどうすることもできず……」
「えーと……どういうことなんです?」
幸多は、圭助が心底申し訳なさそうにいってくるものだから、困惑するほかなかった。申し訳なさそうにしているのは、圭助だけではない。室内にいるほとんどの人間が、同じような気持ちでいるらしいということが、彼らの表情から窺い知れた。
広い部屋だ。
幻想機のみならず、無数の機材が所狭しと設置されていて、それらが出力したのであろう幻板がさながら乱舞しているかのようだった。そして機材や端末を操作する天輪技研の技師たちが、なんらかの作業を行っている。
彼らが見ているのは、幻板に映し出された幻想空間、その中で激戦を繰り広げるイクサの様子だ。もちろん、幸多のことも見守っていたに違いないが。
そこには、神吉道宏もいて、彼はイクサに意識を集中させているようだった。
室内に浮かび上がっている幻板は無数にあるが、幻板一枚につき、一機のイクサの情報を移しているようだった。幻想空間上のイクサを多角的に捉えた映像のみならず、様々な情報、数値、文字列が幻板上を彩っている。幸多にはなにがなんだかわからないが、おそらくは重要な情報に違いない。
一番大きな幻板には、数十機のイクサがリリスを相手取って激闘を繰り広げている光景が映し出されている。
「本来ならば、皆代導士の出番は、最初の演習で終了だったのです。しかし、その結果が、理事長には気に入らなかった。だから、次の演習にも皆代導士を参加させろ、と」
「なるほど……?」
幸多には、圭助の説明がいまいち理解できなかった。幸多は、言われたとおりのことをやったまでだ。普段の訓練通り、出現する幻魔を斃してくれればいい、というのが天輪技研側からの説明だったのだ。
だから幸多は全力を出したのだが、それが気に食わなかった、というのはどういうことなのか。
「あくまで主役はイクサですから……」
圭助は、至極申し訳なさそうにいいながら、一枚の幻板を幸多の元に寄越した。幻板には、最初の演習の映像が流れているのだが、幸多がイクサ四機よりも先に幻魔を殲滅してしまったということがはっきりとわかった。
それを見て、しばらく考え込んで、ようやく把握する。
「……それならそうと、最初にいってくれればよかったんじゃ……」
幸多は、多少憮然としながら、圭助を見た。
「理事長としては、導士に手心を加えてもらわずとも、イクサが圧倒的勝利を収めるものと信じていたようです」
「それはわたしも、なのだがね」
と、神吉道宏が幸多に視線を寄越した。彼が幸多の戦いぶりに驚嘆の声を上げたことは、通信機越しから聞こえてきた音声でわかっている。余程衝撃的だったらしく、後で検証させて欲しいといってきたほどだ。もっとも、幸多にそんなことを約束する権限はないため、なんともいいようはなかったが。
天燎財団の理事長こと天燎鏡磨の思惑とは全く違った形で最初の演習が終わってしまったがため、幸多は、たった一人で地上奪還作戦を行う羽目になり、リリスに一瞬で斃されてしまった――ということを理解して、小さく息を吐く。
鏡磨が、幸多を利用しようと考えていたことは、想像に難くない。幸多をだしにして、イクサの有用性を証明するためだ。
なぜ、比較対象が魔法士ではなく魔法不能者の幸多なのか、といえば、最近話題となり、注目を集めているからだろう。
そしてなにより、魔法を使えないからだ。
イクサも、魔法を使えない。
幸多は、大型の幻板に視線を移した。
鬼級幻魔を相手に大立ち回りを演じるイクサの姿は、子供のころ何度も見たアニメのようであり、映画の一場面のようである。
幻魔を相手に戦うロボットというのは、創作物においてありがちな設定だった。
魔法時代黎明期より、魔法が当たり前のものになると、魔法を活用する創作物が満ち溢れた。魔法が日常的なものとなったのだから、それを主題とする創作物が増えるのも当然だろう。
そんな中でも、ロボットものは残り続けたし、幻魔を打ち倒すロボットという夢のような存在も、描かれ続けた。
いままさにその夢のような存在が、幻想空間上に出現している。