第二百二十九話 人型魔動戦術機イクサ(五)
幻板上に表示されている映像に変化が生じたのは、鏡磨の宣言と同時だった。
幸多側、イクサ側、それぞれの幻想空間が荒野から葦原市内へと変化したのだということを観客の大半が理解できたのは、見慣れた大河が画面に映り込んできたからだ。
未来河である。
葦原市を北東から南西に向かって流れ落ちていく大河は、幻想空間に降り注ぐ光を浴びてきらきらと輝いている。
しかし、未来河を流れる水質は、現実世界のそれとは大違いだったし、どす黒く濁っていた。まるで生気を感じ取ることすらできないような、猛毒そのもののような色。それは周辺の景色も同じである。戦団が基盤を作り上げ、計画的に開発した葦原市の緑豊かな風景はどこにも見当たらなかったし、ましてや未来河に架かる橋も、河川敷を駆け抜けるサイクリングコースも存在せず、土手もなにもあったものではなかった。
禍々しくも黒々とした大地が横たわっていて、異形の建物がそこかしこに聳えている。
いずれも央都の建築基準を満たしていないほどの高層建造物であるのだが、それ以上に異形としかいいようのない外観が特徴的だった。
それら幻魔造りなどとも呼ばれる建築様式は、幻魔の国、幻魔の都市にのみ見られるものだ。
幻魔の現出が確認されるようになったのは、魔法時代に入ってからのことである。当然だろう。魔力がなければ、幻魔は誕生し得ない。
幻魔は、人間の魔力をこそ苗床として発生した新種の生命体であり、魔法が発明される以前の時代には、その存在が確認されたことはなかった。
そして、幻魔の現出が確認されてからというもの、その生態について何度となく調査が行われたものだが、幻魔が群れを成すことはあっても、住居を作るということはないとされていた。
幻魔がその王国を持つようになったのは、鬼級幻魔の現出以降のことだ。
鬼級幻魔は、人間に匹敵するかそれ以上の知性を持つ存在であり、妖級以下の幻魔を力によって支配した。そして、支配下の幻魔を己の王国に住まわせたのだ。
鬼級幻魔の王国は、殻と呼ばれた。
邪悪の樹という概念、その一部である殻と呼ばれるようになったのは、鬼級幻魔たちがそう呼称していたからである。
鬼級幻魔は、極めて高度な知性を持つ。人類が自分たちを幻魔と呼称していることへの意趣返しとして、あるいは皮肉として、自分たちの領土を殻と名付けたのではないか、と、考えられている。
殻の外観は、その主宰者たる鬼級幻魔の趣味趣向に強い影響を受けるものだ。
鬼級幻魔は、極めて個性的な存在であり、我が強く、自己主張も激しい。その王国たる殻にそうした鬼級幻魔の個性が反映されるのは、当たり前の話かもしれない。
さて、この葦原市と思しき幻想空間には、幻魔造りの建物が乱立していて、大地もなにもかもがどす黒いということは、鬼級幻魔の殻を再現した空間だということがわかる。
葦原市となる以前、この地にあった殻は、鬼級幻魔リリスの領土である。
リリスは、己の殻をバビロンと名付けていたという。バビロンの中心には豪奢な宮殿が聳え立ち、宮殿周辺は高層建築物が乱立する都市部であったという。リリスの趣味趣向が多分に影響したバビロンの町並みは、しかし、どう足掻いても禍々しく、嫌悪感を覚えるものだった。
そんなリリスの殻の真っ只中に放り出された幸多はといえば、未来河を見下ろす丘の上にいる。魔天創世に伴う魔素の急激な増大によってあらゆる生物が死滅したがため、川の水は黒く濁り、淀んでいるのだ。幻魔以外の生物は存在せず、植物も死に絶えている。
唯一、結晶樹と呼ばれるこの異界と化した世界に誕生した新種の植物だけが、幻魔と異なる生命といえるだろう。
バビロンの各地に林立している、透き通った暗紅色の樹木のようなもの――それが結晶樹である。魔天創世以降、いや、地上奪還作戦以降確認されるようになったそれは、厳密には生物ではない。地上の魔素濃度に適応した無生物の集合体であり、生物の死滅後もこの地上に酸素が満ちていた理由だとされている。
現在の地球を覆う大気は、結晶樹によって生産されたものなのだ。
それがどのように誕生し、どうやってこの地球を覆うほどの酸素を生み出しているのかは、未だ解明されていない。
幻魔は、酸素を必要としない。故に幻魔が植物の代替品として生み出したとは考えられなかった。
そんな謎を抱えたままの結晶樹が乱立する魔界の景色を目の当たりにして、観客たちは呆然とする。誰もが学校で学び、知っているはずの景色。その景色の真っ只中に、幸多は、たった一人で放り出されているのだ。
イクサ四機も、同様の地形に布陣していて、遥か前方にリリスの宮殿を捉えていた。
地上奪還部隊がリリス打倒後に記録した映像等の情報を元に作り上げられたそれは、絢爛豪華たる宮殿であり、天を衝くほどに巨大な天守が最大の特徴だった。
「これは……」
義一は、息を呑むようにして、幻想空間を見つめている。
「地上奪還作戦の再現でもしようとでもいうのかしらね」
イリアが、冷ややかにつぶやく。隣の席の龍野霞は、イリアのその声音とは裏腹な熱量を感じて、びくびくしていた。とはいえ、その怒りは、導士ならば当然のように抱くものだ。
天輪技研の発表会は、いまや、戦団に対する挑戦の様相を呈している。
皆代幸多を利用してイクサの有用性を見せつけようとしているのも、その一環だ。
天燎財団が戦団に対して挑戦的、挑発的だったのは昔からだったが、この発表会は殊更に酷いといわざるを得なかった。
そして、今。
「この演習は、もし、地上奪還作戦にイクサを投入していたら、というものです!」
天燎鏡磨が声高に告げる。
「……馬鹿げているわね」
「その相手が皆代くん一人というのは、どうも」
「最初から当て馬なのよ、幸多くんは。なのに、さっきの演習で幸多くんが圧勝してしまった。だから、この演習にも幸多くんを巻き込んでいる」
「え?」
「本当は、さっきの演習だけで幸多くんの出番は終わりなのよ」
イリアの発言には、義一も耳を疑わざるを得なかった。龍野霞たちも、憮然としている。それはそうだろう。常識的に考えて、あり得ない話だった。
「そんな勝手、許して良いんですか?」
「許すもなにも、ここにいるわたしたちにはどうしようもないでしょう。好きにすれば良いのよ」
イリアの醒めた発言の数々には、義一も返す言葉もなかった。
衝撃的な事実を聞いても、どうすることもできない。
地上奪還作戦といえば、約五十年、義一の母である伊佐那麒麟が大活躍した戦いだが、その戦場は、言語を絶する程の地獄だったという。
麒麟自身、地上奪還作戦に関しては言葉にするのも苦しく、辛いということもあり、あまり語りたがらなかった。
麒麟だけではない。
地上奪還作戦の生存者の誰もが、そうだ。
それほどの地獄の戦場にただひとり叩き込まれた幸多のことが、義一は心配でならなかった。
無論、幻想空間だ。
幸多が幻魔に敗れ去ったとして、それによる彼の心身への影響などほとんどない。敗れて当然、倒されて当たり前の戦いなのだから、なにを心配する必要があるのか、とも思うのだが。
義一は、幸多のことが気になって仕方がないのだ。
「およそ五十年前、ヨモツイクサとも呼ばれ地上奪還部隊が、多くの血を流し、犠牲を払って、ようやく輝かしい勝利を掴み取ったことは、皆さんも御存知のことでしょう」
央都市民のみならず、ネノクニ市民にとっても常識であろうことを並べ立てる鏡磨に対し、イリアが苛立たしげに睨み付ける様を、義一は横目に見ていた。
イリアの怒りは、導士の怒りだ。
義一もまた、同様の感情の昂りを覚えている。
鏡磨は、たった今から、戦団が多大な犠牲を払うことで得た勝利を虚仮にしようというのだ。
戦団に所属する人間ならば、到底、受け入れられる話ではない。
「しかし、もしも、その当時、我らが人型魔動戦術機イクサがあれば、どうだったでしょう! 戦団が地上を奪還する代価として払った多大な犠牲を一切払う必要はなどなかったのではないでしょうか!」
鏡磨が声高に言い募る中、四機のイクサが動き出した。
いや、イクサは、四機だけではなかった。
四機のイクサが丘の上から王宮に向かって滑走していく最中、後方から複数機のイクサが現れ、戦線に加わった。
「酷い」
龍野霞が、憤然といった。
一方の幸多は、たった一人だ。ただ一人、丘の上からリリス宮殿へと向かっている。
その前方には、無数の幻魔が出現していて、それらは霊級から獣級、妖級に至るまで選り取り見取りとでもいうべき布陣だった。
殻は、幻魔の王国である。
王たる鬼級幻魔に忠誠を誓う妖級以下の幻魔たちが大量に存在していて、それらが宮殿に接近する敵対者に牙を剥くのは当然のことだった。
十数機のイクサが、一斉射撃を行うと、火線が幻魔の群れを圧倒した。
秒間何十発、何百発、いや、何千発もの弾丸が、嵐のように敵陣に殺到し、炸裂し、風穴を開けていく。
獣級幻魔などは一溜まりもなく、並外れた巨躯を誇るリヴァイアサンすら、あっという間に打ち倒されていく。
まさに蹂躙だ。
遠方からの一斉射撃だけで敵戦力を削りに削ると、リリス宮殿との距離を詰めた。それでも幻魔の数は、一向に減らない。殻の各所から次々と湧いて出ては、イクサの前に立ちはだかる。
そして、それが現れたのは、イクサたちが幻魔と激闘を演じている最中だった。
鬼級幻魔リリスである。