第二百二十三話 新戦略発表会(六)
天燎鏡磨は、壇上にあって、最高の気分といっても過言ではない精神状態だった。
千人を超える招待客が、この発表会を見に来ていて、壇上にその意識を集中しているのだ。全神経を研ぎ澄まし、彼の一挙手一投足に注目し、一言も聞き逃すまいと耳を傾けている。
この会場内にいて、彼の声を聞いていない人間など、余程発表会に興味がない人間か、警備員くらいのものだろう。
壇上には、彼一人だ。
ほかに誰もいなければ、なにもない。あるのは、舞台後方に浮かぶ特大の幻板だけであり、そこに映されているのは、彼の上半身の映像だ。
彼だけが、注目を浴びている。
が、彼が興奮しているのは、そんなことではない。
鏡磨は、自分に関心を持たれることなど興味がなかった。そんなことはどうでもいいことだ。自分よりも天輪技研、天燎財団に注目して欲しい、そこにこそ注目を集めたいというのが彼の全てといってもよかった。
天燎鏡磨の人生は、天燎財団とともにある。
父、天燎鏡史郎がたった一代で築き上げた大企業である。その後継者と目されることはともかくとして、財団を維持するだけでなく、さらに成長させ、央都最大の組織へと発展させることは、唯一の鏡史郎への恩返しなのだ。
それだけが、彼の全てだ。
だからこそ、この発表会に全てを懸けている。
全ては、この日のためにあった。
利用できるものは全て利用して、打てる限りの手は打った。
今、この瞬間、この時を以て、歴史は変わる。
そう、鏡磨は、確信している。
「人類復興は、地上奪還作戦以来の人類の夢であり、希望、願望そのものです。それは、我々天燎財団も同じ。そのために全力を尽くし、費やしてきました。地上から幻魔を一掃し、地球を再び人類の手に取り戻す。そのためだけに」
鏡磨の演説が佳境に入ると、観客席の人々もこの発表会の方向性が理解できてきたようであり、会場全体に動揺が広がりつつあった。
会場には、央都ネノクニ問わず、双界における代表的な技術者、研究者、魔法学者、多種多様な企業の関係者、そして天燎財団の関係者が呼び集められている。千人以上の招待客のうち、ほとんどの人間が発表会の内容を知らない。天燎財団の関係者であってもだ。
知る由もないのは当然だった。
この計画は、鏡磨が音頭を取り、天燎財団ネノクニ支部と天輪技研の間だけで完結しているからだ。無論、財団総帥の許可は取っているが、財団上層部でこの計画に深くまで関わっているのは、彼だけといってよかった。
そうやって秘密裏に押し進められた計画が、ついに日の目を見るときがきたのだ。
「我々天燎財団は、天輪技研に一つの命題を課しました。それこそ、人類復興のためになにをなすべきか、その答えを見つけ出すこと。それは、彼らにとって難題だったでしょう。答えのない問いなのですから」
鏡磨の演説にも力が入っていく。
「めちゃくちゃだな」
圭悟がぼやくのも無理からぬことだ、と、真弥は思う。
天燎鏡磨のいったことは、無理難題にほかならない。彼自身、答えのない問いといったように、だ。
そんなものに容易く答えが見いだせるのであれば、人類復興はとっくに成し遂げられている。
「本当、めちゃくちゃよね。この発表会でどんなものをお披露目するのか、ますます気になってきたわよ。あたしの幸多くんを利用して、なにをするつもりなのよ」
長沢珠恵が、憤りを露わにするのもまた、当然ではあった。
幸多は、天燎財団とも天輪技研とも全く関係のない人間だ。天燎高校の学生というだけで財団と関連があるかといえば、そんなことがあるわけもない。
真弥たちのように将来天燎財団系企業に就職するつもりで天燎高校に進学したのであれば話は別だが、幸多は、そうではない。幸多の目的は、天燎高校を利用して、戦団戦闘部に入ることだった。それ自体、大それた事ではあったし、勝ち目のない戦いではあったのだが。
ともかく、幸多が天輪技研の、天燎財団の発表会に関わるなど、考えられないことだった。
利用、と、珠恵はいった。
そう、利用だ。
幸多の知名度を利用しようというのだ。
幸多は、いまや時の人、といっても過言ではないくらいの有名人になっている。魔法不能者の中でも希有な完全無能者であることが知られている上、対抗戦優勝、最優秀選手、その上で戦団の戦闘部に入ったのだ。魔法不能者の戦闘部導士というだけでも注目度抜群だというのに、結果を出し、一週間足らずで閃光級三位にまで昇進してしまった。
まさに閃光のような速度の昇進といっていいだろう。
となれば、幸多に注目が集まるのは自明の理であり、様々な情報媒体が彼に関する報道合戦を繰り広げるのも無理からぬことだった。
あの皆代統魔と兄弟だということも、報道の過熱ぶりに拍車をかけているようだが。
そして、天燎財団が、そんな彼の人気ぶりを見逃さない理由がなかった。
幸多を利用して、発表会の内容を世間に知らしめようというのだろう。
それだけ天燎財団も天輪技研も、発表の内容に自信があるということの現れでもあるのだろうが、しかし、珠恵の疑問は、真弥たちの疑問でもあった。
人類復興のためのなんらかの成果を発表する場に、幸多をどう利用するというのか。
それが、皆目見当もつかない。
「見当もつきませんが」
「でしょうね」
イリアは、龍野霞の疑問を肯定した。それはそうだろう。
彼女たち戦闘部の導士になにがわかるというのか。
イリアが戦闘部の導士を馬鹿にしているわけでも、見下しているわけでもない。役割の問題だ。戦闘部の導士たちは、幻魔や魔法犯罪者との戦いにこそ注力すればよく、そのために必要な技術や情報を知っていればいいのだ。直接戦闘とは無縁の発表会の内容を想像することができなくても、なんら問題はない。
そういうことは、イリアたちの役割だ。
「天輪技研が人類復興のためになにかをしようというのは、わかります。でも、一体なにをするつもりなんです? 企業連の連中は、まだ懲りてないんですか?」
「さて、ね」
懲りる懲りないの話ではないのだが、実際、懲りていないのは確かだろう、と、イリアは、内心思ってもいた。
龍野霞が怒りを含めた言い方をしたのも、わからないではない。
企業連は、かつて、過ちを冒した。
野心と欲望の赴くままに暴走した挙げ句、光都事変と呼ばれる大事件を引き起こしたのだ。
それは、災害そのものといっても過言ではなかった。幻魔災害ではあるが、人の手によって引き起こされたのだから、人災だろう。
企業連は、長らく、戦団の支配からの脱却を望んでいた。央都の発展は、企業連の努力、尽力によるところが大きく、故に戦団によって実質的に支配されている央都の現状を好ましく思っていなかったのだ。そういう感情も理解できなくもないが、戦団に所属する人間からすれば、なにをいうか、といいたくもなる。
確かに央都の発展は、企業連に所属する無数の企業の力があればこそだった。多種多様な企業が力を尽くし、手練手管の限りを尽くした。その結果が央都の急速な発展であり、人口の増加なのだ。それは否定しようのない事実であり、戦団も認めるところだ。
だが、央都の基盤を作ったのは、戦団なのだ。戦団が血を流し、多くの犠牲を払ったからこそ、央都という土台が出来上がった。企業は、その上に後から乗っかってきたのだ。
そして、企業たちは、連合した。央都企業連合、通称企業連と呼ばれる彼らは、結託し、戦団を出し抜こうと画策した。
戦団に拠らない都市、拠点の建造。
自由都市計画とも呼ばれるそれは、企業による企業のための都市開発計画であり、その第一弾として開発されたのが光都である。
光都は、央都大和市南西部に作られた。
戦団が人類生存圏と制定した領域の外、空白地帯の真っ只中に、だ。
それは人口一万人程度の規模の都市だったが、企業連としては、自由都市計画の手始めということもあり、それで十分だったのだろう。
当初、上手く行っていた。
それこそ、央都市民が光都への移住を考えるのも悪くはないと思うほどに順調だった。
光り輝く未来都市・光都。
過大なまでの評価と喧伝には、戦団も顔をしかめたものだが、企業を支配しているわけではない以上、彼らのやりたいようにやらせるしかなかった。
それが、人類にとっての悪手にならないのであれば、だが。
結果的には、光都は悪手だった。
光都に幻魔が押し寄せたのだ。
光都があったのは、空白地帯だ。
空白地帯は、幻魔の潜む領域であり、だからこそ、光都側も防衛戦力を手配していた。多数の優秀な魔法士たちを、だ。
だが、光都を襲ったのは、ただの幻魔の集団ではなかった。
統制された幻魔の軍勢である。
鬼級幻魔オロバス、鬼級幻魔エロスの混成軍が光都を襲来し、光都は、一夜にして地獄と化した。
光都の防衛線力だけではどうにもならないと判断した戦団は、即座に導士たちを現地に投入。当時の戦団には、全部で十二の部隊があり、そのうちの半数が光都に差し向けられた。
そして、それらの部隊を率いていた六名の星将は、鬼級幻魔との戦いの中で命を落とした。
戦団にとってこれほどの痛手はなかっただろう。既に戦団を代表するといっても過言ではないほどの実力者ばかりだった。
戦死したのは、星将だけではない。数多くの導士が散っていった。
光都事変後、戦団が大再編とも呼ばれる組織の再編成を余儀なくされた。軍団制へと移行したのもこのときだ。
そして、光都事変の地獄のような光景は、戦団の導士ならば誰もが記憶に焼き付けている。
いまからおよそ五年前の出来事である。
いまや光都事変に関する記録映像は、星央魔導院の教材となっているし、戦団の導士ならば一度は目を通しておくことになっていた。
光都事変は、幸いにも、光都の崩壊だけで済んだ。が、多くの導士の命が失われており、もし、あのとき、美由理たちが鬼級幻魔エロスを撃破できなければ、大和市までもがとてつもない被害を受けていたことは、想像に難くない。
企業連の身勝手が、危うく央都にまでその地獄を連れてくる可能性があったのだ。
光都事変後、企業連が失墜したのは、必然だろう。