第二百二十二話 新戦略発表会(五)
会場全体の照明が落とされたのだろう、ということは、誰であれすぐに理解できただろう。
空中に投影されていた幻板、立体映像も全て消滅しており、一瞬、完全な暗闇が訪れたのだ。
かと思うと、すぐさま、舞台上に光が当たった。そして、そのときには舞台を隠していた幕が上がっている。
舞台上には、特殊合成樹脂製の演壇があり、その後方には超特大幻板が浮かんでいた。幻板には、でかでかと天輪技研の文字が表示されており、天輪技研の象徴である複雑な幾何学模様の紋章が背景に浮かんでいる。
それだけだ。
「あれなら隠す必要なかったろ」
圭悟が悪態を吐くのも無理はない、と、蘭は、内心同意せざるを得なかった。幕で覆い隠すのであれば、その中に驚くべきなにかを置いておくべきだ。わくわく感を返して欲しい、などとまで思ったほどだ。
そして、舞台袖から演壇に向かって悠然と歩いてきた人物がいる。
それは、圭悟たちもよく知る人物だ。
天燎鏡磨である。
黒を基調とし、所々に赤を織り交ぜた正装を身につけた天燎財団の理事長にして次期総帥候補筆頭は、悠々たる様子で演壇に立つと、会場全体を見渡した。その立ち居振る舞いには気品があり、遠目に見ているだけでも威厳があった。
「やっぱり、財団にとっての重大発表なんだね」
「新戦略ってなんなんだよ」
「しっ、静かに」
蘭と圭悟がうるさいので、真弥が二人を睨み付けた。蘭も圭悟も肩を竦めて、前方に意識を集中させる。
会場からは、天燎鏡磨の登壇に対する拍手が沸き起こっていた。
天燎鏡磨は、有名人だ。この場にいる誰一人として知らないわけがなかったし、彼に出資してもらっている人間も少なくないはずだ。
招待席には、研究者や技術者、魔法学者などが数多にいるという話を圭悟たちも小耳に挟んでいる。
それら招待客にとって天燎鏡磨は、極めて重要な人物なのだ。
無論、圭悟たち天燎高校の生徒にとっても、だが。
天燎鏡磨が登壇するのとともに、その背後の幻板に彼の姿が大写しになった。後方の席に座っている観覧者にもはっきりと見えるように、だろう。極めて巨大な幻板だ。そこに映し出される鏡磨の姿は、やはり、遠目に見るよりも迫力があり、威圧感さえあった。
「この度、天輪技研新戦略発表会にお集まり頂き、真にありがとうございます。皆様も御存知のことでしょうが、天輪技研は、我が天燎財団が今一番力を入れている部門です。天輪技研こそが天燎財団の、いえ、央都、人類の未来を切り開く希望そのものといっても過言ではありません」
天燎鏡磨が、開口一番、そんなだいそれたことを言ってのけたものだから、会場全体にどよめきが生じた。
圭悟たちも、神経質そうだという印象しかなかった鏡磨の、どうにも機嫌良さそうな表情と快活とした口振りには驚かざるを得なかったし、その発言の内容にも瞠目した。
天燎財団にとって重要な発表会だということは、わかっていた。
しかし、それが央都、そして人類の未来にとっても大きな影響があるというのは、どういうことなのか。
圭悟たちには、想像もつかない。
「人類が存亡の危機に瀕し、はや百三十年。魔天創世によって地球上から多くの生命が奪い去られ、地上は、幻魔の楽園と化しました。我々の偉大なる父祖は、地下に、地底に、このネノクニを作ったことで難を逃れたことは、皆さんも知っての通り」
天燎鏡磨の演説を聞きながら、イリアは、その傲岸不遜そのものの顔が大写しにされた超特大幻板を見ていた。
イリアたちの席は、最前列ではないが、前の方であり、壇上の鏡磨の顔を見ることも決して難しい距離感ではなかった。しかし、イリアは、彼の顔を直接見るよりも、幻板に拡大された彼の上半身を見るほうがわかりやすいと判断したのだ。
見慣れた顔だ。
天燎鏡史郎が立ち上げた天燎魔具が瞬く間にその事業規模を拡大し、様々な分野に手を伸ばし、たった一代で財団を築き上げてからというもの、その後継者として央都市民の関心を集めることになったのが、彼だ。
天燎鏡磨。
天燎鏡史郎の長男であり、嫡子である彼は、鏡史郎の薫陶を受けて育ち、思想、経営手腕、人脈、それら全てを継承しているといわれている。実際、鏡磨自身の経営手腕は相当なものだろう。彼が財団理事長となり、実質的な支配者となってからというもの、財団全体がその業績を大きく伸ばしている。彼の動向は、常に注目を浴びていて、様々な情報が央都中、そしてネット上を錯綜している。
戦団情報局も、財団そのものもそうだが、天燎鏡磨にも長らく注目していた。
「そして約五十年前、地上奪還作戦が決行されました。ヨモツイクサとも呼ばれた地上奪還部隊が、見事、バビロンの魔妃リリスを打倒し、その殻を我が物としたのが、半世紀前のことです。央都が誕生し、人類は、復興の第一歩を踏み出しました」
「……これ、必要なんです?」
「儀式なのよ、これは」
義一の純粋な疑問には、イリアもなんと答えるべきか迷った。
「儀式、ですか」
「ええ。そして、儀式には、他にも必要なものがあるわ」
「儀式に必要なもの……」
義一は、イリアの意味深長な言葉を手がかりとして、その答えを自分の持っている知識と想像力だけで導き出そうとした。
そんな義一を横目に見て、可愛らしく想いながらも、イリアが考えるのはこの儀式のことだ。
発表会には長い長い演説、演出が付きものだ。発表するものがなんであれ、期待感を煽りに煽るのが普通であり、その結果、肩すかしを食らうことがあるという事実が、魔法時代の始まりより現在に至っても少なくない。
悪習といっていい。
しかし、イリアは、鏡磨がなぜ、過去に遡って話をしているのかを理解しているものだから、今回ばかりは悪習と切り捨てられなかった。鏡磨には必要な前置きなのだ。
この発表会には。
「それから五十年。央都は、大きく発展しました。央都四市と呼ばれるように今や四つの都市があり、人口は百万を超え、最盛期を迎えているといっても過言ではないのではないでしょうか」
「過言よ」
イリアが冷徹に告げる横顔を義一は確かに見た。その冷ややかすぎる瞳は、幻板に映された天燎鏡磨の顔に穴を空けるのではないかというほどに鋭く、刃のようだった。
「それもこれも戦団と、戦団に所属する導士たちが命を懸け、戦い抜いてこられたおかげです。央都の発展も人類の復興も、戦団なくしては考えられなかったことなのです」
「そりゃあそうだが……」
「なんだか気持ち悪いな」
海運晃と七番冬樹が気味悪がったのは、天燎財団の立ち位置というものを彼らが理解していることの証左だ。
天燎財団は、戦団に非協力的な企業である。
央都企業連合に所属する企業というのは、概ね、戦団が中心となる法秩序に否定的だが、中でも天燎財団は飛び抜けている。
対抗戦の開始以来、お抱えの天燎高校が無気力試合を繰り返していたのも、戦団に対する反発心の現れだった。対抗戦が戦団の人材を確保するための取り組みであるということは、公然の秘密だったからだ。
そんな天燎財団の中で次期総帥とも言われるほどの人物が、心の底から戦団を褒めそやすなど、考えられることではなかった。
「しかし……現在、戦団主導による人類復興が停滞していることは、この場にいる皆様方も御存知のはず。央都が誕生して五十年以上が経過し、央都四市と呼ばれるようになって二十数年が経ちました。が、それ以来、央都は、人類の版図は、まったく拡大していません。戦団は、いつまで手を拱いているのでしょうか。いつまで経っても打って出ることもせず、内に籠もっているばかりで人類生存圏を広げようともしていない」
一転して戦団を責め始めた天燎鏡磨の口振りには、イリアとともにいる導士たちもあんぐりと口を開けるほかなかった。
「これでは人類復興など、夢のまた夢。何百年かかっても叶えられない、成し遂げられないのではありませんか?」
鏡磨の壇上からの問いかけに、招待客の大半がどのように反応するべきか戸惑っていた。鏡磨に同調する人間がほとんどいないのは、彼の人徳とかそういう話ではない。
多くの人々にとって、現状に大きな不満がないからだ。
鏡磨のいうことももっともではある。だが、戦団が広報等を通して発している理由もまた、もっともなのだ。
戦団が人類生存圏の拡大を後回しにせざるを得ない状況が続いていることは、周知の事実だ。
約十年前から幻魔災害が頻発するようになり、央都防衛構想の見直しに迫られた。
さらに最近になって、鬼級幻魔の出現に伴う事件が連続している。これでは、戦団上層部が、央都の防衛にこそ全力を上げるべきだ、という論調になってもなんらおかしくはない。そしてそれには、央都市民だって賛成するだろう。
人類生存圏の拡大に力を注いだ結果、央都を失う羽目になっては目も当てられない。
央都は、人類復興の基盤であり、基礎であり、根本なのだ。それを失うような真似は出来ないし、央都の安全を第一に考えるのは、戦団として当然のことだった。
「なにも知らないくせに好き勝手いいやがって」
「いいえ、知っているのよ。知っていて、言いたい放題いっているの」
海運晃の憤りに対し、イリアの言葉は冷ややかだ。
「それ、余計に質が悪くないですか」
「ええ、そうよ。その通りよ」
「ええ……」
義一は、軽口をいったつもりが、イリアが冷ややかに肯定してきたものだから、言葉を失うばかりだった。