第二百十五話 ネノクニ(三)
天燎高校の全校生徒を動員した三泊四日の修学旅行には、しっかりとした予定が組まれてはいるものの、合間合間に自由行動が可能な時間が設けられている。
初日は、宿に到着直後からしばらくの時間、自由に行動することが許されていた。というのも、平坂区の宿までの移動時間だけで初日の大半が経過したからだ。
大昇降機に乗ってネノクニに降りるだけで、かなりの時間を必要とした。
大昇降機は、改修に改修を重ね、最新鋭の設備になっているものの、だからといって超高速で昇降するのはあまりにも危険な代物だ。何重もの隔壁を開閉しながら、慎重に慎重を重ね、ゆっくりと移動しなければならない。
だから、時間がかかる。
そして、だからこそ、三泊四日という日程になったのだろう。
修学旅行初日の日程は、地上からネノクニ、そして宿への移動時間が大半を占めていたのだ。
宿に到着してからは、割り振られた部屋に荷物を運び込み、後は自由時間となった。
ただし、班ごとで行動することを厳命されている。いくらネノクニの治安が安定しているとはいえ、なにがあるかわからないからだ。
幻魔災害が起きる可能性だって、絶無ではない。
班決めは、生徒たちの意志で自由に決めることができたこともあり、幸多は、いつもの友人たちと一緒に行動することができた。
皆代幸多、米田圭悟、中島蘭、阿弥陀真弥、百合丘紗江子の五人組である。
男女混合だが、問題はない。
班というのは自由行動中、自由時間中だけのものだからだ。宿で同じ部屋に寝泊まりするわけではないし、ましてや風呂も男女別々だった。
時代がどれだけ流れ、魔法を中心とした価値観に変わろうとも、性別による差異、区別というものは厳然として、存在する。
ともかくも、幸多たちは、いつもの五人で班を作ったわけだが、圭悟の提案によって皆代班と命名されることとなった。
「なんで」
「皆代はもう閃光級だぜ? 輝光級も目の前じゃねえか」
「どこが」
幸多は、圭悟の提案と楽観的すぎる発言に渋い顔をした。
初任務から一週間足らずで閃光級に昇級したことは、それだけ大事件だったし、圭悟たちをも興奮させたのだとして、なんら不思議ではないのだが、それにしたって調子に乗りすぎではないか。
無論、幸多は一刻も早く昇級し、小隊を持つようになれ、と、総長にいわれてもいる。そうでなければ、戦団として扱いづらいことこの上ないからだったし、だからこそ、一足飛びに閃光級三位にまで昇級したのだが。
しかし、輝光級までの道程は、遠い。
灯光級こそ、過去の戦歴を加算し、強引にすっ飛ばしたが、小隊長になることもできる輝光級ともなれば、審査も厳密になろうというものだ。
一刻も早くと思う反面、そう簡単にはなれるものではないだろうということも、理解している。
「将来、小隊長になるんならよ、小隊名だって必要だろ。そのときにはこの皆代班を前提にだな」
「皆代小隊? 被っちゃうよ」
「塗り替えりゃいい」
「気楽にいってくれるなあ」
「皆代なら出来る!」
「どこからそんな自信が湧いてくるんだか」
圭悟の楽観ぶりには、真弥も呆れるほかなかったようだし、幸多ももはや笑うしかなかった。
幸多は、将来、小隊を持つ。持たなければならない。でなければ、任務も与えられず、戦術に組み込まれることもないだろう。普通ならば、小隊に所属すればいいのだが、幸多の場合は、そうではない。小隊員として、誰も歓迎してくれないのだ。
ついこの間こそ、F型兵装のおかげで戦果を上げることができたが、しかし、だからといって、魔法不能者を小隊に組み込もうという考えを持つには至らないのだ。
当然だろう。
戦闘部導士は幸多を除いて全員魔法士であり、魔法士との連携を前提とした闘法、戦術を叩き込まれ、学び、研鑽を積む。鍛錬だって、魔法士と行うのが普通だ。
魔法不能者は、及びではないのだ。
いかにF型兵装が強力であろうとも、足手まといでしかない。
だから、幸多は、小隊長を目指すしかないのだ。
とはいえ、小隊名を皆代小隊にするつもりなどは毛頭なかった。皆代小隊は、統魔が率いる小隊の名だった。もっとも、小隊名が被ることというのは、別段珍しいことでもない。小隊長の名前を掲げる小隊が多いからだ。
小隊名が被った場合、番号が割り振られたりして、小隊の区別を付けやすくするか、場合によっては小隊名の変更を求められる。
皆代小隊という名称は、いまや皆代統魔の代名詞といってよく、よって、幸多が小隊名に採用しようとしても拒否され、別の名前にするよう求められるに違いない。
幸多が、そんなことをぼんやりと考えたのは、班名を決めたあとのことだが。
そんなこんなで幸多が皆代班の班長に抜擢されてしまったのは、当然の成り行きだったのかもしれない。
幸多は、班長であることを示す腕章をつけ、四人の友人たちとともにホテル・フラットヒルを出た。
自由時間。
宿を出て行くのは、皆代班だけではない。大半の生徒たちが、班ごとに分かれて、それぞれ目的地に向かって歩いて行く。
幸多率いる皆代班も、当初立てた計画通りに街を進んでいた。
計画とは、無論、修学旅行の自由時間における行動計画である。
修学旅行だ。
ネノクニにいられる時間は限られている。その限られた時間の中で回れる場所というのもまた、当然のように限られているし、限られた時間、限られた場所をどのようにして堪能するかということは、事前に考え、取り決めておかなければならなかった。でなければ、自由時間などあっという間になくなってしまう。
そして、皆代班の計画表は、登校機会の少ない幸多とは携帯端末等を通してやり取りしつつも、圭悟たち四人が主導して決めている。
幸多は、それに不満もなかった。
もっとも、旅券さえ発行されれば、央都市民ならば誰であってもネノクニとの行き来は可能だったし、休日に訪れ、散策するくらいなんのことはないのだが、こうして五人揃ってネノクニを巡るという機会はそうあるものではない。
圭悟たちは学生の身の上だからまだしも、幸多は戦団の導士である。幸多は任務に鍛錬にと忙しかったし、時間がなかった。
だから、今回の三泊四日の修学旅行に全力を注ごうというのが、圭悟たちの考えだった。圭悟たちにとって幸多は大切な親友以外のなにものでもない。幸多との想い出を一つでも多く作っておきたいというのは、当然の欲求だろう。
そして、そんな皆代班が散策することになったのは、ネノクニ平坂区だ。
ネノクニは、遥かに深い地下に築かれた広大な空間であり、全周囲を幾重もの分厚い隔壁に覆われた箱の中とでもいうべき領域である。
「その箱こそ、人類が滅亡を逃れるために作り上げたノアの方舟なわけだね」
蘭が訳知り顔で言ってのけたので、圭悟が横目に彼を見た。情報通で記憶力の凄まじく優れている蘭がなにかを説明するときというのは、いつだって得意顔だ。ベリーショートの似合わない童顔がいつになく子供っぽく見える。
「このノアの方舟とでもいうべきネノクニを作り上げた人物こそ、我らが始祖魔導師・御昴直次だということは、もちろん、知っていると思うけど」
「そりゃあ、学校で学ぶし」
「学校どころか」
「どこでだって教わりますわ」
真弥と紗江子が顔を見合わせる。
幸多は、当然のことをいってくる蘭に困り顔になりながらも、しかし、この閉ざされた箱の中に作り上げられた天地の広大さには圧倒されてもいた。
蘭がいうノアの方舟とは、かつて地上を席巻していた宗教における伝説の乗り物だ。地上を洗い流すための大洪水を逃れるべく、ノアによって建造された方舟には、全ての動物の番が乗せられていたという。
ネノクニには、あらゆる生命の種子が世界中から集められ、収められていた。
だから、ノアの方舟なのだ。
魔法時代、人類の滅亡を予見した始祖魔導師・御昴直次は、未来を渇望し、生命保全計画を掲げた。賛同者とともにネノクニの建造に取りかかり、ついには地底の楽園を作り上げたのだ。
実際、ネノクニは、地底の楽園と呼ぶに相応しい場所だった。
少なくとも、大昇降機から見渡した景色は、央都外の荒廃し尽くし、死の大地と化した世界とは比べものにならないほどの自然と生気に溢れていた。
大昇降機から見上げた天井には、作り物の空が映し出され、人口の雲と太陽のおかげで違和感があったが、地上から仰ぎ見る限りはなんの変哲もない空だった。地上から天井までの距離は数百メートル以上あるという話だったし、そうであれば、閉塞感も感じにくいものなのかもしれない。
広いといえば、垂直方向だけでなく、水平方向にもだ。遥か彼方、地平の果てまで続くような広大さであり、余程の高度にいなければ、ネノクニの果てを見ることなどかなわないだろう。少なくとも、普通の生活をしている限りでは、お目にかかることはあるまい。
そんな広大な地下都市にあって、平坂区は、第二円とも呼ばれる区画である。
ネノクニの中心部には、黄泉区と呼称される区角があり、円形に区切られた領域であることから中心円とも第一円とも呼ばれている。そのすぐ外側に円状に広がるのが平坂区であり、故に第二円なのだ。
幸多たち皆代班のみならず、天燎高校の学生たちの無数の班が、第二円の町並みを歩いている。
百年以上の歴史を誇る町並みである。
央都で最初に開発され、五十年の歴史を持つ葦原市よりも遥かに古めかしく感じるのは、当然のことだろう。
道幅が広く、建物は低い。古めかしい作りの建物は、趣や風情があって、地上では味わえない良さというものを感じられる。
そんな町並みを堪能しながらも、幸多は、友人たちの体調こそ気がかりだった。
「そういえば、もう体調はいいの?」
ネノクニでバスを降りて以来、圭悟たちどころか全員が不調を訴えていた。その理由は、魔素の密度、濃度の差違であるという。地上には莫大な魔素が満ちており、その魔素濃度に適合した結果、ネノクニの魔素濃度の薄さに違和感を覚え、体調すらも悪化させるものらしい。
幸多は、違う。
魔素を一切内包していないが故なのか、そういった体調の変化を感じることがなかった。
「うん。しばらくしたらなんともなくなったよ」
「馴染むっていうのかな、そんな感じだ」
「へー」
「皆代くんはなんともないんだね?」
「うん。むしろ上にいるときより体が軽いっていうか、そんな感じ」
そういって、幸多は、軽く跳躍して見せた。
幸多が、立ち並ぶ様々な種類の建物の屋根を軽々と飛び越える高度まで飛び上がると、さすがの圭悟たちも目を丸くした。
幸多の身体能力の高さについては熟知していたが、それにしたって、まるで魔法のようだと思わざるを得ない。