第二十話 英霊祭(一)
5月14日火曜日。
天気は晴れ。
昨夜遅くまで滝のように降り注いでいた雨は、朝になる頃には止んでいて、幾重にも折り重なり、央都の上空に覆い被さっていた雨雲も嘘のように消え失せていた。
太陽が昇る頃にはすっかり晴れ渡っていて、雲一つ見当たらない抜けるような青空が、央都の頭上に広がっていた。
5月14日である。
この日は、央都政庁が定めた解放記念日である。
解放には二つの意味が込められており、一つは、地上の幻魔からの解放を、もう一つは、旧地上奪還部隊、現戦団が解放されたことを意味してもいるという。
それらは、歴史の授業で当然のように習ってきたことだ。
だれもが習い、知り、理解していることでもある。
戦団は、央都の根幹である。
央都の守護者であり、庇護者であり、支配者であり、統治者なのだ。
戦団が存在しなければ央都は機能しないとまでいってもよく、つまり、央都の全てといっても過言ではなかった。
そんな央都の全てともいえる戦団ともかかわりの深い行事が、この解放記念日に行われる。
英霊祭である。
過去から現在に至るまで、数多と命を落とした導士たち、それらを英霊として讃えるための一大行事。
この行事には、戦団のみならず、央都市民の多くが参加した。
解放記念日は、市民の休日であり、ほとんどすべての市民にとっての楽しみでもある。だから、というわけではないが、英霊祭も央都市民にとって最大の楽しみのひとつとして数えられている。
英霊祭が行われるようになった当初は、至極厳粛な雰囲気の中で執り行われたといい、央都全体を巻き込むような大規模なものでもなかったという。時の流れとともに次第に変化し、いまでは央都の全ての市で行われるほどの規模となっている。
いまでは、午前中から市内各所に出店が立ち並び、様々な催し物、出し物で溢れかえり、央都全体が常ならざる賑わいを見せるようになった。
そんな賑わいの真っ只中、幸多は、友人たちとともに葦原中央公園に向かっていた。
葦原中央公園は、葦原市中津区本部町にあり、幸多たちが住んでいる東街区から歩いて行くには多少遠く感じる程度には距離があった。
幸多一人ならばなんの問題ともせずに徒歩で行っただろうが、今日は蘭、真弥、紗江子が一緒だった。さすがに自分の都合を友人たちに押しつけるつもりにはならず、友人たちの考えに従った。
つまり、法器に乗って、目的地付近まで飛んでいったというわけだ。
幸多は、蘭の駈る法器に乗せてもらい、真弥は紗江子と二人乗りで空を飛んだ。
幸多は、普段通りの動きやすい衣服に身を包んでいた。ファッションに拘りはなく、故にいつも適当に選んでいる。
蘭も、そんな感じだ。とはいえ、幸多よりは見た目に気を使っているに違いなかった。幸多ほどの無頓着は、そうはいまい。
真弥と紗江子は、出来る限りのおめかしをしているように思えた。春と夏の狭間、袖の短い服から伸びた手足が日差しの中で輝いている。二人とも、明るい色の格好で、とてもよく似合っていた。幸多が素直に褒めると、真弥も紗江子も喜んでくれた。
子供の頃に教わったことだが、人を褒めるのはとても大事なことだ。
葦原市の空は、幸多たちと同じく、法器に跨がって空を飛ぶ人達で溢れかえっていた。それこそ地上よりも人の密度が濃いのではないか、というのは冗談にしても、かなりの数が長距離短距離にかかわらず、飛行魔法を用いていた。
自由に空を飛ぶことが出来るのであれば、わざわざ地上を走り回る必要はない。ましてや、このお祭り騒ぎの真っ只中、自動車などを使えば渋滞に巻き込まれること請け合いなのだ。
魔法がどれだけ進歩し、その恩恵によって様々な分野が多大な恩恵を受けてもなお、地上の交通事情が大きく改善することはなかった。
交通渋滞が発生してしまえば、いくら魔法を使ってもどうにもならない。
余程の魔法士でなければ、車ごと空に浮かび、目的地まで飛んでいくなどできるわけもなかったし、そんな危険な行為が一般市民に許可されるわけもなかった。
自動車で空を飛んだはいいが、着地に失敗した挙げ句、大事故を起こした――などという頭を抱えたくなるような事例は、枚挙に暇がない。
だからこそ、人々は、法器を用いる。法器は、簡易的に魔法を行使するための魔法道具であり、中でも飛行魔法に特化したBROOM型法器は、移動のみに法器を使う多くの市民に愛された。
特に天燎魔具が販売している拡縮式法器天翔は、ここ数年、凄まじい人気を誇っており、蘭と紗江子の法器もそれだった。
天燎魔具は、天燎財団の系列企業であり、母体といっても過言ではない。天燎魔具が取り扱う魔具や法器の数々が売れに売れたからこそ、様々な事業に手を伸ばすことができ、天燎鏡史郎はたった一代で財団を築き上げることができたのだ。
それはともかく、天翔は、法器最大の問題点を解決する革新的な商品だった。法器は、その性質上、持ち運ぶには邪魔くさいということがあった。法機を使って空を飛んでいる間はいいが、役目を終えた後が問題だ。長い棒を持ち歩く必要がある。
その点、天翔は、不要なときは五分の一ほどの長さにまで収縮し、必要なときだけ通常の長さに伸長することができたのだ。それはまさに法器革命といってもいいほどのものであり、天翔が爆発的に売れたのも当然といえた。
そんな天翔に跨がったまま幸多たちが目的地に着いたのは、午前十一時を少し過ぎた頃合いだった。寄り道もたくさんしたからだ。
上空から見下ろした葦原市の様子は、どこもかしこも祭りを楽しんでいるのだろう一般市民で溢れかえっており、警備に駆り出された警察部の人員や、戦団の導士たちが懸命に働いている様子も窺い知れた。無数の出店が、様々な場所に軒を連ねている風景も見られる。
幅広の道路には、数え切れない自動車が交通渋滞を起こしていて、遅々として進まない現状に怒号を飛ばすものもいた。
飛行魔法を使うのは、大正解だった。
とはいえ、家族など複数名で遠方から移動するのであれば、自動車を用いるのは当然の判断だっただろう。
蘭たちが空を飛ぶことにしたのも、距離的に問題がなかったからだ。魔法を使うには、魔力が必要だ。魔力を消耗すれば、それだけ精神的に疲労するものなのだという。
幸多には、まったく想像のつかないことだが。
央都中央公園の周辺に来ると、人混みはさらに増した。まだ英霊祭の本番は始まっていないというのに、中央公園で行われる行事のために央都中からたくさんの人達が押し寄せているのがわかる。
駐車場は満車であり、駐輪場も一杯だ。
さまざまな交通手段、移動手段を用いて、中央公園に集まっている。
「こんなに多いんだ」
幸多が思わず感嘆の声をあげると、蘭が疑問を浮かべた。
「あれ、でも英霊祭は毎年やってるよね?」
「去年まで水穂にいたから、ここまでの混雑は初めてなんだよ」
「そっか、水穂市だとここまでじゃないんだ」
「そうだよ。そりゃ、普段よりは大分多い人手だったけどね」
幸多は、過去の英霊祭の光景を脳裏に思い浮かべながら、いった。子供の頃、家族四人で英霊祭を満喫したときの記憶などは、彼にとってはまさに宝物というべきだった。父と母、そして統魔が揃っているという光景。
もう二度と叶うことのない、幸福な風景。
蘭が、ゆっくりと地上に降りていく。
公園の真っ只中ではなく、駐車場の一角、いわゆる降下場と呼ばれる区画に、である。降下場は、法器を使った飛行魔法による移動が当たり前なった現代ならば、様々な場所に用意されている。法器で降下するための開けた場所のことだ。
法器は、縦に長い棒状の機器であり、離陸時と降下時にはそれなりの注意を払う必要があった。降下地点に人がいた場合、衝突する可能性だって考えられるのだ。
だから、広い場所に降下する必要があり、そのための場所として降下場が設けられるようになったのだ。
蘭が降りると、続けて紗江子が真弥とともに降りてきた。
幸多は、蘭に促されるまま、慌ててその場を離れた。見れば、降下場には次々と法器に跨がった人々が降りてきており、順番待ちすら発生していた。横着して別の場所で降りようとして、警備員に止められる人もいるほどだった。
葦原中央公園がこれだけの賑わいを見せるのには、大きな理由があり、それこそが、幸多たちが公園を目指した目的だった。
そして、圭悟がいない理由もそこにある。
公園に隣接する駐車場から、公園内に歩いて行く。その道中も凄まじいとしかいいようのない人波であり、熱気さえも感じられた。
五月半ば。
夏には程遠く、かといって春ももはや遠ざかろうという頃合い。気温は多少なりとも高くなりつつあるのだが、風が心地よく、問題はなさそうに思えた。
公園は、無料で開放されている。だれもが自由に使えてこその公園であり、催し物があってもそれは変わらなかった。
そしてそのために、この日の公園では場所取り合戦が勃発していたのだ。
英霊祭最大の式典である、讃武の儀が執り行われるのがこの葦原中央公園だからだ。
そして、今年の讃武の儀には、戦団から多数の星将が参加することが予め告知されており、観覧場所の争奪戦が例年以上の壮絶さで繰り広げられることは火を見るより明らかだった。
特に讃武の儀が実際に行われる大舞台の目の前となると、その競争率は半端なものではなかったはずだ。
公園に入るだけで、既にあらゆる場所が占拠されていることがある。様々な敷物を使って自分の支配圏を主張する人もいれば、魔法で結界を構築している人もいるし、物を置くことで支配地を守ろうとする人もいて、とにかく場所取り合戦は加熱しているようだった。
本来、ただの公園なのだ。
だだっ広いだけの市民の憩いの場であり、大噴水と、無数の桜の木々があるくらいだ。ほかになにか特色があるわけもなければ、この日のために特別に座席が用意されているわけでもなかった。
大舞台の前にも座席などはない。観覧するならば、地面になにか敷物を敷くなりして、座って見るしかない。自前の椅子に腰掛けている人達も少なくないが。
「あー、椅子持ってくるのもありだったなー」
「そうですねえ。次にこんな機会があるなら、そうしましょうか」
真弥と紗江子の会話を聞きながら、ヒトコトの伝言で指示された場所へと向かう。
大舞台の目の前、中央最前列という特等席とでもいう場所に、彼はいた。
ブルーシートを広げ、寝そべりながら、携帯端末を弄り、暇潰しをしている。主張の激しい真っ赤な頭髪は、遠くからでもはっきりとわかるほどだ。身につけている衣服は、ガラが悪そうとしかいいようない、厳ついものだった。
圭悟だ。




