第二百八話 ネノクニへ
四時間に及ぶ幻想訓練は、夕刻から夜中に至るまで行われた。
幸多は、何度も何度も美由理に打ち負かされたが、稀に美由理を倒すこともできており、闘衣と白式武器――F型兵装の恩恵を多分に感じたものだ。
F型兵装がなければ、魔法を自在に操る氷の女帝に食らいつくことすらできなかっただろう。そんなことは、考えるまでもない。
圧倒的な火力と制圧力を誇る、現代最高峰の魔法士を相手に正面切って戦うというのだから、身体能力だけではどうしようもなかった。
闘衣は、導衣以上に幸多の体に合っていたし、身体能力を底上げしてくれる上、防御性能も高かった。魔法の使えない幸多には、導衣の真価を発揮することはできないが、闘衣は、そうではなかった。身につけているだけで、様々な攻撃から幸多の身を守ってくれる。
無論、超火力の魔法の前では無力では有るが。
それにしたって、導衣よりは遥かにマシだろう。
導衣にせよ、闘衣にせよ、ある程度、魔法に対する耐性はあるものだが、導衣は魔法士が身につけるものである。魔法士は、魔法によって身を守ることができるため、導衣自体の防御性能は最低限だといわれている。
あまりにも防御性能を重視するあまり、装備者の戦闘行動を妨げてしまっては意味がないからだ。なにより、魔法士は、魔法で身を守ればいいし、小隊で戦うのであれば、仲間に補ってもらえばいい。
幸多は、魔法不能者だ。魔法の使用を前提とする導衣よりも、より防御性能を高めた闘衣のほうが余程理に適っていた。闘衣は、導衣よりも重い。各部位を覆う装甲が、導衣よりもしっかりしているからだったし、闘衣の材質そのものが導衣と違うからだ。
それもこれも、魔法不能者のために最適化されているというわけである。
そして、武器。
拳一つではどうにもならない戦いも、武器があれば、その使い方を身につけていけば、どうとでもなるものだということも理解できた。
訓練は、実戦形式のものだけではない。
美由理によって、各種武器の扱い方の基本から教えられることにも時間を割いた。
星将にして軍団長たる美由理は、本来、多忙だ。こうまでして幸多に時間を割いてくれているのは、幸多と師弟関係を結んでいるからにほかならない。幸多が弟子でなければ、美由理がこれほどまでに親身になってくれる理由がなかった。
そういう意味でも、幸多は、美由理が弟子にしてくれたことに感謝していた。ほかの星将が率先して己の軍団に引き入れてくれるわけもなかったし、配属されたとして、これほどまでに厚遇されるはずもなかったのだ。
言葉に出来ないくらいの幸運が、幸多を包み込んでいるのだ、と、実感する。
たとえ、美由理の弟子でなくとも、他の軍団に配属されたのだとしても、窮極幻想計画はあり、F型兵装を身につける機会には恵まれたかもしれないが、ここまで親身になってくれる導士に巡り会えたかといえば、わからない。
美由理ほど幸多のことを考えてくれる存在はいなかったし、美由理ほど武器の扱いに長けている導士も他にいないのではないかと思えた。
そんな訓練を終えて現実世界に回帰した幸多は、美由理とともに総合訓練所を出ようとしたとき、携帯端末の通知に気づいた。
砂部愛理からだった。
愛理とは、あの練習の日に連絡先の交換をしており、彼女は毎日のように幸多に伝言を寄越してくれていた。伝言にはいつも、魔法の練習の成果が記されており、幸多への感謝の言葉もあった。
愛理は、あの日からというもの、人前でも魔法を使えるようになるくらい自信を取り戻したようだった。まだ完全完璧とはいえないまでも、制御に失敗したとしても瞬時に制御を取り戻すという方法を使えば問題がない、と割り切ることによって、あの苦悩を乗り越えられたようだった。
幸多は、そんな愛理の伝言を見て、想わず頬を綻ばせる。
隣を歩いていた美由理は、幸多の笑顔の優しさに目を細めた。そして、同時に、こんな優しい微笑みを浮かべる少年が戦場に立たなければならないというこの世の理不尽に、激しい怒りを覚える。
「どうした?」
「あ、いえ……この間、魔法で並んでる少女について、師匠に助けを求めたじゃないですか」
「ああ、そんなこともあったな」
「その愛理ちゃんからのメッセージで、それが嬉しそうだから、つい」
「そうか。嬉しそう、か」
「はい!」
幸多は、力強くうなずく。
愛理が抱えている問題の大部分が解決したという話は、幸多から美由理に伝えている。
完全なる解決には至っていないが、魔法士でもない幸多に出来る最善を尽くしたと見ていいだろう、と、美由理は考えていた。
幸多は、一人の少女を苦悩から救ったのだ。
戦団は、央都市民の安寧と平穏を護り、維持するために存在するといっても過言ではない。
幸多は、そうした戦団の理念を体現したのだ。
一人の市民も、大勢の市民も、等しく大切な存在だ。護るべき、救うべき存在なのだ。
だからこそ、幸多は全力を尽くしたのだろうし、そんな幸多だからこそ、と、美由理は想うのだ。
彼を弟子にしたのは、彼が戦団の理念そのもののような行動をしたのを目の当たりにしたからにほかならない。
市民を護るため、命を懸けて幻魔に立ち向かった一般市民。それだけでも特筆に値するというのに、彼は魔法不能者で、完全無能者だった。
美由理の記憶に灼きつくのは、当然だった。
それから色々と調べ、彼について詳しくなった。
彼が対抗戦で優勝を果たし、戦団戦闘部に入ると宣言したと聞いたからには、その面倒を見ると心に決めた。
美由理以外の誰にそれができるというのか。
美由理は、満天の星空の下、足を止めた。もう夜中だ。夏の熱気はいまや消えて失せ、肌寒さすら感じるのは、汗を流したせいなのか、どうか。
「どうしたんですか?」
「いや……そういえば、きみはネノクニに行くんだったな」
「はい! 師匠が許可をくれたおかげで行くことができます!」
「嬉しそうだな」
「だって修学旅行ですよ! 修学旅行!」
目を煌めかせてさえいる弟子の反応を受けて、美由理は、相好を崩しかけたが、すぐにいつもの顔に戻った。鋼のような仏頂面といわれて久しい、無表情に近い顔つきだ。
「まあ……精一杯楽しんでくるといい」
「はい!」
幸多は、美由理の内心の考えなど知る由もなく、元気一杯頷いた。
天燎高校の修学旅行は、七月十九日からの四日間、央都の遥か地下に存在する都市ネノクニを巡るものである。三泊四日の旅である。
当然ながら、幸多が参加するためには軍団長の許可が必要だった。
つまり、美由理が許可しなければ、幸多は参加できなかったというわけだ。
美由理が許可したのは、幸多が小隊に所属していないという大きな理由があった。そして、彼が鍛錬漬けの毎日を送っているからでもある。弛まぬ努力を続ける彼には、たまには気分転換も必要だろうと考えてのことだった。
それになにより、学生時代は今だけだ。
彼には大切な友人たちがいて、こんな時代だからこそ、そういう関係を大切にしたほうがいいと、美由理は考えるのだ。
美由理自身、学生時代の交友関係があればこそ今があるのだ、と確信していた。
弟子である幸多にも、そういう親友の一人や二人、できればいいものだ、と、師匠として想っていた。
美由理は、本部を後にする幸多を見送ると、その足で技術局棟第四開発室に向かった。
表の第四開発室に足を踏み入れると、研究員たちが忙しなく働いている。彼らの主な仕事は、他の開発室への協力であるといい、様々な作業に従事していた。
それは、裏の、真の第四開発室の存在を知るまで、美由理も知らなかった事実であり、大半の導士が知らなかったに違いない。
しかし、F型兵装の存在が公となったいまとなっては、第四開発室が二重構造になっているという事実も戦団内部では明らかにされている。その事実が知らされたときには、誰もが驚いていたものだ。
まず、なぜ、そんなことをする必要があるのか、誰もが疑問に想う。
第四開発室に自由に出入り出来る人間は、限られている。星将などの戦団上層部の導士や、室長、副室長から許可をもらった導士くらいだ。であれば、堂々と窮極幻想計画に関連する兵装の開発をここで行えばいいのではないか。
そんなありふれた疑問への回答は、一つだ。
美由理が室長執務室を訪れると、日岡イリアが忙しなく動き回っていて、机の上の黒猫がいかにも不服そうに彼女を目で追っていた。いつもならイリアの膝の上で丸まっていられるような時間帯だからだろう。
「準備中か」
「そうよ、見てわかるでしょ、わたし忙しいのよ、だから恋愛相談なら他所でやって頂戴」
「なんの話だ」
「冗談でしょ、いつまでたっても頭の回転が遅いんだから」
「酷いな」
美由理は、憮然としながら、机の上から黒猫が飛び降りてくる様を見た。ソフィアは、美由理に向かって歩み寄ってきて、愛らしい鳴き声を発した。相手をしろとでもいわんばかりだ。
仕方なく後ろ手に扉を閉め、ソフィアに近づいて腰を屈める。手を伸ばすと、黒猫は軽やかな足取りで近寄ってきて、指先に顔を擦りつけてきた。
「こんな時期に発表会なんて、なにを考えているのかしらね、まったく」
イリアが、文句をいいながらもなにやら荷物を纏めているのは、出かける準備をしているからにほかならない。どこへなにをしに行くのか、美由理は知っているし、そのために彼女の元へ協力を持ちかけてきたのは、ほかでもないイリア自身だ。
「こんな時期もなにも、彼らが関知する事象じゃないだろう」
美由理は、呆れていった。
発表会というのは、天燎財団の関連企業である天輪技研がネノクニ工場で行おうとしている、新戦略発表会のことだ。
そこには央都中の技術者、研究者に対する招待状が送りつけられていて、天輪技研の自信の程が窺えるというものだった。
発表会の日程は、ちょうど、天燎高校の修学旅行の真っ只中だ。
そして、天燎高校の修学旅行最大の目的も、その発表会を観覧することにある、ということは、幸多から聞いている。
天輪技研がなにを発表するのか、美由理は知らない。が、イリアには、大方の予想がついているようだった。
「本当、その通りよ。誰だって、こんな事態は予測できなかった。ノルンだってそう。本当の神様でもない限り、今のこの状況を予測することなんてできっこないんだわ」
イリアが、大きく嘆息して、荷物を詰め込んだ鞄を閉じた。
央都が直面している事態は、それほどまでに深刻で、史上最悪に近いといってよかった。




