第二百二話 皆代小隊(一)
その日、皆代小隊は、通常任務についていた。
央都市内で活動する任務がいわゆる通常任務と呼ばれるようになったのは、衛星任務との区別をつけるためだといわれている。
通常任務と衛星任務。
どちらが困難かといえば、当然、衛星任務である。
衛星任務は、結界に護られた央都の外、空白地帯に築かれた衛星拠点で行う様々な任務のことであり、幻魔と交戦する可能性が極めて高い任務だ。故に危険性が高いのだが、同時に昇級する機会が増えるということもあり、昇級を望む導士は、衛星拠点への出向を望んだ。
衛星任務は、全部で十二ある軍団が上層部の決めた日程で持ち回り、担当することになっているため、担当外であれば、どれだけ衛星任務を望んだところで意味がない。
統魔は、衛星任務に拘っているわけではないが、一刻も早く昇級したいという欲求がないわけでもなかったりするため、できる限り衛星任務につきたかった。
星光級まで昇級することができれば、当然、星将に任じられるだろうし、そうなれば統魔の裁量も大きくなる。統魔自身の意志で大部隊を動かし、幻魔との戦いに専念できるのではないか、と、彼は考えている。
だからこそ、輝光級程度で満足していないし、なんなら不満すら感じていた。
「酷い有り様だねー」
普段とは異なる導衣を身に着けた新野辺香織が、誰もが見てわかるようなことをいってきたので、統魔もそちらに意識を向けた。
「映像で何度も見ただろ」
呆れるように言ったのは、六甲枝連だ。彼も同種の導衣を着込んでいる。
二人だけではない。
皆代小隊の全員が、同様の、全身を完全に包み込む導衣に身を包んでいた。それもこれも、今回の任務に関係している。
出雲市大社町に聳える大社山の山頂に、彼らはいる。
七月上旬。
夏はまだ始まったばかりだ。気温は高く、日差しは強烈だったが、山頂ということもあってか風は強く、むしろ涼しいくらいだった。夏の熱気を吹き飛ばすほどの風の強さのせいもあるだろう。
木々が揺れ、枝葉が擦れ合う音が嫌に強く聞こえている中、統魔率いる皆代小隊の面々が目の当たりにしているのは、先頃、央都の歴史に残るのではないかというほどの大事件があった現場であり、その大きすぎる爪痕だ。
「見たけどさ-、実際にこの目で見ると感じるものがあるわけよー」
「ぼくもそう思うな」
「だよねー、たかみー」
香織が高御座剣に抱きつくのを横目に見て、枝連がお手上げといった仕草を見せる。香織のいつも通りのお気楽さが羨ましいのかもしれない。
「確かに、酷い有り様ですが」
「まあな」
上庄字の意見には、統魔も同意だ。
統魔たちが見下ろしているのは、山頂に穿たれた巨大な穴だ。
数日前までこの山頂には、野外音楽堂とその関連施設が一種のテーマパークのように存在していた。央都政庁が打ち立てた文化振興政策によって建造された施設の一つであり、誕生以来、様々な音楽イベントが行われてきた場所だった。
それがいまや、深度三十メートルはあろうかという大穴となっていて、野外音楽堂の名残すら見当たらないし、付属施設も尽く失われてしまっていた。
野外音楽堂一帯が、まるごと飲み込まれてしまったのだ。
特別指定幻魔弐号バアルこと、鬼級幻魔バアル・ゼブルによって。
そのとき、野外音楽堂では、大人気ロックバンド・アルカナプリズムの二年ぶりのライブコンサートが行われていた。
復活祭と銘打たれたライブコンサートは、皮肉なことに、アルカナプリズムというロックバンドの音楽活動の終わりを告げるものとなってしまった。
なぜならば、アルカナプリズムの中心人物にしてボーカルであるヒカルが突如死亡したからだ。死因は、昂霊丹の多量摂取であり、その結果、ヒカルの魔力が暴走、自らの命をも焼き尽くしてしまったということだった。
そして、その魔力と死によって生じる莫大な魔力が、幻魔の苗床となり、妖級幻魔サイレンが出現したことは、報道されている通りだ。
サイレンは、幸多が、他の導士と連携し、斃した。
問題は、その後だ。
統魔は、もはや跡形もなくなった野外音楽堂の外観を脳裏に思い浮かべようとして、諦めた。印象的な外観ではあったはずだが、思い入れのない施設を想像するのは困難だった。
現状、野外音楽堂の再建目処は立っていない。これだけの規模の被害だ。そうそうの対応できるわけもなく、復旧作業でどうにかなるものでもなかった。
たとえば、幻魔との戦闘に伴う被害――いわゆる幻魔災害による、施設の一部が崩壊する程度の損害ならば、幻災隊等による復旧作業でどうとでもなっただろう。
しかし、今回の場合は、幻災隊でもどうしようもない事態だ。
跡形もなく、根こそぎ消滅してしまっている。
あの幻魔の空間を削り取るような攻撃によって、野外音楽堂と付属施設が全て飲み込まれてしまったからだ。
これでは、どれだけ手練れの魔法士であっても、復元することはできない。
復元魔法とは、その名の通り、壊れたもの、損傷したものを元の形に戻すものであって、無から有を作り出すことはできない。
それは今回に限った話ではなく、復元するために必要な部品、破片が魔法の効果範囲内になければ同じ事である。
「それにしても、良く皆無事だったねえ」
「うむ。まったくだ」
香織が剣を逃すまいと羽交い締めにしながら、大穴の周囲を見回せば、枝連も静かにうなずく。
野外音楽堂の観客席には、一万人もの観客がいた。超満員の観客は、アルカナプリズムの復活祭を見届けるため、競争率の高い入場券の争奪戦を突破してきた熱烈なファンがほとんどだっただろう。しかし、観客が見たのは、ヒカルの絶唱であり、死であり、幻魔サイレンの誕生する瞬間であった。
その直後、サイレンの発した気絶音波は、観客にとってはむしろ幸いだったのかもしれない。
鬼級幻魔バアル・ゼブルが出現した際、観客たちに意識があれば、大騒ぎになったこと請け合いだ。大混乱が生じ、恐慌が会場を埋め尽くしたに違いない。
そうなれば、退避作業も難航したのではないか。
「それもこれも厳戒態勢を敷いていたおかげ、か」
統魔がつぶやくと、字が彼をちらりと見た。その日、字は統魔を買い物に付き合わせたこともあり、多少、負い目を感じないわけではなかった。
野外音楽堂に起きた幻魔災害は、即座に導士たちに通知された。現場付近にいる任務中の導士は、即刻対応するように命令されたはずだ。
統魔も、その報せを聞き、一刻も早く飛び出したかっただろうが、残念ながら遠すぎた。空間転移魔法でも使わなければ、一瞬で現場に辿り着くことなどできるわけもない距離だった。
それ故、統魔は、幸多の無事を祈りながら、字の買い物に付き合うしかなかったのであり、それが字には心残りというか、負い目のようなものになっていた。
もし、幸多が命を落とすような結果になっていれば、字の負い目は、もっと大きく、深く、重いものになっていたに違いない。
幸いにもそうはならなかったものの、そうなる可能性は決して低くなかった。
「バアル・ゼブル……」
「蠅の王で有名な悪魔の名前だね。ベルゼブブとかベルゼブルとかもいうらしいよ」
剣が、なんとかして香織の腕の中から抜け出し、統魔の側に逃げ込んできた。
「そうらしいな」
「知ってたんだ?」
「調べた」
「おお、偉い偉い、さすがはたいちょーだね」
「どういう立場なんだよ」
なんともいえない上から目線の香織に対し、統魔は苦笑を浮かべた。
いつものことだ。
いつものように五人が揃い、いつものように任務が始まり、いつものように他愛のない会話を交わしている。
これが、統魔のありふれた日常であり、多くの導士が同じような日々を送っているはずだ。
誰もが小隊を組み、小隊で行動し、小隊で任務に当たる。
戦団の戦闘部に所属する導士ならば、ありきたりといってしまっても構わないだろう。
だからといって気を抜くわけではなく、統魔は、隊員たちを見回して、頷いた。
任務を始めよう。