第二百一話 九十九兄弟(三)
幸多と九十九兄弟による二対一の訓練は、三人が満足するまで続けられた。
二対一での初戦こそ落とした幸多だったが、全戦全敗という形で終わることはなかった。
幸多は、善戦したのだ。
二対一という幸多にとって不利な状況が維持されることこそ最大の問題なのは、最初からわかっていたことだ。だから幸多は、攻型魔法の使い手である黒乃を狙ったのだが、真白の援護によって隙が生じ、大敗を喫した。
予期せぬ事態に対応できなかったからこそ、敗れ去ったのだ。
そしてそれは、現実の、幻魔との戦いでも起きうることだ。なにか突拍子もないことが起きて、意識がそちらに持って行かれた瞬間、致命的な一撃を食らう可能性は十分にある。
この訓練は、幸多の気を引き締めなおすという意味では大きかった。
第二戦は、幸多が武器を槍に持ち替えて始めた。二十二式突槍・突魔を手にした幸多は、九十九兄弟が動き出すことによる試合開始の合図と同時に、踏み込み、上半身を捻った。全力を込めて、またしても距離を取ろうとする黒乃目掛けて、槍を投げつける。
幸多が全力で投擲した槍は、見事、黒乃の胸を貫き、幻想体を爆散させた。移動先を見越した上での投擲である。距離を稼ぎながらも、幸多を攻撃するための魔法を構築していた黒乃には、対応しようがなかったに違いない。もし黒乃が攻型魔法の準備をしていなければ、簡易魔法による盾で身を守ることもできたのかもしれないが、間に合わなかった可能性も高い。
なぜならば、突魔が黒乃の胸に突き刺さった直後、彼の眼前に魔法の壁が出現したからだ。真白の援護が間に合わなかったということであり、幸多の投擲がそれだけの速度だったということを示している。
そして、幸多は、真白と一対一となると、即座に彼に向き直った。真白は、黒乃とは別方向に移動していて、己の前面にも魔法の盾を展開していた。
さらに真白は、幸多に向かって法機を翳した。WAND型法機は、ほかの法機よりも短く、取り回しこそいいものの、登録できる簡易魔法の数が少ないという欠点がある。が、真白には、それがいいのだ。
「光壁」
真白が真言を発すると、彼と幸多の間に魔法の壁が出現する。分厚い巨大な壁だ。真白は、その魔法をさらに何度も発動させ、幸多と自分の間に無数の壁を構築した。
幸多はといえば、新たな武器を召喚している。二十二式大鎚・砕魔。長い柄の先端に巨大な金属の塊が付属した鎚を手にした幸多は、猛然と前進し、目の前の魔法の壁を飛び越えた。
「光壁!」
真白が魔法を発動させ、空中の幸多の眼前に魔法の壁を具現する。激突させようという算段だったが、しかし、幸多は、巨大な鎚を魔法の壁に叩きつけ、粉々に破壊してしまった。
白式武器は、対象と接触した瞬間、超周波振動を起こす。それは、幻魔の外骨格たる魔晶体に構造崩壊を起こすだけではない。真白が生み出した魔法の壁のような魔力体をも破壊することが可能である。
そもそも、魔力体は、半ば物質化した魔力の塊だ。霊体や精神体などではなく、物理的に存在し、物質に干渉することのできる代物である。その極致が幻魔の魔晶体と考えればいい。超周波振動が魔法の生み出す魔力の塊、魔力体を粉砕したとして、なんらおかしくはないのだ。
魔法壁を粉砕し、地上の複数の壁を飛び越えた幸多は、真白との距離をあっという間に詰めた。真白はさらに分厚い魔法の壁を生み出したが、幸多の一撃に吹き飛ばされた魔力体の残骸が降り注ぐ中、大槌の一撃で粉々になったのだった。
それが、第二戦の内容だ。
そこから、第三戦、第四戦と訓練を続け、何十戦も繰り返した結果、勝敗は五分五分といったところで終わった。
「二十五対二十五。悪くはないかな」
「二対一だからなあ」
「一対一なら全戦全敗だったね」
「むう……」
朗らかに敗北宣言をしてみせる弟に対し、兄の真白は難しい顔をした。かといって、異論も反論も浮かぶわけがない。黒乃の言うとおりだ。
五十戦中、二十五戦も勝てたのは、紛れもなく真白が黒乃と協力したからだ。真白にせよ、黒乃にせよ、一人で幸多に挑んだのであれば、結果は見えている。二対一での勝負を行う前、散々に敗れたのだ。
だから二対一になったのだが、それでも圧倒しきれなかったという事実には、唸るほかない。
それだけ幸多が並外れた身体能力を持っているという証左だった。
「本当に凄いね、皆代くん。尊敬しちゃうなあ」
「まったくだぜ。魔法不能者だってのに、ここまで出来るとはなあ」
なにやら感慨を込めていってくる兄弟に対し、幸多は、なんというべきか迷い、言葉を探す。
幻想空間上での訓練を終えた三人は、総合訓練所を後にし、本部棟の大食堂でテーブルを囲んでいた。それぞれに注文した通りのものがテーブルの上に並んでいる。
一対一の試合を数え切れないほどに行った後の、二対一の五十戦だ。
腹が減るのは当然だった。
幸多の眼前には、山盛りのクリームパスタと焼き立てのロールパンがあり、真白は特盛の焼き肉定食、黒乃はケーキセットと対峙している。
大食堂は、総合訓練所と同様、年中無休だ。いつ何時、導士が必要としているのかわからないからだったし、いつだって数人から十数人の導士が利用していた。
閑散としている時間などほとんどないのではないか。
そんな大食堂の片隅に三人は固まっている。
「正直、未だに信じらんないぜ」
「兄さん」
真白が焼き立ての肉と白米を掻き込む隣で、黒乃が眉根を寄せた。兄の発言内容に目くじらを立てるのは、黒乃にとってはいつものことではあるのだが。
「いいよ、黒乃くん。それが普通の反応だからね」
幸多は、まったく気にしていなかったし、それどころか真白の本音を聞くことが出来た気がして、なんだか嬉しかった。
すると、真白が奇妙な顔をした。
「普通。普通かあ。おれたちには、それがわからないんだよな」
「……そうだね」
黒乃も、真白の意見に同意するのだが、幸多には、二人の気持ちが一切わからない。
「おれたちは九月機関出身だからな。施設で生まれて、施設で育って……外の世界に出ることが出来たのは、つい最近なんだ」
「世間知らずなんだよ、ぼくたち。兄さんの言葉遣いが悪いのはそのせいじゃないけど」
「んだと」
「だって、そうじゃん」
「んなこたあねえよ!」
「あるよ」
またしても言い合いを始めた九十九兄弟の様子に、幸多は、微笑ましさを覚えるだけだ。
「本当、仲いいね、二人とも」
「そりゃあ、まあ」
「兄弟だし」
「世の中、仲の良い兄弟ばかりじゃないよ」
とはいったものの、幸多の脳裏に浮かぶ兄弟姉妹というのは、大抵、仲が良かった。幸多と統魔の皆代兄弟はいうまでもなく、対抗戦で知り合った金田姉妹もなんだかんだ仲が良かったし、草薙兄弟は言わずもがなだ。
そのとき、ふと、幸多の頭の中を過ったのは、八十八紫と九尾黄緑の二人だ。九十九兄弟に対し、妙に辛辣だった二人は、どうしたところで印象に残る。
「……そういえば、あの二人も九月機関出身だっていってたよね。仲、悪いの?」
「ああ……まあ」
真白がどこか歯切れの悪そうな返事をすると、黒乃も居心地悪そうな顔をした。
「昔は、そんなことなかったんだよ。九月機関の皆は家族みたいなものだったし、仲の良い兄弟で、姉妹だった」
「あの二人とも?」
「うん。仲良くしてくれたんだ。ぼくたちを本当の弟のように扱ってくれてた」
「なのに、戦団に入ったらあの変わり様だ。人間、なにが原因で変わるものか、わかったもんじゃねえ」
二人の反応を見る限り、実際、本当に仲が良かったのだろうと想像できる。そんな仲の良かった人物が、突如豹変したように攻撃的な、否定的な態度を取るようになれば、傷つきもするだろうし、悲しくもなるだろう。
八十八紫と九尾黄緑になにを言われても、決して言い返そうとしない九十九兄弟の様子が思い出されて、幸多は、なんだか悲しい気持ちになった。二人は、いまもあの二人のことを思っていて、だから、なにも言い返さないのではないか。
幸多には、それが、ただただ悲しく、辛かった。




