第二百話 九十九兄弟(二)
幸多の二連勝によって幕を開けた九十九兄弟との訓練は、加速度的といっても過言ではない速さに繰り広げられていった。
幸多は、入れ替わり立ち替わり相手になってくれる九十九兄弟と何度か試合を繰り返すたび、武器を持ち替えた。
白式武器は、両刃剣だけではない。
二十二式短刃剣・切魔は、刀身の短い剣である。他の白式武器同様、蒼黒の刀身は分厚いが、それは超周波振動を発生させるために必要な構造である。超周波振動発生機構・超振機は、柄と一体になっている。柄頭には星の意匠があるのは、白式武器共通の特徴といえるだろう。
切魔は、刀身こそ短いものの、軽く、取り回しがいいため、使い勝手が悪いわけではない。より相手に接近しなければならないという明確な弱点もあるが、九十九兄弟との試合では関係がなかった。
幸多は、二人が魔法を発動させてしまうよりも疾く、一瞬で決着を付けてしまうからだ。
しかし、それでは訓練にはならないという当たり前の結論に至った幸多は、二十二式突槍・突魔で二人を何度か突き殺すようにして撃破した後、提案した。
「今度からは二人でかかってきてよ」
「ああ? 随分と余裕だな」
「兄さん、仕方ないよ。いまのところぼくらの連戦連敗で、いいところなんて一つもないんだから」
「わーってるって」
黒乃は、一瞬、真白のことが心配になったが、にやりと笑う兄の様子を見れば、その心配が杞憂だったことに気づく。そもそも、ここまで連敗しながら一切暴れ出す気配がないのだから、この敗戦続きですらも楽しんでいることがわかるというものだった。
それは、黒乃からしてみれば極めて珍しい光景であり、事態であり、状況だった。
理由は、わかっている。
相手が皆代幸多だからだろう。
「二対一なんて卑怯もいいとこだけどな」
「そんなこと言える相手じゃないでしょ」
「うむ。相手に不足なし」
「相手が不足を感じてるよ」
「おまえは一言多いんだよ」
「兄さんは一言足りないね」
などといってついには睨み合う九十九兄弟を見遣りながら、幸多は、小さく笑った。
「仲の良い兄弟だなあ」
まるで自分と統魔の関係を見るようだ、と、思う。幸多と統魔の言い合いも、傍から見ればあんな風に映るのではないだろうか。仲の良さからくる軽口の叩き合いは、見ず知らずの赤の他人から見ても心地よいものだ。
そして、九十九兄弟は、幸多に対して法機を構えた。白と黒、正反対の色彩が象徴的な二人は、しかし、極めて息の合った動きを見せている。
幸多は、二十二式連機刀・払魔を手にしている。一見すると、刃渡り百センチの長刀にしか見えないそれを青眼に構え、青黒い切っ先の向こう側に黒乃を捉える。
九十九兄弟は、役割が明確に別れている。真白が防型魔法を担当し、黒乃が攻型魔法を担当しているのだ。真白の防型魔法が優秀なように、黒乃の攻型魔法も強烈極まりない。
それだけの使い手ならば、小隊に引っ張りだこだろうし、任務をこなし、昇級していてもおかしくないのだが、二人の導衣の胸元に輝く星印は、灯光級三位のままだ。
九十九兄弟は、今年の四月戦団に入り、戦闘部に所属したばかりの新人導士である。三ヶ月経って昇級していなかったとしても、なんらおかしなことではない。
幸多が異常な速度で昇進しているだけのことだったし、これも戦団総長を含む上層部の思惑によるところが大きいのだが。
試合開始の合図は、九十九兄弟が動き出すことだ。幸多のほうが圧倒的に疾い以上、幸多が主導権を握るとそれだけで試合展開が決まりかねない。だから、九十九兄弟に任せることにした。
そして、真白と黒乃が同時に動いた。左右に分かれるように飛び、幸多との距離を少しでも引き離そうとした。
幸多は、左に飛んだ黒乃に向かって跳躍した。空脚。低空を滑るように移動する真武の基本技術だ。一瞬にして間合いを詰めると、幸多の眼前に魔法の壁が出現した。透かさず足を地面に突き刺して急停止し、激突を逃れる。そのころには、黒乃は、幸多から遠く離れている。
二対一になるだけで、戦況は大きく変わった。
魔法の壁は、真白の簡易魔法によって出現したものであり、黒乃を護るためというよりは、幸多の足止めをするためのものだろう。
真白は、これまでの連戦で、幸多の動きをよく見ていた。幸多が地面を滑るように移動する、独特としかいいようのない技術を持っていて、幸多はその技術で急速接近するのだということがわかった。しかも、直線的だ。
幸多が最短距離で移動して間合いを詰め、一瞬にして勝敗を決する。
それが、九十九兄弟の連戦連敗の全てだ。
だからこそ、真白は、幸多とその目標の間に魔法の壁を具現することで、足止めをした。
それは、ほんのわずかな一瞬に過ぎない。幸多は瞬時に対応し、魔法壁を迂回している。だが、十分だった。魔法士の戦いは、高速戦闘だ。魔法士の行動も早ければ、移動も早い。
黒乃は、既に幸多との間合いを大きく取っている。観客席の真っ只中にあって、攻撃態勢に入ってさえいた。複雑で精緻な律像が、黒乃の全身を包み込むようだった。
幸多が、観客席の黒乃に殺到する。
真白は、そんな幸多を遠目に見遣りながら、真言を唱えた。
「大閃光!」
真言の発声は、魔法の完成を意味する。魔力の練成、律像の形成が完了し、その結果をこの世界に具現するために必要なのが、真言の発声であり、発声が成った瞬間、魔法は発動する。
真白の視界が純白に染まる。眩いばかりの閃光が真白の全身から放出され、それはこの幻想空間全体を一瞬、白く塗り潰した。
幸多は、思わず、光の発生源を一瞥した。観客席の真っ只中、透かさずその場から飛び離れたのは愚策としか言い様がなかったのだと、その直後に思い知る。純白の閃光が幸多の目を灼いたのも束の間、鋭い声が耳朶に届いたのだ。
「崩轟撃!」
黒乃の真言が魔法の発動を伝えた瞬間には、幸多は、爆発的な魔力の奔流に飲まれていた。破壊の力が渦を巻き、幸多とその周囲一帯、広大な競技場の観客席の一角を飲み込み、押し潰していく。
球状の魔力の渦は、範囲外のものをも引き寄せ、取り込み、破壊していく。
そのときにはもう幸多の幻想体は崩壊していて、勝敗はついていた。
瞬時に復元された幸多の幻想体は、競技場の真ん中に再配置される。
幸多は、さっきまで自分が立っていた場所の周囲一帯が徹底的に破壊されていく様を眺めた。黒乃の魔法が生み出した暗黒球が周囲を飲み込みながら巨大化し続けている。そして、しばらくすれば何事もなかったかのように消えて失せた。
「どうよ、黒乃の魔法は。すげーだろ」
真白は、競技場の中心部に佇む幸多に駆け寄ると、上機嫌で話しかけた。
黒乃の魔法によって完膚なきまでに破壊された競技場の一角は、幻魔災害の爪痕といっても通用するくらいに凄惨だった。凄まじい破壊力と攻撃範囲と言わざるを得ない。
そんな魔力の渦に飲まれれば、幸多といえど一瞬で破壊され尽くすのは、自明の理だ。
「うん、本当に凄いよ」
幸多は、そういうしかない。
「全部、兄さんのおかげだけどね」
いつの間にやら近くまで来ていた黒乃が、苦笑するようにいった。すると、真白が怒った。
「んなわけねえだろ、全部、おまえがやったんだよ」
「兄さんが皆代くんの注意を引いてくれたからだよ」
「あのなあ」
真白と黒乃が言い合う気配を見せたものだから、幸多は、慌てて話題を振った。
「そ、そういえば、あの魔法、なんだったの?」
「大閃光は、ただ敵の注意を引くだけの魔法なんだぜ」
悪びれることないどころかむしろ誇らしげに、真白は、いった。確かにあれだけの光を放たれれば、誰だって注目せざるを得ないかもしれない。
事実、幸多は、思わず光に目を向けてしまった。強力な攻撃魔法の予兆かと思ったからだ。だが、実際にはそんなことはなかったわけだ。
しかし、足を止めることになり、黒乃の魔法の直撃を受ける羽目になったのだから、閃光魔法の効果は紛れもなくあったというわけだ。
幸多は、九十九兄弟の見事な連携に敗北した、ということだ。