第百九十七話 九月機関(一)
幸多が九十九兄弟とともに総合訓練所に足を踏み入れると、玄関広間に人集りが出来ていた。
任務外の導士たちは、体を休めるか、出かけるか、訓練をするかのいずれかの選択を取ることができるが、その中でもっとも多い選択は、訓練である。
導士の大半は、訓練に明け暮れるものだ。
訓練こそ、導士の生命線といっていい。訓練は嘘を吐かないし、訓練を怠ったものから命を落とすと考えるのは、当然のことだ。
もっとも、どれだけ訓練を積んだとしても、死ぬときは死ぬ。
それが幻魔との戦いであり、戦闘部導士という職務の苛烈さを示している。
しかし、誰だって死にたくないから、常に体を鍛え、魔法を研ぎ澄ませ、強くなろうとする。
そうした導士たちが日常的に用いているのが、この戦団本部総合訓練所だ。
玄関広間には、総合訓練所で訓練中の導士たちの様子を観戦することのできる場所があり、公開設定された幻想訓練の模様が、常時出力されている幻板に映されている。
とはいえ、訓練所を訪れる導士たちの大半は、己の訓練が目当てである。他人の訓練模様を観戦することがあるとすれば、余程の場合だけだ。
たとえば、星将や煌光級導士といった高位の導士の訓練ならば、低位の導士たちにしてみれば観戦するだけでも得られるものがあるだろうし、価値も高い。
ほかにも様々な理由から注目を集めることもあり、今回の人集りは、高位の導士の訓練に引き寄せられたようではなかったらしい。
玄関広間の待機所に展開されている無数の幻板、その中でももっとも大きな幻板に目を向けると、導士が二人、想像を絶するほどの魔法合戦を繰り広げている様が映し出されていた。一目見て、人集りの理由がそれとわかるほどだ。
圧倒的と言っていい。
他の幻板に映し出された訓練模様と比べて苛烈であり、強烈としか言い様がないほどの魔法の嵐が吹きすさんでいる。
それもたった二人なのに、だ。
一対一の魔法合戦だというのに、四つの属性の魔法が飛び交い、幻想空間を色鮮やかに染め上げている。
「あれは確か……」
幸多は、幻板を遠目に眺めながら、そこに映し出された二人の導士についての記憶を呼び起こそうとした。
一人は、紫色の頭髪が特徴的な女性導士だ。漆黒の導衣を身に纏い、戦場を移動しながら火球を放ち、氷壁を生み出している。この時点で、尋常ではない。
もう一人は、黄緑色の頭髪が印象的な男性導士である。彼も同様に漆黒の導衣を身に纏い、戦場を自由に飛び回りながら嵐を起こし、巨大な雷撃を落としている。
火と氷、雷と風という四つの属性の魔法が、たった二人の導士によって咲き乱れるように飛び交う光景は、通常、ありえないものといっていい。
魔法には属性と呼ばれる概念があり、魔法士一人が得意とする属性は一つである、とされている。得意属性以外の属性魔法を使えないわけではないが、戦闘部の導士ならば、得意属性をこそ磨き上げるべきだという考えを叩き込まれるものだったし、そうするべきだという風潮があった。
得意属性と不得意属性では、魔法の威力、精度、効果、全てが段違いだからだ。
なのに、二人の導士は、異なる属性魔法を自在に操っている。
常識的にはありえないことだ。
そして、だからこそ、あの二名の導士は知名度が高く、注目度も高いのだ。この人集りが出来ている理由もそこにある。
「八十八紫と九尾黄緑だ」
「そうだった」
ぼそりと、真白がつぶやくように教えてくれたので、幸多は、記憶の中から掘り出す必要もなくなった。
八十八紫が女性導士、九尾黄緑が男性導士である。髪色と同じ名前だから覚えやすいのだが、幸多はここのところ覚えることが多すぎたこともあり、二人の名前が記憶の奥底に沈んでいたようだった。
「相変わらず、見せつけやがって」
「そんなつもりはないと思うけどな……」
吐き捨てるようにいう真白に対し、黒乃は、兄を心配するようなまなざしを向けた。そんな二人の様子を見れば、九十九兄弟と紫、黄緑の間に並々ならぬ因縁があるように思うのは、幸多の考えすぎなどではあるまい。
「どうしたの?」
「なんでもねえ」
「うん。なんでもないよ、気にしないで」
顔を背けてぶっきらぼうに告げる真白と、困ったように微笑んでくる黒乃は、やはり正反対に近い性格のようだと幸多は思った。
幸多は、知り合ったばかりの二人のことに深く立ち入るのも良くないと考え、受付に向かった。受付で表示された幻板に必要事項を記入し、訓練室を選択する。
そうしている内に、大型幻板に表示されていた紫と黄緑の訓練が終わったようだった。玄関広間の人集りが少しずつ解散していく。
その様子を眺めていた真白は小さく舌打ちをして、黒乃は兄の反応に肩を落とした。
「一階の三十号室だって」
幸多は、そんな二人の様子などつゆ知らず、受付に提示された部屋番号を伝えると、九十九兄弟はうなずいた。
三人は、訓練室へと向かう。
玄関広間から訓練室まではいくつかの通路がある。
総合訓練所は、地上三階、地下三階という構造をしており、どの階層にも無数の訓練室がある。個人用の狭い部屋から小隊訓練用の部屋、大人数で訓練を行うための部屋もある。また、部屋が別々でも、同じ幻想空間で訓練を行う方法もあり、現状、最大百人まで同じ空間で訓練することができた。
それこそ、戦団本部の総合訓練所が賑わっている理由だ。
幻想空間上での訓練を行うだけなのであれば、わざわざ戦団本部に出向く必要はない。市井には、幻創機を取り扱う店舗が数多とあり、そうした場所でも訓練することそのものは不可能ではない。しかし、多種多様な設定の訓練を行ったり、大人数での乱戦を行う事が出来るのは、現状、この総合訓練所だけだった。
だから、戦団に所属する導士の大半が、時間がある限り訓練所に籠もる。
己を磨き、技を磨き、術を磨くこともまた、導士の仕事の一つといっていい。
そんな導士の職務を全うするためにこそ訓練所を訪れた幸多たちだったが、三十号室に向かって通路を曲がったところで、先程まで訓練をしていた二名の導士と鉢合わせした。
八十八紫と九尾黄緑だ。二人は、なにやら会話をしながら歩いていたようだったが、幸多たち三人を発見するなり、会話を止めた。そして、三人との距離を詰めてくる。
漆黒の制服を身につけた二人の胸元には、輝光級二位の星印が輝いている。
「まさかまさか、こんなところで逢うなんて、想いも寄らなかったわ」
「まったくだね」
紫と黄緑がいったのは、無論、幸多に対してなどではなく、九十九兄弟に向かってだ。
「なにがだ?」
「戦闘部に所属してるんだから当然でしょ……」
真白が睨み付ければ、黒乃が幸多の背中に身を隠すようにする。真白よりも幸多のほうが全体的に大きいから、隠れやすいからだろう。真白と黒乃の体格はまるっきり同じだ。
「当然? 普通ならね」
「でも、きみらは普通じゃあないだろう? 失敗作くん」
「そうそう、失敗作なんだから、訓練なんてしたって意味ないよ」
「まあ、無駄な努力ほどきみらに似合うことはないけどさ」
紫と黄緑は、九十九兄弟に対し、面と向かって侮蔑的な言葉を投げつける。二人の端正な顔立ちが醜く歪むほどに悪意が剥き出しにされていて、幸多は、心が痛んだ。聞いているだけで、胸が苦しくなる。
まるで、自分に向けられた言葉を聞いているような、そんな気分だった。
真白は拳を握り締め、二人を睨み付けるのだが、歯噛みして、いまにも飛び出そうな言葉を抑えつける。そんな真白の様子を見れば、ここは引き下がるべきなのだろうが、幸多には、黙ってなどいられなかった。
「……失敗作だとか、無駄な努力だとか、そんなこと、あなたたちが決めることじゃないよ」
「じゃあ、だれが決めるのよ? 最近話題の完全無能者くん」
「一気に閃光級に上がったからって調子に乗ってるのかな? きみも、その名の通りの失敗作になりたくなかったら、こんな奴らに構わず、己の鍛錬に全力を尽くすんだね」
紫と黄緑の二人は、幸多に対しては軽侮の言葉こそ発せど、悪意を向けてくることはなく、ただ冷笑するようにしてその場を離れていった。
九十九兄弟も幸多も、相手にならないとでも言いたげな態度であり、言動だった。
幸多は、去って行く二人の後ろ姿を目で追ったが、頭を振って、小さく息を吐いた。いますぐ追いかけて言い返したい衝動を抑えるように、拳を握る。
九十九兄弟は全くの他人だが、だからといって無視できる話ではなかった。すると、
「ごめんね、皆代くん」
「すまねえな、皆代」
「ええ?」
幸多は、九十九兄弟が突然謝ってきたことに慌てふためいた。
「ふたりが謝ることじゃないよ。ぼくが勝手に突っかかったんだからさ」
「んなことねえよ。なあ、黒乃」
「うん。兄さんの言うとおりだよ。ぼくたちのせいだ」
「なにが……」
きみたちのせいなのか、と、幸多はいおうとしたが、黒乃によって阻まれてしまった。黒乃は、もはやいなくなった二人の姿を虚空に幻視するように、遠い目で彼方を見遣っている。
「あの二人は、ぼくたちを失敗作と呼んでいたでしょ。あれは、本当にその通りなんだよ。成功作であるあの二人にとってぼくたちは目障りで、だから、ぼくたちに関わる人達まで鬱陶しく感じるんだと思う」
「おれたちも、あいつらも、九月機関出身だからな」
「九月機関……」
幸多は、真白の言葉を反芻するようにつぶやいて、考え込んだ。
その名前は、聞いたことがあった。
生命倫理に抵触しているのではないかとか悪い噂の絶えない研究機関だ。