第百八十七話 きみのためにできること(三)
幸多の結論に疑問はなかった。
緊張。
一度思い至ると、それ以外の原因が考えられなくなった。
「緊張か。どうしてそう想う?」
「愛理ちゃん、とても責任感の強い子なんですよ」
幸多は、師に問われるなり、そう答えた。
砂部愛理という少女に出逢ったのは数日前のことだが、本格的に知り合ったのは、今日つい先程のことだ。数十分話し込んだだけの間柄であり、愛理のひととなりを深く知っているわけでもなければ、当然、その本質を見抜いたなどという傲慢な考えに至っているわけでもない。
ただ、彼女の発言の数々を鑑みれば、幸多の中でそう結論づけざるを得なかった。
「愛理ちゃんは、両親や周囲の期待に全力で応えようとしているんです。星央魔導院に入るというのであれば、なにも早期入学試験に拘る必要はありませんし、早期入学試験に落ちたからといって、誰も問題にしませんよね」
「そうだな」
「きっと、愛理ちゃんの御家族も、そのことで愛理ちゃんに辛く当たることはないと想います」
愛理を出迎えたときの愛情深い両親の姿が、幸多の脳裏を離れなかった。幸多には、愛理の両親が、彼女に期待こそすれ、絶対に早期入学試験に合格しなければならない、などと強く迫っているようにはどうしても考えられなかったのだ。
だが。
「でも、愛理ちゃんは、そう想っていないんです。愛理ちゃんは、早期入学試験に合格しなければならない、でなければ自分に存在価値がないとさえ想っているような、そんな感じさえありました」
「なるほど。そうした強迫観念が、その少女が万能症候群に陥った原因だと、きみは見るのだな」
「おそらく、ですが」
とはいったものの、幸多には、ほかに考えようがなかった。彼女の発言から推察できることといえば、それくらいのものだ。ほかになにか理由があるのか、なにか重大な見落としはないかと考えてみるのだが、思い当たらない。
愛理がなにか隠し事をしている可能性もないではないが、そんな様子は微塵もなかった。
彼女は、切羽詰まっていた。
だからこそ、見ず知らずの赤の他人である幸多に助けを求めたのだ。
無論、幸多が戦団の導士という立場にあるからこそなのだろうが、それにしたって、軽い考えで出来ることではないだろう。
そんな彼女の胸の内を想えば、奮い立たずにはいられなかった。
幸多の様子を見て、美由理は、目を細めた。幸多の言動の一つ一つが眩しく、輝かしく感じるのは、彼が全身全霊が事に当たっているからだろう。
見知らぬ少女の苦悩を解決する、ただそれだけのために全力を尽くそうという彼の姿は、なによりも貴いものだ。
戦団の、導士の理念を体現している。
無論、幻魔討伐、魔法犯罪者制圧も極めて重要な仕事であり、役割なのだが、央都市民の安寧を護るのもまた、重大な使命だ。
一人の少女の悩みを解決することもまた、一つの形だろう。
「きみがそう感じたのであれば、そうなのだろうな。わたしは少女のことを知らない。知る由もない。わたしにできることといえば、助言を与えることだけだ」
「よろしくお願いします!」
幸多は、改めて美由理に頭を下げた。美由理の貴重な時間を割いてもらうのだ。師匠として当然のことと美由理はいったが、結局これは、幸多の我が儘を聞いてもらっているに過ぎない。
この埋め合わせは、幸多が立派な導士となり、活躍することでしか出来ないだろう、と、彼は考えている。それはより強い決意となって、彼の心を埋めた。
幸多の決然たるまなざしを見つめながら、美由理は、いう。
「……結局、万能症候群は、個人的な問題に起因するものだ。その問題を解決できるかどうかは、当人にかかっている。その少女にな。きみは、その手助けをしてやるんだ」
「はい!」
「いい返事だ。では、始めよう」
そういうと、美由理は、魔力の練成を開始した。
「まずきみが知っておくべきことがある。魔法の仕組みについて、だ。無論、きみも散々学んできたことだろうが、な」
「はい」
幸多は、師の言葉に力強く頷いた。当然のことだった。魔法不能者として生まれたからといって、魔法のことを学ばない人間はいない。
少なくとも、央都市民には。
央都に生まれ育つと言うことは、央都の学校に通うということだ。生徒の大半は魔法士であり、学校教育で魔法を学ぶ。そこには稀に魔法不能者が紛れ込んでいて、魔法不能者もまた、そうした教育を受けるのだ。
「魔法は、三つの段階を経て、発動へと至る。第一段階は、魔力の練成。魔素を練り上げ、魔力を生み出すことだ」
いま、美由理がやり終えたことが、それだ。体内の魔素を凝縮し、練り上げることによって魔力という状態へと昇華することを、魔力の練成、あるいは単純に練成と呼ぶ。
魔力は、通常、目に見えるものではない。当然、いま美由理の体内に満ちた魔力も、目には見えず、本人にしか確認できなかった。
「きみも、やってみたまえ。その幻想体ならできるはずだ」
「え、ええ……」
幸多は、予期せぬ事態に当惑した。確かに魔素の満ちた幻想体ならば、魔力を練成することも不可能ではないのだろうが、しかし、と、彼は戸惑いを隠せない。
「ど、どうすれば……いいんでしょう?」
理屈は、知っている。
散々学んできたことだ。
魔力の練成に必要なのは、知識と認識と理解力と想像力だといわれている。
「まずは魔素を知ることだ。魔素の存在を認識することによって、初めて練成への道が開かれる」
美由理が、当然のことのようにいう。
だから、魔法の発明が、これだけ長い歴史を誇る人類史において、近年といっていい約二百年前なのだ。
人類は、数千年に及ぶ歴史の中で、魔素の存在を知ることもなければ、認識することなど出来るわけもなく、故に、魔力を練成するに至らなかった。
神話や伝承、伝説などに登場する魔法使いや魔法に似た力、技術は、数多ある。しかし、いずれもが今現在人々が使っている魔法とは大きく異なるものだった。故に、魔法発明以前の過去に魔法使いは存在しなかった、と、されている。
「魔素を認識……」
幸多は、体内を巡る違和感こそが魔素なのだろうと認識している。この魔法士用の設定が施された幻想体だからこその違和感は、魔素以外に考えられなかった。幸多の現実体にはないものだからだ。だからこそ、実感できる。
「認識し、想像するのだ。魔素を魔力へと練り上げる想像。これは簡単なことではないから、きみができなかったとしても、なにもおかしなことではないよ」
美由理の言うとおりだった。
幸多は、魔素を認識こそできたようだったが、魔素を魔力へと練り上げる段階で音を上げる羽目になってしまった。
魔力の練成は、魔法を発動するための第一段階だが、だからといってなにも簡単なことではないのだ。誰であれ、魔法士たちは時間をかけて学び、体得していく。幸多が一朝一夕でできたのだとすれば、そのほうがありえないことだった。
統魔のように幼い自分から自在に魔力を練り上げ、魔法を行使することのできる魔法士は、極めて希有な存在なのだが、幸多にとって統魔ほど身近な魔法士もいなかったこともあり、どこか感覚が麻痺していた。
幸多は、落胆を隠せずに、いった。
「……できませんね」
「いいさ、それで。きみは魔法士ではないのだ。座学で学んだだけのことを即座に実践できるのは、余程の天才だけだ」
「統魔のような、ですね」
幸多が思い浮かべる天才といえば、統魔をおいてほかにいない。幼少期からの天才となれば、尚更だ。最近のことも含めれば、草薙真も入ってくるのだが、如何せん、統魔の印象のほうが強烈であり、そればかりは致し方のないことだった。
美由理も、幸多の言を否定しない。
「そうだな。彼は、類を見ないほどの天才だ。将来、彼が戦団を背負ってくれるだろうと誰もが期待している」
「ぼくも、そう想います」
幸多が屈託なくいってくるので、美由理は多少、呆れる想いだった。すぐに冷厳な目を向ける。
「きみは、彼に並び立て」
「……できますかね」
「できるかどうかは問題ではない。並び立つのだ。そのために全てを利用すればいい。第四開発室も、わたしも、全て、な」
「利用だなんて、そんな」
「その結果、央都の安寧が護られ、人類復興が前進するのであれば、なんの問題もない。正義とは、そこにある。そうだろう」
「……はい。その通りですね」
幸多は、師の言葉に感銘を受けるしかなかった。美由理の決意と覚悟が伝わってくるのだ。彼女の強い想いは、閃光のように幸多の心を灼き、脳裏に刻みつけられていく。
師匠の期待に応えなければ、ならない。
そのためにも、まずは一つ一つ実績を上げていくことだ。
それが将来、統魔と共に並び立つことに繋がるはずだ。