第百七十二話 復活祭(六)
幸多が九十九兄弟に連れられて地上に降り立つと、導士たちによって、舞台上から関係者らが引きずり下ろされているところだった。彼らは、ヒカルの亡骸を舞台袖に捌けさせようとして、サイレンの気絶音波の直撃を食らい、意識を失ってしまったのだ。
幸多の戦い方次第では、破壊音波の巻き添えになっていたかもしれない。幸多は、背筋が凍るような想いがした。サイレンと戦っている最中、周囲の被害など考えている余裕がなかったのだ。もし、幸多の戦い方のせいで死傷者が出るようなことがあれば、しばらく立ち直れないのではないか、と思えた。
それは、明確に幸多の責任になるからだ。だからこそ、これからは周囲にも注意を払いながら戦わなければならない、と、幸多は気を引き締め直した。
見れば、でたらめに破壊された舞台の上には、妖級幻魔サイレンの死骸が転がっている。
幸多が喉奥の魔晶核を破壊したことによって、サイレンは物言わぬ亡骸と変わり果てたのだ。魔晶核は、幻魔にとっての心臓だ。損傷するだけでとてつもない痛撃となり、破壊されれば再起不能、死亡する。
幻魔は、魔晶核だけを破壊された場合、その死骸は綺麗に残る。サイレンの死骸も、外傷はほとんどなく、首から喉を貫いた切り口と、巨大化した翼を破壊された跡だけしかない。それ以外の部分は綺麗に残っている。
そうして綺麗な状態で残った幻魔の死骸は、今後の研究等に役立つこともあるかもしれない。サイレン程度の幻魔は研究され尽くしている可能性もあるが。
「しっかし、よくもまあ戦えるよな、魔法不能者なのによ」
九十九真白は、舞台上に降り立つなり、幸多をまじまじと見つめた。幸多の格好は、導衣を身につけた導士とはまるで異なるものだ。見たこともない防具であり、サイレンを斃したのも、見たこともない武装だった。
通常兵器にしか見えないが、幻魔に通用したと言うことは、そうではないのだろう、と、真白は見ている。
一方、幸多は、サイレンを見つめながら、考え込んでいた。
サイレンは、まず間違いなく、アルカナプリズムのボーカルであるヒカルの死によって誕生した幻魔だ。
幻魔は、人間の死、それによって生み出される莫大な魔力を苗床として誕生する、といわれている。だからこそ、幻魔は人間を襲い、殺戮するのだ、とも。そうすることで幻魔という種を増やすためなのだ、と。
幻魔が人間を襲う理由には、そういう側面もないとは言い切れないのだろうが。
実際、幻魔の発生を幸多は目の当たりにした。
ヒカルが死に、莫大な魔力が光の柱となって聳え立った。そして、その光の到達点に、サイレンが生まれていた。
サイレンは、歌った。
まるで、ヒカルのように、七色の歌声を用いて、歌い続けた。
幻魔と人間に連続性はない、と、されている。幻魔は人間の生まれ変わりなどではないのだ、と、断言されている。幻魔が人間の記憶の一部を持っていることはあっても、人格や性質というものは、まったく異なるのだ、と。
サイレンとヒカルを結びつけて考えるのは、良くないことだ。
良くないことだが、考えてしまう。
ヒカルは、彼は、歌い続けていた。導士と幻魔の戦いの最中も、戦いが終わってからも、ずっと。
彼はただ、歌いたかったのだ。
歌い続けたかったのだ。
その想いが、幻魔サイレンにも引き継がれていたのだとすれば――などと、考え始めてしまい、幸多は、頭を振った。
突飛もない、馬鹿げた妄想に過ぎない。
そんな幸多の内心など知る由もない真白は、彼が手にした武器をまじまじと見つめながら、問うた。
「で、その装備はなんなんだ?」
「闘衣っていって……って、どこまで説明していいのか、わからないや」
「守秘義務って奴か」
「うーん、それもよくわかんない」
「なんだよ、そりゃ」
「まあまあ、なんでもいいじゃない。幻魔災害による被害者は一人も出なかったんだし」
九十九黒乃が、二人を執り成すようにいった。
幸多は、反論を口にしようとして、止めた。確かに、幻魔災害による被害者は一人もいなかった。ヒカルの死は、幻魔災害によるものではない。突発的な、発作的な、理由不明の死。それが原因となって幻魔災害が引き起こされたのだから、彼の死を被害に加えるのは、おかしなことだ。
そんなことを考えて、いまや彼の亡骸もなくなった舞台を見渡す。
サイレンの攻撃によって徹底的に破壊された舞台の上は、アルカナプリズムの復活祭を祝うべく、様々な飾り付けがされている。
特に象徴的なのは、全二十二の大アルカナを題材とする彫像だろう。
愚者、魔術師、女教皇、女帝、皇帝、教皇、恋人、戦車、力、隠者、運命の輪、正義、吊された男、死神、節制、悪魔――。
(悪魔……!)
幸多は、悪魔を題材にした禍々しい彫像まで見て、全身が強張るのを認めた。緊張と衝撃に意識を貫かれ、一瞬、頭の中が真っ白になる。
禍々しい悪魔の頭の上に足がかかっていた。灰色のブーツの爪先が揺れている。視線を上げれば、すらりと伸びた長い脚から細い腰へと至り、ゆったりとした衣を纏う胴体から首筋、頭部へと辿り着く。全体が灰色めいた男。その整った顔立ちも、伸び放題でぼさぼさの灰色の頭髪も、頭に乗った紅い丸眼鏡も、赤黒い双眸も、すべてに見覚えがあった。
「バアル!」
「やあ」
鬼級幻魔バアルは、久しくあった友人のような気さくさで、手を振って見せた。
警報が、いまさらのように鳴り響く。
『特別指定幻魔弐号の固有波形及び存在を確認! 繰り返します、特定幻魔弐号の固有波形及び存在を確認! 座標付近の導士は一刻も早く急行してください!』
悲鳴にも似た通信器からの情報官の声を聞きながら、幸多は、バアルが悪魔の像の上から飛び降りる様を見ていた。その身のこなしは軽々しく、しかし、一切の隙が見当たらない。どこにも入り込む余地がなかった。
バアルは、事も無げに言い放つ。
「今日は復活祭なんだろう? おれ様の復活も祝ってくれよ、塵未満の少年」
侮蔑に満ちたまなざしは幸多に向けたものだ。
舞台上にいた全ての導士がバアルを認識し、戦闘態勢を取ったが、バアルは、そんなことを一切気にしている様子がなかった。余裕に満ちている。
「復活?」
「そう、復活したのさ。おれ様は」
バアルは、幸多の疑問に応えるようにして、両腕を広げた。すると、その背中から二対四枚の透明な翅が生えてきて、頭上に黒い環が出現した。ひび割れた黒い環は、天使の輪っかのように見えなくもないが、歪で禍々しいため、バアルを天使と見ることはできなかった。
バアルは、告げる。
「おれ様の名は、バアル・ゼブル。暴食を司る、サタン様が第一の腹心なり」
そこへ、全方位、あらゆる角度から魔法が殺到した。バアルの口上になど聞く耳を持つ必要がないといわんばかりの魔法攻撃の数々は、現場にいた全導士の一斉攻撃によるものだった。
炎が、嵐が、氷塊が、稲妻が、虚空を駆け抜け、鬼級幻魔に襲いかかる。
バアルは、嗤う。
その全周囲に無数の赤黒い亀裂が走り、全てが口を開いた。
「魔素を喰らい、魔力を喰らい、魔法を喰らい、全てを喰らおう。我が意のままに」
虚空に生じた口が、数々の魔法を吸い込んでいく。炎の奔流も、研ぎ澄まされた氷塊も、渦巻く竜巻も、駆け抜ける稲妻も、なにもかもが空間の断裂に飲み込まれてしまった。
そして、口が閉じる。
「ごちそうさま。しかし、まずかったぞ」
バアル・ゼブルは、口元を拭うような仕草をして、嗤った。
「やはり喰らうならば、死者の魔力か」
バアル・ゼブルが観客席に目を向けたものだから、幸多は、即座に飛びかかった。手に剣はない。サイレンに止めを刺し、断末魔の絶叫に吹き飛ばされた際に手放してしまっている。
だが、問題はなかった。
「裂魔!」
召喚言語とともに転身機が作動し、閃光が生じた。閃光は幸多の右手に収斂し、一瞬にして一振りの太刀が出現する。分厚く青黒い刀身だけで幸多の身長を超える大太刀だ。
二十二式大太刀・裂魔。
幸多は、大太刀の柄を両手で握り締めると、バアル・ゼブルと名乗った幻魔の懐へと足を滑り込ませた。鬼級幻魔が、目を見開く。
「疾い、が」
バアル・ゼブルの赤黒い両目が鈍く輝き、幸多が全力で振り抜いた大太刀の進路上に亀裂が生じた。亀裂は一瞬にして広がり、大太刀を真っ二つに打ち砕いてしまう。
が、幸多は、止まらない。元より長大すぎるのが利点であり、欠点でもあるのが、二十二式大太刀なのだ。幸多は、刀身の折れた裂魔を切り返すなり、バアル・ゼブルの左脇腹から右肩に向かって切り上げた。
斬撃が、奔る。