第百六十四話 アルカナプリズム(一)
「ったく、なんたっておれらがこんな目に遭わなきゃなんねえんだっつの」
兄が不機嫌極まりない声を上げたのは、今日だけで何度目なのか、と、九十九黒乃は考える。同じようなことを十回以上はいっているのではないか。それくらい、兄は不機嫌だった。
そんな声を聞かされるほうの身にもなって欲しい、などとは、黒乃からは口が裂けても言えないのだが。
だからといって、黒乃の態度で気づいてくれるわけもなく、彼の兄・九十九真白は、不満に歪んだ顔で現場を見渡していた。
「ただのライブだろが。なんでまた導士が警備につく必要があるんだ?」
「それはさんざん説明されたでしょ。どんな場所にだって幻魔災害は発生する可能性があるんだって。だから」
だから、大人数の市民が押し寄せるような場所には、先んじて導士を配置しておくべきだ、というのが、戦団の考えだった。そうしておけば、幻魔災害や魔法犯罪といった問題が発生した場合、即座に対応できる。仮に配置しておいた導士で対応しきれなくとも、付近の導士が救援に来るまでの時間稼ぎにはなるだろう。
問題が起きなければ、なお良し。
幻魔災害にせよ、魔法犯罪にせよ、市民の安全を脅かすような問題など、起きないほうがいいのだ。
黒乃は、夏の日差しの中、漆黒の導衣を身につけ、陽光を全身に浴びている真白が、真っ白な髪を振り乱すようにしてこちらに顔を向けてくるのを見て、目を細めた。
「だからって、なんでおれらなんだよ」
「それは……」
「それは?」
「兄さんが……悪い……かな……」
真白に睨み据えられて、黒乃は、しどろもどろになりながらも、常日頃から思っていることをいった。
黒乃と真白は、第八軍団に配属された導士だ。階級は互いに灯光級三位。小隊には、所属していない。
一時期はハイパーソニック小隊の一員として任務についていたが、真白と隊員たちの折り合いが悪くなった挙げ句、隊を追い出されてしまった。
それから軍団長・天空地明日良の指示によって別の小隊に組み込まれたが、そこでも真白の態度の悪さが問題になり、結局、長続きはしなかった。次の小隊でもだ。
そもそも、ハイパーソニック小隊に入ったのだって、その前の小隊を追い出されたからだ。
小隊に入っては問題を起こして追い出される九十九兄弟に対し、さすがの天空地明日良もほとほと困り果てたような顔をしていて、どう扱えばいいものかと考え倦ねている様子だった。
別の軍団に移籍するのはどうか、と、真剣な顔で二人に聞いてきたものだ。第八軍団の気風が九十九兄弟に合っていないのではないか、と、明日良は考えたようだった。
黒乃の考えでは、それは間違いだ。
単純に、真白が我が儘なだけであって、第八軍団の気風が合わないとか、所属する導士と折り合いがつかないとか、そういうことではないのだ、と、黒乃は思っている。
真白は、移籍先の軍団が思いつくまでは第八軍団にいさせて欲しいといい、明日良もそれを許可した。
そうした矢先、このライブ会場警護任務が回ってきたのだが、それが真白には不満で仕方がないらしい。
真白は、一刻も早く戦果を上げ、成果を上げて、昇級したい、と、考えているのだ。にも関わらず、ライブコンサート会場の警備などという愚にもつかない任務では、昇級などできるものだろうか、と、彼は思うのだ。
確かに、アルカナプリズムは巷では人気だ。大人気、いや、超人気といっていい。央都市民で知らない人がいないくらいの人気ぶりは、この復活記念ライブツアーの開催が発表されてからというもの、加熱の一途を辿っている。
アルカナプリズムの時代、再び――そんな煽り文句が罷り通るくらいの熱狂が、央都四市を包み込んでいた。
それだけの人気ロックバンドが、約二年ぶりのライブコンサートを行うとなれば、央都市民が集いに集い、凄まじいことになるのは誰の目にも明らかだ。
音楽に詳しくない黒乃にすら理解できている。
黒乃よりは詳しい真白には、央都の音楽史の新たな時代の始まりを告げる出来事になるのではないか、という世間の声が届いていたし、それだけの騒ぎになっていることもわかっていた。
とはいえ、だ。
なんらかの会場を警備する任務というのは、概ねつまらないものだ。
対抗戦決勝大会の会場警備も、九十九兄弟二人して駆り出されていたが、あまり面白くはなかった。なぜならば、警備に集中しなければならない以上、対抗戦の熱闘に意識を持って行かれるわけにはいかなかったからだ。目の前で熱い戦いが繰り広げられているというのに、会場の警備に集中することの難しさ、辛さたるや、当人にしかわからないだろう。
この会場の警備も、同じだ。
少し違うことがあるとすれば、リハーサルの様子を覗き見ることができているくらいであり、アルカナプリズムのメンバーを遠目にも肉眼で見ることができているというのは、そうあることではないのかもしれない。
大社山頂野外音楽堂は、その名の通り、大社山の山頂に建造された大規模な施設である。野外音楽堂というだけあって、音楽関係に特化した施設となっており、広大な敷地内には、自然そのものが取り入れられている。
十数年前、央都政庁は、人口の増大に伴い、様々な文化を振興するための政策を次々と打ち出した。野外音楽堂が建造されたのも、そうした文化振興政策の一環であり、対抗戦決勝大会で使用される海上総合運動競技場もそうした一連の流れの中で誕生している。
野外音楽堂の主舞台は、極めて大きく、遠方からでもよく見える高さになっている。音楽、演奏者、歌手が主役ということもあり、主舞台そのものは質素な作りだった。
主舞台の前方には放射状に客席が並んでおり、総勢一万人の観客が収容可能だ。
央都の人口は、百万人といわれる。その百分の一がこの地に集うというのだから、物凄いこととしかいいようがない。
少なくとも、一介のロックバンドが集められるものではない。
それはつまり、それだけアルカナプリズムが人気だということであり、復活を待ち侘びていた人々が数多くいたということだ。
そして、だからこそ、戦団は、このライブ会場の警備に導士を送り込んだ。九十九兄弟だけではない。全部で十名の導士が即席の部隊を構築し、この野外音楽堂の警備についていた。交代制であり、二つの小隊が順番に警備に当たっている。
導士たちの警備は、一般的な警備とはまったく異なるものだ。
導士たちが注視するのは、魔法犯罪の兆候であり、幻魔災害の予兆だ。魔法犯罪者の取り締まりと、幻魔災害の殲滅、それこそが導士たちの役割であって、それ以外のことは本業の警備員たちに任せていれば良かった。
そういう意味では、多少は気楽なのだが。
主舞台でリハーサルを行っているロックバンドを遠目に見遣りながら、九十九真白は、本日何度目かのため息を吐いた。
空は、晴れ渡っている。
雲一つ見当たらない空模様は、夏の輝きをこれでもかと伝えるようだった。
本日最後のリハーサルを終えると、アルカナプリズムのメンバーは、控え室に戻り、一時の休息を取ることとした。
ライブコンサートの開始時刻は、午後一時だ。
午後一時から午後八時まで、七時間ぶっ通しの長時間ライブを行う予定だった。
二年ぶりの復活記念ライブだ。それくらいのことをしなければ、ファンへの感謝を示せないし、復活したのだと央都中に知らしめられない。
それは、アルカナプリズムのボーカルであり、リーダーでもあるヒカルの意向であり、強い意志によるものだった。
が。
「本当に、だいじょうぶなのか?」
ベーシストのアマネこと天峰修が声をかけたのは、控え室に戻ってくるなり、倒れ込むようにして長椅子を投げ出したヒカルの様子を見たからだ。
リハーサルは、長時間に及んだ。が、決して体力を浪費するようなものではなかったし、以前のヒカルならばなんの問題もなくこなせるようなものだった。
しかし、ヒカルはいま、長椅子に身を預け、肩で息をしていた。呼吸が荒く、全身に汗が滲んでいた。天使のような容貌が台無しになるくらいの疲労感が見て取れる。
「ああ、問題ないよ」
ヒカルこと、天野光は、その焦げ茶色の髪を撫でつけるようにしながら顔を上げると、息も絶え絶えになりながらも、ベーシストに目を向けた。その紫苑色の目が血走っている。
ぎょっとしたのは、ギタリストのフールフールだ。彼は本名を絹田リオンという。紫黒色の長髪を天高く逆立てているのが特徴的だ。
「リハーサル、問題なかっただろ」
ヒカルは、バンドメンバー三人を見回し、それからテーブルの上に置かれた飲み物を手に取った。復活記念ライブのリハーサルは、これまで何度となく行ってきている。そして、その全てを完璧にこなしてみせたのだ。
ヒカルは、汗を拭いながら、告げた。
「本番だってなんの問題もないさ」
そして彼は、足下の自分の鞄の中から小瓶を取り出した。蓋を開け、錠剤を手のひらにぶちまけると、口の中に放り込む。水で錠剤を押し流すようにして飲み込むと、ようやく一息つく。
「本当に、大丈夫なんだな?」
ドラムのエンプレスこと、光明寺志津香が念を押すように聞く。アルカナプリズム一の長身を誇る彼女は、青竹色の髪をツーブロックにし、剃り上げた部分にアルカナプリズムの紋章を刻んでいる。無数のアルカナだ複雑に絡み合った紋象である。
「大丈夫だよ、大丈夫。なにを心配することがあるんだ」
ヒカルは、譫言のようにいいながら、長椅子に横になる。それは彼のいつものやり方で、だから、バンドメンバーの誰もなにもいえなかった。
彼が口にした錠剤がなんなのかも、知っている。
今話題の昂霊丹だ。
ヒカルは、後天的な魔法不能障害を患った。二年前のことだ。一週間かそこらで治るものと、誰もが楽観視していた。後天的な魔法不能障害そのものは、よくあることだからだ。特に魔法を生業にしている人間とは切っても切れないものであり、一過性の流行病のようなものだ、と、誰もが思っていた。
が、ヒカルの症状は一向に改善しなかった。一ヶ月経ち、二ヶ月経っても、全く良くならなかったのだ。むしろ、悪化する一方であり、そんなヒカルの苦しみぶりを見てきたメンバーにとって、昂霊丹に光明を見出し、実際救われている彼の姿を見れば、なにも言えるわけがなかった。
事実、ヒカルは、魔法不能障害から回復し、魔法を使えるようになったのだ。
昂霊丹による不審死について知らないわけもなかったが、だからといって、彼の服用を止めることなど、できるわけがなかった。
翼をもがれた天使が、再び翼を得て、羽ばたこうとしている。
ヒカルは、二年も苦しみ続けた。その苦しみから解放され、ようやく空を飛べるようになったのだから、なにがいえるというのか。
バンドメンバーたちは顔を見合わせ、再びヒカルに視線を戻した。
ヒカルは、眠っている。
リハーサルを終えると、ライブの開始時刻直前まで眠るのが、彼のやり方だった。
彼の寝顔は、まるで天使のようだ、と、誰もが思った。
だからこそ、天使のような歌声を出せるのかも知れない。




