第百六十三話 魔法不能者と完全無能者(二)
一行を乗せた列車が大社駅に到着すると、幸多たちは、速やかに列車を降り、駅を出た。
大社駅は、出雲市大社町にある。
出雲市は、央都四市の中でもっとも北に位置する。央都の中心にして全ての中枢たる葦原市の北にあり、大社町、天神町、地祇町、神在町の四つの町から成り立っている。
大社町は、そんな四つの町からなる出雲市の中心に位置しており、大きな円を描くような区画となっている。そして、その北東に天神町、北西に神在町、南部に地祇町が位置している。
幸多は、友人たちとともに列車を降り、駅から出る間も、アルカナプリズムのボーカルについて考えていた。
友人たちに教えられた情報から察するに、アルカナプリズムは、魔法時代に適合したロックバンドだということがわかる。
魔法の発明と普及によって魔法時代の幕が開くと、ありとあらゆるものが魔法の影響を大きく受けることとなった。
魔法を使わない運動競技が廃れ、魔法競技ばかりが持て囃されるようになったのと同じように、音楽を始めとする様々な芸能にも魔法が用いられるようになっていった。
誰もが当たり前のように魔法を使う時代が到来したのだから、当然の結果だろう。
魔法と音楽は切り離せないものとなり、魔法を使わない音楽は音楽ではない、などという風潮まで現れる始末だった。
過去の名曲も、魔法音楽の前では錆び付いた時代遅れの存在と言われるようになってしまったのだ。
そして、魔法音楽が当たり前のものとなり、長い年月が過ぎた。
アルカナプリズムは、そうした魔法音楽の体現者として、四年前、鮮烈なデビューを飾った、という。デビュー曲〈ぼくは魔術師〉は爆発的なヒットを飛ばし、それ以来、アルカナプリズムの人気はうなぎ登り、央都の音楽史に名を残すだろうといわれるほどだった。
アルカナプリズムは、ボーカル、ギター、ベース、ドラムという四人編成のロックバンドであり、特にボーカルであるヒカルの歌声が評価され、人気を博しているという。実際、彼の歌声は、一度聞くとしばらく耳を離れないくらいに印象的であり、透明感と美しさを兼ね備えた素晴らしいものだった。
幸多も、移動中に圭悟たちに聞かされたヒカルの歌声を聞いた瞬間、二年前の活動休止まで何度となく聞いた覚えがあることを思い出した。それくらい印象的な、力強ささえもある歌声だった。
美声というだけではない。
七色の歌声とはよくいったもので、超低音から超高音まで自由自在に変化する声色を無限に操り、歌声そのものが楽曲の一部として完全に調和している様は、アルカナプリズムが一時代を築き上げるだろうと評されるだけのことはあった。
それだけに突然の活動休止宣言が、多くのファン、市民に衝撃を与えたことは、想像に難くない。
そしてその原因が、後天的な魔法不能障害だというのだから、その衝撃はさらに大きかったことだろう。
魔法不能障害は、先天的なものだけでなく、後天的に、魔法士にも発症する可能性があることは、古くから知られたことだ。そして、後天的な魔法不能障害の多くは、数日から一ヶ月程度で完治するということも、よく知られている。常識といっていい。
先天的、つまり生まれ持った魔法不能障害というのは、その人間の体質、特性によるものであることが多く、それ故、自然に治ることはない、といわれている。魔法不能障害にもいくつかの症状があり、その症状次第では、治る可能性もあるという話はある。
後天的な魔法不能障害は、患者が魔法を使いすぎたことが原因であることが大半であり、故に、完治する可能性は極めて高かった。魔法を使わず、心身を休めることに徹していれば、自然と回復するものなのだ、と。
しかし、アルカナプリズムのボーカル、ヒカルの後天的魔法不能障害は、一ヶ月の休養を経てもなお、治らなかった。
故に、アルカナプリズムは、ヒカルが回復するまで活動を休止すると宣言したのだ。
そして、今年三月、アルカナプリズムは、突如として活動再開を宣言、二年間待ち続けていたファンを大いに湧かせた。
そんな話を聞いて、幸多が理解したのは、自分が魔法不能者でありながら、魔法不能障害のことをよく理解していなかった、ということだ。そしてそれもまた当たり前の話なのだ、と、認識する。
幸多のそれは、一般的な魔法不能障害とはまったく異なるものだ。
完全無能者、と、幸多は診断された。それは歴史上他に類を見ない、唯一の症状だった。体内に魔素が存在せず、肉体が魔素を生産することもない。故にこそ、魔法不能者にして完全無能者なのだ。
だからこそ、幸多には、一般的な魔法不能者の苦悩が、ある一点においてまったく理解できないのだ。
魔法不能者の苦悩。
それは、魔素を内包しているが故の、魔素を生産し続けているが故の苦悩といっていい。
魔素とは、魔法を使うために必要な魔力の源である。魔力は、魔素を凝縮し、練り上げることによって誕生する。魔力がなければ魔法が使えないように、魔素がなければ魔力を練り上げることはできない。
つまり、幸多は、魔力を練成できないからこそ、魔法を使えないということだ。
そして、魔法不能障害の多くは、魔素を魔力に練成することができない、という症状である。体内の魔素を魔力へと練り上げようとすると体中に痛みが走ったり、練り上げた魔素が拡散してしまったり、そもそも体内の魔素に干渉することすらできないというような症状が、一般的な魔法不能障害だ。
幸多には、全く無縁の症状だった。
だから、幸多には、同じ魔法不能者の苦しみの全てを理解できる、とは断言できないのだ。
理解できるのは、魔法が使えないことに対する哀しみや苦しみ、痛みだけだ。
もっとも、それを言えば、魔法不能者も完全無能者の全てを理解できるとは言えないだろう。魔法不能者は、自分自身では魔法を使うことは出来ないが、魔法の恩恵を受けることは出来る。魔法による治療や回復は、完全無能者の幸多には無縁のものだった。
そんなことを考えながら、幸多は、駅前広場のバス停に並んだ。圭悟たちに倣ったのだ。
一行の目的地となるライブ会場は、大社山頂野外音楽堂であり、そこまでの道程は、バスに乗って移動するのだ。
飛行魔法で山頂まで飛んでいくという手もあるが、それではライブを満喫できないだろうという真っ当な意見によって却下された。
「腹減ってきた」
圭悟が腹を摩りながらいったのは、バスに乗ってすぐのことだ。
大社山頂直行バスに乗り込んだのは、幸多たちだけではなく、車両内はすぐに満員になった。並ぶのが遅れていれば、次のバスを待たなければならないくらいの人混みは、誰もがアルカナプリズムのライブを目当てにしていることは疑いようもない。
大社山頂には、野外音楽堂以外にも様々な施設があるものの、この時間帯、同じバスに乗る人達に目的があるとすれば、ライブ以外には考えられなかった。
「そろそろ十一時だもんねえ。向こうに着いたらお昼にしよっか」
「野外音楽堂周辺に飲食店なんてあるの?」
「あるし、なんなら屋台だって出てるんじゃないかな」
「屋台?」
「アルプリの復活祭だからね、まさにお祭り騒ぎなんだよ」
「なるほど」
幸多は、蘭の説明に大きく頷いた。
二年もの休止期間中、アルカナプリズムの熱心なファンは、それでも復活を信じ、応援し続けていたのだ。活動休止中だからといって、彼らの楽曲が世間から消え去ったわけではなかったし、ネット放送から流れない日はなかっただろう。
アルカナプリズムの楽曲は、ヒカルの歌声は、それほどまでに人々の心を捉えて放さなかったのだ。
ファンのみならず、多くの市民が復活の日を待ち侘びていた。
だからこそ、この復活記念ライブツアーは、入場券の販売開始と共に瞬時に完売するという事態になったのだが、それは誰もが予想していたことであり、驚嘆するような出来事ではなかった、という。
それだけの人気を誇るロックバンドの復活祭だ。蘭が言うように現地がお祭り騒ぎになっていたとしても、なんら不思議なことではない。
山頂へと向かうバスの中ですら、アルカナプリズムに関する話題で溢れていて、興奮と熱気に満ちていた。
幸多には想像もつかなかった事態だが、しかし、こういう雰囲気も悪くないとも想った。
バスは、つつがなく運行していく。大社駅前から大社山頂までの長い道程を、法定速度を遵守した安全運転で進んでいった。
幻魔災害に遭遇することも、魔法犯罪に出くわすこともなければ、なんの問題も起きなかった。
問題など起きるわけがない。
ただ、ロックバンドのライブコンサートに参加するだけなのだ。
どこに問題が起きる可能性があるというのか。
幸多は、窓の外を流れる大社山の景色を眺めながら、ただ、平穏な日常を感じていた。夏の日差しを浴びる緑は、この地上の現実を忘れさせるように美しく、爽やかだ。
周囲で交わされる友人たちの他愛のない会話が、心地よかった。
彼らと一緒にいる間は、導士ではないただの人間に戻っているような、そんな気分すらあった。




