第百六十二話 魔法不能者と完全無能者
「早いね、二人とも」
次に合流したのは、中島蘭である。彼も変わらぬ山吹色の髪色だが、いつになく派手な色合いの服装だった。ライブ会場に行くということで気合いを入れているようだった。
「圭悟に中島くん、皆代くん、おはよう! お待たせ!」
「皆様、おはようございます」
阿弥陀真弥と百合丘紗江子が連れ立って現れたのは、蘭が到着してすぐのことだった。
二人は法器で空を飛んできたようであり、広場内の降車場に降り立つと、真弥は真っ白なワンピースから健康的な素足を覗かせながら駆け寄ってきて、紗江子はそんな真弥を心配そうに見守っていた。紗江子は、おとなしめな灰色の上下に身を包んでいる。
幸多は、いつもの四人の元気そうな表情を見ることができて、それだけで胸が一杯という気分だった。今日はもうこれだけで満足できそうなほどだ。
そこからさらに、一気に四人が合流した。
「元気そうでなによりだよ、皆代幸多」
と、開口一番にいってきたのは、黒木法子だ。艶やかな黒髪を風に靡かせるように颯爽と現れた彼女は、幸多を見つけるなり、紅い瞳を輝かせた。相も変わらぬ黒ずくめは、夏の日差しなど気にも留めていないようであり、実際、どうでもいいことなのだろう。彼女は生粋の魔法士であり、冷却魔法などお手の物だ。
そして、法子とともに歩み寄ってきた我孫子雷智は、といえば、胸の谷間を大きく主張するような服装であり、その姿態のしなやかさがはっきりと見て取れるようだった。
それはいいのだが、雷智は、幸多たちに歩み寄ってくるなり、幸多をおもむろに抱きしめたのだ。
「本当、心配してたのよう、法子ちゃんもわたしもね」
「だからってなんで抱きつくんですか!?」
幸多は抗おうとしたが、雷智がその細腕からは考えられないほどの力で抱きしめてきていることもあって、逃れるにも逃れられず、豊かな胸の中に顔面が沈むのを止められなかった。
「ええ、男の子ってこういうので元気になるんじゃないのぉ? 法子ちゃんから聞いたんだけどぉ」
「まあ、それで喜ぶのは男に限った話じゃないが、なあ?」
「え、あ、はい、そうですね」
法子に同意を求められると、紗江子は躊躇った挙げ句同意するとともに幸多に羨望のまなざしを送った。そんな表情をしたのは、なにも紗江子だけではない。
「いきなり羨ましい野郎だな、おい」
「まあ、あれなら元気になるだろ、色んな意味で」
などと、雷智と幸多の騒動を見守るのは、魚住亨梧と北浜怜治だ。二人は、今回の蘭から呼びかけに対し、当初は参加を渋っていたのだが、幸多のことを考えれば考えるほど、参加する以外に道はないという結論に至った。
青春の一夏を共にした仲間であり、なにより、二人にとっては対抗戦に本気になることができた最大の要因が幸多の存在だったのだ。そんな幸多のことを想う蘭の気持ちには応えなければならない、と、二人は考え、参加する運びとなったのだった。
亨梧は、派手ながらのシャツにハーフパンツという出で立ちで、怜治は白系統の衣服を着込んでいる。
やがて、雷智は満足げに幸多を解放した。
「……ふう」
幸多は、ようやく雷智の抱擁から解き放たれたことで、安堵の息を吐いた。いきなりのことで動転した上、雷智を強引に引き剥がすというのも気が引けることもあって、彼女から解放してくれるのを待つしかなかったのだ。その結果、たっぷりと雷智の胸の柔らかさを浴びることになったのだが、その間、幸多はほぼ思考停止状態だったこともあって、そのことに興奮したりだとかいうことはなかった。
そんな幸多に声をかけたのは、圭吾だ。
「良かったな、皆代」
「なにが!?」
「元気になれただろ?」
「どうかな!?」
幸多は、圭悟の他人事ぶりに頓狂な声を上げたが、友人たちはそんな幸多の反応を見て、すっかり安心したようだった。
今までとなんら変わりのない幸多と圭悟のやり取りがそこにあったからだ。
幸多が心配だったからこそ、皆、集まっている。この数ヶ月、天燎高校対抗戦部としてともに戦ってきた一同が勢揃いしたのも、そのためだ。
さすがに対抗戦部顧問の小沢星奈の姿はなかったが。
彼女は教師だ。学生たちの遊びに付き合わせるわけにもいかない。
幸多は、待ち合わせ場所に集まった全員の顔を一人一人見回した。皆、元気そうだという、それだけのことで感無量になる。
「こうして勢揃いするのも随分と久しぶりだね」
「決勝大会以来っていってもいいぐらいだもんな」
「厳密には学校での報告会以来、だけどね」
「細かいことはいーんだよ」
「そうだね」
圭悟のうざったそうな反応を受けて、蘭がくすくすと笑う。
そんな二人のやり取りを見るのも、随分と久しぶりのように想ってしまうのは、幸多にとってここ数日が激動の日々といっても過言ではなかったからだろう。密度の濃い数日だった。色々なことが起きすぎて頭が破裂しそうなほどだった。
だからこそ、休養も重要なのだ、と再確認する。
「で、この人数のライブチケットなんて、どうやって入手したんだ? 復活記念ツアーだろ、アルプリの」
当然の疑問を口にしたのは、亨梧だ。蘭に注目が集まる。
「そうよ。競争率、凄かったって話だけど」
「頑張ったんだよ!」
蘭が胸を張って、断言する。
今回、幸多たち一行が向かうのは、人気ロックバンド・アルカナプリズムの復活記念ライブだ。央都四市を股にかけて行われるライブツアーの一公演だが、アルカナプリズムのライブ自体が二年ぶりということもあり、どの会場の入場券もあっという間に売り切れたといわれている。
それだけアルカナプリズムが人気であり、復活が熱望されていた、ということでもあるのだろうが、だからこそ、この人数の入場券をどうやって入手したのかは気になるところだ。
圭悟が幸多を気晴らしにどこかに連れて行こうと言い出したのは、つい先日のことだ。そのころにはとっくに入場券は完売しており、当日券などもなかったのだ。
それなのに、蘭は対抗戦部全員分の入場券を確保してしまった。
どういう方法を取ったのか、この場にいる誰にも皆目見当もつかない。
法子が怪訝な顔をする。
「頑張ってなんとかなるものなのか?」
「そんなことないと想うけど……」
「まあ、いい。さすがは中島蘭と褒め置こう」
「お褒めに与り光栄です! 先輩!」
「いや、まじですげえよ、中島」
「褒めすぎだよ、皆」
「いや、褒めたりねえ、もっと褒めさせろ」
「やめてよ、気持ち悪い」
「なんでおれが褒めると気持ち悪いんだよ!」
「米田くんだからでしょ!」
圭悟と蘭が言い合いをする中、真弥が携帯端末の時刻を見た。
時刻は午前十時を回っている。
地下鉄の時刻表と見比べれば、そろそろ駅に降りなければならない頃合いだった。
今回のライブは、昼過ぎから夜にかけて行われるものであり、そのために待ち合わせがこのような時間になったのだ。
真弥が音頭を取って、一行を央都地下鉄道網桜台駅へと向かわせた。
向かう先は、出雲市大社町にある大社駅である。
然程時間はかからないが、そこからさらに移動しなければならないため、出来る限り早く列車に乗りたかった。
出雲市行きの列車は、混んでいた。
休日と言うこともあるだろうが、同乗した人々の話題から、同じくアルカナプリズムのライブに向かっている人も少なくないらしいということがわかる。そうした人達の気合も熱量も強烈だったし、格好からしてほかの目的の人々と大違いだった。
「アルカナプリズムのこと、あんまり詳しく知らないんだけど、大丈夫かな」
幸多は、三人掛けの座席の窓際に腰掛けるなり、誰とはなしに問いかけた。
これから参加するライブで知っている楽曲の一つでもあればいいのだが、ないかもしれないという不安が、今更になって沸き上がってきたのだ。
これまでは圭悟たちに会えることへの嬉しさが勝っていて、そんなことを考えている余裕がなかった。そして、圭悟たちの元気そうな顔を見たことで一安心したがため、アルカナプリズムについて考えなければならなくなったのだ。
圭悟が幸多の隣に腰を下ろしながら、愕然とした声を上げる。
「まじかよ?」
「皆代くん、本気で言ってるの?」
「わたくしたちの世代なら直撃だと想うのですが」
真弥と紗江子が幸多たちの対面の席に座って、困ったような顔をした。
「確かに、直撃だが、わたしは興味なかったな」
「法子ちゃんは、ブラナイだもんね」
幸多たちの背後の席から顔を覗かせた法子と雷智が、そんなことをいってくる。
「ブラナイ?」
「ブラナイっていや、ブラックナイトだろ。知らねえか」
「うん」
「音楽に疎いんだ?」
「うん」
幸多は、蘭の質問を頷いて肯定すると、車窓の外に目を向けた。央都四市の地下を巡る鉄道網だ。窓の外を見たところで、なにか気を引くような風景があるわけでもない。代わり映えのしない地下鉄道の景色だけが過ぎ去っていく。
「訓練以外のことに興味を持てなかったからなあ」
「なるほどなあ。それならあれだけ強くても納得できるかも」
「確かに」
「まあでも、アルプリのことを詳しく知らなくても、きっと聞いたことのある曲の一つや二つはあると思うよ。今回の復活記念ライブツアーは、新曲よりも旧曲のほうが多いらしいし」
「アルプリの曲を聞かない日なんてなかったもんな、二年前まではさ」
「……どうして、活動休止していたの?」
「それも知らねえのか」
「うん、ごめん」
「いや、謝られても困るんだが」
圭悟が軽口を真面目に返されて困惑する中、彼の隣に座っている蘭が説明を始めた。
「……ボーカルのヒカルが、突然、後天的な魔法不能障害を患ったんだよ」
「それ、聞いたことあるかも」
「そりゃ、あるだろうよ」
「超有名だもんね」
「あの頃、央都中を騒がせましたし」
「後天的なものだからすぐに治ると誰もが信じていたし、きっと、ヒカル自身も数日、長くても一ヶ月もすれば治ると想っていたんじゃないかな。でも、治らなかった。それどころか、症状は悪化する一方だったそうだよ」
「……ぼくには、わからないことだけれど、魔法不能障害の症状の悪化って、どういう感じのことをいうの?」
幸多が疑問を口にすると、その場にいた全員の視線が集まった。
しばらくして、法子が一人納得したように、口を開いた。
「そうか、きみは、完全無能者だから、普通の魔法不能者の苦しみが理解できないのか」
魔法不能者と完全無能者、それは同じようでまるで違う、似て非なる存在。