第百六十話 あるいはありふれた日常について
その日、幸多は、普段よりも早く起きた。
寝坊してはいけないと早く寝たおかげで起きることができたのだが、目覚めると、統魔の姿はなかった。いつもなら隣で寝ているというのに、だ。
が、別段、おかしなことではない。
そもそも、幸多の寝台に統魔が潜り込んでくるほうがどうかしているといっていい。
携帯端末は、午前五時を示していた。普段の統魔ならば寝入っている時間だし、それは幸多も同じだ。
五時は、早朝も早朝だった。
部屋を抜け出し、対面にある統魔の部屋を覗き込んだが、統魔の姿はなかった。そこで、はたと思い出す。
そういえば、統魔率いる皆代小隊は、昨日、深夜勤だったのだ。真夜中から早朝にかけての任務である。五時ということは、もう任務も終えて、そろそろ帰ってくるか、戦団本部で仮眠しているかのどちらかだろう。
幸多が心配することは、ない。まさか、統魔や皆代小隊の面々が壊滅するような憂き目に遭っているなどとは、想像もしなかった。統魔の実力もさることながら、隊員たちの能力も高いことはよく知られた話だ。余程のことでもない限り、皆代小隊が崩壊することなどありえなかった。
だから、というわけではないが、幸多は出かける準備をした。
昨日、圭悟からの伝言があった。
多目的携帯端末に搭載されたコミュニケーションアプリ・ヒトコトに残された伝言は、明後日――つまり、明日だ――時間が空いているのなら、遊びに行かないか、という文言だった。
それを見た幸多は、美由理に相談したところ、その前日である七月六日土曜日は、先の巡回任務中に戦死した成井小隊の四人の合同葬が行われるという話を聞かされた。
幸多は、合同葬に参列しないわけにはいかないと思った。
合同葬は、葦原市内にある戦団の施設で行われることになっている。
合同葬が行われるのは、複数名の導士が近い時期に戦死した場合だけだ。通常、死亡した導士の遺体は、手厚く修復された後、各人の家族に引き渡され、葬儀なども任される。
戦死者が一人出る度に戦団が葬儀を行うというのであれば、毎日のように葬儀を行わなければならなくなる。そしてそのたびに数多くの導士が参列するというのは、あまりにも無駄が過ぎる。
戦団にとって、死は、日常だ。
いつでもどこでも誰にだって、起こりうることである。
今回、合同葬が行われることとなったのは、巡回任務中に四人も戦死したからにほかならない。もし一人二人程度の戦死者ならば、合同葬にはならなかっただろう。
合同葬に参加するかどうかは各人の判断に任されている。誰も絶対に参加しなければならないわけではないし、強制できるわけもない。導士の大半は任務に出なければならないし、休日の導士たちにも葬儀に出るようにと命令するわけにはいかなかった。
第七軍団の導士のうち、非番の何名かは参列するだろうが、全員とは行くまい。
幸多が喪服代わりに戦団の制服を身につけて家を出たのは、午前八時のことだった。
成井小隊四名の合同葬が行われたのは、戦団が管理する大葬儀場でのことだった。
その日、生憎の天気だったが、雨は降らなかった。
曇り空。鉛色の雲が幾重にも折り重なって空を覆い、太陽を隠していた。夏だというのに妙に寒く感じたのは、日の光がないせいだろう。風は弱く、穏やかだった。
大葬儀場には、成井小隊と関わりの深い第七軍団の導士たちや、その家族が集まっていた。
古大内美奈子も、一般人として参列しており、幸多が導士として参列しているのを発見した彼女は、思わず声をかけた。
幸多は、古大内美奈子と少しばかり言葉を交わした。古大内美奈子にとって成井小隊は大切な居場所だったのだろう。彼女は、成井英太やほかの隊員たちのことを噛みしめるようにして、語った。
幸多は、ただ、聞いていることしかできなかった。
幸多は、成井小隊の面々を深く知らない。臨時隊員として巡回任務に参加しただけであり、ひととなりを知る前に、死に別れてしまった。
一瞬だった。
一瞬で、彼らの命は失われ、二度と戻ってくることがなくなった。その瞬間、直後こそ、何処か他人事めいた、現実感のない出来事だったが、今ならば全てが絶対の現実だと理解できる。
絶対的な現実。
覆すことの出来ない、戻ることのない過去。
成井英太ら四人の導士は、戦死した。
命は失われ、永遠に回帰することはない。
葬儀が執り行われる間、幸多は、そのことと特別指定幻魔弐号こと鬼級幻魔バアルのことを考え続けていた。
バアルと名乗る灰色の幻魔は、この手で斃したい――などと思うのは、身の程を知らない傲慢な考えではあるのだが、しかし。
幸多は、葬儀の最中、四人の導士に心の中で感謝を伝え、別れを告げた。
合同葬は、終わった。
それから気分転換、などという精神状態ではなかったが、幸多と同じく参列していた導士たちは、葬儀を終えた時点で切り替えるようにして、次の任務や日常に関することを話題にしていた。
ああ、そういうものなのか、と、幸多は想った。
これが、戦団の日常なのだろう。
特に幻魔と直接戦うことになる戦闘部の導士には、常に死が付き纏う。それは大それた戦いの末の結果ではなく、日常的に起こり得る出来事に過ぎない。今日も何処かで誰かが死んでいる可能性があったし、その可能性は必ずしも低くはない。
鬼級幻魔だから殺されたというわけではない。
妖級幻魔にだって殺されるし、獣級幻魔にだって殺される。
最下級の霊級幻魔すら、導士を殺し得る。
幻魔とは、人類の天敵であり、死そのものだ。
余程訓練をしていても、どれだけ戦場を潜り抜けていても、ふとした瞬間、あるいは拍子に、それは牙を剥く。容易く導士の命を奪い、絶対的な死を突きつける。
皆、慣れている。
導士が死ぬことに。
仲間が、同僚が、同志が、ある日突然命を落とすことに。その死を弔うことにすら、慣れている。
慣れていく。
慣れていかなければ、ならない。
でなければ、このような仕事を続けられるわけもない。
こうした日常に慣れることができない、正気を保つことができないものたちは、辞めていくしかない。
古大内美奈子のように。
幸多は、辞めない。
初任務で鬼級幻魔と遭遇し、危うく殺されかけたが、だからといって、辞めるわけにはいかなかった。そんなことで、と、幸多は想う。
そんなことで、辞めるわけにはいかないのだ。
幸多は、その後、一度家に帰って気分を落ち着けてから、戦団本部に足を向けた。
総合訓練所への道のりには先程の合同葬に参列していた導士たちの姿もあったが、幸多が向かったのは、総合訓練所ではなかった。
技術局棟第四開発室に足を踏み入れた幸多は、伊佐那義流に案内されるまま、地下の研究所に向かった。
幻創調整機・夢幻を用いた訓練に勤しむためだった。
現状、総合訓練所の幻創機・神影には、F型兵装の情報が実装されていないからだ。もし神影に実装されているのであれば総合訓練所に直行したのだが、そうではない以上、多少面倒でも地下に降りるしかない。
「その点に関しては繊細な問題だからねえ。まず、夢幻と使った訓練は、きみとF型兵装の調整を完璧なものにするために必要なことだという前提がある」
地下への道中、伊佐那義流が申し訳なさそうな顔をして、説明した。彼としても、一々地下に降りなければならない現在の状況を好ましく思っていないようだった。
「神影にF型兵装を実装することは簡単だが、しかし、それでは詳細な情報を取ることが出来ないんだよね。困ったことにさ」
義流は、幸多を真第四開発室に案内すると、幻創調整機・夢幻の準備を進めた。
幸多は、一見すると金属の棺のような機械の中に入り込み、寝転んだ。すると、全身が器具によって固定される。全身、ありとあらゆる箇所が締め付けられるようだった。
蓋が閉じ、神経接続が行われると、幸多の意識は幻想空間へと転移した。
無数の立方体で構成された幻想空間の真っ只中に降り立った幸多は、闘衣を身につけていることを理解するなり、起動言語を発した。
「斬魔」
二十二式両刃剣・斬魔に紐付けられたその言葉を発すると、F型転身機が光を発し、幸多の右手に収斂して一本の剣を具現した。
幸多の前方では立方体が集合し、獣級幻魔ガルムとフェンリルが複数体、形になろうとしているところだった。
幸多は、吼え、地を蹴った。
考えるのは、今じゃなくていい。