第百四十四話 神木神威(二)
幸多は、ただひたすらに走っていた。
夜風を切るようにして、未来河の河川敷を南から北へ、北から南へ、繰り返し走り続けている。
鬼級幻魔バアルの現出によって、初任務を最悪の形で終えることになってしまった幸多は、多少なりとも心に傷を負った。
幸多と同じく幸運にも生き残ることのできた成井小隊の古大内美奈子は、戦団に退職届を受理され、戦団本部を去って行った。去り際、幸多と少しでも言葉を交わすことが出来て良かった、と、彼女は精一杯の笑顔を浮かべていたものだが。
戦団の医務局は、幻魔との戦闘等で心に傷を負った導士を立ち直らせるべく、精神医療にも重きを置いている。美奈子も、精神医療を受け、そのおかげでようやく立ち直ることができた、といっていた。
しかし、それでも戦団に留まるという選択肢は、彼女にはなかった。
目の前で小隊の仲間たちを惨殺されていったのだ。心が折れないはずはなかった。
まだ知り合って間もない幸多ですら、受け入れがたい光景だった。
脳裏に思い浮かべるだけで拒絶反応が出て、動悸がした。
誰一人として為す術もなく、一方的な力で蹂躙され、殺されていく光景というのは、絶望としかいいようのないものだった。
幸多が生き残れたのは、幸運以外の何者でもない。
幸多も、成井小隊の面々とともに殺されていたとしても、なんらおかしくなかったのだ。
それなのに、生きている。
生き残ってしまったが故に、葛藤がある。
どうして、自分は生き残っているのか。なぜ、ほかの誰かではなかったのか。自分以外の誰かを生かすことはできなかったのか。守れなかったのか。
古大内美奈子一人でも助けられただけでも十分すぎる、と、幸多を評価する声も少なくなかった。魔法不能者の身の上で、それだけできれば十分だと、彼らはいう。
魔法不能者なのだから、と、口を揃えて評価するのだ。
そんな評価を喜んでいいわけがない、と、幸多は想うのだが、しかし、そうとしか評しようがないのもまた、事実なのだろう。
幸多の評価には、前提として魔法不能者であることが考慮される。されざるを得ない。魔法不能者だということが戦団内、戦闘部内で絶対的に不利な身体的特徴だからだ。
魔法不能者にしては、良くやっている。
魔法不能者にしては、上出来だ。
魔法不能者ならば、出来なくても仕方がない。
魔法不能者なのだから、それで十分だ。
それが、自分を評するための言葉なのだ、と、幸多は、いままさに実感しているところだった。
魔法不能者なのだから、あの惨状を生き残れただけで評価に値する――そんな声は、聞きたくもなかった。
生き残ってしまったからには、責任を感じる。
魔法士であり、小隊長にまで上り詰めていた成井英太にせよ、成井小隊の隊員たちにせよ、幸多よりはよほど戦闘部導士としての実績があり、未来があり、希望があったはずだ。
幸多にはないものを持っていたはずだ。
それなのに彼らは死に、幸多は生き残った。
幸多が他人の死に鈍感ならばここまで思い詰めることはなかっただろうし、あの後、草薙真に誘われ、日が暮れるまで幻想訓練に費やすこともなかったかもしれない。
草薙真は、同期五人で話し合ったときの幸多の様子を見て、不安に感じたようだった。幸多をこのまま一人にしていいものかどうか、と、考え抜いた末、幸多を訓練に誘ってくれたのだ。
幻想訓練で汗を流せば、少しは前向きになれるのではないか、というのが真の考えだった。実に彼らしい結論だったが、幸多は、そういう彼の考えが嫌いではなかった。
実際、真との数時間に渡る訓練は、決して無駄なものではなかった。
常に真と一対一の訓練をしたわけではない。
総合訓練所の幻創機を用いた訓練には、いくつかの機能や項目がある。それらを設定することで、様々な状況を想定した訓練を行うことができるのだが、当然ながら一人用の訓練もあるし、幻魔との戦闘を想定した訓練を行うことも出来た。
幻想訓練は、幻想空間上で行う訓練である。戦団がこれまで蓄積してきた膨大な情報を元に再現した幻魔の幻想体と戦うこともできるのだ。
幸多は、真との訓練の中で様々な幻魔の幻想体と戦った。
ケットシーやカーシー、ガルムのような獣級下位に類別される幻魔は、これまで戦ったこともあって、余裕を持って斃すことができた。しかし、獣級上位となると途端に厳しくなった。
さらに妖級になれば、下位ですら、幸多には勝てる見込みがなかった。
真と協力すれば余裕を持って勝てるのだが、それは要するに真の魔法が強力無比だということにほかならなかった。
戦争速度には、ついていける。
それだけは、確信できた。
導士と幻魔の戦いは、高速戦闘になる。導士は、飛行魔法や移動魔法で戦場を縦横無尽に移動することにより、幻魔の苛烈な攻撃から逃れつつ、攻撃を畳みかける。幻魔もまた、持ち前の身体能力と魔法を用いた高速移動を行う。
両者がぶつかり合うと言うことは、高速戦闘になるということだ。
幸多の目も体も、妖級以上の幻魔の高速戦闘についていくことは出来ていた。攻撃は一切通らないし、攻撃しても反動で痛撃を喰らうだけだったが、その速度には対応できていた。
イフリートやジンの高速移動からの広範囲に及ぶ攻撃を回避することもできた。
「基礎は出来ている」
とは、真の幸多評だ。
妖級幻魔との戦いの基礎が出来ているが、決定打に欠けている、ということだ。
決定打。
魔法士ならば、魔法がある。魔法は、紛れもなく決定打になる。圧倒的な力を持つ幻魔との戦いにおいて、人間に勝利をもたらす決定的な力だ。
しかし、魔法不能者たる幸多には、そんなものはない。
では、どうやって戦うというのか。
「仲間に頼れば良い」
幸多の煩悶に対する真の回答は、単純だった。そしてそのお手本を、幻想訓練を通して彼なりに見せたつもりだったようだ。
幻魔の幻想体を用いた訓練では、幸多は、真との連携によって幻魔を撃破した。妖級下位の幻魔も、真と力を合わせれば、斃すことができたのだ。真が魔晶核を突破し、幸多が魔晶核を破壊するという連携によって、イフリートもジンも打ち倒すことができた。
それは紛れもない事実だ。
彼は、いった。
「人間、一人に出来ることなどたかが知れている。おれは、それをきみに教わり、思い知った。閃球でも、幻闘でも、そうだ。きみは、仲間の力を信じ、仲間に委ねたはずだ」
「そうか……そうだね。その通りだよ」
そのときは、幸多は、真の言葉を理解し、納得したものだったが、訓練を終え、今に至る間に様々に考えを巡らせた結果、それだけではどうにもならない現実と対峙しなければならないことに思い至ったのだ。
確かに、導士は一人ではない。
戦闘部の導士が一人で行動するということは、基本的にはないのだ。どんな任務であれ、一人で行かなければならないということはなく、大抵は小隊単位で行動する。
小隊で協力すれば、幸多も幻魔を相手に戦えるのは間違いない。たとえ小隊員が草薙真ほどの魔法士でなくとも、魔法で援護してくれるのであれば、幸多にも幻魔を斃すことができることは疑いようがない。
しかし、だ。
誰が好き好んで魔法不能者を小隊に組み入れたがるというのか、と、想うのだ。
幸多が小隊長として編成を考えた場合であっても、小隊に組み込みたいのは、魔法による援護が必要な魔法不能者よりも、魔法で攻撃や防御に参加できる魔法士のほうだ。
魔法不能者などという足手纏いは、必要がない。
(足手纏い)
幸多は、拳を握り締め、速度を上げようとした。
そのとき、不意に視界に降ってきた影を目の当たりにして、ぎょっと足を止めた。
目の前に夜の闇が落ちてきたような錯覚がしたのは、幸多の進路上に降り立った人物が頭の天辺から足の爪先まで黒一色だったからだ。
幸多は、その隻眼の人物に当然見覚えがあった。
「総長!?」
幸多が想いも寄らぬ事態に声を上擦らせると、神木神威は、不敵に笑った。