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第百四十三話 神木神威(一)

「昨日、七月三日十五時二十五分頃、葦原市あしはらし西稲区せいとうく石掘町いしほりちょうに現出した鬼級幻魔おにきゅうげんまバアルは、特別指定幻魔弐号(にごう)と認定された。ノルンがそのように提案し、戦団上層部がその提案を支持した結果だ」

 暗黒空間に浮かぶ仮面が、現状を報告する。

「ノルンは、バアルが、五十二年前、つまり、地上奪還作戦によってリリスが打倒された際、この地に出現したと断定している。バアルの固有波形と同じ固有波形が、リリスのからが崩壊する直前に観測されていたことが確認されたのだ。以来、バアルは、この央都おうとの何処かに異空間のようなものを形成し、潜み続けていたということになる」

「しかし、この五十二年、同じ固有波形が観測された形跡がない」

 固有波形とは、魔素まそが持つ固有の波形のことだ。そしてそれは、人間を含む全ての生物に個体差があった。幻魔も例外ではない。しかし、その個体差は極めて小さなものであり、普通の人間には判別できないものでもあった。

 余程注意深く観察したとしても、人間の目では判別しようがなかった。

 そもそも、魔素を肉眼で確認できるものなど、極一部の例外を除いて存在しないのだが。

「だから、ノルンも、我々も、その固有波形の存在を見逃していたのだ」

 もし、同じ固有波形が度々観測されるようであれば、警戒を強め、対策を練り上げたことだろう。が、現実は、そうはならなかった。

 無論、戦団の警戒が緩んでいたわけでも、平和ボケしていたわけでもない。むしろ、ここ十年で頻発するようになった幻魔災害のおかげで、戦団は幻魔に対する警戒を強める一方だった。戦力を増強し、装備を調え、防衛体制を強力なものにしてきている。

 だが、鬼級幻魔バアルの出現は、そうした戦団の努力を嘲笑うかのようであった。

 実際、バアルは、戦団の戦力を嘲り笑うかのようにその圧倒的な力を誇示するだけ誇示して、姿を消した。

 戦団は、その対応に追われざるを得なくなった。

 故に、護法院ごほういんも緊急会議を開いている。

 戦団上層部と護法院は、必ずしも同義ではない。

 戦団上層部とは、戦団を構成する各部局の局長と総長、副総長を加えた面々の総称といっていい。戦団上層部は、表向きの戦団の最高権力であり、最高意志決定機関である。

 一方、護法院は、戦団草創期から主要人員として活躍してきた数名の導士どうしからなる、ある目的のためだけに結成された機構といっていい。戦団の最高意思決定機関としての側面を持ちながら、その権能を発揮することばかりではないのだ。

「特定弐号か。困ったことになったものだ。これでは、うかうかと戦力を割くことも出来ないな」

 雀面が嘆息をもらす。

「人類復興の夢がまた一つ、遠のいた」

 ようやく央都四市の防衛体制が整い、安定し始めたところだった。

 戦団は、これから長らく停滞気味だった外征を本格的に再開し、人類生存圏を拡大するために本腰を入れようとしていたのだ。

 それなのに、特定弐号の出現によって、足止めされることとなった。

 特定弐号を放置して外征に力を注ぐことなどできるわけがなかった。

 鬼級幻魔の跳梁ちょうりょうを許してはならない。

 それは、特定壱号も同じではあるのだが、特定壱号は、この十年でその行動原理が判明しつつあるというのが大きかった。

 特別指定幻魔壱号ことダークセラフは、央都四市を飛び回り、幻魔災害を引き起こすだけ引き起こして、それ以上のことはしてこなかったからだ。

 そして、特定壱号対策のための戦力は、常に確保してあったし、それを踏まえた上で外征が計画されていたのだ。

 新たな特定幻魔の出現によって、計画の見直しが余儀なくされた。

 戦団が標榜とする人類復興を実現するためには、人類生存圏の拡大が必要不可欠だ。

「央都防衛構想も見直さなければならない」

 雀面の女が、嘆きとともに告げる。雀面の女こと朱雀院火流羅すざくいんかるらが頭を悩ませなければならないのは、彼女が戦務局の長だからだ。彼女が、央都防衛構想においてもっとも重要な立ち位置にある。

「仕方があるまい。特定壱号以外にも鬼級幻魔が潜んでいたというのは、我々にとっても想定外も良いところだ」

「まさか五十年前のあの日からずっと潜んでいただなんて……」

 口惜しげにつぶやいたのは、麒麟の面の女、伊佐那麒麟いざなきりんだ。麒麟にとってこれほど悔しいことはないかもしれない。

 五十二年前、地上奪還部隊に勝利をもたらしたのは、ほかならない麒麟だった。彼女がいればこそ、地上奪還作戦は成功した。鬼級幻魔リリスの打倒が成り、央都の基盤が完成したのだ。

 麒麟の眼は、鬼級幻魔の弱点を見抜き、その王国を崩壊させるために一役も二役も買ったのだ。

 その眼の力さえあれば、バアルの現出、あるいはバアルのこの地への侵入を見通すこともできたのではないか、と、彼女が考えてしまうのも無理からぬことだ。

 しかし、と、神木神威こうぎかむいは考える。

 あのとき、この地にいた誰もが全力を賭して戦い、全身全霊を使い果たし、戦いの果てに精も根も尽き果てた状態だった。

 そしてなにより、予期せぬ最悪の事態との対峙を迫られてもいた。

 麒麟がバアルの侵入を見逃したのだとしても、誰にも責められなかったし、この場にそのことを追求するものは一人としていなかった。

 麒麟のせいでもなければ、彼女がなにかを間違えたというわけでもないのだ。

 バアルがなにもかも上手くやった、それだけのことだ。

 そして、それだけのことが、あれから五十二年を経た今になって、牙を剥いてきた。それはさながら首筋に刃を突きつけられるが如くであり、彼は、仮面の向こう側に居並ぶ同志たちの、仮面の奥の表情を想像する。 

 誰もが似たような表情をしているに違いない。

 沈鬱としか言いようのない、想像すらしなかった痛撃を受けた表情をしているはずだ。

 神威がそうだった。

「央都防衛構想といえば、日岡ひおか博士の新兵器開発計画はどうなっているのです? 第四開発室は、彼女のやりたい放題だと聞いていますが」

 鶴面の女が進捗を問えば、さぎ面の女が苦笑をもらした。

「第四開発室の現状は、彼女の実績を考慮した結果です。日岡博士なくしては、戦団の現状はないに等しいということは、皆さんも御存知でしょう」

「だからといって、好き勝手にやらせるというわけにもいくまいが……」

「本当に上手く行くのかね。彼女の推進する新兵器開発計画というのは」

「わたくしは、日岡博士の能力を微塵も疑っていませんし、彼女ならば必ずや結果で答えてくれると信じていますが……」

「我々も彼女を信じていないわけではないよ。日岡博士は、戦団になくてはならない人材だ。彼女の天才的な閃きと確かな技術力があればこそ、戦団の今が、央都の現在がある。窮極幻想計画といったか。それが実を結ぶことを期待するとして――」

 神威は、今回護法院会議を開いた最大の理由について、ようやく触れることにした。彼は、彼自身を拘束するこの機構こそが、現状の雁字搦めの状態を生み出しているのではないか、と想わざるを得なかった。

 暗澹あんたんたる闇の中に浮かぶいくつもの面が、彼にその視線を向ける。目は、見えない。闇の中に浮かんでいるのは、面だけだ。

 参加者の表情を隠すことのできるこの仕組みを考えついたのは、何処の誰だったか。

 五十年も前のことだ。

 神威はうに忘れてしまっていた。だからこそ、とも想う。

「――この茶番もいつまでも続けるわけにもいくまいな」

「……きみはなにをいっている」

 栗鼠面の女が、冷ややかにいった。これもまた、研ぎ澄ませた刃を突きつけてくるかのような口振りだった。

「きみは、特定弐号の現出を知るなり飛び出そうとしたそうだな。麒麟が抑えてくれなければ、どうなっていたか。特定壱号で慣れたものだと想っていたが、どうやら考え違いをしていたようだ」

「少なくとも、バアルは斃せだろう」

 確信を込めて、神威が告げる。すると、馬の面の男が大きく息を吐いた。

「葦原市の大半を引き換えにかね」

「まったくもって割に合いませんね」

 鶴面の女が頭を振った。

 冷静に考えれば、その通りなのだということは、誰の目にも明らかだ。

 一体の鬼級幻魔を斃せたとして、その結果、央都に甚大な被害をもたらすことになるのだとすれば、そんなことを許容できる人間は、この場にはいなかった。

 戦団は、幻魔との戦いに勝利するため、人類復興という大願成就のため、多大な犠牲を払ってきた。数え切れない命が失われ、今も何処かで導士たちが命の火を燃やし尽くそうとしているかもしれない。

 しかし、だからといって、大のために小を切り捨てることを良しとしてきたわけではなかったし、むしろそんなことを許せるわけがなかった。

 そして、だからこそ、神威は、鬼級幻魔出現の報せを聞いて、首輪部隊の制止を振り切ろうとしたのだ。結局、麒麟に引き留められ、未遂に終わってしまったが。

「だから、我々は必要だ。我々は、護法院。この央都の法秩序を、きみという存在から護るためにのみ、存在する。きみがその役割を終えるまで、我々は存在し続けなければならない。そのことを忘れてくれるな」

「……ああ、わかっているよ」

 神威は、己への皮肉そのものにしかならない竜の面に手を掛けながら、いった。

 この茶番染みた会議がなくならない理由も、存在している意味も、続けなければならないことも、すべて理解している。それでも、こんなものがあるから自由に動けないのだ、とも、彼は想う。

 自由に動ける身の上ではないことくらい、重々承知しているのだが。


「わかっているとも」

 彼が一人つぶやいたのは、真夜中のことだった。

 誰もが寝静まるであろう真夜中、神威は、戦団本部を抜け出し、万世橋ばんせいばしを訪れていた。

 万世橋は、戦団本部の目と鼻の先にある。

 未来河みらいがわに架かる橋の中で最も大きく、最も道幅の広い橋である万世橋、その歩道に立ち、夜空を仰いでいた。

 夏の夜。

 気温は決して高くはないが、低くもない。風は穏やか過ぎて無風に近かった。頭上には、満天の星空が広がっており、星々のいずれもが眩いばかりに輝いている。月は巨大で、地上の混沌ぶりを嘲笑うかのように美しい。

 真夜中だ。

 万世橋の車道を走る車はなく、行き交う人々の姿もない。

 あるのは、街灯の光と、河川敷に並び立つ木々が風に揺れて奏でる音色だ。

 そして、靴音。

 ふとそちらに目を遣れば、未来河の河川敷に設けられたサイクリングコースを走っている少年がいた。

 皆代幸多みなしろこうただ。


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