第百四十二話 同期
幸多が、古大内美奈子と最後の挨拶を交わし、戦団本部敷地内の一角にある休憩所で呆然としていたのは、三十分くらいだろうか。
その間、幸多は、様々なことを考えた。
古大内美奈子にかけてあげられる言葉がなにかあったのではないか、とか、彼女の気持ちにもう少し寄り添ってあげることはできなかったのか、とか、そんなことを悶々と考えながら、時間が過ぎていった。
そんな風にしていると、こちらに向かって歩いてくる導士たちの姿があって、幸多は想わず腰を浮かせた。
草薙真がその先頭を歩いていたからだ。その後ろには、金田朝子、友美、菖蒲坂隆司の姿もあった。
幸多にとって、同期の導士といえる面々だ。
「思った以上に元気そうだな」
草薙真が、なんともいえないような憮然とした表情で告げてきたものだから、幸多はバツの悪い顔になった。なんだか悪いことをしている気分になる。が、疑問は湧く。
「……どうしたの? 勢揃いだけど」
「それ、おれらの台詞だろ」
菖蒲坂隆司が、幸多に半眼を向けた。
「同期が初任務で大怪我を負ったっていうから、病室に見舞いに行ったらもう退院したっていうんだもの。探し回るわよ、そりゃ」
「本当、心配して損したわ」
とは、金田姉妹。対抗戦では仲が悪いと評判の二人だったが、実際の所は、そうでもないらしいということが判明しつつあって、幸多は、そんな息のあった二人に責められ、うなだれるほかなかった。
「ごめん……」
「謝る必要はない。心配したのは、おれたちの勝手だ。きみは退院の許可を得たから病室を去ったのだろう。それを咎めるのは道理に反することだ」
「そうだけど、でも探し回ったこっちの気にもなって欲しいわよ」
「そうよそうよ、朝子の言う通りよ」
「彼が探し回って欲しいだなんていったか?」
「あのね、そういうことをいっているんじゃなくてね」
「せっかくなんだから見舞いぐらいさせろって話よ」
「ねー」
金田姉妹が仲良く同意し逢う様を見て、菖蒲坂隆司がお手上げとでもいうような仕草をした。二人の息の合った連携の前には為す術もないといいたいのかもしれないし、実際、そんな感じだった。
そして、菖蒲坂が口を開く。
「まあ、なにはともあれだ。きみだけでも無事で良かった良かった」
「それはそうね」
「本当にそう」
「まったくだ」
四者四用の反応を見せつつも、幸多の無事に安堵していることが窺えて、彼はなんだか不思議な気分になった。
仲間を持つというのは、こういうことなのかもしれない。
それから、同期五人で初任務についての意見交換会となった。
「皆代は災難だったな」
菖蒲坂隆司が、まず幸多の初任務に関する話題に触れた。この状況ならそうならざるを得ない。
金田朝子と友美は、幸多を挟むようにして長椅子に腰を下ろした。
「まさか鬼級幻魔に遭遇するだなんて、どんな運よ」
「最低最悪よね」
「だが、生き延びることができたのは、幸運だった」
「遭遇した事自体が最悪だっていってるんだけど」
「朝子の言う通りよ。普通、央都内で鬼級に遭遇することなんてありえないわ」
「それはそうだが……」
草薙真も、金田姉妹の連携の前には閉口せざるを得ないようだった。
「でも、本当に幸運だと想うよ。こうしてまた皆と話し合えてることそれ自体が、さ」
幸多は、実感を込めて、いった。目の前で無造作に殺されてしまった成井小隊の面々のことを想えば、自分がこうして生き残っていることが幸運以外の何者でもないと疑いなく思える。これを幸運以外のなんと呼ぶのか。
必然などとは、決していえない。
「……そういえば、皆代、おまえケットシーを二体、斃したんだってな」
「それ、本当なの?」
「ちょっと信じらんないんだけど」
「それはどういうことだ?」
真が金田姉妹の疑いのまなざしを見て、睨み付けると、姉妹は、上半身を幸多の背後に隠そうとして、諦めた。さすがにふたりが隠れられるほど、幸多の背中は広くない。
幸多は、そんな金田姉妹からの扱いにどう対応すればいいのか困惑しつつも、彼らの疑問に答えるべく口を開いた。
「うん。本当だよ」
「魔法も使わずに? どうやって?」
「核を潰せば、幻魔は死ぬ。それだけのことだよ。ケットシーの魔晶核は、胃の辺りにあるからね」
「まさか、手を突っ込んだっていうの? ケットシーの口から、手を?」
「そうだけど」
「ひぃいいい、ちょっと想像できないわ」
「こっわ」
金田姉妹が、二人して幸多から距離を取るような反応をして見せたものだから、またしても真が二人を睨み付ける。そして、金田姉妹は、真と幸多を交互に見て、最後には姉妹で顔を見合わせた。
「どういうこと?」
幸多は、怪訝な顔をする二人に挟まれて居心地の悪さは最高潮を迎えていたが、だからといって長椅子から離れることができなかった。いつのまか、二人が幸多の肩に手を置いていたからだ。
真の目線に対抗するためかもしれない。
「ま、初任務で二体の獣級幻魔を撃破なんてのは、上出来だよな」
「その通りだ。が、おれが好敵手と認めた以上は、この程度で満足してくれるなよ」
「好敵手……」
「好敵手?」
「ええと、うん、頑張るよ」
幸多は、理解が及ばないといった様子の金田姉妹に挟まれながら、真の真っ直ぐすぎる視線を浴びて、たじろぎながらもそう言い返した。
「真くんは、妖級撃破だったっけ」
「ああ。もちろん、おれ一人の力じゃないがな」
真は、初任務のときのことを思い出しながらいった。つい二日前の話だが、新人導士と妖級幻魔ジンとの激闘は、大きく報道されており、草薙家にも知れ渡っている。そして、真は弟の実から、父からの激励を伝えられたばかりだった。
妖級幻魔ジンがもたらした被害こそ大きいものの、死者は一人として出なかった。その点では運が良かったのかもしれない。相手は下位とはいえ妖級だ。その力は、獣級とは比較にならない。
当然だが、鬼級は妖級のさらに上を行く。
だから、幸多が生き残ったのは、幸運以外の何者でもないという結論にならざるを得ない。
幸多が魔法不能者だから窮地に陥ったわけではないのだ。
鬼級幻魔が出現したから、死に瀕した。
それこそが唯一絶対の真実だ、と、真は思っている。
だから気に病むことはない、と、幸多に声を掛けるつもりだったが、どうやら彼は既に立ち直っているようであり、心配する必要はなかったのかもしれない、と、思い返す。
「おれはカーシー一体と、ガルム一体。悪くないよな?」
菖蒲坂隆司が初任務の戦果を振り返れば、金田姉妹が自信満々に胸を張る。
「悪くないけど、あたしたちは獣級五体だし」
「二人合わせてね」
「二人合わせるなよ、そこは」
「なんでよ」
「兄弟姉妹の戦果を一纏めにするなんて、聞いたことないっての」
菖蒲坂隆司と金田姉妹の口論を聞きながら、幸多は、自分の手を見下ろした。バアルを殴りつけた右手は、幻魔特有の魔晶体の頑強さの前に砕け散った。
幻魔の外骨格たる魔晶体には、通常兵器は通用しない。
それが道理だ。
そしてそれは、幸多の幻魔への攻撃手段が極めて限られるという話でもある。
ケットシーやガルム程度ならば、いい。幸多でも戦えるし、斃してきた事実があり、自信がある。口の中に手を突っ込んで、魔晶核を破壊すればいいのだ。そのために全身を灼かれることもあったが、そんなことでへこたれる幸多ではなかった。
獣級下位は、斃せる。
しかし、妖級以上は、どうか。
妖級下位のイフリートですら、幸多には手も足も出なかった。
ましてや、鬼級幻魔バアルには、自慢の頑健な肉体も全く意味を為さなかった。
殴っても蹴っても、幸多の肉体に対し痛撃となって跳ね返ってくるだけだった。魔晶核の位置を特定できたところで、どうしようもない。通常、魔晶体の強固な防御を突破しなければ、魔晶核に到達することはできない。
自分は、どうすればいいのか。
念願の戦闘部に入ることは、できた。
星将伊佐那美由理の弟子になるという幸運にも、恵まれた。
初任務も、生き延びることが出来た。
だが、それだけだ。
この先、自分に一体なにができるというのか。
幸多は、拳を握り締め、顔を上げた。
真の群青の眼が、幸多をまっすぐに見ていた。




